「19才の独裁者 極限戦場の虐殺 〜なぜ誰も止められなかったのか?〜」 ― 2025-01-25
2025年1月25日 當山日出夫
ダークサイドミステリー 19才の独裁者 極限戦場の虐殺 〜なぜ誰も止められなかったのか?〜
再放送である。最初の放送は、2024年7月9日。
一九四五年、戦争の末期のドイツでいったい何がおこったのか、まだ分かっていないことがたくさんあるらしい。ドイツ近現代史として、ナチスの時代、戦争の時代、それから、敗戦後の占領下の時代……まだまだ、語られない、あるいは、語ることをはばかられるいろんなことがあるにちがいない。
この番組であつかっていたのは、一九才の上等兵だったヘロルトが、たまたま手に入れた大尉の軍服を身につけることによって、周囲の軍人たちをだまし、収容所での虐殺をおこなうことになった顛末であった。
一番興味深かったのは、戦後、イギリス軍に捕まったヘロルトが、ギロチンで処刑されたことである。この時代まで、ギロチンは、実用的に使用されたということなのだろうが、はたしていったいいつ頃まで使われていたのだろうか。歴史的に見れば、ギロチンというのは、非常に人道的な発明品であったと言われているのだけれど。
論点としては、主に二つあるだろう。
一つは、戦場の人間の心理ということである。特に敗戦が濃厚になっている状況下で、軍人に限らず、人間はどのように考えることになるのか、どのように行動することになるのか、これは、ある程度は一般的にいえるところがあるだろう。日本においても、支那事変以降、太平洋戦争を通じて、戦場で軍人や兵士が、どのような心理状態におかれてきたのか、これは、冷静に心理学や精神医学の知見として、考えるべきことであると、私は思う。このようなことを抜きにして、ただ結果としての残虐行為の有無について論じることは、あまり生産的ではない。だからといって、戦場の残虐行為が許されるものであるということではないが、なぜ、人間はそのような行為をするのか、ということは、ものを考えるにあたっての基本として必要なことである。
第二に、その当時のドイツ特有の問題がどれぐらいあるのか、ということ。くるしまぎれだったのだろうが、ヒトラーから全権を委任されているとウソをいい、それが信じられる(少なくとも、積極的に疑うことはなかった)のは、どういう社会の状況においてなのだろうか。その時代、ヒトラーの名前を出して、その意に沿うように行動するということは、ドイツの人びと(それは、必ずしもナチスに賛同というばかりではなかったかもしれないが)にとって、どういう意味のあることだったのだろうか。
以上のようなことを思ってみる。
それから、敗戦のドイツにおいても、法の秩序を守ろうとした人がいたことは確かなことであり、これは、賞賛されてしかるべきだろう。
2025年1月18日記
ダークサイドミステリー 19才の独裁者 極限戦場の虐殺 〜なぜ誰も止められなかったのか?〜
再放送である。最初の放送は、2024年7月9日。
一九四五年、戦争の末期のドイツでいったい何がおこったのか、まだ分かっていないことがたくさんあるらしい。ドイツ近現代史として、ナチスの時代、戦争の時代、それから、敗戦後の占領下の時代……まだまだ、語られない、あるいは、語ることをはばかられるいろんなことがあるにちがいない。
この番組であつかっていたのは、一九才の上等兵だったヘロルトが、たまたま手に入れた大尉の軍服を身につけることによって、周囲の軍人たちをだまし、収容所での虐殺をおこなうことになった顛末であった。
一番興味深かったのは、戦後、イギリス軍に捕まったヘロルトが、ギロチンで処刑されたことである。この時代まで、ギロチンは、実用的に使用されたということなのだろうが、はたしていったいいつ頃まで使われていたのだろうか。歴史的に見れば、ギロチンというのは、非常に人道的な発明品であったと言われているのだけれど。
論点としては、主に二つあるだろう。
一つは、戦場の人間の心理ということである。特に敗戦が濃厚になっている状況下で、軍人に限らず、人間はどのように考えることになるのか、どのように行動することになるのか、これは、ある程度は一般的にいえるところがあるだろう。日本においても、支那事変以降、太平洋戦争を通じて、戦場で軍人や兵士が、どのような心理状態におかれてきたのか、これは、冷静に心理学や精神医学の知見として、考えるべきことであると、私は思う。このようなことを抜きにして、ただ結果としての残虐行為の有無について論じることは、あまり生産的ではない。だからといって、戦場の残虐行為が許されるものであるということではないが、なぜ、人間はそのような行為をするのか、ということは、ものを考えるにあたっての基本として必要なことである。
