『おむすび』「母親って何なん?」 ― 2025-02-16
2025年2月16日 當山日出夫
『おむすび』 「母親って何なん?」
このドラマ、朝ドラとしてのできは、まあまあというところかなと思って見ている。そんなに感動するほど良くできてもいないが、逆に、褒めるところが見つからないほど出来が悪いとも思わない。
だが、この週あたりのストーリーの展開を見ると、こういうふうに話しをもっていくのなら、これまでに描いておくべきことがあったはずなのに、と思うところはある。これまでの話しの展開が、チャラになってしまっている。そもそもギャルが栄養士になるというコンセプトだったはずだが、この設定が、どこかにとんでいってしまっている。
結は管理栄養士になる。管理栄養士としては、目で料理を見て、その食品の成分、栄養価とかカロリーとか、ざっと頭のなかでイメージできる……これは、そういう訓練というか、そうなる勉強をしてきたからである。しかし、これまで、このドラマのなかで、結がそのような勉強をしてきた、という部分が描かれていない。
料理を見て、その栄養的な問題点を指摘するのは、居酒屋で乾杯をするときにいうことではないだろう。もっと、それにふさわしい適切な場面があるはずである。ここは、管理栄養士としての専門知識と、一般の良識とのかねあいの問題である。この脚本には、一般的な良識的判断が欠如している。
やはり、ここは、結が四年制大学に行って、管理栄養士の受験資格をとるための専門のコースで勉強する、ということであった方が自然である。そこで、何を学んだか、どんな講義があったか、実習や実験があったか、具体的に描いてこそ、管理栄養士はこういう職掌の仕事なのだと、見ている側も理解できる。
昔、結が、栄養士の専門学校に行っていたときの友達は、病院に就職したり、食品会社(まんぷく食品)に就職したりだった。ここで、栄養士として病院に就職したとき、どんな仕事をしているのか、出てきていない。もし描くと、栄養士と管理栄養士の違い、ということになってしまうからまずい、ということなのかもしれない。また、食品会社でも、管理栄養士なら、その会社の製品開発などにかかわる仕事もある。さらに、学校につとめて栄養教諭という勤め先もある。公務員としても、かなり専門性を求められる職種もある。
ここにきて、結が、かつて栄養士の勉強をしたときのこと、その時の仲間のことなどが、まったく無かったかのようになっている。
管理栄養士というのは、どういう専門職なのか、ということを分かりやすく描いておくべきであった。そして、管理栄養士になるには、どういう学校で、どういう勉強をするのか、そして、国家試験はどんなものなのか、説明があるべきであった。
しかし、その一方で、限界もある。週の最後で、結が担当した患者の膵臓の腫瘍に気がつかなかったことを、手術した医者から責められる場面があったが、どう考えても、これは、管理栄養士の仕事の範囲外のことだろう。自覚症状はほとんどないはずだから、CTでも撮らないかぎり見つけるのは難しい。内臓のCT検査をするのは、よほどのときでないとしない。(私は、過去に二度、したことがあるが。)
医療のドラマとして描くならば、たとえそれが朝ドラの枠であっても、医師や看護師や管理栄養士や言語聴覚士や、その他多くのスタッフの職掌、その責任をとれる範囲ということを、明確にしておく必要がある。そして、それぞれの職掌の範囲内で、スタンダードが何なのかを求めるべきだろう。
自分自身をふくめてスタッフの職掌と責任の範囲をわかっていないで、それをプロと呼ぶことはできない。
拒食症(といっていいだろう)女子高生について、そんなにあっさりと解決することなのかとも思う。検査して入院ということになったのだが、その背景には、心理的な要因があったことは、推察される。貧困が理由で食べるものに不自由していたというわけではない。可愛くなりたい、だから食べたくない、可愛くなれないのはお母さんの料理のせい、このように考えるということは、かなり精神的に問題があるというべきだろう。
