英雄たちの選択「徳川慶喜・パリ万博大作戦 〜600万ドルを確保せよ〜」 ― 2025-05-05
2025年5月5日 當山日出夫
英雄たちの選択 「徳川慶喜・パリ万博大作戦 〜600万ドルを確保せよ〜」
再放送であるが、最初の放送がいつのときだったか、番組のHPに情報がない。
小栗上野介とか、栗本鋤雲とか、登場してきているので、このあたりは、再来年の大河ドラマの『逆賊の幕臣』のことを思って見ると、ちょっと面白い。
見ながら思ったことなのだが、600万ドルの借款という話しではあるが、どうして、「ドル」なのだろうか。この時代の国際的な取引として、通貨は何が使われていたのだろうか。ここは一言、説明が欲しかったところである。
パリ万博のとき、日本が参加していたこと、そのときに、薩摩藩も加わっていたこと、このあたりのことは、よく知られたことだと思う。このとき、薩摩藩の方が、徳川幕府よりも、外交の面において一枚上手であったということになる。
日本の主権者は、徳川の将軍か、京都にいる天皇か、あるいは、諸藩の連合国家というべき状態なのか……こういうことをめぐって、この時代の日本の人びとは、どう考えていたのだろうか。言葉としては、尊皇攘夷ということであるが、国家の主権という概念を持ち込んだとき、どうだっただろうか。
無論、主権というときには、まず日本という国民国家としての存在があることになり(そのなかに、蝦夷地や琉球をふくむかどうかは微妙かもしれないが)、対外的に外交権を持つものとしての主権がある、それと同時に、国民(まだ日本国民という概念はなかったかもしれないが)を統治する権力としての主権というものがある。このような近代的な、国家の主権という概念が、この時代の人びとは、どう認識していたのだろうか。徳川慶喜や島津斉彬のみならず、幕末の歴史に名前が出てくるような人たちは、はたしてどう思っていたのか、このあたりが気になるところである。
生糸の独占権を得るかわりに、600万ドルの借款というのは、フランスにとっては、有利なことだっただろう。だが、この時代の、イギリスとフランスの関係、それぞれの東アジアにおける利権の関係において、どうだったのだろうかと思うことになる。この時代の、国際的な生糸の流通と加工、貿易の実態がどんなものだったかということが、まず考えられるべきだろう。
蝦夷地の鉱山開発権ということが、もし実現していたら、北海道はフランス領になってしまっていたかもしれないし、幕末の歴史が、イギリスとフランスの代理戦争になっていたかもしれない。これを回避して、なんとか独立をまもり明治維新になったというのは、結果的には、薩長が勝って良かったというべきなのだろうか。
徳川幕府が600万ドルをほしがったということは、つまりは、お金に困っていたということであり、では、なぜ幕府はお金がなかったのか、ということになり、長州や薩摩が勝ったのは、お金があったからである……まあ、こういうことかもしれない。そして、それぞれにおける人材の使い方、が重要なポイントになるのだろう。
2025年4月27日記
英雄たちの選択 「徳川慶喜・パリ万博大作戦 〜600万ドルを確保せよ〜」
再放送であるが、最初の放送がいつのときだったか、番組のHPに情報がない。
小栗上野介とか、栗本鋤雲とか、登場してきているので、このあたりは、再来年の大河ドラマの『逆賊の幕臣』のことを思って見ると、ちょっと面白い。
見ながら思ったことなのだが、600万ドルの借款という話しではあるが、どうして、「ドル」なのだろうか。この時代の国際的な取引として、通貨は何が使われていたのだろうか。ここは一言、説明が欲しかったところである。
パリ万博のとき、日本が参加していたこと、そのときに、薩摩藩も加わっていたこと、このあたりのことは、よく知られたことだと思う。このとき、薩摩藩の方が、徳川幕府よりも、外交の面において一枚上手であったということになる。
日本の主権者は、徳川の将軍か、京都にいる天皇か、あるいは、諸藩の連合国家というべき状態なのか……こういうことをめぐって、この時代の日本の人びとは、どう考えていたのだろうか。言葉としては、尊皇攘夷ということであるが、国家の主権という概念を持ち込んだとき、どうだっただろうか。
無論、主権というときには、まず日本という国民国家としての存在があることになり(そのなかに、蝦夷地や琉球をふくむかどうかは微妙かもしれないが)、対外的に外交権を持つものとしての主権がある、それと同時に、国民(まだ日本国民という概念はなかったかもしれないが)を統治する権力としての主権というものがある。このような近代的な、国家の主権という概念が、この時代の人びとは、どう認識していたのだろうか。徳川慶喜や島津斉彬のみならず、幕末の歴史に名前が出てくるような人たちは、はたしてどう思っていたのか、このあたりが気になるところである。
