『坂の上の雲』「(19)旅順総攻撃(前編)」 ― 2025-01-24
2025年1月24日 當山日出夫
『坂の上の雲』 (19)旅順総攻撃(前編)
この時代の軍事についての基本としては、要塞攻略のセオリーはどんなものだったのだろうか。ドラマで描かれた範囲では、ロシア軍の用意周到さと、日本軍の無謀さ、ということでしかないのだが。軍事史的に見て、日露戦争のときの旅順要塞とは、世界のなかでどの程度のものだったのか。そして、それを、日本軍は知っていたのか。ロシアを仮想敵国として準備をしてきたはずの日本陸軍は、事前に旅順要塞について、どれほどのことを知っていたのか、あるいは、知らなかったのか、このあたりのことが気になる。
日露戦争の目的は、いったい何だったのだろうか。政治的、経済的には、日本の朝鮮半島、満州における権益の確保ということは確かだろうと思うのだが、そのために、旅順要塞の攻撃の意味は何だったのか。
秋山真之は、この段階で、二〇三高地の意味をとらえている。戦略の目的として、旅順艦隊を陸から攻撃するための観測地点の確保ということであり、それは、日本と大陸との兵站を確保するためである。これは、きわめて合理的な判断だと思うのだが、これを、陸軍と海軍とで共有できていなかった、と理解していいのだろうか。
日本の陸軍と海軍の仲の悪さは、昭和になってから特に問題視されることではあるが、それは、すでにこの時代から始まっていた、と理解していいかかもしれない。
ともあれ、戦争の最終目的、そのための戦略と作戦という、軍事的に基本的なことが、どうやら日露戦争ではおろそかにされていた、このようなことになる。その大きな前提としてのインテリジェンスがなければならないが、これについてはどうだったのか。史料が残っていないので、もう分からないことなのか、それとも、日本軍は、この時代からインテリジェンス軽視であったのか。
ドラマとしては迫力ある映像で描いているのだが、日露戦争における旅順攻撃の意味が、今ひとつ理解できない。あるいは、当時の日本軍も、第三軍の乃木希典も、意味が分かっていなかったのかもしれない。
旅順が近代であった、というのはドラマのなかで語られることだが、それよりも、インテリジェンスの欠如こそが、日本の前近代性としてとらえた方がいいように思える回であった。仮想敵国が、それほどの大規模な要塞構築の工事をおこなっていて、それがどんなものか予測し損ねたということが、最大の問題であろう。機関銃の威力についても、それを事前に知っていなかったとしたら、そのこと自体が、致命的なミスであったというべきである。敵の軍事的な能力をどう見積もるかが、狭義の軍事、戦争の基本である。その背後には、政治的判断ということもあるが。
機関銃が本格的に使用された戦いなのかとは思うが、機関銃の開発は決してロシア軍の軍事機密ということではなかったはずである。たしか、秋山好古も機関銃の訓練をしていた。
見ていて、作戦や戦術の合理性よりも、とにかく精神力で頑張れ、という雰囲気がただよってくるというのは、ちょっと冷淡な見方にすぎるだろうか。(その後、この回で描かれたような失敗は、太平洋戦争において各所で繰り返されたことになるのだが。)
乃木希典の人格について、司馬遼太郎『坂の上の雲』では語ってあったと思い出すのだが、どのような人物であったとしても、死んでいった兵士にとって、戦死は戦死である。
どうでもいいことだが、兵隊さんたちが飯盒で御飯を食べていたシーンがあったが、飯盒というものの実物を知っているのは、もう若い人ではあまりいないかもしれない。
2025年1月23日記
『坂の上の雲』 (19)旅順総攻撃(前編)
この時代の軍事についての基本としては、要塞攻略のセオリーはどんなものだったのだろうか。ドラマで描かれた範囲では、ロシア軍の用意周到さと、日本軍の無謀さ、ということでしかないのだが。軍事史的に見て、日露戦争のときの旅順要塞とは、世界のなかでどの程度のものだったのか。そして、それを、日本軍は知っていたのか。ロシアを仮想敵国として準備をしてきたはずの日本陸軍は、事前に旅順要塞について、どれほどのことを知っていたのか、あるいは、知らなかったのか、このあたりのことが気になる。
日露戦争の目的は、いったい何だったのだろうか。政治的、経済的には、日本の朝鮮半島、満州における権益の確保ということは確かだろうと思うのだが、そのために、旅順要塞の攻撃の意味は何だったのか。
秋山真之は、この段階で、二〇三高地の意味をとらえている。戦略の目的として、旅順艦隊を陸から攻撃するための観測地点の確保ということであり、それは、日本と大陸との兵站を確保するためである。これは、きわめて合理的な判断だと思うのだが、これを、陸軍と海軍とで共有できていなかった、と理解していいのだろうか。
日本の陸軍と海軍の仲の悪さは、昭和になってから特に問題視されることではあるが、それは、すでにこの時代から始まっていた、と理解していいかかもしれない。
ともあれ、戦争の最終目的、そのための戦略と作戦という、軍事的に基本的なことが、どうやら日露戦争ではおろそかにされていた、このようなことになる。その大きな前提としてのインテリジェンスがなければならないが、これについてはどうだったのか。史料が残っていないので、もう分からないことなのか、それとも、日本軍は、この時代からインテリジェンス軽視であったのか。
ドラマとしては迫力ある映像で描いているのだが、日露戦争における旅順攻撃の意味が、今ひとつ理解できない。あるいは、当時の日本軍も、第三軍の乃木希典も、意味が分かっていなかったのかもしれない。
旅順が近代であった、というのはドラマのなかで語られることだが、それよりも、インテリジェンスの欠如こそが、日本の前近代性としてとらえた方がいいように思える回であった。仮想敵国が、それほどの大規模な要塞構築の工事をおこなっていて、それがどんなものか予測し損ねたということが、最大の問題であろう。機関銃の威力についても、それを事前に知っていなかったとしたら、そのこと自体が、致命的なミスであったというべきである。敵の軍事的な能力をどう見積もるかが、狭義の軍事、戦争の基本である。その背後には、政治的判断ということもあるが。
機関銃が本格的に使用された戦いなのかとは思うが、機関銃の開発は決してロシア軍の軍事機密ということではなかったはずである。たしか、秋山好古も機関銃の訓練をしていた。
見ていて、作戦や戦術の合理性よりも、とにかく精神力で頑張れ、という雰囲気がただよってくるというのは、ちょっと冷淡な見方にすぎるだろうか。(その後、この回で描かれたような失敗は、太平洋戦争において各所で繰り返されたことになるのだが。)
乃木希典の人格について、司馬遼太郎『坂の上の雲』では語ってあったと思い出すのだが、どのような人物であったとしても、死んでいった兵士にとって、戦死は戦死である。
どうでもいいことだが、兵隊さんたちが飯盒で御飯を食べていたシーンがあったが、飯盒というものの実物を知っているのは、もう若い人ではあまりいないかもしれない。
2025年1月23日記
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