可愛い=痩せている=食べない、この連鎖をどうにかする必要がある。これは、病院で管理栄養士の仕事だろうか。とりあえず食べられるものについて、その栄養価を考慮してメニューを考える、ということになるのではないかと思うが、どうだろうか。
可愛くなりたいというのは、ギャルになりたいというのと同じこと、であるのかもしれないが、それが原因で食事をまともにとらない、あるいは、とれないようになる、その結果、病気にになるというのは、普通ではない。昔の結の博多のギャル仲間のときのこととは、根本的に違うと判断すべきである。すくなくとも結の立場はまったく違う。ここは、病院の専門のスタッフに引き継ぐのが、医療現場のプロであるべきだと、私は思う。
糖尿病のように、病気で食べられないものがあるわけではないのだから、何でも食べなさい……ということは、(素人判断になるが)おそらく決して言ってはいけない台詞のはずである。鬱病の患者に、絶対に頑張れと言ってはいけないように。ここは、まずは心理的なカウンセリングとなるべきだろう。あるいは、総合病院なのだから、心療内科などの出番になるはずである。このドラマの時代なら、十分にその考え方はあったはずである。(昔の震災の時代とは違うのであるから。いわゆる心のケアということが、認識されているはずである。)
愛子の浮気騒動(?)は、まあ、そんなものなのかな、ということになる。ブログの書籍化ということは、今でも、出版の企画としてはありうることだが、こういう展開にもってくるなら、愛子のブログを、もうすこし具体的にドラマの中で描いてあった方がよい。どんなコメントがついたのか、それについて愛子がどう思ったのか、というエピソードがあってもよかった。
商店街のことは、もう出てこなくなったが、どうなったのだろう。駅前の再開発でタワーマンションができる、ショッピングセンターができる、ということが、その後の地域にどういう影響を及ぼすか、今まさに日本の各地で問題が顕在化しているテーマの一つである。商店街の不振は相変わらずかもしれないし(固定客のいる理髪店ならなんとかやっていけるだろうが)、タワーマンションの将来の廃墟化という、大きな課題もある。それよりも、ネット通販の普及は、ショッピングセンターの経営にも影響を与えることになるかもしれない。
このドラマ、栄養士とギャルから、途中で、無理に病院の管理栄養士に路線変更したので、脚本が雑になってきていると、感じる。
結が膵臓の病気に気づかなかったことを云々する前に、食べない女子高生について、精神科やカウンセラーなどに事案を相談しなかったことの方が、問題だと私は思うのである。
2025年2月14日記
『おむすび』 「母親って何なん?」
このドラマ、朝ドラとしてのできは、まあまあというところかなと思って見ている。そんなに感動するほど良くできてもいないが、逆に、褒めるところが見つからないほど出来が悪いとも思わない。
だが、この週あたりのストーリーの展開を見ると、こういうふうに話しをもっていくのなら、これまでに描いておくべきことがあったはずなのに、と思うところはある。これまでの話しの展開が、チャラになってしまっている。そもそもギャルが栄養士になるというコンセプトだったはずだが、この設定が、どこかにとんでいってしまっている。
結は管理栄養士になる。管理栄養士としては、目で料理を見て、その食品の成分、栄養価とかカロリーとか、ざっと頭のなかでイメージできる……これは、そういう訓練というか、そうなる勉強をしてきたからである。しかし、これまで、このドラマのなかで、結がそのような勉強をしてきた、という部分が描かれていない。
料理を見て、その栄養的な問題点を指摘するのは、居酒屋で乾杯をするときにいうことではないだろう。もっと、それにふさわしい適切な場面があるはずである。ここは、管理栄養士としての専門知識と、一般の良識とのかねあいの問題である。この脚本には、一般的な良識的判断が欠如している。
やはり、ここは、結が四年制大学に行って、管理栄養士の受験資格をとるための専門のコースで勉強する、ということであった方が自然である。そこで、何を学んだか、どんな講義があったか、実習や実験があったか、具体的に描いてこそ、管理栄養士はこういう職掌の仕事なのだと、見ている側も理解できる。
