『べらぼう』「乱れ咲き往来の桜」 ― 2025-05-05
2025年5月5日 2025年5月5日 當山日出夫
『べらぼう』「乱れ咲き往来の桜」
この回は、お稲荷さんの登場であった。これからも時々は出てきてほしい。
江戸時代の出版の研究のなかで、板木の研究は、近年になってから特に研究が進んだ分野の一つである。これも、残っている板木について調べて、どのように彫られて(今でいえば、ページの割り付けがどのようであって、ということをふくめであるが)、どのように保管されたり、流通したりとか、分かり初めてきているということだろうかと思っている。
特に、番組の考証は、専門家の目を経ているはずだが、私の目で見ると、一般には、普通の冊子体の書物の板木は、両面を使って、表裏で四枚(四丁)を彫ることが多いだろうと認識している。ドラマの中に出てきたように、板木の片面だけに彫るというのは、両面使える板木を半分しか使わないのでは、不経済である(倍のコストがかかる)、また、保存にも倍のスペースを必要とすることになる。実際に板木というのは、大きいし、重いし、かさばるし、あつかいにくいものである。
蔦重は往来物の出版に乗り出す。往来物については、かなり専門的に研究されている分野の書物と思うが、さて、その販売ルートというのは、どうだったのだろうか。たぶん、書物の種類によって、様々な販売ルートがあったはずとは思う。本は、この時代の和紙で作ってあるから、軽いがかさばる。(現代の、普通の本は、かさばるうえに、とにかく重い。)実際、どのように運搬されていたのだろうか、ということも気になるところである。
蔦重の戦略としては、新しい往来物を企画して、それを買ってくれそうな人(まあ、吉原で遊ぶようなお金持ちということになるが)に、自分もこの本にかかわったと思ってもらって、買ってもらう、ということになる。これは、確かにたくみな戦略ではある。
また、板木を彫るのに、おじいさんの職人が一人だけで仕事をしている、というのは、どうかなとも思う。簡便な工房というぐらいを考えてもいいのかもしれない。
それから、ちょっと気になるのは、では、誰がその本の原稿を書き、版下を書いたのだろうか、ということである。実際の執筆者をどう確保するかということを抜きにして、既存の往来物に手を加えて新しく刊行するということは、むずかしいのではないだろうか。
以上のようなことは気になるところなのだが、ドラマとして見ると、出版プロデューサとしての蔦重が、市中の地本問屋たちを相手にして、新たなビジネスの活路を拓いていくものがたりとして、十分に面白い。
昔のうつせみが、無事に吉原から出て、今は、お百姓さんをやっている。これも、この時代の遊女の足抜けがが、このようにうまく決着するものかという気もするのだが、これはこれでいいのだろう。
江戸城では、だれも次の将軍になりたがらない。江戸時代、実権は、老中などが握っていたということだろうから、どうせ将軍などは飾り物、であったのかもしれない。ただ、その将軍を誰にするかということで、権力をめぐって権謀術数の渦巻いていたのが江戸幕府、ということでいいのかと思う。教科書的な知識では、将軍自身が、政治の表に出てくるのは、最後の慶喜ぐらいかと思えるのだが、その慶喜であっても、当時の大名や幕臣たちの協力がなければ、権力者としてふるまうことはできなかっただろう。
高岳は、なんど見ても貫禄がある。
吉原の耕書堂に、一般の女性たちがおしよせて、細見を買っていたのだが、吉原の細見というのは、前にも書いたが、売春婦のカタログ、である。それを、市中の一般の女性が争って買う、ということがあったのだろうか。そうであってもおかしくはないのだが、それならば、ファッション雑誌のように、カラーの絵入りであった方が、いいかもしれない。
江戸時代、獲れ立てのカツオを食べることが出来たというのは、かなり贅沢なことだっただろう。田沼意次のように、まず、民間の経済をうるおすことによって、自然に税収を得て、それで政治を行う……まあ、これも一つの経済についての考え方ではある。しかし、それがなかなかうまくいかないのが、現実の世界の経済だり政治なのであるとは思うけれど。
2025年5月4日記