生糸の独占権を得るかわりに、600万ドルの借款というのは、フランスにとっては、有利なことだっただろう。だが、この時代の、イギリスとフランスの関係、それぞれの東アジアにおける利権の関係において、どうだったのだろうかと思うことになる。この時代の、国際的な生糸の流通と加工、貿易の実態がどんなものだったかということが、まず考えられるべきだろう。
蝦夷地の鉱山開発権ということが、もし実現していたら、北海道はフランス領になってしまっていたかもしれないし、幕末の歴史が、イギリスとフランスの代理戦争になっていたかもしれない。これを回避して、なんとか独立をまもり明治維新になったというのは、結果的には、薩長が勝って良かったというべきなのだろうか。
徳川幕府が600万ドルをほしがったということは、つまりは、お金に困っていたということであり、では、なぜ幕府はお金がなかったのか、ということになり、長州や薩摩が勝ったのは、お金があったからである……まあ、こういうことかもしれない。そして、それぞれにおける人材の使い方、が重要なポイントになるのだろう。
2025年4月27日記
『八重の桜』「松陰の遺言」 ― 2025-05-05
2025年5月5日 2025年5月5日 當山日出夫
『八重の桜』「松陰の遺言」
この回で描いていた主なできごとは、吉田松陰の刑死と、桜田門外の変。
吉田松陰は、これまで、いろんなドラマで描かれてきている。そこで作られてきたイメージとしては、純粋で、人にやさしく、まじめで、日本の国のことを思っている……とにかく、マイナスの要素はまったくないといっていいだろう。このような吉田松陰のイメージが今日にあるということは、これはこれとして、非常に興味深いことではある。まあ、松下村塾の門下生が明治維新をなしとげたという経緯があるから、どうしても高い評価にならざるをえないということはあるにちがいない。
あえて天邪鬼に気になることを書いてみれば、このように、自分のこころに忠実で、誠をつくせば、それはかならず人に伝わるものであり、国や社会を動かすことができるものである……これは、そうかもしれないが、考えようによっては、実に危険な思想である。具体的に言えば、昭和の初めに改革をさけんだ青年将校たち、二・二六事件や、五・一五事件の軍人たち、かれらの心中もまた、また、このようなものであっただろう。極言すれば、動機が純粋で、目的が正しければ、どのような手段であっても、それは許される、このような考え方につながっていく危険性がたぶんにある。
この意味では、桜田門外の変を起こした武士たちも、また、同様であったかもしれない。
冷酷に現実を見るリアリズムの観点、そして、政治的なしたたかさ、こういう側面が実際には必要なのだが、歴史ドラマなどでは、えてして嫌われることになっている。
それから、気になることとしては、咸臨丸が太平洋を横断していた。これは、史実である。しかし、かつてペリーが日本にやって来たときは、アメリカ東海岸から東回りに日本に来ている。日本とアメリカとの間で、太平洋を横断するということが、一般的になるのは、どういう経緯があってのことになるのだろうか。
勝海舟は、咸臨丸であんなに格好いいということはなかったはずである。『福翁自伝』に書かれている。
2025年5月4日記
『八重の桜』「松陰の遺言」
この回で描いていた主なできごとは、吉田松陰の刑死と、桜田門外の変。
吉田松陰は、これまで、いろんなドラマで描かれてきている。そこで作られてきたイメージとしては、純粋で、人にやさしく、まじめで、日本の国のことを思っている……とにかく、マイナスの要素はまったくないといっていいだろう。このような吉田松陰のイメージが今日にあるということは、これはこれとして、非常に興味深いことではある。まあ、松下村塾の門下生が明治維新をなしとげたという経緯があるから、どうしても高い評価にならざるをえないということはあるにちがいない。
あえて天邪鬼に気になることを書いてみれば、このように、自分のこころに忠実で、誠をつくせば、それはかならず人に伝わるものであり、国や社会を動かすことができるものである……これは、そうかもしれないが、考えようによっては、実に危険な思想である。具体的に言えば、昭和の初めに改革をさけんだ青年将校たち、二・二六事件や、五・一五事件の軍人たち、かれらの心中もまた、また、このようなものであっただろう。極言すれば、動機が純粋で、目的が正しければ、どのような手段であっても、それは許される、このような考え方につながっていく危険性がたぶんにある。