昔、結が、栄養士の専門学校に行っていたときの友達は、病院に就職したり、食品会社(まんぷく食品)に就職したりだった。ここで、栄養士として病院に就職したとき、どんな仕事をしているのか、出てきていない。もし描くと、栄養士と管理栄養士の違い、ということになってしまうからまずい、ということなのかもしれない。また、食品会社でも、管理栄養士なら、その会社の製品開発などにかかわる仕事もある。さらに、学校につとめて栄養教諭という勤め先もある。公務員としても、かなり専門性を求められる職種もある。
ここにきて、結が、かつて栄養士の勉強をしたときのこと、その時の仲間のことなどが、まったく無かったかのようになっている。
管理栄養士というのは、どういう専門職なのか、ということを分かりやすく描いておくべきであった。そして、管理栄養士になるには、どういう学校で、どういう勉強をするのか、そして、国家試験はどんなものなのか、説明があるべきであった。
しかし、その一方で、限界もある。週の最後で、結が担当した患者の膵臓の腫瘍に気がつかなかったことを、手術した医者から責められる場面があったが、どう考えても、これは、管理栄養士の仕事の範囲外のことだろう。自覚症状はほとんどないはずだから、CTでも撮らないかぎり見つけるのは難しい。内臓のCT検査をするのは、よほどのときでないとしない。(私は、過去に二度、したことがあるが。)
医療のドラマとして描くならば、たとえそれが朝ドラの枠であっても、医師や看護師や管理栄養士や言語聴覚士や、その他多くのスタッフの職掌、その責任をとれる範囲ということを、明確にしておく必要がある。そして、それぞれの職掌の範囲内で、スタンダードが何なのかを求めるべきだろう。
自分自身をふくめてスタッフの職掌と責任の範囲をわかっていないで、それをプロと呼ぶことはできない。
拒食症(といっていいだろう)女子高生について、そんなにあっさりと解決することなのかとも思う。検査して入院ということになったのだが、その背景には、心理的な要因があったことは、推察される。貧困が理由で食べるものに不自由していたというわけではない。可愛くなりたい、だから食べたくない、可愛くなれないのはお母さんの料理のせい、このように考えるということは、かなり精神的に問題があるというべきだろう。
可愛い=痩せている=食べない、この連鎖をどうにかする必要がある。これは、病院で管理栄養士の仕事だろうか。とりあえず食べられるものについて、その栄養価を考慮してメニューを考える、ということになるのではないかと思うが、どうだろうか。
可愛くなりたいというのは、ギャルになりたいというのと同じこと、であるのかもしれないが、それが原因で食事をまともにとらない、あるいは、とれないようになる、その結果、病気にになるというのは、普通ではない。昔の結の博多のギャル仲間のときのこととは、根本的に違うと判断すべきである。すくなくとも結の立場はまったく違う。ここは、病院の専門のスタッフに引き継ぐのが、医療現場のプロであるべきだと、私は思う。
糖尿病のように、病気で食べられないものがあるわけではないのだから、何でも食べなさい……ということは、(素人判断になるが)おそらく決して言ってはいけない台詞のはずである。鬱病の患者に、絶対に頑張れと言ってはいけないように。ここは、まずは心理的なカウンセリングとなるべきだろう。あるいは、総合病院なのだから、心療内科などの出番になるはずである。このドラマの時代なら、十分にその考え方はあったはずである。(昔の震災の時代とは違うのであるから。いわゆる心のケアということが、認識されているはずである。)
愛子の浮気騒動(?)は、まあ、そんなものなのかな、ということになる。ブログの書籍化ということは、今でも、出版の企画としてはありうることだが、こういう展開にもってくるなら、愛子のブログを、もうすこし具体的にドラマの中で描いてあった方がよい。どんなコメントがついたのか、それについて愛子がどう思ったのか、というエピソードがあってもよかった。
