100分de名著「“谷川俊太郎詩集” (2)「生活」と「人生」のはざまで」 ― 2025-05-14
2025年5月14日 當山日出夫
100分de名著 “谷川俊太郎詩集” (2)「生活」と「人生」のはざまで
若松英輔は、こういうことを分かった上で語っているのだろうと思うが、特にこの回で紹介されていたような作品を読むと、人間の世界とは隔絶されたところにある唯一絶対の存在……強いていえば神ということができるが……ということを、感じない。前回の「二十億光年の孤独」もそうである。「ここ」も「木」もそうである。中東の砂漠のなかとか、インドの鬱蒼とした密林のなかとかで、こういう感覚は生まれにくいだろう(残念ながら、どちらも行ったことはないのだけれど。想像だけで書いてみている。)
非常に日本的といっていいかもしれないが、汎神論的な仏性論的感性……これは、井筒俊彦にも通じるものであるが……を、感じるのだが、はたしてどうだろうか。これは、誤解になるかとも思うが、非常に日本的な日常感覚の世界、あるいは、その延長線上のこととして、作品が書かれている。
詩というものは、定義することは困難なのだが……こうも言うことはできるだろう、人は詩を読むことによって詩とは何かを知ることになる。まったく文化的歴史的にゼロのところから、詩は生まれないだろう。(であるならば、本当に人間のことばの世界で最初に詩が生まれたというのは、何故なのだろうということにはなるが。)
2025年5月13日記
100分de名著 “谷川俊太郎詩集” (2)「生活」と「人生」のはざまで
若松英輔は、こういうことを分かった上で語っているのだろうと思うが、特にこの回で紹介されていたような作品を読むと、人間の世界とは隔絶されたところにある唯一絶対の存在……強いていえば神ということができるが……ということを、感じない。前回の「二十億光年の孤独」もそうである。「ここ」も「木」もそうである。中東の砂漠のなかとか、インドの鬱蒼とした密林のなかとかで、こういう感覚は生まれにくいだろう(残念ながら、どちらも行ったことはないのだけれど。想像だけで書いてみている。)
非常に日本的といっていいかもしれないが、汎神論的な仏性論的感性……これは、井筒俊彦にも通じるものであるが……を、感じるのだが、はたしてどうだろうか。これは、誤解になるかとも思うが、非常に日本的な日常感覚の世界、あるいは、その延長線上のこととして、作品が書かれている。
詩というものは、定義することは困難なのだが……こうも言うことはできるだろう、人は詩を読むことによって詩とは何かを知ることになる。まったく文化的歴史的にゼロのところから、詩は生まれないだろう。(であるならば、本当に人間のことばの世界で最初に詩が生まれたというのは、何故なのだろうということにはなるが。)
2025年5月13日記
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2025/05/14/9775450/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。