英雄たちの選択「信長が震えた日〜血戦!長島一向一揆〜」2025-05-22

2025年5月22日 當山日出夫

英雄たちの選択 信長が震えた日〜血戦!長島一向一揆〜

権門ということばが、今の歴史学でどのように使われているのか、いないのか、よく知らないのだが……これも、ざっくりと言いかえるならば、価値観や立場のことなる勢力があって、その連立、連合で、国家や社会を構成していこう、という考え方と見ることもできるかもしれない。このような視点から考えてみるならば、信長という人物は、複数の価値の共存ということが、許せなかった人間ということになるだろうか。強いていえば、自分自身が今生きているこの世界で、見て感じている範囲のことしか信じないし、さらに、それとはちがう別の価値観(宗教的な価値観)を持っている人たちとは、共存する気はない。こういうことまで考えるとなると、番組の中でも言っていたように、歴史学の範囲を超えたところを考えることになる。

このように考えてさらに思うこととしては、信長の対キリシタン政策ということも、どうかんがえるべきか、ということになるだろうか。

信長がどのような価値観で生きていたか、というようなことは、かつての唯物史観ではとても考えることはできない。そもそも、このようなことは考慮の対象外である。せいぜい、上部構造の特異例ということになるだろうか。しかし、実際に歴史上の出来事を理解するためには、そこの当事者が、何を思っていたか、ということを無視することもできない。(明治維新のとき、徳川慶喜が何を考えていたか、昭和の終戦のとき昭和天皇が何を考えていたか、というようなことが、考えてみるに価することである、というぐらいのことは言ってもいいだろう。)

結果的に、長島一向一揆を転換点として、日本における宗教勢力が、政権に対して本格的に武力で対抗するということは、なくなった。これは、後の、秀吉や家康の時代にもうけつがれることになる。これは、大筋でこのとおりかと思う。

この中世から近世にいたる過程での、日本の宗教勢力(主に仏教のいろんな宗派ということになるが)が、どのように変質していったか……これは、政治の制度的な面、人びとの信仰のあり方、それから、それをささえる経済的な基盤がどうであるか、というようなことから、総合的に考えられるべきことである。さらには、それが、近代から現代にいたるまでどうであるか、まさにこれからの研究課題だろう。

近代の宗教史というのは、私の知る限りであるが、これからの研究領域である。(はっきり言ってしまえば、昭和天皇の崩御ということがあってから、重しがとれたということがある。昭和の時代までは、近代の宗教史を論じることは、何かしらの制約を感じるところがあった。無論、研究、学問の自由はあるのだが、それをとりまく社会全体の雰囲気というようなことの問題としてである。)

長島一向一揆については、地政学的、軍事的に、いろいろと面白いことはあるのだろうが、長い目で見て、世俗の武家権力と、宗教との関係、武士はいったい何のために戦う存在であるのか、というようなことについて、考えることがあると思う。

2025年5月18日記

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