『カムカムエヴリバディ』「1964-1965」「1965ー1976」2025-02-23

2025年2月23日 當山日出夫

『カムカムエヴリバディ』「1964ー1965」「1965ー1976」

この週で描いている時代は、1964年、つまり、昭和39年の東京オリンピックの後の昭和の日本ということになる。たまたま、そうなのだろうが、再放送の『カーネーション』が、ほぼ同時代のことをあつかっている。ほとんど同じ時代の岸和田と京都である。両方とも東京オリンピックのことは、ドラマのなかで時代的背景としてはあつかっていない。だが、まだ、戦後の高度経済成長の名残の時代という雰囲気の昭和の時代である。

るいの子どもは、ひなたと名付けられる。「On the Sunny Side of the Street」にちなんでいる。その小学生時代のことがメインだった。

このころの京都の街中の小学生は、こんなだったかなあ、と思い出しながら見ていたことになる。ひなたはあまり学校の勉強が好きではない。しかし、時代劇が好きで特にモモケンにあこがれている。(これはこれからのドラマのストーリーの展開の重要な部分になる。)

京都には、地蔵盆がある。京都の小学生としては、地蔵盆が過ぎてから夏休みの宿題にとりかかる……というのが定番といえるだろうが、ひなたの場合、夏休みの最後の日まで、先延ばしにしてきている。結局のところ、友達の小夜ちゃんに手伝ってもらうことになる。お父さんのジョーは、あてにならない。

ジョーは、ひなたの学校の宿題を見て、自分は勉強しなかったからという意味のことを言っていたのだが、実際は、ジョーはほとんど学校に通ったことは無かっただろう。岡山で戦災孤児になり、定一に拾われて世話してもらうことになる。進駐軍あいてのジャズの演奏について回っていたようなのだが、おそらく、学校にきちんと通ったことは無かっただろう。戦後、定一にあったころが、たぶん十才ぐらいの少年だったろうか。一通りの読み書きは出来る、また、音楽の手ほどきはうけたようだが、それ以外の学校の勉強はしたことがなかったと想像できる。だから、ひなたの小学校の宿題を見てあげることができない。

さりげないシーンだが、ジョーの生いたちと、それから、この時代に同じような境遇にあった多くの人びとのことを思い浮かべることになった場面だった。

時代としては、ちょうど太秦に映画村が出来たころ、ということになる。この時代、映画は衰退の方向に向かっていて、テレビ時代劇が生きのびていたころ、ということになるだろうか。定番の「銭形平次」「水戸黄門」などの他に、「必殺」シリーズや「木枯し紋次郎」も、このころのことになる。ちょうど、しばらく前に再放送していた『オードリー』が描いていた時代と重なる。

この『カムカムエヴリバディ』の京都編(ひなた編)は、随所に『オードリー』を意識しているかな、という部分がある。私としては、これは成功していると感じるところである。

京都の商店街で、回転焼き屋をやっていくというのは、大変だろうなあ、と思うとこではある。特に、ジョーが、何もしない。まあ、世の中には、このような人がいてもいいのであるし、この時代、商店街の人たちも、なんとなく、ジョーのことを気にかけているようだし、働かないで家にいることを、そうとがめるというふうでもない。この時代の商店街の雰囲気としては、こういうこともあっただろうと感じさせることになる。

どうでもいいようなことかもしれないが、ドラマのなかで、るいは回転焼きを焼く仕事をしている。ジョーと店で話しをするときも、手を動かしている。こういう演出を見ると、そこに住んで働いている人がいる、という実感が伝わってくる。ドラマのなかで、実際に手を動かして仕事をしている部分をきちんと描いてあるというのは、非常に重要なことだと私は見ながら思っている。

2025年2月22日記

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