アナザーストーリーズ「モナ・リザ来日狂騒曲 世界の至宝はそれでもほほ笑み続けた」2025-06-28

2025年6月28日 當山日出夫

アナザーストーリーズ モナ・リザ来日狂騒曲 世界の至宝はそれでもほほ笑み続けた

モナ・リザが日本で公開されたことがある、ということは、知識としては知っていたことであるが、それが実際にどのようなものであったかということについては、ほとんど知らない。大勢の人がつめかけたということぐらいである。

美術品を展示するのに、湿度、温度の管理はいうまでもない。このごろでは、光の調整も必要になってきている。絵画の展示などの場合、あまり光をあてないように、しかし、十分に見えるように、工夫することになる。無論、光の色(厳密には光そのものには色はないので、波長ということになるが)も重要である。

モナ・リザの展示の場合は、温度や湿度の管理はなんとかクリアできたことになるし、前面に保護のためのガラスがあったことが、幸いすることにもなる。

面白かったのは、これを実現させたのが田中角栄であったこと。そして、それは、日本のエネルギー外交において、アメリカそれからフランスの間でゆれる日本が選択したことの、おまけ(?)のようなものだったことになる。フランスとしては、原子力政策に日本を引きずり込みたい、という思惑があり、これは、フランスの核武装戦略ともつながる。日本としても、この時代は、原子力発電に期待がよせられていた時代であった。(この原子力発電に未来を感じるという感覚は、私はおぼえていることである。)

フランスと近づくことはアメリカの不評をかうことになるかと思うが、こういう外交をとったというのも、田中角栄ならではのことである。

展示されているモナ・リザに赤いスプレーがかけられた、だが、ガラスがあったので無事だったということは、なんとなく覚えていることなのだが、はっきり記憶にあるということではない。

ここで興味深いのは、犯人(?)の女性が、優生保護法の改正に反対していたことであり、自身が身体障害者であったことである。

優生保護法については、廃止になったときに、その成立の経緯についてはニュースになった。今からは批判的に見ることになるが、その時代としては、合理的な判断として、議員立法で満場一致で成立した。それも、その後、紆余曲折があったことになる。この法律が成立したことはニュースであつかっていたのだが、その後、どのように運用されてきたのか、ということについては、強制的に不妊の手術を受けさせられた被害者のこと以外のことは、ほとんど語られていないかと思う。つまり、この法律をめぐる歴史について、語られることのないままに、廃止ということになった。この間、この法律をめぐってどのような議論があったのか、一般の人はどう思っていたのか、ということも重要なことであろう。

また、ウーマンリブということばを久しぶりに目にしたかと思う。女性の権利の主張ということも、歴史のあることである。この時代のウーマンリブ運動については、今の価値観からするならば、無かったことにしたいような面もあるのかもしれないが、このような時代があったことは、歴史としてふまえておくべきであろう。

ともあれ、結果的にはということにはなるが、美術館や博物館などの展示において、ユニバーサルデザインの方向にむかう契機になったことは、確かである。その実現には、それから、かなり長い年月が必要だったとは思うが。

2025年6月27日記

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