『國語元年』(2)2025-05-13

2025年5月13日 當山日出夫

『國語元年』(2)

オープニングの背景画は、山藤章二である。今では、もう忘れられたという人かもしれない。「週刊朝日」の連載があり、それから、いくつかのエッセイの挿絵を描いている。これは、新潮文庫などで、かなり刊行されて、よく読んだものである。場合によっては、エッセイの内容よりも、その挿絵の方が強く印象に残っている場合もある。

日本語の研究で、方言について近代的な記述的な研究がいつごろから、どのようにしてはじまったのか、この分野のことについては不案内である。だが、日本の方言学研究史としては、とても興味深いことになる。

ドラマの第二回では、方言でも、音韻、音声、に焦点をあてた内容になっていた。世界の言語について、その音韻、音声、それから、語彙、文法を記述的に研究しようという時代になる。立場を代えれば、大英帝国の時代であり、『マイ・フェア・レディ』の時代である、ということになる。

若林虎三郎が登場してきて、ますます、南郷の家の中の言語の状況はややこしくなってきた。まあ、それだけ、面白くなってきたということであるが。明治維新のときとしては、薩摩と長州、それから、戊辰戦争で敗れた会津、それから、瓦解した江戸幕府のあった江戸のことば、これらに、その他の地方の方言がいりまじることになる。

前にも書いたことだと憶えているのだが、このドラマを見ていて、耳で聴いて分かることばを話しているのは、まず、加津である。もとは、この屋敷の奥様だったという。それが、今では、雇われの身で女中頭をしている。これは、江戸の山の手のことばだから、説明なしに理解できる。それから、江戸の下町のことば。ところどころ、分かりづらいところもある、分かる。次に、南郷清之輔の長州のことば。だいたいのことは分かる。このようなことを考えてみると、まさに、現代の日本語の普通の話しことばが、どのようなことばを基盤として成立したものなのか、おおよその見当がつくことになる。

若林虎三郎が忘れていった書簡があった。昔の候文であるが、これを読み上げることになるのだが、この書簡の文章には方言が出てこない。ざっくりいって、はなしことばの方言は問題になるが、書きことばには方言の違いがなかった、このようなことになる。

吉原のことばのことが出てきていた。いわゆる「ありんすことば」である。ちょうど今、『べらぼう』をやっているので、その中で花魁たちが使っていることばである。これが、花魁たちの出自を隠すための人工的なことばであったことは、一般に知られていることであろう。

部分的に見ていけば、日本語研究の立場から、いろいろと言いたいことはある。しかし、そのようなことを抜きにして、ドラマとして見ていて面白い。

この回で、キセルの煙草の火を、隣同士で雁首をくっつけて、火を貸す、という場面があった。もう世の中で煙草をすう人も少なくなったし、キセルも使わなくなったので、こういう仕草が演出できる人材がなくなってきていると感じるところである。

2025年5月12日記

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