この意味では、桜田門外の変を起こした武士たちも、また、同様であったかもしれない。
冷酷に現実を見るリアリズムの観点、そして、政治的なしたたかさ、こういう側面が実際には必要なのだが、歴史ドラマなどでは、えてして嫌われることになっている。
それから、気になることとしては、咸臨丸が太平洋を横断していた。これは、史実である。しかし、かつてペリーが日本にやって来たときは、アメリカ東海岸から東回りに日本に来ている。日本とアメリカとの間で、太平洋を横断するということが、一般的になるのは、どういう経緯があってのことになるのだろうか。
勝海舟は、咸臨丸であんなに格好いいということはなかったはずである。『福翁自伝』に書かれている。
2025年5月4日記
『べらぼう』「乱れ咲き往来の桜」 ― 2025-05-05
2025年5月5日 2025年5月5日 當山日出夫
『べらぼう』「乱れ咲き往来の桜」
この回は、お稲荷さんの登場であった。これからも時々は出てきてほしい。
江戸時代の出版の研究のなかで、板木の研究は、近年になってから特に研究が進んだ分野の一つである。これも、残っている板木について調べて、どのように彫られて(今でいえば、ページの割り付けがどのようであって、ということをふくめであるが)、どのように保管されたり、流通したりとか、分かり初めてきているということだろうかと思っている。
特に、番組の考証は、専門家の目を経ているはずだが、私の目で見ると、一般には、普通の冊子体の書物の板木は、両面を使って、表裏で四枚(四丁)を彫ることが多いだろうと認識している。ドラマの中に出てきたように、板木の片面だけに彫るというのは、両面使える板木を半分しか使わないのでは、不経済である(倍のコストがかかる)、また、保存にも倍のスペースを必要とすることになる。実際に板木というのは、大きいし、重いし、かさばるし、あつかいにくいものである。
蔦重は往来物の出版に乗り出す。往来物については、かなり専門的に研究されている分野の書物と思うが、さて、その販売ルートというのは、どうだったのだろうか。たぶん、書物の種類によって、様々な販売ルートがあったはずとは思う。本は、この時代の和紙で作ってあるから、軽いがかさばる。(現代の、普通の本は、かさばるうえに、とにかく重い。)実際、どのように運搬されていたのだろうか、ということも気になるところである。
蔦重の戦略としては、新しい往来物を企画して、それを買ってくれそうな人(まあ、吉原で遊ぶようなお金持ちということになるが)に、自分もこの本にかかわったと思ってもらって、買ってもらう、ということになる。これは、確かにたくみな戦略ではある。
また、板木を彫るのに、おじいさんの職人が一人だけで仕事をしている、というのは、どうかなとも思う。簡便な工房というぐらいを考えてもいいのかもしれない。
それから、ちょっと気になるのは、では、誰がその本の原稿を書き、版下を書いたのだろうか、ということである。実際の執筆者をどう確保するかということを抜きにして、既存の往来物に手を加えて新しく刊行するということは、むずかしいのではないだろうか。
以上のようなことは気になるところなのだが、ドラマとして見ると、出版プロデューサとしての蔦重が、市中の地本問屋たちを相手にして、新たなビジネスの活路を拓いていくものがたりとして、十分に面白い。
昔のうつせみが、無事に吉原から出て、今は、お百姓さんをやっている。これも、この時代の遊女の足抜けがが、このようにうまく決着するものかという気もするのだが、これはこれでいいのだろう。
江戸城では、だれも次の将軍になりたがらない。江戸時代、実権は、老中などが握っていたということだろうから、どうせ将軍などは飾り物、であったのかもしれない。ただ、その将軍を誰にするかということで、権力をめぐって権謀術数の渦巻いていたのが江戸幕府、ということでいいのかと思う。教科書的な知識では、将軍自身が、政治の表に出てくるのは、最後の慶喜ぐらいかと思えるのだが、その慶喜であっても、当時の大名や幕臣たちの協力がなければ、権力者としてふるまうことはできなかっただろう。
高岳は、なんど見ても貫禄がある。
吉原の耕書堂に、一般の女性たちがおしよせて、細見を買っていたのだが、吉原の細見というのは、前にも書いたが、売春婦のカタログ、である。それを、市中の一般の女性が争って買う、ということがあったのだろうか。そうであってもおかしくはないのだが、それならば、ファッション雑誌のように、カラーの絵入りであった方が、いいかもしれない。
