BS世界のドキュメンタリー「知られざる兵士たちの記録 ノルマンディー上陸作戦から80年」2025-05-29

2025年5月29日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「知られざる兵士たちの記録 ノルマンディー上陸作戦から80年」

再放送である。最初は、2024年6月5日。

ノルマンディー上陸作戦については、いろんな番組が作られている。私の記憶しているところだが、テレビのドラマ「コンバット」は、連合軍のノルマンディー上陸作戦のときのことから始まっていた。(もう、こんなことを憶えている人も少なくなっただろうと思うが。)

見ていて、日本で作る戦争のドキュメンタリー番組とちがうなと感じたことがある。

作戦の準備段階のこととして、チャーチル、スターリン、ルーズベルトが集まったテヘラン会談からスタートしていた。このテヘラン会談のことは、日本では、あまり多く語られることがない。多いのは、ヤルタ会談である。この時代では、スターリンは英雄であった。今では、めっきり評価が落ちてしまっているが。いや、ヒトラーにならぶ歴史の悪役になっている。

後方での訓練のことが大きくあつかわれている。日本の真珠湾攻撃の訓練として、たしか鹿児島湾で飛行機が訓練したかと憶えているのだが、それ以外、どのようなことがなされていたか、あまり語られることがない。特殊潜航艇(これは、まったくの失敗だったのだが)は、どこでどんな訓練をしたのだろうか。映像記録はたぶん無いだろうと思うが。

イギリスに兵員が集められ、そこで訓練した。このとき、かなりのイギリスの人が、強制的に住んでいる場所を立ち退かされた。これは、補賞はあったのだろうか。また、訓練のときのミスで、多くの犠牲者が出たことがあったが、これは、かなり後まで秘密にされてきた。最終的には、公表されることになった。

多くの兵士のみならず、様々な軍事物資、兵器が、イギリスに集められた。そして、ドイツの目をあざむくために、おとりの戦車や大砲などが作られた。

Dデイが、6月6日になったこと。これは、潮の干満と月の明るさ、これから決まったことであるというのは、歴史の常識だと思う。同じようなことは、太平洋戦争の開戦のときの日本軍の判断でもあった。12月8日は、この日しかなかった。

秋の日のヴィオロンの…………

これは、日本語としては、上田敏の訳で『海潮音』に入っている。これが、作戦開始を知らせる暗号であったことは、今では広く知られていることだろう。(ちなみに、見てみると『海潮音』はKindle版が0円で読める。)

Dデイの後、これに続く兵員や物資(狭義の武器弾薬のみならず様々なものがあった)を、イギリスに集積して、フランスに運ぶことになる。一方で、フランスでの負傷兵、場合によっては遺体を、後方に送り返す必要もある。これらの、総合的なロジスティックス、兵站、をこの番組では、かなり描いていたかと思う。私が思うに、日本で作る戦争のドキュメンタリーでは、こういう部分を、ほとんど描かない。

連合軍の攻撃の部分でも、敵地の橋を落としたということが出てきていた。こういう敵に対しての、ロジスティックスについての攻撃ということを、日本がどうであったかということは、戦争のドキュメンタリーでもあまり見た記憶がない。

インパール作戦の失敗、ガダルカナルから撤退ということで出てくることはある。太平洋戦争の終わりごろになって、日本の輸送船が沈められて、取りのこされた兵士たちがどうにもならなくなったということはあった。『野火』のような状態にならざるをえなかった。

日本軍が、ロジスティックスを軽視したことは批判的に言うのだが、しかし、まったく無かったわけではないはずなので、それがどういう実態であったのかということは、きちんと検証しなければならないと思う。

日本で、戦争の映像記録として出てくるのは、真珠湾攻撃で燃えるアメリカ海軍の軍艦であったり、特攻であったり(それも飛行機に限定的で、回天が映ることはまずない)である。これは、考えてみるとどうかなと思うところでもある。

作戦の最初は、空挺部隊の降下である。そして、この空挺部隊が多大な犠牲者を出すことにもなった。足を骨折した兵士が多かったというのは、この番組を見て始めて知った。夜間の降下である。非常に危険な任務だったことになる。

番組で語られた兵士の証言の多くは、任務を遂行することだけを考えていた、というものであった。これは、イギリスやアメリカにおける、軍隊や兵士というものに対する基本的な考え方を反映したものだろうし、また、そのように、兵士は訓練されるものである、ということもあるだろう。

