よみがえる新日本紀行「宮島」2025-02-11

2025年2月11日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 宮島

昭和五六(一九八一)年の放送。

宮島には、二回ほど行ったことがあるかと憶えている。広島で学会(国語学会など)があったときである。空いた時間にどこかに行こうとなると、たいてい宮島に行く人間が多い。宮島の中を歩いていて、知り合いの人がたくさんいて、お辞儀ばかりしていたという感じだったのを憶えている。

この時代の宮島の記録として、とても面白い。

戦前まで、神の島として、農耕を許されていなかった宮島で、戦後になって開拓農民が入ってくることになったという経緯は、ふ~ん、そういうこともあったのか、という気がする。開拓の当初は、島の住人たちから反発もあったようだ。そのことを、記録しておく、オーラルヒストリーとして聞書をとっていく、という町史編纂のこころみは面白い。これは、その後どうなったのだろうか。

ラッパの音で、鹿たちが、海の中を走ってやってくる姿は、初めて見たかと思う。今の宮島ではどうなのだろうか。

神様の島なので、人が死んでも火葬や埋葬ができない。港まで葬列をくんで、貸し切りのフェリーで参列者が渡る。遺体は、町営の棺船で運ぶ。こんな風習があったのかと、とても興味深かった。これも、今もやっていることなのだろうか。

厳島神社の鳥居が、海の海底のうえに、乗っかっているだけの構造のものだということは、始めて知った。それから、上の方の横になった部分に石が入っていて重しになっているという、これは驚きであった。

今の宮島のこととして、しゃもじを作る職人が、その道具を自分で作っていることは、とても面白い。伝統工芸とされる領域で、職人の存続も問題であるが、その使う道具を誰がどうつくるのかということも、将来的には大きな問題である。この意味では、道具を作ることも、木工職人の仕事であるというのは、興味深い。

厳島神社は、数年前の台風でかなり被害を受けた。今は、どうなっているだろうか。あまりに外国人観光客ばかりだと、もう行ってみたいとは思わないのだけれど。

2025年2月9日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2025/02/11/9753758/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。