商店街のことは、もう出てこなくなったが、どうなったのだろう。駅前の再開発でタワーマンションができる、ショッピングセンターができる、ということが、その後の地域にどういう影響を及ぼすか、今まさに日本の各地で問題が顕在化しているテーマの一つである。商店街の不振は相変わらずかもしれないし(固定客のいる理髪店ならなんとかやっていけるだろうが)、タワーマンションの将来の廃墟化という、大きな課題もある。それよりも、ネット通販の普及は、ショッピングセンターの経営にも影響を与えることになるかもしれない。
このドラマ、栄養士とギャルから、途中で、無理に病院の管理栄養士に路線変更したので、脚本が雑になってきていると、感じる。
結が膵臓の病気に気づかなかったことを云々する前に、食べない女子高生について、精神科やカウンセラーなどに事案を相談しなかったことの方が、問題だと私は思うのである。
2025年2月14日記
『カーネーション』「鮮やかな態度」 ― 2025-02-16
2025年2月16日 當山日出夫
『カーネーション』「鮮やかな態度」
娘たちの世代へと時代が変わっていく。このドラマの良さというべきところは、糸子の父の善作の時代、糸子の時代、糸子の娘たちの時代、それから糸子の晩年、というふうに時代をおって展開していく。そのなかで、各世代によってものの考え方に違いがある。それを、それぞれに肯定的に描いていることである。決して旧弊として否定していない。
最初の方では、糸子がミシンの技術を身につけるために働きたいと言ったところで、父親の善作は激怒していた。それでもなんとか糸子はミシンを憶え、洋裁ができるようになって、独立する。善作は、あっさりと岸和田の「小原呉服店」の看板を「オハラ洋装店」に変えて、糸子にゆずった。
娘たちの世代になって、糸子が、岸和田の「オハラ洋装店」の看板をゆずろうとしても、今度は、誰もそのことに関心をしめさない。東京のデパートで店をはじめる、心斎橋で店をひらく、あるいは、パリに行く、ということで、結局「オハラ洋装店」の看板を糸子は守り続けることになる。
このドラマは、ある見方としては、岸和田の小原の家(建物)の物語である。最初、畳敷きの座敷で商売をしていた呉服店が、格子の出窓がショーウィンドウに変わり、玄関の板戸が硝子戸に変わり、畳敷きだった部分が、外から直接入ってこれるように土間がひろくなった。(その後、糸子の晩年にかけてさらに姿を変えていくようになる。)
看板は、小原呉服店だったものが、オハラ洋装店になり、その看板を糸子は背負って仕事をし、その後も生きていくということになる。
このドラマは、基本的に岸和田のこの家と、前の通りと、隣近所の店のいくつか、それと喫茶店の太太鼓ぐらいが、主な舞台で、それ以外の場所はほとんど出てこない。(始めのころ、奈津の料理屋とか、学校とかが出てきていた。東京のアパートとか、直子の店も出てきた。しかし、メインのストーリーが展開するのは、基本的に岸和田においてである。)
この狭い(と言っては悪いかもしれないが)岸和田の小さなエリアだけの人物と描写だけで、時代の変化を描いている。昭和の初期から、戦争の時代になり、戦後を経て、東京オリンピックがすぎるまで、原則、岸和田の街の視点で描いている。ただ、東京オリンピックのことは、出てきていなかったが、時代の変化を象徴するものとして、だんじり祭りの変化、女性たちが参加するようになったことが出てきていた。
このように時代が変化し、人びとの考え方、社会の様相が変わっていくなかで、それぞれの時代を、それぞれの世代の人びとが、それなりに生きてきたことを、非常に肯定的に描いている。今の価値観からすれば、父親の善作は、前近代的家父長制の暴君となるところであるが、その時代の父親というもの、家族のあり方というものを、否定してはいない。そのような時代があったということで描いている。