江戸時代、獲れ立てのカツオを食べることが出来たというのは、かなり贅沢なことだっただろう。田沼意次のように、まず、民間の経済をうるおすことによって、自然に税収を得て、それで政治を行う……まあ、これも一つの経済についての考え方ではある。しかし、それがなかなかうまくいかないのが、現実の世界の経済だり政治なのであるとは思うけれど。
2025年5月4日記
『べらぼう』「乱れ咲き往来の桜」
この回は、お稲荷さんの登場であった。これからも時々は出てきてほしい。
江戸時代の出版の研究のなかで、板木の研究は、近年になってから特に研究が進んだ分野の一つである。これも、残っている板木について調べて、どのように彫られて(今でいえば、ページの割り付けがどのようであって、ということをふくめであるが)、どのように保管されたり、流通したりとか、分かり初めてきているということだろうかと思っている。
特に、番組の考証は、専門家の目を経ているはずだが、私の目で見ると、一般には、普通の冊子体の書物の板木は、両面を使って、表裏で四枚(四丁)を彫ることが多いだろうと認識している。ドラマの中に出てきたように、板木の片面だけに彫るというのは、両面使える板木を半分しか使わないのでは、不経済である(倍のコストがかかる)、また、保存にも倍のスペースを必要とすることになる。実際に板木というのは、大きいし、重いし、かさばるし、あつかいにくいものである。
蔦重は往来物の出版に乗り出す。往来物については、かなり専門的に研究されている分野の書物と思うが、さて、その販売ルートというのは、どうだったのだろうか。たぶん、書物の種類によって、様々な販売ルートがあったはずとは思う。本は、この時代の和紙で作ってあるから、軽いがかさばる。(現代の、普通の本は、かさばるうえに、とにかく重い。)実際、どのように運搬されていたのだろうか、ということも気になるところである。
蔦重の戦略としては、新しい往来物を企画して、それを買ってくれそうな人(まあ、吉原で遊ぶようなお金持ちということになるが)に、自分もこの本にかかわったと思ってもらって、買ってもらう、ということになる。これは、確かにたくみな戦略ではある。
また、板木を彫るのに、おじいさんの職人が一人だけで仕事をしている、というのは、どうかなとも思う。簡便な工房というぐらいを考えてもいいのかもしれない。
それから、ちょっと気になるのは、では、誰がその本の原稿を書き、版下を書いたのだろうか、ということである。実際の執筆者をどう確保するかということを抜きにして、既存の往来物に手を加えて新しく刊行するということは、むずかしいのではないだろうか。
以上のようなことは気になるところなのだが、ドラマとして見ると、出版プロデューサとしての蔦重が、市中の地本問屋たちを相手にして、新たなビジネスの活路を拓いていくものがたりとして、十分に面白い。
昔のうつせみが、無事に吉原から出て、今は、お百姓さんをやっている。これも、この時代の遊女の足抜けがが、このようにうまく決着するものかという気もするのだが、これはこれでいいのだろう。
江戸城では、だれも次の将軍になりたがらない。江戸時代、実権は、老中などが握っていたということだろうから、どうせ将軍などは飾り物、であったのかもしれない。ただ、その将軍を誰にするかということで、権力をめぐって権謀術数の渦巻いていたのが江戸幕府、ということでいいのかと思う。教科書的な知識では、将軍自身が、政治の表に出てくるのは、最後の慶喜ぐらいかと思えるのだが、その慶喜であっても、当時の大名や幕臣たちの協力がなければ、権力者としてふるまうことはできなかっただろう。
高岳は、なんど見ても貫禄がある。
吉原の耕書堂に、一般の女性たちがおしよせて、細見を買っていたのだが、吉原の細見というのは、前にも書いたが、売春婦のカタログ、である。それを、市中の一般の女性が争って買う、ということがあったのだろうか。そうであってもおかしくはないのだが、それならば、ファッション雑誌のように、カラーの絵入りであった方が、いいかもしれない。
江戸時代、獲れ立てのカツオを食べることが出来たというのは、かなり贅沢なことだっただろう。田沼意次のように、まず、民間の経済をうるおすことによって、自然に税収を得て、それで政治を行う……まあ、これも一つの経済についての考え方ではある。しかし、それがなかなかうまくいかないのが、現実の世界の経済だり政治なのであるとは思うけれど。
2025年5月4日記
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