第二に、その当時のドイツ特有の問題がどれぐらいあるのか、ということ。くるしまぎれだったのだろうが、ヒトラーから全権を委任されているとウソをいい、それが信じられる(少なくとも、積極的に疑うことはなかった)のは、どういう社会の状況においてなのだろうか。その時代、ヒトラーの名前を出して、その意に沿うように行動するということは、ドイツの人びと(それは、必ずしもナチスに賛同というばかりではなかったかもしれないが)にとって、どういう意味のあることだったのだろうか。
以上のようなことを思ってみる。
それから、敗戦のドイツにおいても、法の秩序を守ろうとした人がいたことは確かなことであり、これは、賞賛されてしかるべきだろう。
2025年1月18日記
「安克昌“心の傷を癒すということ” (3)心のケアが目指すもの」 ― 2025-01-25
2025年1月25日 當山日出夫
100分de名著 安克昌“心の傷を癒すということ” (3)心のケアが目指すもの
トラウマとかPTSDという概念が生まれるまでにも、そのような症状に苦しむ人たちはいたはずであり、そういう人たちを受け入れる、社会全体の知恵のようなものがあったのだろうと、思う。それは、古くからの人間の文化的な共同体意識にささえられたなにかであったかもしれないし、場合によると、逆に、そのような体制的ものからはずれた埒外のなにか(いろんな意味でのアウトローの世界)であったかもしれない。おそらくは、そのようなものが人間の歴史のなかで様々に蓄積されて持ってきたのだが、それを破壊してしまったのが近代の社会における人間のあり方、であったといってもいいだろうか。近代の人間観、特に、人間の個人としての自立ということを前面にかかげたことが、結果として人びとの幸福につながることであったのかどうか、立ち止まって考えてみてもいいだろう。だが、だからといって、歴史を逆にもどすことはもはやできないのであるが。
安克昌の文章の背後に感じるものは、究極的に人間とはどんなものであるのか、ということを考える姿勢である。それが、この場合には、震災と精神医学という状況で語ることになっているのだが、本当に読みとるべきことは、その人間観であるというべきだろう。
人間の文化の歴史のなかで培ってきた、人間に対する集団の叡知とでもいうべきものを、これからは、(この場合であれば)精神医学という分野のことばと実践において、どう再定義し、どう具現化していくか、ということなのではないだろうか。
2025年1月21日記
100分de名著 安克昌“心の傷を癒すということ” (3)心のケアが目指すもの
トラウマとかPTSDという概念が生まれるまでにも、そのような症状に苦しむ人たちはいたはずであり、そういう人たちを受け入れる、社会全体の知恵のようなものがあったのだろうと、思う。それは、古くからの人間の文化的な共同体意識にささえられたなにかであったかもしれないし、場合によると、逆に、そのような体制的ものからはずれた埒外のなにか(いろんな意味でのアウトローの世界)であったかもしれない。おそらくは、そのようなものが人間の歴史のなかで様々に蓄積されて持ってきたのだが、それを破壊してしまったのが近代の社会における人間のあり方、であったといってもいいだろうか。近代の人間観、特に、人間の個人としての自立ということを前面にかかげたことが、結果として人びとの幸福につながることであったのかどうか、立ち止まって考えてみてもいいだろう。だが、だからといって、歴史を逆にもどすことはもはやできないのであるが。
安克昌の文章の背後に感じるものは、究極的に人間とはどんなものであるのか、ということを考える姿勢である。それが、この場合には、震災と精神医学という状況で語ることになっているのだが、本当に読みとるべきことは、その人間観であるというべきだろう。
人間の文化の歴史のなかで培ってきた、人間に対する集団の叡知とでもいうべきものを、これからは、(この場合であれば)精神医学という分野のことばと実践において、どう再定義し、どう具現化していくか、ということなのではないだろうか。
2025年1月21日記
『あ・うん』「(2)「蝶々」」 ― 2025-01-25
2025年1月25日 當山日出夫
『あ・うん』 「(2)「蝶々」」
