NHKスペシャル「未完のバトン 第2回 秩序なき世界 日本外交への“遺言”」2025-05-09

2025年5月9日 當山日出夫

NHKスペシャル 未完のバトン 第2回 秩序なき世界 日本外交への“遺言”

五百旗頭真の本はいくつかは読んだことがある。穏健で冷静な政治学者というイメージで見ていた。

この番組を見て思うことは、五百旗頭真の語ったことが、きわめてまともなことであると感じる、その一方で、左よりであれ、右よりであれ、非常に極端な言論が増えてきたので、まともな意見が埋没してしまっている、というような印象をうける。

えてして、外交問題については、外野(在野のジャーナリズム、野党)は、対外的に強硬姿勢をうちだすものである。その方が、世論の支持をえやすい。それが、現在では、アメリカに対しても、中国に対しても、あるいは、ロシアに対しても、基本的に強硬論でのぞむべきだという点では共通している。立場によって、どの部分を強調して語るかという違いはあるにしても。

興味深かったところがいくつかある。教科書の歴史の記述について、教科書に書いてあることが、日本政府の見解ではない……ということを言っていた、と理解して見たのだが、どうだったろうか。このところ、前後の文脈が切られているので、はっきりしなかったのだが。

日本の教科書は、検定教科書であって、国定教科書ではない……これは、当たり前のことである。一定の基準をクリアしていれば、記述は自由である。それを、左からも、右からも、教科書に書いた歴史が真実でなければならない、それを、国家が認めなければならない、と言い立てるのは、本当に意味のない議論である。教科書の記述がどうであるかと、日本にすむ人びとが、どのような考え方を持っているかは、直接的には関係がない。(自分の気に入らないことは、教科書に書くな、というだけの言い争いになるだけである。)

沖縄の米軍基地は、地政学上、どうしても必要である。であるからこそ、沖縄の人びとのことを考えるべきである。これも、当たり前のことである。

かつて、リベラルということばは、保守主義についてつかわれることばであった。エドマンド・バークに代表される、近代的な保守思想にあって、自由を尊重する立場をあらわすものであった。それが、今では、まったく違って、アナーキズムと同義語のようにつかわれるようになっている。みずからそう名乗る人も、他から見る場合も、である。

私の思うところでは、五百旗頭真という人は、古い意味での(本来の意味での)リベラルということをつらぬいた人物であったというべきだろう。

理想をうしなわず、冷静に現状を分析するリアリズムがあって、妥協できるところをさぐっていく、現実の外交にもとめられることを、おちついて語ることが、今は困難な時代になってしまっているかとも思える。

2025年5月6日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2025/05/09/9774318/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。