『八重の桜』「松陰の遺言」2025-05-05

2025年5月5日 2025年5月5日 當山日出夫

『八重の桜』「松陰の遺言」

この回で描いていた主なできごとは、吉田松陰の刑死と、桜田門外の変。

吉田松陰は、これまで、いろんなドラマで描かれてきている。そこで作られてきたイメージとしては、純粋で、人にやさしく、まじめで、日本の国のことを思っている……とにかく、マイナスの要素はまったくないといっていいだろう。このような吉田松陰のイメージが今日にあるということは、これはこれとして、非常に興味深いことではある。まあ、松下村塾の門下生が明治維新をなしとげたという経緯があるから、どうしても高い評価にならざるをえないということはあるにちがいない。

あえて天邪鬼に気になることを書いてみれば、このように、自分のこころに忠実で、誠をつくせば、それはかならず人に伝わるものであり、国や社会を動かすことができるものである……これは、そうかもしれないが、考えようによっては、実に危険な思想である。具体的に言えば、昭和の初めに改革をさけんだ青年将校たち、二・二六事件や、五・一五事件の軍人たち、かれらの心中もまた、また、このようなものであっただろう。極言すれば、動機が純粋で、目的が正しければ、どのような手段であっても、それは許される、このような考え方につながっていく危険性がたぶんにある。

この意味では、桜田門外の変を起こした武士たちも、また、同様であったかもしれない。

冷酷に現実を見るリアリズムの観点、そして、政治的なしたたかさ、こういう側面が実際には必要なのだが、歴史ドラマなどでは、えてして嫌われることになっている。

それから、気になることとしては、咸臨丸が太平洋を横断していた。これは、史実である。しかし、かつてペリーが日本にやって来たときは、アメリカ東海岸から東回りに日本に来ている。日本とアメリカとの間で、太平洋を横断するということが、一般的になるのは、どういう経緯があってのことになるのだろうか。

勝海舟は、咸臨丸であんなに格好いいということはなかったはずである。『福翁自伝』に書かれている。

2025年5月4日記

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