ミニスカートが流行る時代になって、糸子は言う……時代が変わった、もう女はよめにいかなくてもいい時代になった、と。明らかに、時代の変化、人びとの価値観の変化ということを、実感させる。これは、ある意味では、糸子が時代遅れになってきてしまっているということにもなるのだが、しかし、糸子は、これまでの自分の生き方を変えようとはしない。「オハラ洋装店」の看板を背負って生きていくことになる。
ところで、昭和四一年、ミニスカートの流行のことが出てきていたが、私は、この時代のことは記憶に残っている。いきなり世の中の女性のスカートが短くなった。いったいなぜだか分からないまま、ただ流行ということで、そうなった。そして、おどろくことになったのは、その数年後、今度は急にそのミニスカートが姿を消したことである。これもまた流行ということになる。ただ、こういう時代の流行の変化を体験的に知っていると、いったい流行とはいったい何なのかと考えることにもなる。とにかく分からなかったのが、女性の気持ちである。
このドラマのなかで小原の家の食事の場面を見ていると、糸子は夕食のときに晩酌をするようになってきた。それが、やけ酒になったりするとコップに変わる。家のなかの火鉢が、石油ストーブになり、台所に電気冷蔵庫が加わった。こういう細かなところの変化で、時代がかわり、糸子もだんだんと歳をとってきて、生活のスタイルが変わってきていることが、表現されていると感じる。
2025年2月15日記
『カーネーション』「鮮やかな態度」
娘たちの世代へと時代が変わっていく。このドラマの良さというべきところは、糸子の父の善作の時代、糸子の時代、糸子の娘たちの時代、それから糸子の晩年、というふうに時代をおって展開していく。そのなかで、各世代によってものの考え方に違いがある。それを、それぞれに肯定的に描いていることである。決して旧弊として否定していない。
最初の方では、糸子がミシンの技術を身につけるために働きたいと言ったところで、父親の善作は激怒していた。それでもなんとか糸子はミシンを憶え、洋裁ができるようになって、独立する。善作は、あっさりと岸和田の「小原呉服店」の看板を「オハラ洋装店」に変えて、糸子にゆずった。
娘たちの世代になって、糸子が、岸和田の「オハラ洋装店」の看板をゆずろうとしても、今度は、誰もそのことに関心をしめさない。東京のデパートで店をはじめる、心斎橋で店をひらく、あるいは、パリに行く、ということで、結局「オハラ洋装店」の看板を糸子は守り続けることになる。
このドラマは、ある見方としては、岸和田の小原の家(建物)の物語である。最初、畳敷きの座敷で商売をしていた呉服店が、格子の出窓がショーウィンドウに変わり、玄関の板戸が硝子戸に変わり、畳敷きだった部分が、外から直接入ってこれるように土間がひろくなった。(その後、糸子の晩年にかけてさらに姿を変えていくようになる。)
看板は、小原呉服店だったものが、オハラ洋装店になり、その看板を糸子は背負って仕事をし、その後も生きていくということになる。
このドラマは、基本的に岸和田のこの家と、前の通りと、隣近所の店のいくつか、それと喫茶店の太太鼓ぐらいが、主な舞台で、それ以外の場所はほとんど出てこない。(始めのころ、奈津の料理屋とか、学校とかが出てきていた。東京のアパートとか、直子の店も出てきた。しかし、メインのストーリーが展開するのは、基本的に岸和田においてである。)
この狭い(と言っては悪いかもしれないが)岸和田の小さなエリアだけの人物と描写だけで、時代の変化を描いている。昭和の初期から、戦争の時代になり、戦後を経て、東京オリンピックがすぎるまで、原則、岸和田の街の視点で描いている。ただ、東京オリンピックのことは、出てきていなかったが、時代の変化を象徴するものとして、だんじり祭りの変化、女性たちが参加するようになったことが出てきていた。
このように時代が変化し、人びとの考え方、社会の様相が変わっていくなかで、それぞれの時代を、それぞれの世代の人びとが、それなりに生きてきたことを、非常に肯定的に描いている。今の価値観からすれば、父親の善作は、前近代的家父長制の暴君となるところであるが、その時代の父親というもの、家族のあり方というものを、否定してはいない。そのような時代があったということで描いている。