それから、興味深かったことは、カラー映像が多くあったこと。連合軍側として、この作戦について、カラーフィルムで記録を残していたことになる。このこと自体が、また貴重な記録というべきである。

中に、キャパの写した(と思うのだが)写真が使ってあった。あまりに有名な写真なので、ことさらに撮影者が誰か断る必要はないということだったのかとも思う。

2025年5月24日記

アナザーストーリーズ「女王 美空ひばり 魂のラストステージ」2025-05-29

2025年5月29日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 女王 美空ひばり 魂のラストステージ

再放送である。最初は、2021年。

美空ひばりについては、一番記憶に残っているのは、亡くなったときのテレビ各局の番組のことである。どの局も、美空ひばり特集だった。ただ、この時点で、NHKがどう対応したかということは、記憶していない。調べれば分かることではあるが。

美空ひばりは、たしかに歌がうまい。そして、その歌のうまさが、その生涯を通じて一定以上のレベルをたもっている。また、多様なジャンルの歌を歌ってもいる。ただ、映画だけはいまいちだったかもしれないが。

戦後の昭和の日本の、大衆芸能、歌謡史、という視点から、総合的に考えなければならない歌手である。しかし、まだ、現在では、利害関係者が多く存命でもあり、むずかしいところがあるかもしれない。(だからこそ、証言だけでも、集めておくべきかとは思うが。)

私は、美空ひばりの曲は知ってはいるが、好んで聴くということはない。CDは一枚も持っていない。非常に歌はうまい、分かりやすい、聴く人の心にしみいるところがある。しかし、抽象的な崇高さ(強いていえばであるが)は持っていない。良くも悪くも、非常に通俗的なのである。だからこそ、戦後の多くの人びと……大衆、民衆、市民……に、絶大な支持を得たということになる。

奇しくも、美空ひばりが亡くなったのは、昭和の年代が終わったときであり、それは、世界史的にはベルリンの壁の崩壊の年でもある。大きな時代の転換点であった。今になって、(番組のなかで流れていた)美空ひばりの曲を聴くと、この時代とともにあった歌であることを強く感じるし、また、これからも多くの人びとの好む音楽であり続けることは確かである。

私は、美空ひばりが嫌いではない。ただ、聴かないようにしている、ということである。

2025年5月23日記

ブラタモリ「宮古島・暮らしの秘密▼サンゴの島ならではの洞窟&地下ダムへ!」2025-05-29

2025年5月29日 當山日出夫

ブラタモリ 宮古島・暮らしの秘密▼サンゴの島ならではの洞窟&地下ダムへ!

島の市街地のなかにある洞窟を、イザガー、というが、この表記に宮古語では、「ッ」(ちいさいツの仮名)に濁点をつける。この字は、普通のコンピュータではすぐには使えない。しかし、Unicodeにある合成用の濁点を使うと、作って使うことができる。これは、一般のWindowsマシンで可能である。(ためしてはいないが、おそらくMacでもできるかと思う。)

こういう知識は、文字と文字コードのことをある程度知っている人間にとっては、当たり前のことではあるが、ほとんど一般には知られていないことになる。Unicodeの合成用の、濁点・半濁点のあつかいについては、一般的なルールができていないというべきかもしれない。

苧麻を使った宮古上布が、江戸時代から明治にいたるまで、税として納められていたということである。番組のなかでそうはっきりと言うことは避けたのだろうが、いわゆる沖縄・琉球と言われる地域においても、地域ごとの(かなり婉曲な表現をつかえば)いろんな格差があったことになる。それが現在にいたるまで、必ずしも解消されたわけではないということも、沖縄の地域がかかえる問題の一つである。

地下ダムの話しは面白かった。これが建設されるまでは、島にくらす人びとは生活用水や農業用水には、とても苦労した。断層の島であるから、地下ダムを造るというのは、アイデアとしてとても面白い。(ちょっと気になったのは、このダムの管轄が内閣府であること。沖縄県でもなかったし、国土交通省でもないし、農林水産省でもない。このあたりのことも、宮古島のおかれたややこしさなのかと思うけれど、どうなのだろうか。)

ともあれ、地下ダムを造り、サトウキビ産業が安定し、さらにマンゴーまで作ることができる。これは、いいことだと思う。

2025年5月25日記