『べらぼう』「乱れ咲き往来の桜」
この回は、お稲荷さんの登場であった。これからも時々は出てきてほしい。
江戸時代の出版の研究のなかで、板木の研究は、近年になってから特に研究が進んだ分野の一つである。これも、残っている板木について調べて、どのように彫られて(今でいえば、ページの割り付けがどのようであって、ということをふくめであるが)、どのように保管されたり、流通したりとか、分かり初めてきているということだろうかと思っている。
特に、番組の考証は、専門家の目を経ているはずだが、私の目で見ると、一般には、普通の冊子体の書物の板木は、両面を使って、表裏で四枚(四丁)を彫ることが多いだろうと認識している。ドラマの中に出てきたように、板木の片面だけに彫るというのは、両面使える板木を半分しか使わないのでは、不経済である(倍のコストがかかる)、また、保存にも倍のスペースを必要とすることになる。実際に板木というのは、大きいし、重いし、かさばるし、あつかいにくいものである。
蔦重は往来物の出版に乗り出す。往来物については、かなり専門的に研究されている分野の書物と思うが、さて、その販売ルートというのは、どうだったのだろうか。たぶん、書物の種類によって、様々な販売ルートがあったはずとは思う。本は、この時代の和紙で作ってあるから、軽いがかさばる。(現代の、普通の本は、かさばるうえに、とにかく重い。)実際、どのように運搬されていたのだろうか、ということも気になるところである。
蔦重の戦略としては、新しい往来物を企画して、それを買ってくれそうな人(まあ、吉原で遊ぶようなお金持ちということになるが)に、自分もこの本にかかわったと思ってもらって、買ってもらう、ということになる。これは、確かにたくみな戦略ではある。
また、板木を彫るのに、おじいさんの職人が一人だけで仕事をしている、というのは、どうかなとも思う。簡便な工房というぐらいを考えてもいいのかもしれない。
それから、ちょっと気になるのは、では、誰がその本の原稿を書き、版下を書いたのだろうか、ということである。実際の執筆者をどう確保するかということを抜きにして、既存の往来物に手を加えて新しく刊行するということは、むずかしいのではないだろうか。
以上のようなことは気になるところなのだが、ドラマとして見ると、出版プロデューサとしての蔦重が、市中の地本問屋たちを相手にして、新たなビジネスの活路を拓いていくものがたりとして、十分に面白い。
昔のうつせみが、無事に吉原から出て、今は、お百姓さんをやっている。これも、この時代の遊女の足抜けがが、このようにうまく決着するものかという気もするのだが、これはこれでいいのだろう。
江戸城では、だれも次の将軍になりたがらない。江戸時代、実権は、老中などが握っていたということだろうから、どうせ将軍などは飾り物、であったのかもしれない。ただ、その将軍を誰にするかということで、権力をめぐって権謀術数の渦巻いていたのが江戸幕府、ということでいいのかと思う。教科書的な知識では、将軍自身が、政治の表に出てくるのは、最後の慶喜ぐらいかと思えるのだが、その慶喜であっても、当時の大名や幕臣たちの協力がなければ、権力者としてふるまうことはできなかっただろう。
高岳は、なんど見ても貫禄がある。
吉原の耕書堂に、一般の女性たちがおしよせて、細見を買っていたのだが、吉原の細見というのは、前にも書いたが、売春婦のカタログ、である。それを、市中の一般の女性が争って買う、ということがあったのだろうか。そうであってもおかしくはないのだが、それならば、ファッション雑誌のように、カラーの絵入りであった方が、いいかもしれない。
江戸時代、獲れ立てのカツオを食べることが出来たというのは、かなり贅沢なことだっただろう。田沼意次のように、まず、民間の経済をうるおすことによって、自然に税収を得て、それで政治を行う……まあ、これも一つの経済についての考え方ではある。しかし、それがなかなかうまくいかないのが、現実の世界の経済だり政治なのであるとは思うけれど。
2025年5月4日記
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