ミニスカートが流行る時代になって、糸子は言う……時代が変わった、もう女はよめにいかなくてもいい時代になった、と。明らかに、時代の変化、人びとの価値観の変化ということを、実感させる。これは、ある意味では、糸子が時代遅れになってきてしまっているということにもなるのだが、しかし、糸子は、これまでの自分の生き方を変えようとはしない。「オハラ洋装店」の看板を背負って生きていくことになる。
ところで、昭和四一年、ミニスカートの流行のことが出てきていたが、私は、この時代のことは記憶に残っている。いきなり世の中の女性のスカートが短くなった。いったいなぜだか分からないまま、ただ流行ということで、そうなった。そして、おどろくことになったのは、その数年後、今度は急にそのミニスカートが姿を消したことである。これもまた流行ということになる。ただ、こういう時代の流行の変化を体験的に知っていると、いったい流行とはいったい何なのかと考えることにもなる。とにかく分からなかったのが、女性の気持ちである。
このドラマのなかで小原の家の食事の場面を見ていると、糸子は夕食のときに晩酌をするようになってきた。それが、やけ酒になったりするとコップに変わる。家のなかの火鉢が、石油ストーブになり、台所に電気冷蔵庫が加わった。こういう細かなところの変化で、時代がかわり、糸子もだんだんと歳をとってきて、生活のスタイルが変わってきていることが、表現されていると感じる。
2025年2月15日記
『カムカムエヴリバディ』「1963ー1964」「1954ー1965」 ― 2025-02-16
2025年2月16日 當山日出夫
『カムカムエヴリバディ』「1963ー1964」「1964ー1965」
この週を見て思ったことなど書いておく。
ジョーの生いたちがあきらかになった。岡山のトランペットの少年であり、定一にひろわれて音楽の道で生計をたてるようになった。戦災孤児であった身の上があきらかになった。これは、家族というものを知らずに育ったジョーと、家族を棄てた(あるいは、棄てられたと思っている)るいと、こころのうちで響きあうものがある、といういことになる。この二人で、京都で、新しく回転焼き屋として生きていく。
ジョーは、トランペットが吹けなくなる。日常生活では何の問題もないのに、ある特定の場面でうまく動けない……このような症状については、現代の精神医学であれば、少なくともこういうことが人間には起こりうるものである、ということの判断はできるだろう。だが、この時代、一九六〇年代、現代のような知見を専門家にも、また、一般にも、求めるのは難しかっただろう。現代だからこそ、このようなことが人間には起こるものなのだ、ということは、一般に認識されることとなっているといえるだろうか。(それでも、そうはっきりと理解できる人は、ほとんどいないかもしれないが。)
ジョーがいなくなって、それをるいが追いかける。海岸で見つけて、海のなかに入っていくジョーに、るいがすがりつく。おそらく、このドラマのなかでも、もっとも印象に残るシーンの一つである。
このシーンの回のときの始まりで、ベリーが、るいのクリーニング店にやってきて、クリーニングを頼む。そのときに、ベリーの京都の連絡先を、店の用紙に書いていくことになる。これがきっかけとして、るいとジョーは、京都で新しい生活を始めるということになる。さりげない描写なのだが、ドラマの展開のなかでは重要な意味を持っていることになる。
京都のベリー(一子)のお茶をたてているときのシーン。京都方言としては、「ひつこい」かなと思うのだが、「しつこい」と言っていた。(私の感覚としては、「ひつこい」の方がしっくりくる。)
るいとジョーは、京都で回転焼き屋を始める。その動機が、天神さん……北野天満宮の縁日、毎月二五日……で、回転焼きの屋台を目にしたから、ということになっていたのだが、どうも安直かなという気がしないでもない。しかし、岡山でのたちばなの店のあんこの味を引き継いで、素人でも簡単に始められる商売としては、妥当なところかもしれない。
