アナザーストーリーズ「西城秀樹という“革命”〜アイドル文化を変えた情熱〜」 ― 2025-03-24
2025年3月24日 當山日出夫
アナザーストーリーズ 西城秀樹という“革命”〜アイドル文化を変えた情熱〜
日本でのアイドル文化とはいったいどんなものであったか、これは、多方面から考えることが必要であると思う。とはいえ、私自身は、ほとんどアイドルということについては、興味や関心はなしにすごしてきたのだけれど。
だが、アイドルというのは、アイドルだけでは存在せず、ファンと一緒に作りあげるものであるという、中森明夫の言うことについては、なるほどそういうものなのだろうと思う。そして、メディアの関係もあるだろう。1970年代は、まだテレビが家庭のお茶の間の中心にあった時代であり、ラジオもあり、レコードもあり、現代からすると、旧式のメディアの時代ということになる。だからこそ、成立した現象であったというべきなのだろう。
これが、現代のWEB中心のメディアになって、アイドルという存在の意味も、変わってきているにちがいないが、あまり関心のない私としては、なにがどうなっているのか、分からないままでいる。推しの分析とか、ほとんど興味のない分野になってしまっている。
ただ、少なくとも、この時代のアイドルというのは、(現代の表現を使うならば)身体性のあるものだったということになる。たぶん、現在の、WEBメディアのアイドルは、逆に、身体性からの解放ということが、軸になっているのかもしれない。
音楽だけではなく、演劇など、その場にいる人びとで何かを共有し共感し合うということは、人間の文化のあり方として、一般的であり、本質的ななにかであるにはちがいない。
2025年3月18日記
アナザーストーリーズ 西城秀樹という“革命”〜アイドル文化を変えた情熱〜
日本でのアイドル文化とはいったいどんなものであったか、これは、多方面から考えることが必要であると思う。とはいえ、私自身は、ほとんどアイドルということについては、興味や関心はなしにすごしてきたのだけれど。
だが、アイドルというのは、アイドルだけでは存在せず、ファンと一緒に作りあげるものであるという、中森明夫の言うことについては、なるほどそういうものなのだろうと思う。そして、メディアの関係もあるだろう。1970年代は、まだテレビが家庭のお茶の間の中心にあった時代であり、ラジオもあり、レコードもあり、現代からすると、旧式のメディアの時代ということになる。だからこそ、成立した現象であったというべきなのだろう。
これが、現代のWEB中心のメディアになって、アイドルという存在の意味も、変わってきているにちがいないが、あまり関心のない私としては、なにがどうなっているのか、分からないままでいる。推しの分析とか、ほとんど興味のない分野になってしまっている。
ただ、少なくとも、この時代のアイドルというのは、(現代の表現を使うならば)身体性のあるものだったということになる。たぶん、現在の、WEBメディアのアイドルは、逆に、身体性からの解放ということが、軸になっているのかもしれない。
音楽だけではなく、演劇など、その場にいる人びとで何かを共有し共感し合うということは、人間の文化のあり方として、一般的であり、本質的ななにかであるにはちがいない。
2025年3月18日記
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