ザ・バックヤード「長野県立歴史館」2025-01-29

2025年1月29日 當山日出夫

ザ・バックヤード 長野県立歴史館

肩書で、認証アーキビストという人を始めてテレビで見た。(そういう資格があることは知識として知っていたことではあるが。)

別に、信長や秀吉や家康の古文書があるからといって、それだけでは、どうってことないと思うのだけれど、ちょっと天邪鬼にすぎるだろか。それよりも貴重なことは、古文書が、もとの形態のままで保存されていることである。表装されることなく、元のままで残ってきたということは、それなりの意味があってのことにちがいない。その伝来とともに、その意味を歴史学、古文書学の知見としてどう考えることができるか、ということがあっていいはずである。料紙の大きさとか、文字の書きぶりなど、元のまま残ってこそ分かることである。

古典籍、古文書をあつかうとき、素手であつかうのが普通である。(赤い毛氈の上で広げて見ていたけれど、これは、薄様の紙であった方がいいかと思う。あるいは、テレビの画面に映すときのことを考えてのことだったのか。)

北村人の人骨については、考古学の分野の研究者にとっては、普通に知られていることなのだろう。無論、現在で、DNA鑑定をして、その姻戚関係の分析も可能であるが、これは、どれぐらい研究が進んでいるのだろうか。

木製品の保存として水につけておくというのは、そのとおりである。代表的な事例が、奈良文化財研究所における木簡の保存ということになるだろう。(どうでもいいことだが、奈良文化財研究所は、正式名称が変遷しているので、確認するのに、検索してみた。)もともと平常旧跡のあたりが、水田で水分の多い地下に保存されてきたから、大量の木簡が残ったということであったはずである。(だから、文化財の保存という観点からは、地下水脈の保全が大事ということになる。)

2025年1月23日記

英雄たちの選択「熊本城、陥落せず!〜実録「西南戦争」最強・西郷軍との攻防〜」2025-01-29

2025年1月29日 當山日出夫

英雄たちの選択 熊本城、陥落せず!〜実録「西南戦争」最強・西郷軍との攻防〜

多くの視聴者がそうであるかと勝手に思うのだが、西南戦争については、司馬遼太郎の『飛ぶが如く』は読んでいる(これは私は二回読んだ)、その程度の知識しかもっていない。それを、熊本城の攻防戦、谷干城の判断、ということに焦点をあてて描いたというのは、非常に面白かった。そして、これが、同時に、『坂の上の雲』に対する批判にもなっている。

西南戦争の熊本城の攻防戦というと、どうしても田原坂のことを考えてしまうのであるが、このことについては、ほとんど触れることがなかった。

軍事史的に見たとき、谷干城の判断は正しかった、といっていいことになるだろう。番組では言っていなかったが、籠城戦を戦うとなると、攻撃側の戦力が多くないと戦えない、と思っているのだが、この場合どうなのだろうか。食糧は不足がちということはあったにしても、兵力は十分にあり、また、兵器においても優っていた。であるならば、籠城を続けるというのも、十分に合理的な判断だったかとも思われる。このとき、熊本城は、完全に外部との通信を遮断されてしまっていたのか、それとも、政府軍(味方)の動きをある程度知ることができたのか、この情報の有無が、判断の重要なポイントになるように、私には思える。

この番組の面白いところの一つは、軍事用語を、ほとんど注釈的な説明なしにどんどん使っていることである。ここは、無理に分かりやすく説明しない方が、歴史的、軍事的には、的確な説明になるかと思うところである。

堡籃というのは、始めて知った。WEBで見ると、「Gabion」の訳語であり、専門的な軍事用語であるらしい。これを熊本城で作ったことが、上野彦馬が撮った写真から分かるという。いったいどうして、上野彦馬が、この写真を撮ることになったのか、その経緯について説明はなかったが、興味のあるところである。そして、熊本城の谷干城や、その配下の軍人たちは、このことの知識をどうやって手に入れていたのだろうか。江戸時代からの、軍事的知識として、伝わっていたものなのだろうか。

