英雄たちの選択「ローマ帝国×驚異の砂漠都市 幻の王国のサバイバル戦略」2025-05-09

2025年5月9日 當山日出夫

英雄たちの選択 スペシャル ローマ帝国×驚異の砂漠都市 幻の王国のサバイバル戦略

再放送である。最初は、2019年。

今から六年前の放送であるが、古さを感じさせない。まあ、歴史がテーマということもあるが、それと並行して語られているのが、国際社会のなかでの国家の運営のあり方でもある。この放送後に、ロシアのウクライナ侵略がり、アメリカと中国の関税をめぐる対立ということになっている。だが、そのような国際情勢の変化をふまえても、なるほど、と感じるところが多くある。まあ、それだけ、人間の作ってきた社会というものは、そんなに変わるものではない、ということなのかもしれないが。

ペトラ遺跡については、『インディージョーンズ』で見たのを憶えている。これは、東京に住んでいるときに、池袋の映画館で見ただろうか。

中東の砂漠にある古代の交易の拠点として栄えたということである。瀝青や乳香や没薬など、少量でも付加価値の高いものを運ぶことで、多大な利益を得ることになる。砂漠のなかを輸送するのだから、穀物などかさばるがそんなに高くは売れないものでは、商売にならない、という理解でいいだろう。

取引には銀が使われていたようなのだが、この古代世界で銀が貨幣として使われるようになった歴史がどんなものだったか、これも興味あるところである。

小さな国が大きな国にかこまれて生きのびるには、いろんな手立てがあることになる。バンドワゴン=てのひらがえし、まあ、要するに裏切り、仲よくする相手を取りかえる、ということも必要である。外交においては、多様な選択肢を用意しておくこと、これは確かに重要だろう。

どこかと一緒にやると決めて、それだけにこだわると大変な目にあう。これは、第二次世界大戦のとき、日本がドイツと組むことにしたことの反省になるが、あの時代は、バスに乗りおくれるな、と言っていた時代でもあった。

今なら、やはり、アメリカとの同盟関係を維持するか、中国のご機嫌をそこねないように仲良くしようとするか、というあたりの議論になる。この中間で、なんとか揺れうごくぐらいならいいとしても、もし、アメリカと中国と戦争にでもなったらどうするのか、(番組では言っていなかったが)これは、きわめて重要な問題である。今のところ、アメリカは自国優先主義という立場を取っているので、ことさら中国を相手に戦争しようとは思っていないだろう。こわいのは、中国が、将来的な人口減を見越して(これは、近い将来に中国の、兵役の人口、労働者人口は減っていくことは確実である)、やるなら今しかないということで、台湾に手を出す、という可能性があると思うが、これを過小評価してはならないと思う。ロシアも、やるなら今しかない、と思っていただろうし。

このような場合、中立を守るというのが、一番コストが高くつく……おそらくは、これが一番リアルな問題点だろう。どこまでしたたかな外交を展開できるか、というのが課題である、このように理解しておいていいだろう。

ローマ帝国の寛容性ということを高く評価していた(ヤマザキマリ)。これも、自分たちの言うことをきいておとなしくしてくれて、支配下にはいるのならば、つぶしたりはしない、ということであって、中国を中心とした朝貢とどう違うことになるのか、踏み込んで語ってほしかったところである。

今の時代であるから、多様性、寛容性ということを否定することは、語りにくいということはある。しかし、実際の歴史のなかで、(今の目から見て)多様性、寛容性と言うことになることの実際の姿がどうであったか、考えてみることも必要だろう。

番組のなかであまり多く語っていなかったことが、宗教のことである。ペトラの遺跡で、古代の宗教からキリスト教に変わったということまでは言っていたが、おそらくは、その後、イスラムの地域になっていったことになる。イスラム圏になることと、交易都市としての栄枯盛衰は、かかわっていることになるのだろうか、このあたりのことも気になることである。

大きくは、地中海から、中央アジア、インド洋あたりまでをふくんだ、広範囲の交易圏と、キリスト教やイスラムの歴史を、おりまぜて複雑な歴史の物語があったのだろうと思う。

2025年5月6日記

NHKスペシャル「未完のバトン 第2回 秩序なき世界 日本外交への“遺言”」2025-05-09

2025年5月9日 當山日出夫

NHKスペシャル 未完のバトン 第2回 秩序なき世界 日本外交への“遺言”

五百旗頭真の本はいくつかは読んだことがある。穏健で冷静な政治学者というイメージで見ていた。

この番組を見て思うことは、五百旗頭真の語ったことが、きわめてまともなことであると感じる、その一方で、左よりであれ、右よりであれ、非常に極端な言論が増えてきたので、まともな意見が埋没してしまっている、というような印象をうける。

