映像の世紀バタフライエフェクト「アウシュビッツの生還者たち」2025-04-17

2025年4月17日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト アウシュビッツの生還者たち

『夜と霧』について一言もふれることがなかったのは、意図的にそう作ったのだろう。だが、この番組を見る若い人のなかには、これを知らない人もいるかと思う。最後の方で、現在のイスラエルのことについては、批判的ではあったが、具体的な言及は避けていた。これも、意図的にこう作ったものであろう。

収容所で生きのびるのに、何か心のささえになるものが必要であった。それは、ダンテの『神曲』の一節であったかもしれないし、音楽であったかもしれない。何か、自分をささえてくれるものが必要であった。宗教、哲学、芸術、こういうものの意味は、あらためて考えるべきことになる。

アンチェル指揮の「我が祖国」は、今でもCDを売っている。(Amazonを見たら品切れになっていたが、番組を見て注文した人がかなりいたのかもしれない。私の書庫を探せば、「我が祖国」のCDはあるはずだが、ノイマン指揮である。)

赦すことで、自分自身が解放されたい、自由になりたい、そのように思う気持ちは、そういうものなのだろうと思う。だからといって、ホロコーストが免罪されることはない。それを発案して命令した人間は、罪からのがれることはできない。(だが、その一方で、実際に、収容所でユダヤ人殺害のために働いていた人びとも、また、何事もない平穏な時代だったら、普通の市民として生活する人たちであったことも、重要なことかと、私は思う。)

2025年4月15日記

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