知恵泉「水木しげる “鬼太郎”と“戦記漫画”の間に」2025-05-06

2025年5月6日 當山日出夫

知恵泉 水木しげる “鬼太郎”と“戦記漫画”の間に

私ぐらいの年代だと(昭和30年、1955年の生まれ)、「少年マガジン」に「墓場の鬼太郎」が連載され始めたときのことを記憶しているだろうと思う。連載の始まりは、「墓場の鬼太郎」であった。それが途中から「ゲゲゲの鬼太郎」に変わった。

テレビのアニメも見ていたが、これは、だんだんつまらなくなっていった。最初のうちは、原作漫画の雰囲気を残すところがあった。しかし、そのうちに、鬼太郎が正義のヒーローになっていった。これは、つまらない。鬼太郎は、正義のために戦っているのではなかったからこそ、それが魅力だったのである。

中条省平が言っていたように、ねずみ男という存在が、鬼太郎の作品をユニークなものにしている。正義のためとか、宗教のためとか、人間のためとかではなく、私利私欲のために行動しているのだが、だが、そこには、なにものにも縛られない魂の自由がある。

戦記漫画である『総員玉砕せよ!』は読んだ。これは、新しく文庫本で出たので読んだ。戦場のリアルと残酷さ、その中にある、そこはかとないユーモア、そして、非常に緻密に描かれたジャングルと死体の描写。これは、非常に印象的である。

「ゲゲゲの鬼太郎」は、今では、中公文庫版で読める。だが、もう今では、目が年取ってしまって、小さい字を見るのがつらい。文庫版の漫画では、とても読む気がしない。Kindle版もある。少し字が大きくなるのだが、それでも、つらい。だからといって、漫画を読むために、画面の大きな、Kindle Scribe を買ってまで読もうとは、今のところ思っていない。

何度も書いていることだが、私ぐらいだと、かろうじて昔の貸本屋というものを憶えている。貸本小説があり、貸本漫画があった。しかし、これで、漫画を読んだという体験はもっていない。「少年マガジン」「少年サンデー」などの、少年向け漫画雑誌の刊行で、多くの作品を読んできている。

幸福になるためには、幸福の値段を下げることである。これは至言である。五万円のランチで満足するか、一〇円のめざしで満足するか、一目瞭然である。(私なら、秋刀魚ぐらいで妥協したいところだが、近年では、秋刀魚も高級品になってしまった。)

2025年5月2日記

NHK特集「私は日本のスパイだった〜秘密諜報員ベラスコ〜」2025-05-06

2025年5月6日 當山日出夫

NHK特集 「私は日本のスパイだった〜秘密諜報員ベラスコ〜」

再放送である。最初は、昭和57年(1982)である。この最初の放送は見た記憶がない。

これは面白かった。この時代(昭和57)、まだ関係者が生きていて、こういう番組を作ることができた。まず、このことを感じる。

日本軍のインテリジェンスとロジスティックスの軽視ということは、さんざん言われてきていることである。それを象徴するような内容だった。

外務省が作った、太平洋戦争当時の諜報機関、「東」機関のこと。アメリカとスペインを舞台にして、諜報活動を行った。原爆の開発の情報も、ガダルカナル島への米軍の攻撃が本格攻勢であったことも、これらにつながる情報を送っていた。(無論、これらの情報は、アメリカ側に傍受され解読されていたことではあったが。)

スペインの須磨公使と三浦一等書記官、かれらがスペインで協力者を得て、連合軍側の情報を入手していた。そのスペインでスパイ活動に従事していた本人が、この時代は存命で、どんなことをやっていたか証言している。(それが、本当かどうかは、検証の必要はあるにちがいないが。)

外務省の得た情報は、しかし、陸軍、海軍と、共有されることがなかった。その結果、ガダルカナル島に戦力の逐次投入というもっとも愚かな戦略をとることになった。

仁科芳雄の名前が出てきていた。日本でも、原爆開発に着手していたことは、いまでは普通に知られていることだと思う。だが、それは、マンハッタン計画のように大規模なものではなく、おそらく成功はしなかっただろうが。(よくオッペンハイマーのことばかりが強調されるように思うのだが、歴史の流れが少し変わっていれば、ドイツが先に作っていたかもしれないし、ソ連が先に作っていたかもしれない。日本でも、戦艦大和の代わりに原爆開発にすすんでいたらどうだったろうか。その可能性は、あまりないとは思うけれど。)

諜報活動は、それぞれのスパイの手に入れる情報としては個々のものであるが、それを集めて総合的に判断することが重要である。これが、軍や政府において、外交や軍事の基本でなければならない。だが、日本で、インテリジェンス専門の部署が、政府や軍で機能したということはなかった。(このあたりのことについては、『坂の上の雲』の原作を読み、NHKのドラマを見ても感じたことである。徹底的に、インテリジェンスとロジスティックスを無視して、近代の戦争を描いたことになる。)

「東」機関が作られたのが、太平洋戦争が始まった翌年になってからだったというのは、これはちょっと出遅れているという印象がある。

おそらく「東」機関の他にも、アメリカやヨーロッパにおいて、日本の政府や軍の関与した諜報活動はあったのかもしれないが、ことの性格上、その全貌があきらかになるかどうか、むずかしいかもしれない。日本側としては、記録の多くを廃棄してしまっただろう。それにかかった費用が、どこからどのように拠出さあれたものなのか、非常に興味あるところだが、もう分からないことだろう。

日本の諜報活動の歴史的研究としては、アメリカが傍受して解読した文書からさぐっていくことになるのだろうか。

2025年5月2日記

アナザーストーリーズ「山田太一傑作ドラマ『岸辺のアルバム』と多摩川水害」2025-05-06

2025年5月6日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 山田太一傑作ドラマ『岸辺のアルバム』と多摩川水害

『岸辺のアルバム』は見ていない。ちょうどテレビを持っていない生活をしていたころだったろう。だが、話題になったことは知っていた。

ただ、この番組としては、ドラマの『岸辺のアルバム』の話しと、実際にあった多摩川水害のこと、これを無理に一緒にしたという印象がある。とはいえ、別々に語ることもむずかしいかとも思うのだが。

山田太一が、『岸辺のアルバム』で、幸福そうに見える家庭であっても、それは見せかけのものであって、その実、人間の様々な邪悪な部分が奥底にあって、崩壊しかねないものである……ということは、その後のいろんなテレビドラマなどで、描かれることになる。その意味では、日本のテレビドラマ史という意味では、重要な作品ということになるだろう。

ただ、この時代までは、家庭というものが、忌避すべきものとしては描かれていないことも重要だろう。歴史の流れとしては、明治になって近代になってから、家というものが意識され、それからの解放ということが、文学作品などのテーマになってきた。家を否定して、人間の生活のよりどころとして現れてきたのが、家庭であった。戦後になって、経済成長、生活のスタイルの変化、ということにともなって家庭が重視されるようになった。それが、二一世紀の現代になって、家庭について、これは人間の自由を拘束するものであるという認識が生まれてきている。その端的な事例が、こども家庭庁を作るときに、家庭のことばをいれることへの反発でもあった。家庭は、個人を抑圧するものである、というふうに変わってきている。

家庭が、ドラマなどでどのように描かれてきたかという歴史から、『岸辺のアルバム』は、考えてみることになるだろう。

2025年5月2日記