『あんぱん』「なにをして生きるのか」 ― 2025-04-27
2025年4月27日 當山日出夫
『あんぱん』「なにをして生きるのか」
結果として、のぶは女子師範学校に合格し、嵩は高知第一高等学校に不合格となる。ドラマなのだから、別に実際の史実どおりである必要はない。ドラマとして面白ければいい。今までのところ、そう大きな無理があるようには感じない。(前の週には、少し無理かなというところもあったが。)
昭和の戦前の高知の田舎町で生きる、のぶ、嵩、千尋、それからその家族や友人たち、やむおじさん、これらの人物が生きていくもろもろのできごとや感情を、きちんと描いていくことができるなら、これはこれでいいと思う。
ただ、史実として、千尋が戦死し、また、嵩が中国戦線に出征するということについては、はずせないところだろう。
少し気になっていることは、のぶが女子師範学校に進もうとした動機である。今なら、意欲ある女性が進学して、職業婦人(もうこんな言い方はしないけれど)を目指すということは、当たり前のことのようになっている。だが、この時代の高知の田舎町で、女子師範学校に進学するような、積極的な意味がどうにも見出しがたい。たしかに亡くなったお父さんは、これからは女性も男性と同じように活躍する時代になる、と言ってはいた。そのことばにしたがったとしても、少し無理があるように感じる。
姉妹が三人いるなかで、特にのぶがそのような意識が強かった、ということでもない。妹の蘭子は、小学校を終えて、働いている。このあたりが、この時代の普通のあり方だっただろうと思う。
ここで、ことさら、女性であっても男性と対等に職業につくべきだ、と強調することはないところかとも思っている。そうしなくても、時代の流れとして、戦争が始まると、男手が足りなくなって、社会のいろんな場面に女性が労働力として、出ていくことに、結果としてなる。それが、その後、女性の権利拡張の流れになっていく一因であることは、たしかである。
ただ、気になることとしては、この時代に、女子師範学校に進学する、つまりは、小学校(その後、国民学校)の先生になろうという女性は、どういう女性だったのだろうか。その出自、出身階層、というあたりは、どうだったのだろうか。たぶん、教育史の分野では、研究のあるところかと思う。田舎町の石屋の娘、という出自は、十分にありえたことだったのだろうか。
男性の場合は、学歴による、階層上昇ということはあったのだが、女性の場合はむずかしかっただろう。その場合、学費がかからないということで、師範学校などのコースがあったことは確かである。女性の場合には、実際には、玉の輿、という戦略しかなかったということになるだろうか。(学歴メリトクラシーと社会階層、ジェンダー、というような領域の研究になるだろう。)
ところで、鉄道のロケ地はどこなのだろう。鉄道に詳しい人なら分かる場所にちがいないだろう。いくらなんでも、線路を枕にして地面に寝そべってしまうというのは、危険すぎる。よい子はマネをしてはいけません、どころのことではない。
2025年4月26日記
『あんぱん』「なにをして生きるのか」
結果として、のぶは女子師範学校に合格し、嵩は高知第一高等学校に不合格となる。ドラマなのだから、別に実際の史実どおりである必要はない。ドラマとして面白ければいい。今までのところ、そう大きな無理があるようには感じない。(前の週には、少し無理かなというところもあったが。)
昭和の戦前の高知の田舎町で生きる、のぶ、嵩、千尋、それからその家族や友人たち、やむおじさん、これらの人物が生きていくもろもろのできごとや感情を、きちんと描いていくことができるなら、これはこれでいいと思う。
ただ、史実として、千尋が戦死し、また、嵩が中国戦線に出征するということについては、はずせないところだろう。
少し気になっていることは、のぶが女子師範学校に進もうとした動機である。今なら、意欲ある女性が進学して、職業婦人(もうこんな言い方はしないけれど)を目指すということは、当たり前のことのようになっている。だが、この時代の高知の田舎町で、女子師範学校に進学するような、積極的な意味がどうにも見出しがたい。たしかに亡くなったお父さんは、これからは女性も男性と同じように活躍する時代になる、と言ってはいた。そのことばにしたがったとしても、少し無理があるように感じる。
姉妹が三人いるなかで、特にのぶがそのような意識が強かった、ということでもない。妹の蘭子は、小学校を終えて、働いている。このあたりが、この時代の普通のあり方だっただろうと思う。
ここで、ことさら、女性であっても男性と対等に職業につくべきだ、と強調することはないところかとも思っている。そうしなくても、時代の流れとして、戦争が始まると、男手が足りなくなって、社会のいろんな場面に女性が労働力として、出ていくことに、結果としてなる。それが、その後、女性の権利拡張の流れになっていく一因であることは、たしかである。
ただ、気になることとしては、この時代に、女子師範学校に進学する、つまりは、小学校(その後、国民学校)の先生になろうという女性は、どういう女性だったのだろうか。その出自、出身階層、というあたりは、どうだったのだろうか。たぶん、教育史の分野では、研究のあるところかと思う。田舎町の石屋の娘、という出自は、十分にありえたことだったのだろうか。
男性の場合は、学歴による、階層上昇ということはあったのだが、女性の場合はむずかしかっただろう。その場合、学費がかからないということで、師範学校などのコースがあったことは確かである。女性の場合には、実際には、玉の輿、という戦略しかなかったということになるだろうか。(学歴メリトクラシーと社会階層、ジェンダー、というような領域の研究になるだろう。)
ところで、鉄道のロケ地はどこなのだろう。鉄道に詳しい人なら分かる場所にちがいないだろう。いくらなんでも、線路を枕にして地面に寝そべってしまうというのは、危険すぎる。よい子はマネをしてはいけません、どころのことではない。
2025年4月26日記
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