向田邦子の作品としては、NHKのドラマの方が先に書かれて、それをもとに小説になったということである。小説の方は読んでいる。以前に読んだことがあるのだが、今回は、新しくKindle版で読みなおしてみた。個人的な印象としては、小説版の方が、私には面白い。ドラマには、それなりの別の良さがあるのはもちろんだが。
もう今の時代には、このような脚本を書ける作家はいないだろう。千吉と門倉のような関係、軍隊での「寝台戦友」、このような関係があった時代というものを、実感として知っている人間でないと、このドラマのような人間関係を描くことはできないと思う。これまでの主な登場人物は、水田の家の家族、それから、門倉の妻、二号さん。
現在では、二号さんという言い方自体が古びている。私の世代なら、かろうじて分かる日本語といってもいいだろう。若い人には通じないにちがいない。それよりも、本妻がいて、二号さんがいて、というのがごく普通だった時代である。これは、今の一般の価値観では、容認されないことになっている。
君子が飲もうとしていたのは、昇汞水。猛毒の消毒薬である。これも、今の時代では、見かけなくなったものの一つである。
夏になって、蚊帳をつるということも無くなった。(これは、私の子どものころまではごく普通の生活だった。昭和三〇年代ごろまでである。)
このドラマの随所に見られる、日常生活のなかの物事とかもそうだが、夫婦の関係、親子の関係、これらが、昔はこんな感覚で暮らしていた人たちが、普通にいたのだろうなあ、と感じさせることになる。だが、そうはいっても、水田と門倉の友情はかなり特殊である。だが、この特殊な性格を感じとるためには、普通の感覚がどうであったかが分かっていないといけない。
「戦友」の歌を耳で聴いて知っている、というのも、もう古い世代のことになってしまっている。『宮本武蔵』も、今ではもうあまり読まれない作品といっていいだろう。
『あ・うん』は一九八〇年(昭和五五年)のドラマである。この時代は、まだ、寝台戦友といって、兵隊の体験が分かる人がいて、『戦友』の歌を知っていて、『宮本武蔵』が一般に読まれる大衆文学であった時代、そういう時代があったことになる。そして、当然ながら、それは、今では失われてしまったものである。
2025年1月24日記
『あ・うん』 「(2)「蝶々」」
向田邦子の作品としては、NHKのドラマの方が先に書かれて、それをもとに小説になったということである。小説の方は読んでいる。以前に読んだことがあるのだが、今回は、新しくKindle版で読みなおしてみた。個人的な印象としては、小説版の方が、私には面白い。ドラマには、それなりの別の良さがあるのはもちろんだが。
もう今の時代には、このような脚本を書ける作家はいないだろう。千吉と門倉のような関係、軍隊での「寝台戦友」、このような関係があった時代というものを、実感として知っている人間でないと、このドラマのような人間関係を描くことはできないと思う。これまでの主な登場人物は、水田の家の家族、それから、門倉の妻、二号さん。
現在では、二号さんという言い方自体が古びている。私の世代なら、かろうじて分かる日本語といってもいいだろう。若い人には通じないにちがいない。それよりも、本妻がいて、二号さんがいて、というのがごく普通だった時代である。これは、今の一般の価値観では、容認されないことになっている。
君子が飲もうとしていたのは、昇汞水。猛毒の消毒薬である。これも、今の時代では、見かけなくなったものの一つである。
夏になって、蚊帳をつるということも無くなった。(これは、私の子どものころまではごく普通の生活だった。昭和三〇年代ごろまでである。)
このドラマの随所に見られる、日常生活のなかの物事とかもそうだが、夫婦の関係、親子の関係、これらが、昔はこんな感覚で暮らしていた人たちが、普通にいたのだろうなあ、と感じさせることになる。だが、そうはいっても、水田と門倉の友情はかなり特殊である。だが、この特殊な性格を感じとるためには、普通の感覚がどうであったかが分かっていないといけない。
「戦友」の歌を耳で聴いて知っている、というのも、もう古い世代のことになってしまっている。『宮本武蔵』も、今ではもうあまり読まれない作品といっていいだろう。
『あ・うん』は一九八〇年(昭和五五年)のドラマである。この時代は、まだ、寝台戦友といって、兵隊の体験が分かる人がいて、『戦友』の歌を知っていて、『宮本武蔵』が一般に読まれる大衆文学であった時代、そういう時代があったことになる。そして、当然ながら、それは、今では失われてしまったものである。
2025年1月24日記
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