スナイドル銃とエンフィールド銃とでは、元込め式と先込め式の違いはあることは分かったが、射程距離とか、命中精度とは、どれぐらい差があるものだったのだろうか。

四斤砲の威力、それから、射程距離はどれぐらいだったか、具体的に分かると面白い。これで、熊本城の石垣を崩すことが可能だったのだろうか。実際の戦闘においては、城内に砲弾を撃ち込んで兵をたおすことになるが、そのためには、着弾点を観測しなければならない。それを、西郷軍は確保できていなかったことになる。

もし現代の軍事知識として、熊本城を攻略する、あるいは、防御するとなると、どのような戦術や作戦を考えることになるのだろうか、このあたりを専門家に解説してもらえるとありがたいのだが、これは、この番組の範囲を超えたことになる。

谷干城のその後が興味深い。近代的な日本の軍隊の実力とはどの程度のものであるか、ということを知悉していたからこそ、日露戦争における非戦論ということになったのであろう。近代とはまさに軍隊であるが、国民国家の軍隊とはどのような制度のもとに設計されるべきか、明治の日本で、このことについて冷静に考えた人間は、どれぐらいいるのだろうか。もちろん、現代の日本においても、これは重要な議論である。ただ、防衛費の多寡を論じるだけの水掛け論が、世論として横行しているとしか思えないのだが。

また、爵位の世襲に反対していたことは重要である。爵位が軍人としての功労であるとしても、それは世襲されるべきものではないというのは、明治以降の近代日本において、一つの卓見というべきである。(どうでもいいことだが、三島由紀夫の『春の雪』を思い出す。軍人の末裔で華族であることと、京都の公家の末裔で華族であること、この微妙な違いを背景にしてこの小説はなりたっている。)

2025年1月27日記

ねほりんぱほりん「記憶をなくした人」2025-01-29

2025年1月29日 當山日出夫

ねほりんぱほりん 「記憶をなくした人」

再放送である。最初の放送は、2021年12月10日

学問的に考えると、脳科学の問題であり、精神医学の問題ということになるが、同時に哲学の問題でもある。さらには、言語学としても興味深い(というような言い方は失礼かもしれないが。)

記憶喪失ということは、ことばとして知っていることなのだが、実際にそのようになった人の具体例ということに、接することはない。これも、ひょっとして日常的に存在する人であったりもするかもしれないのだが、そうであっても、自分から自らが記憶喪失であるとは言い出すことはないだろう。

あることをきっかけにして、それ以前のことを忘れてしまう。この場合、それ以降、新しいことでも記憶として定着しにくくなる、ということである。おそらく、これは、脳の中で記憶に関係するメカニズムに障害があるということになるかと思うが、専門家の知見としては、どう考えることになるのだろうか。

過去のことを忘れるというが、日常的な生活にかかわることは忘れることがない。それだけ、深いところで人間の記憶(といっていいのだろうか)にしまい込まれた身体動作というものがあることになる。だが、これも、症状によっては、忘れてしまうことがあるらしい。

言語も忘れてしまうことがあるのだろうか。この場合、記憶喪失、というよりも、失語症ということで、言語学としては考えることになるだろうと思うのだが、言語と記憶との関係は、現代の脳科学では、どのように考えられているのだろうか。

母語として習得した言語は、「わすれる」ということがあるのだろうか。構造主義的な言語観では、言語によって世界を見ていることになる。言語を失えば、世界の認識の枠組みを失うということになる……こういう理解でいいだろうか。

この回で登場してきていた人の場合、まわりの家族が理解がありサポートしてくれたということがあった。しかし、それがないと、うまく社会生活に対応できない。というよりも、まず、自分自身が何者であるのかの感覚がないままで生きなければならなくなる。これは、かなり人間として厳しいことになる。こういう事例について、現代の社会で、どのようなサポート体制があるのだろうか、ということは気になるところである。

やはり最後に思うことは、自分が自分であるということは、自分自身の意識(記憶をふくめて)の連続性であると同時に、周囲の人間とともに構築した関係の連続性にささえられている部分が大きいということになるだろうか。

2025年1月26日記