『坂の上の雲』「(22)二〇三高地(後編)」2025-02-13

2025年2月13日 當山日出夫

『坂の上の雲』 (22)二〇三高地(後編)

二〇三高地は落ちたのだが、ここまでこのドラマで描いたところを見てきて、いったい何のための旅順での戦いであったか、今一つ分からない、という気がする。

何度も書いているが、海軍の立場からすれば、旅順港にいる艦隊が攻撃目標であって、それを砲撃するための観測点として必要だったのが二〇三高地であった、ということになる。その他の要塞は、どうでもいいことになる。

一方、陸軍の立場からすれば、ロシアの極東における軍事拠点である旅順を陥落させ、その後、第三軍を満州の戦線に投入する、という筋書きを描いていたことになる。この場合には、ステッセルを降伏させねばならない。

戦争の大局、日露戦争、特に旅順攻撃の戦略が、このドラマから、あまり見えてこないのである。

それにしても、二〇三高地の攻撃が、最後は突撃して白兵戦というのは……まあ、実際はそうだったのかもしれないが……その後、太平洋戦争での日本軍の戦いかたを思うと、これから先、日本の軍隊はどれぐらい進歩していたのかと思いたくなる。おそらく、軍事の専門家は、その後の第一世界大戦の塹壕戦や各種の新兵器(戦車、飛行機、潜水艦など)を使った戦術や作戦について、研究していたにはちがいないが、実際にどれぐらい役だったのだろうかとも思いたくなる。(軍事史の専門家は、また違う見方をするかとも思うけれど。)

少なくとも、二〇三高地確保の意味として、旅順湾の敵艦隊砲撃のため、そこを観測点として具体的に利用するところまでは、描いておくべきだったかと思う。二八サンチ榴弾砲の本来の使い方は、その射的距離と破壊力で、旅順港の艦船を攻撃することにあったはずだと思っている。これを、いつ、どのように準備したのかということも、出てきていなかった。二八サンチ砲を戦線に投入することの困難さについては、説明があったのだが。

日露戦争を通じて、日本軍は、圧倒的な砲弾の不足に困ることなっていた、ということもあった。十分な準備ができていなかったし、国内での生産能力もなかった。(もし、輸入することが可能だったとしても、どこの国からどう運んでくればいいのかという、大きな問題がある。アメリカは、中立的立場であったから、日本に軍備の供与はできなかったはずである。)

私はこれまで軍の司令官は、何よりも技術者であると思ってきたのだが、ここ数年、なんとなく考え方が変わってきた。軍を統率するものとして、いかに部下の兵卒の信頼を得ることができるか、人格的な側面が重要だと思うようになってきている。

この意味で、乃木希典、児玉源太郎、あるいは、東郷平八郎という人物をどのように描くかということは、いろいろと考えるところがある。

2025年2月12日記

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