『チョッちゃん』(2025年6月16日の週) ― 2025-06-22
2025年6月22日 當山日出夫
『チョッちゃん』(2025年6月26日の週)
土曜日の放送で、赤ちゃんが生まれて、みんなが泰輔おじさんの家にあつまっていた。名前が、加津子、と決まったのだが、ナレーション(西田敏行)が、この名前の意味を知りたくありません、と言っていたのが印象に残る。普通は、ナレーションでこんなことは言わない。また、子どもの名前にこめた意味は、両親が語るのが普通である。例えば、『カムカムエヴリバディ』などでは、るい、ひなた、という名前に強い意味が込められていて、それがドラマの展開と深くむすびついているものになっていた。
流れとしては、時局(こういうことばも古めかしいが)を反映したものとして、こうい名前になったということと、理解していいことなのだろうか。そして、この名前の女の子が、その後、どのように成長していくのか、モデルを考えて、視聴者は分かっていることになるので、特に名前に引きずられることもない。
この祝いの席で、頼介がやってきて、満州国のことについて言っていた。神谷先生が、人の国に武力で攻め込むのはよくない、と言った(これはインテリの感覚)のに対して、頼介は、満州を列強各国で共同で統治するならいいということ、それならば列強諸国は反対はしない……という趣旨のことを言っていた。これを富子おばさんは外国からいじめられいると言う(庶民的感覚)。このようなことが、ドラマのなかとはいえ、語られることは、近年ではまずなくなってしまったことだろう。
歴史の教科書に出てきたことばでいえば、「門戸開放、機会均等」ということになる。ざっくりいうならば、満州や中国について、そこを殖民地として利権を得るのを日本に独占させることには反対である、ひとりじめをせずに、分け前をおれたちにもよこせ、ということになる。これは、まったくの帝国主義的論理であり、中国や朝鮮の人びとのことを思ってのことではない。これが、まさに、この時代の列強諸国の帝国主義の考えである。(これは、現代の進歩的な価値観からするならば、全面的に否定しなければならないことになる。)
頼介は、満州国を否定的に見ていない。これは、頼介が陸軍の兵士として軍国主義者になったからではない(と私は思って見ていた)。そう思って見てしまう現代の視聴者も多いだろうが。そうではなく、戦前のこのころの日本(昭和8年の設定である)において、経済不況を脱するためにどうするか、アメリカに移民を送れなくなって(アメリカは日本からの移民を排斥した)大陸(満州)に活路を見出すしかない社会の状況を、北海道の貧しい農家に生まれ、東京で工場労働者として働くこともできなかったという境遇について、頼介は身をもって感じていたから、ということになる。いわゆる満蒙は日本の生命線、ということを、日常感覚としてリアルに感じることができた登場人物ということになる。
だからといって、日本の中国への侵略を正当化することはできないのだが、どういう時代背景があって、そこで、それぞれの人たちがどう考えていたか、ということは理解しておくべきことだと思う。
また、戦前の時代にあっても、石橋湛山のように、海外の殖民地を捨てるべきだという小日本主義があったことも、事実である。結果として、こういう路線を日本はとることはなかったし、また、世界の潮流としても、こういう方向に向かうということはなかったのだが。
なにげない台詞なのだが、このドラマの歴史の見方の奥深さということを感じるところであった。少なくとも、一つの歴史観だけを全面的に表に出してはいない。
余計なことかとも思うが、『チョッちゃん』は1987(昭和62)年である。小林正樹監督の映画『東京裁判』が1983(昭和58)年である。この映画のナレーションをつとめたのが、蝶子の父親の俊道の役の佐藤慶である。このようなことは、この時代の視聴者にとっては、常識的に分かっていたことだと思うし、映画『東京裁判』は大東亜戦争・太平洋戦争の侵略的な性格を、あらためて日本の人びとに認識させることになった作品であると、私は思っている。(私は、『チョッちゃん』の放送のときは見ているし、映画『東京裁判』も映画館で見ている。)
ドラマのなかでなにげない所作でいいなと思うのは、妊娠している蝶子に対する富子おばさんの気遣いである。そうはっきり口に出して言うのではなく、家のなかで一緒にいるときに、蝶子のことを気遣っている様子がわかる。そして、その所作が、ごく自然なのである。こういう雰囲気も、また、現代のドラマでは見なくなったことかとも思う。
土曜日の放送で、「蕎麦をたぐる」と言っていた。こういう言い方を昔はつかっていた。今はもう使わないだろう。
北海道の家の縁側の、じいちゃんとばあちゃんの会話がいい。俊道が、蝶子が結婚して子どもができたことを、受け入れている。
邦子は女優になることになった。同じ女学校の同級生である二人の女性の生き方をとおして、そのどちらが正しいというわけでもない、それぞれの生き方があり、また、それにともなうさまざまな思いがあることを、きれいに描いていると感じる。最近の朝ドラでは、主人公が自分のえらんだ生き方を、必要以上に強く肯定的に語ることが多いのだが、『チョッちゃん』のような描き方の方が、納得して見ることができる。この時代、都市部中流階級として専業主婦であることは、(ドラマのなかでそうはっきりと言っているわけではないが)一種の特権のようなものだっただろう。
2025年6月21日記
