『坂の上の雲』「敵艦見ゆ(後編)」2025-02-27

2025年2月27日 當山日出夫

『坂の上の雲』 敵艦見ゆ(後編)

この回は、奉天会戦の勝利と、日本海海戦の始まり。

奉天会戦で、クロパトキンがなぜ退却したのか、軍事史としてはどのように考えられているのだろうか。ドラマのなかでは、日本軍の勢力を過大評価した(誤った)ということだった。

秋山の部隊が北方の鉄道を破壊しようとしている、これを破壊されたら補給路が断たれるので、退却をいそいだ……ドラマではこう描いていたのだが、もし、そうなら、日本軍としては、敵のロシア軍の兵站を断つ戦略で、もっとはやくから作戦をたてていてもよかったようだが、そうではない。この作戦は、現場での児玉源太郎の発案になる、ということだった。

奉天会戦の戦闘シーンでも、敵の陣地に銃剣をつけた小銃を持って突撃するというのは、まあ、実際にそうだったとしても、かなり無謀であると思ってしまう。少なくとも敵が、機関銃で掃射してくるのに対して、なすすべをしらない。だが、なんとかたどり着いて、機関銃陣地を爆弾で破壊することはできたようなのだが。(この時代には、手榴弾は開発されていなかったのかなと思うが。)

確かに歩兵が銃剣をつけて突撃する、白兵戦というのは、映像として絵になる場面であるとは思うのだが、実際はどうだったのだろうかという気もしている。(ただ、これも、現在の、ウクライナの戦争でも最前線の戦いは、突撃歩兵による自動小銃の撃ち合い、ということのようだから、戦争の実際というのは、基本的には変わらないものかもしれないが。)

日本海海戦であるが、何回見ても分からないのが、秋山真之はいったい何をしたのだろうかということ。バルチック艦隊が対馬には来ないかもしれないというので、津軽に移動することを言っていたのは、どう考えても、ミスである。結果としてはということになるが、バルチック艦隊は、対馬ルートで来ると確信して待ち続けた、東郷平八郎の判断が正しかったことになる。

また、いわゆる丁字戦法についても、これは、(ドラマの中で描いていた限りということではあるが)秋山真之が発案したものではない。東郷平八郎の判断であったことになる。

このドラマで描いたこととしては、司令官のうつわであったのは、東郷平八郎であり、それに任せた山本権兵衛であったことになる。また、陸軍では、児玉源太郎、大山巌が、軍の全体の指揮官としてふさわしい。

ところで、バルチック艦隊を発見した、信濃丸からの打電は、暗号化してあったものなのだろうか。この時代、無線通信が実用的に利用され始めたころで、モールス信号による通信だったことになるが、暗号の軍事的利用ということからは、日露戦争はどうなのだろうか。

信濃丸の無線を、敵が傍受すれば、発見されたことが知られることになる。それでよかったのか、あるいは、無線を傍受してその発信地点を特定することは、まだできなかったのか。このあたりの、技術的な解説がほしいと思うところでもある。

この時代の海戦は、敵艦との距離を測るのは、測距儀によることになる。無論、まだレーダーなど発明されていない。後に、戦艦大和の時代になって、電探が搭載されることになるが。この測距儀の精度というのは、どれぐらいのものなのだろうか。そして、艦隊同士の撃ち合いとなった場合の命中率は、どの程度であったのか。(結果としては、日本海海戦で、連合艦隊は高い命中率であったことになるが、それは何故かということも、本当は重要な教訓となるべきことであった。)

結果として日本海海戦は、連合艦隊の勝利になるが、どこまでが武器の性能で、どこまでが訓練の結果で、どこまでが作戦の勝利なのか、このあたりが、最後まで曖昧なままで終わることになる。少なくとも、このドラマや、司馬遼太郎の『坂の上の雲』では、そうである。

このドラマは、ドラマとしては面白いとは思って見ているのだが、戦争を描いたドラマとしては、いささか不満に思うところがないではない。

2025年2月26日記

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