『あ・うん』「(2)「蝶々」」2025-01-25

2025年1月25日 當山日出夫

『あ・うん』 「(2)「蝶々」」

向田邦子の作品としては、NHKのドラマの方が先に書かれて、それをもとに小説になったということである。小説の方は読んでいる。以前に読んだことがあるのだが、今回は、新しくKindle版で読みなおしてみた。個人的な印象としては、小説版の方が、私には面白い。ドラマには、それなりの別の良さがあるのはもちろんだが。

もう今の時代には、このような脚本を書ける作家はいないだろう。千吉と門倉のような関係、軍隊での「寝台戦友」、このような関係があった時代というものを、実感として知っている人間でないと、このドラマのような人間関係を描くことはできないと思う。これまでの主な登場人物は、水田の家の家族、それから、門倉の妻、二号さん。

現在では、二号さんという言い方自体が古びている。私の世代なら、かろうじて分かる日本語といってもいいだろう。若い人には通じないにちがいない。それよりも、本妻がいて、二号さんがいて、というのがごく普通だった時代である。これは、今の一般の価値観では、容認されないことになっている。

君子が飲もうとしていたのは、昇汞水。猛毒の消毒薬である。これも、今の時代では、見かけなくなったものの一つである。

夏になって、蚊帳をつるということも無くなった。(これは、私の子どものころまではごく普通の生活だった。昭和三〇年代ごろまでである。)

このドラマの随所に見られる、日常生活のなかの物事とかもそうだが、夫婦の関係、親子の関係、これらが、昔はこんな感覚で暮らしていた人たちが、普通にいたのだろうなあ、と感じさせることになる。だが、そうはいっても、水田と門倉の友情はかなり特殊である。だが、この特殊な性格を感じとるためには、普通の感覚がどうであったかが分かっていないといけない。

「戦友」の歌を耳で聴いて知っている、というのも、もう古い世代のことになってしまっている。『宮本武蔵』も、今ではもうあまり読まれない作品といっていいだろう。

『あ・うん』は一九八〇年(昭和五五年)のドラマである。この時代は、まだ、寝台戦友といって、兵隊の体験が分かる人がいて、『戦友』の歌を知っていて、『宮本武蔵』が一般に読まれる大衆文学であった時代、そういう時代があったことになる。そして、当然ながら、それは、今では失われてしまったものである。

2025年1月24日記

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