『あんぱん』「なんのために生まれて」2025-04-20

2025年4月20日 當山日出夫

『あんぱん』「なんのために生まれて」

このドラマは、この三週目までは、かなり丁寧に作ってあると感じる。街中を歩く人の姿などが、効果的に使われている。

だが、ちょっと気になったことがあるので、それから書いておく。

のぶの女学校に海軍の貴島中尉がやってくる。その発案で、パンくい競走が、開かれることになり、のぶの朝田のパン屋で、200個を受注することになる。これは、まあいいとして、問題だと思ったのは、海軍中尉という階級である。

ドラマのなかで、のぶは、貴島中尉について、おさななじみのガキ大将、ということであった。つまり、年齢的には、のぶと同じか少し上ぐらいであることになる。

しかし、この時代の海軍中尉の士官ならば、当然ながら江田島の海軍兵学校を出ていたはずである。トップクラスの難関である。まず、兵学校に入学者が出たということならば、地域の話題にもなったろう。そして、兵学校を受験するためには、中学校を出ている必要がある。四年から受験はできたようだが。兵学校を終えて、任官して、中尉になるのは、かなり年月がたっていなければならない。それが、のぶが女学校の四年のときのこととして、ドラマでは描かれていた。これは、どう考えても年齢が合わない。

ささいなことのようだが、気になる。それは、史実をたどると、崇の弟は海軍にはいって戦死することになり、崇自身は陸軍で中国戦線に行くことになる。どうしても、陸軍、海軍というものにかかわらざるをえない。この時代の陸海軍がどのようなものであったか、この基本の知識にかかわることである。ここは、きちんとした考証にもとづいておくべきところだったと思う。

それから、パンくい競走の景品がラジオであった。あれこれあって、最終的にはのぶがラジオをもらうのだが、そのラジオの設定が問題である。この時代のラジオであれば、アンテナと電源は必要である。しかし、画面に出てきたラジオは、何もケーブルのようなものにつないではなかった。どう考えても、これで、スイッチを入れて放送を受信できるはずがない。

これもささいなことかもしれない。しかし、NHKは、この春、放送100年、ということで、いろいろと特別番組を作って放送したばかりである。100年前、昭和のはじめごろのラジオがどんなものだったのか、放送にかかわる人間が知らなくていいことだとは思えない。

海辺で、のぶの姉妹と、崇の兄弟が、仲よくラムネを飲んでいるのは、たしかにドラマとしては、絵になる場面である。しかし、この時代だったら、女学校の生徒と中学校の生徒が、一緒に海岸に行って並んでいたりしたら、それだけで風紀上の大問題とされたかもしれない。女性がパン食い競争に出られないのと同じく、言うまでもないこととして、否定されることだったろうと思うが、どうだろうか。

のぶのパン屋のなかに、「朝食ニ食パンヲ」と書いた張り紙があったが、ここの「ヲ」の書き方がおかしい。「フ」を先に書くような「ヲ」の書き方は、近年になってから始まったことである。ちょうど私が大学生ぐらいのときに、こういう書き方に変わっていって定着することになった。たぶん、小道具で、この張り紙をデザインして用意したスタッフは、こういうところまで気がつかなかったのだろうし、その他の関係者でも、気がつく人がいなかったとも思う。それだけ、時代が変わってしまったということなのであろう。

以上のようなことが、気になるところではあった。

だが、ドラマとしての全体の流れは、女学校に通うのぶの生活、パンくい競走のこと、久しぶりに崇たちの前に姿を現した母親の登美子、こういうことが、うまくおさまっていたと感じる。

細かなことではあるが、崇の家のセットで、窓ガラスをとおしてみると形がすこしゆがんで見える。これは、昔の窓ガラスは、現在のように平面に作ることがむずかしくて、少しゆがんでいるのが、普通であった、ということになる。このあたりは、かなり考えてセットを作ってあると感じるところである。(私が昔の窓ガラスの実物を見たことがあるのは、明治村においてである。)

のぶは、女学校に行って、その後は、女子師範学校に行こうとしている。この時代、女学校の進学率は、そもそもそんなに高くはなかったはずで、妹の蘭子のように、高等小学校を出たら、どこか勤め先を探すというのが、むしろ普通だっただろうと思う。特に、地方の街の石材店(兼パン屋)の家庭ではそうだっただろう。だが、ドラマの都合上、のぶは女学校に進学したということでないと、崇とバランスがとれないということもあったのかもしれない。おそらく、この時代のこの地域で、女学校を出て女子師範学校に進学しようとするのは、トップクラスの知的エリート女性といってもいいだろう。

特にこのドラマに対する批判ではないのだが、同時に放送の『チョッちゃん』と比べると、戦前の女性の生き方の描き方として非常に対照的である。その時代の女性は普通はこのようであったと肯定的に描くか、その時代にあって男性と同じように活躍したいと願う先進的な価値観の女性であることを強調するか、(どちらが正しいということはないと思うのだが)、それぞれのドラマの作られた時代の違いを感じる。このことは、『チョッちゃん』について書いたところに記した。いずれにせよ、思想には歴史がある、ということが重要であると、私は思う。

2025年4月18日記

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