『チョッちゃん』(2025年6月26日の週)
土曜日の放送で、赤ちゃんが生まれて、みんなが泰輔おじさんの家にあつまっていた。名前が、加津子、と決まったのだが、ナレーション(西田敏行)が、この名前の意味を知りたくありません、と言っていたのが印象に残る。普通は、ナレーションでこんなことは言わない。また、子どもの名前にこめた意味は、両親が語るのが普通である。例えば、『カムカムエヴリバディ』などでは、るい、ひなた、という名前に強い意味が込められていて、それがドラマの展開と深くむすびついているものになっていた。
流れとしては、時局(こういうことばも古めかしいが)を反映したものとして、こうい名前になったということと、理解していいことなのだろうか。そして、この名前の女の子が、その後、どのように成長していくのか、モデルを考えて、視聴者は分かっていることになるので、特に名前に引きずられることもない。
この祝いの席で、頼介がやってきて、満州国のことについて言っていた。神谷先生が、人の国に武力で攻め込むのはよくない、と言った(これはインテリの感覚)のに対して、頼介は、満州を列強各国で共同で統治するならいいということ、それならば列強諸国は反対はしない……という趣旨のことを言っていた。これを富子おばさんは外国からいじめられいると言う(庶民的感覚)。このようなことが、ドラマのなかとはいえ、語られることは、近年ではまずなくなってしまったことだろう。
歴史の教科書に出てきたことばでいえば、「門戸開放、機会均等」ということになる。ざっくりいうならば、満州や中国について、そこを殖民地として利権を得るのを日本に独占させることには反対である、ひとりじめをせずに、分け前をおれたちにもよこせ、ということになる。これは、まったくの帝国主義的論理であり、中国や朝鮮の人びとのことを思ってのことではない。これが、まさに、この時代の列強諸国の帝国主義の考えである。(これは、現代の進歩的な価値観からするならば、全面的に否定しなければならないことになる。)
頼介は、満州国を否定的に見ていない。これは、頼介が陸軍の兵士として軍国主義者になったからではない(と私は思って見ていた)。そう思って見てしまう現代の視聴者も多いだろうが。そうではなく、戦前のこのころの日本(昭和8年の設定である)において、経済不況を脱するためにどうするか、アメリカに移民を送れなくなって(アメリカは日本からの移民を排斥した)大陸(満州)に活路を見出すしかない社会の状況を、北海道の貧しい農家に生まれ、東京で工場労働者として働くこともできなかったという境遇について、頼介は身をもって感じていたから、ということになる。いわゆる満蒙は日本の生命線、ということを、日常感覚としてリアルに感じることができた登場人物ということになる。
だからといって、日本の中国への侵略を正当化することはできないのだが、どういう時代背景があって、そこで、それぞれの人たちがどう考えていたか、ということは理解しておくべきことだと思う。
また、戦前の時代にあっても、石橋湛山のように、海外の殖民地を捨てるべきだという小日本主義があったことも、事実である。結果として、こういう路線を日本はとることはなかったし、また、世界の潮流としても、こういう方向に向かうということはなかったのだが。
なにげない台詞なのだが、このドラマの歴史の見方の奥深さということを感じるところであった。少なくとも、一つの歴史観だけを全面的に表に出してはいない。
余計なことかとも思うが、『チョッちゃん』は1987(昭和62)年である。小林正樹監督の映画『東京裁判』が1983(昭和58)年である。この映画のナレーションをつとめたのが、蝶子の父親の俊道の役の佐藤慶である。このようなことは、この時代の視聴者にとっては、常識的に分かっていたことだと思うし、映画『東京裁判』は大東亜戦争・太平洋戦争の侵略的な性格を、あらためて日本の人びとに認識させることになった作品であると、私は思っている。(私は、『チョッちゃん』の放送のときは見ているし、映画『東京裁判』も映画館で見ている。)
ドラマのなかでなにげない所作でいいなと思うのは、妊娠している蝶子に対する富子おばさんの気遣いである。そうはっきり口に出して言うのではなく、家のなかで一緒にいるときに、蝶子のことを気遣っている様子がわかる。そして、その所作が、ごく自然なのである。こういう雰囲気も、また、現代のドラマでは見なくなったことかとも思う。
土曜日の放送で、「蕎麦をたぐる」と言っていた。こういう言い方を昔はつかっていた。今はもう使わないだろう。
北海道の家の縁側の、じいちゃんとばあちゃんの会話がいい。俊道が、蝶子が結婚して子どもができたことを、受け入れている。
邦子は女優になることになった。同じ女学校の同級生である二人の女性の生き方をとおして、そのどちらが正しいというわけでもない、それぞれの生き方があり、また、それにともなうさまざまな思いがあることを、きれいに描いていると感じる。最近の朝ドラでは、主人公が自分のえらんだ生き方を、必要以上に強く肯定的に語ることが多いのだが、『チョッちゃん』のような描き方の方が、納得して見ることができる。この時代、都市部中流階級として専業主婦であることは、(ドラマのなかでそうはっきりと言っているわけではないが)一種の特権のようなものだっただろう。
2025年6月21日記
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