よみがえる新日本紀行「歌が生まれてそして〜長崎県奈留島〜」2025-03-18

2025年3月18日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 「歌が生まれてそして〜長崎県奈留島〜」

再放送である。最初は、2022年12月16日。オリジナルは、昭和51年。

昭和51年というと、私は、大学生になっていた。三田のキャンパスに通っていたころになるだろうか。

そのころ、ユーミンは流行っていた。特に学生の間では、ある種、特別な存在でもあった。だが、私は、そう聞くこともなくすごしていた。目黒の四畳半の下宿で、ラジオだけがあった。ラジオで、ユーミンの曲が流れていたことは記憶しているのだが、はっきりとは憶えていない。荒井由実、あるいは、松任谷由実の曲として聞くようになるのは、もうちょっと時間がたってからのことになる。

国語学の勉強をしていて、友達になった同年配の研究者は、ユーミンを研究していた。(国語学、日本語の研究の領域として、特に、計量的な分析の分野では、日本の歌謡曲やポピュラーソングの歌詞を研究対象とする、古くからの伝統というべきものがある。)

「瞳を閉じて」は、今、持っている(Walkmanに入っている)松任谷由実のアルバムのなかにもある。時々、聞く曲である。

奈留島が、隠れキリシタン(今では、潜伏キリシタンというが)の島であることは、番組を見て知った。信者の男性が、仏壇(これは偽装のためのものだろう)の下の奥から出してきたのは、オラショであった。隠れキリシタンの祈りのことばである。

学生のとき、東京の国立劇場の民俗芸能公演で、隠れキリシタンのオラショの公演を聞いたことがある。これは、現在の、バチカンで歌われている伝わっている聖歌に符合するとのことだったと記憶する。これは、口伝えだけで、17世紀の初めのころから、20世紀の終わりのころまで、時間をとばして、伝承がつながっていることをあらわす。これだけの期間、口承でつたわるものがあるということは、たとえば、奈良時代から、平安時代をとばして、鎌倉時代まで伝わるものがある、ということになる。日本の文化の伝承ということを考えるときに、このことは考慮にいれておかなければならないことだと、学生のときに思ったことを、今でも憶えている。

昭和51年のときでも、奈留島は過疎の島であった。島の高校を卒業した生徒は、多くは、島を出て行く、ユーミンに校歌をたのんだ生徒も、東京に出ることになった。番組の取材当時、東京駅の地下のレストランでウエイトレスをしながら、大学を目指すと言っていた。この時代の、女性の大学進学率は、そう高くはない。(その後も、東京で暮らしたことのようだが、大学進学はあきらめたということなのだろうかと思うことになる。)

現在の島は、さらに人口が減っている。ただ、島の高校では、離島留学の生徒を受け入れている。離島ならではのこころみである。これは、現在でも長崎県の事業として継続しているようである。

選ばなければ大学に入学できるようになっている時代である。どの高校で学ぶか、このような選択肢も、若い人にとっては意味のあることにちがいない。

2025年3月15日記

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