えてして、外交問題については、外野(在野のジャーナリズム、野党)は、対外的に強硬姿勢をうちだすものである。その方が、世論の支持をえやすい。それが、現在では、アメリカに対しても、中国に対しても、あるいは、ロシアに対しても、基本的に強硬論でのぞむべきだという点では共通している。立場によって、どの部分を強調して語るかという違いはあるにしても。

興味深かったところがいくつかある。教科書の歴史の記述について、教科書に書いてあることが、日本政府の見解ではない……ということを言っていた、と理解して見たのだが、どうだったろうか。このところ、前後の文脈が切られているので、はっきりしなかったのだが。

日本の教科書は、検定教科書であって、国定教科書ではない……これは、当たり前のことである。一定の基準をクリアしていれば、記述は自由である。それを、左からも、右からも、教科書に書いた歴史が真実でなければならない、それを、国家が認めなければならない、と言い立てるのは、本当に意味のない議論である。教科書の記述がどうであるかと、日本にすむ人びとが、どのような考え方を持っているかは、直接的には関係がない。(自分の気に入らないことは、教科書に書くな、というだけの言い争いになるだけである。)

沖縄の米軍基地は、地政学上、どうしても必要である。であるからこそ、沖縄の人びとのことを考えるべきである。これも、当たり前のことである。

かつて、リベラルということばは、保守主義についてつかわれることばであった。エドマンド・バークに代表される、近代的な保守思想にあって、自由を尊重する立場をあらわすものであった。それが、今では、まったく違って、アナーキズムと同義語のようにつかわれるようになっている。みずからそう名乗る人も、他から見る場合も、である。

私の思うところでは、五百旗頭真という人は、古い意味での(本来の意味での)リベラルということをつらぬいた人物であったというべきだろう。

理想をうしなわず、冷静に現状を分析するリアリズムがあって、妥協できるところをさぐっていく、現実の外交にもとめられることを、おちついて語ることが、今は困難な時代になってしまっているかとも思える。

2025年5月6日記

BS世界のドキュメンタリー「AIの不都合な真実」2025-05-09

2025年5月9日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「AIの不都合な真実」

2025年、フランスの制作。

番組の内容……AIのデータ入力が、グローバルサウスの貧しい人々を搾取することでなりたっている……このこと自体は、これまでにも伝えられてきていることだとは思う。しかし、実際にそのデータ入力の作業をする人にインタビューをして、どのような労働をして、いくらぐらい貰っているのか、という実態をレポートしたのは、これが、私の見た範囲では、はじめてである。

AIには、様々な問題点、危険性は指摘されている。だが、だからといって、現在、開発中のものを止めてしまえばいいかというと、そう簡単にはいかない。あつかっていたのは、アメリカのシリコンバレー企業であるが、現実には、AIの開発競争は、全世界的におこなわれている。アメリカからすれば、中国を脅威として、それに先を越されてしまう、より優秀なAIを開発されてしまう、ということを、もっとも危惧していることにちがいない。

これは、アメリカの政権が、現在のトランプ政権であろうと、(選挙の結果とはちがって)民主党政権であろうと、同じことである。また、イーロン・マスクがトランプよりであることをとりあげて否定的に語っていたが、去年のアメリカ大統領選挙のとき、シリコンバレー企業は民主党よりで、多額の選挙資金を提供していたはずである。だからこそ、イーロン・マスクがトランプ大統領に接近していったことが、奇妙なことに思えてニュースになった。私としては、このように理解している。

「TESCREAL」ということばが出てきていたので、検索してみたが、まだ日本語版のWikipediaには項目がないようである。

Transhumanism:トランスヒューマニズム
Extropianism:エクストロピアニズム
Singularitarianis:シンギュラリタリアニズム
Cosmism:コスミズム/宇宙主義
Rationalism:合理主義
Effective Altruism:効果的利他主義
Longtermism:ロングターミズム/長期主義

以上は、以下からのコピーである。ある種の合理的思想と、超越的な神秘思想がいりまじったものということになるだろうか。

https://gendai.media/articles/-/124179

おそらく、このことばについて解説した本などが、日本で刊行されるのはまちがいないだろう。AI開発の背景が、どのような思想や考え方なのか、ただ利便性を強調するだけではなく、その文化史的、歴史的背景から、理解しておく必要がある。

AGI(汎用人工知能)が、はたして、いつ、どのように成立することになるのか、これは、まだ未知の領域ではある。だが、現在のAI開発が、最終的に、このような方向を目指していることは、たしかである。

さしあたっての課題は、データセンターの運用には、多大の電力を必要とすることがあるのだが、AIのためならということで、省エネ政策は、この分野には適用されないようである。

日本でのAI開発において、現在、グローバルサウスの国々の人びとによっておこなわれているような仕事をどうするのか、という議論はきかない。日本国内でどうにかする、ということなのだろうか。

また、中国もAI開発にちからをいれているのだが、その末端の労働はどうなっているのだろうか。これも、まったくニュースなどで報じられることはない。

2025年5月7日記