しかし、回転焼きを上手に焼くのは、これはこれで難しいことだと思う。
ちなみに、回転焼きは、地方によって名称が異なる。地域によっては、今川焼きとか、大判焼き、などの名称になる。私は、京都の宇治市の育ちなので、最初に憶えた名前が、回転焼きである。
このドラマの描き方としては、戦災孤児であったジョーが唯一できることだったトランペットを吹くことができなくなる、そして、それを思うるいの気持ち、これが情感深く描写されていたと思う。この二人を見守る周囲の人びと、クリーニング屋の夫婦、Night and Day のマスター、ベリー、トミー、それから、ササプロの奈々、これらの人びとの気持ちが、丁寧に描かれていたと感じるところである。
2025年2月14日記
『カムカムエヴリバディ』「1963ー1964」「1964ー1965」
この週を見て思ったことなど書いておく。
ジョーの生いたちがあきらかになった。岡山のトランペットの少年であり、定一にひろわれて音楽の道で生計をたてるようになった。戦災孤児であった身の上があきらかになった。これは、家族というものを知らずに育ったジョーと、家族を棄てた(あるいは、棄てられたと思っている)るいと、こころのうちで響きあうものがある、といういことになる。この二人で、京都で、新しく回転焼き屋として生きていく。
ジョーは、トランペットが吹けなくなる。日常生活では何の問題もないのに、ある特定の場面でうまく動けない……このような症状については、現代の精神医学であれば、少なくともこういうことが人間には起こりうるものである、ということの判断はできるだろう。だが、この時代、一九六〇年代、現代のような知見を専門家にも、また、一般にも、求めるのは難しかっただろう。現代だからこそ、このようなことが人間には起こるものなのだ、ということは、一般に認識されることとなっているといえるだろうか。(それでも、そうはっきりと理解できる人は、ほとんどいないかもしれないが。)
ジョーがいなくなって、それをるいが追いかける。海岸で見つけて、海のなかに入っていくジョーに、るいがすがりつく。おそらく、このドラマのなかでも、もっとも印象に残るシーンの一つである。
このシーンの回のときの始まりで、ベリーが、るいのクリーニング店にやってきて、クリーニングを頼む。そのときに、ベリーの京都の連絡先を、店の用紙に書いていくことになる。これがきっかけとして、るいとジョーは、京都で新しい生活を始めるということになる。さりげない描写なのだが、ドラマの展開のなかでは重要な意味を持っていることになる。
京都のベリー(一子)のお茶をたてているときのシーン。京都方言としては、「ひつこい」かなと思うのだが、「しつこい」と言っていた。(私の感覚としては、「ひつこい」の方がしっくりくる。)
るいとジョーは、京都で回転焼き屋を始める。その動機が、天神さん……北野天満宮の縁日、毎月二五日……で、回転焼きの屋台を目にしたから、ということになっていたのだが、どうも安直かなという気がしないでもない。しかし、岡山でのたちばなの店のあんこの味を引き継いで、素人でも簡単に始められる商売としては、妥当なところかもしれない。
しかし、回転焼きを上手に焼くのは、これはこれで難しいことだと思う。
ちなみに、回転焼きは、地方によって名称が異なる。地域によっては、今川焼きとか、大判焼き、などの名称になる。私は、京都の宇治市の育ちなので、最初に憶えた名前が、回転焼きである。
このドラマの描き方としては、戦災孤児であったジョーが唯一できることだったトランペットを吹くことができなくなる、そして、それを思うるいの気持ち、これが情感深く描写されていたと思う。この二人を見守る周囲の人びと、クリーニング屋の夫婦、Night and Day のマスター、ベリー、トミー、それから、ササプロの奈々、これらの人びとの気持ちが、丁寧に描かれていたと感じるところである。
2025年2月14日記
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