『とと姉ちゃん』「常子、竹蔵の思いを知る」「常子、ビジネスに挑戦する」 ― 2025-06-29
2025年6月29日 當山日出夫
『とと姉ちゃん』「常子、竹蔵の思いを知る」「常子、ビジネスに挑戦する」
この週で、見ながら思ったことを書いてみる。
放送の順とは逆になるが、金曜日の回は、昭和11年であった。歴史上は、二・二六事件のあった年であり、同時に、阿部定事件のあった年でもある。
二・二六事件のナレーションで、雪の降る東京と言っていたが、これは厳密には正しくないはずである。東京の雪は前日までに止んでいて、この日は地面に積もった雪が残っていた、つまり、雪の降った、あるいは、雪の降り積もった、と言うべきところになる。(日本語学としては、テンス・アスペクトの問題であるが。)
そして、阿部定事件の年でもある。今にして思えば、NHKのドラマでよくこの事件のことを話題にして作ったと感じる。(どうでもいいことだが、大島渚が『愛のコリーダ』を撮ったとき、阿部定はまだ存命であったとおぼしい。私が慶應の学生だったときのことである。さらにどうでもいいこととしては、ナレーションの檀ふみは、時々、三田のキャンパスを歩いているのを見かけたものである。)
平塚らいてうの『青鞜』が、この時代まで、女学生に読まれていたかどうか。東堂先生のようなちょっと変わった(?)先生を介して、知っていた可能性はあるだろう。
『人形の家』が出てきていた。これも、どうでもいいことだが、学部の二年生の英語の受業で、『人形の家』の英訳本がテキストだったのを覚えている。この時代、文学作品を英語の受業に使う先生が少なくなかった。そういう時代だったのである。今では、実用的な英語スキル一辺倒という感じであるが。(ただ、ノラが家を出たあとどうなるのか、ということは気になることである。そのようなことは気にせず、とにかく家を出ることが大事だ、という時代であったと理解することになるだろうが。)
このドラマでは、ヒロインの常子が、水に飛び込む。最近の朝ドラでは、『虎に翼』でも『おむすび』でも、ヒロインが水のなかに入っていたが、これは、まったく意味のないものであった。しかし、『とと姉ちゃん』の場合には、きちんとドラマの展開の中で意味がある。母の君子と、祖母の滝子との、和解ということである。そのきっかけになったのが、父の竹蔵の手紙のことであり、そして、妹の美子を救うために水の中に飛び込む常子の行動ということになる。こういう大きな、場面の転換というときに、生まれ変わりの象徴として、水の中に飛び込むというのは、たしかに古来より多くの物語などで、描かれてきたところである。(強いていえば、『源氏物語』の浮舟のことなど、思うことになるが。)
女学校を卒業すれば結婚するのが当たり前、という時代背景に、常子たちの一家は、どうなるのか、(その結果は知っているのだが)どう描くことになるのかは、楽しみということになる。
2025年6月27日記
『とと姉ちゃん』「常子、竹蔵の思いを知る」「常子、ビジネスに挑戦する」
この週で、見ながら思ったことを書いてみる。
放送の順とは逆になるが、金曜日の回は、昭和11年であった。歴史上は、二・二六事件のあった年であり、同時に、阿部定事件のあった年でもある。
二・二六事件のナレーションで、雪の降る東京と言っていたが、これは厳密には正しくないはずである。東京の雪は前日までに止んでいて、この日は地面に積もった雪が残っていた、つまり、雪の降った、あるいは、雪の降り積もった、と言うべきところになる。(日本語学としては、テンス・アスペクトの問題であるが。)
そして、阿部定事件の年でもある。今にして思えば、NHKのドラマでよくこの事件のことを話題にして作ったと感じる。(どうでもいいことだが、大島渚が『愛のコリーダ』を撮ったとき、阿部定はまだ存命であったとおぼしい。私が慶應の学生だったときのことである。さらにどうでもいいこととしては、ナレーションの檀ふみは、時々、三田のキャンパスを歩いているのを見かけたものである。)
平塚らいてうの『青鞜』が、この時代まで、女学生に読まれていたかどうか。東堂先生のようなちょっと変わった(?)先生を介して、知っていた可能性はあるだろう。
『人形の家』が出てきていた。これも、どうでもいいことだが、学部の二年生の英語の受業で、『人形の家』の英訳本がテキストだったのを覚えている。この時代、文学作品を英語の受業に使う先生が少なくなかった。そういう時代だったのである。今では、実用的な英語スキル一辺倒という感じであるが。(ただ、ノラが家を出たあとどうなるのか、ということは気になることである。そのようなことは気にせず、とにかく家を出ることが大事だ、という時代であったと理解することになるだろうが。)
このドラマでは、ヒロインの常子が、水に飛び込む。最近の朝ドラでは、『虎に翼』でも『おむすび』でも、ヒロインが水のなかに入っていたが、これは、まったく意味のないものであった。しかし、『とと姉ちゃん』の場合には、きちんとドラマの展開の中で意味がある。母の君子と、祖母の滝子との、和解ということである。そのきっかけになったのが、父の竹蔵の手紙のことであり、そして、妹の美子を救うために水の中に飛び込む常子の行動ということになる。こういう大きな、場面の転換というときに、生まれ変わりの象徴として、水の中に飛び込むというのは、たしかに古来より多くの物語などで、描かれてきたところである。(強いていえば、『源氏物語』の浮舟のことなど、思うことになるが。)
女学校を卒業すれば結婚するのが当たり前、という時代背景に、常子たちの一家は、どうなるのか、(その結果は知っているのだが)どう描くことになるのかは、楽しみということになる。
2025年6月27日記
『チョッちゃん』(2025年6月23日の週) ― 2025-06-29
2025年6月29日 當山日出夫
『チョッちゃん」 2025年6月23日の週
蝶子の一家は引っ越す。前のアパート(赤坂)から、洗足の住宅地である。この時代の洗足あたりは、どんなだっただろう。高級住宅街ではないと思うが、そう都心ということでもない。渋谷あたりが、そろそろ開発されて郊外の住宅地になりかけていたころになる。
この時代、昭和のはじめごろ、農村部の貧困ということはあり、満州に日本の活路を見出していこうという時代背景はあったとしても、まだ世の中は落ち着きがあった時代である。東京は、震災からの復興を経て、モダンな都市として、人びとを引きつけるものがあっただろう。
蝶子は、主婦であり母親として生活することになる。今の時代の価値観からするならば、東京の住宅街の専業主婦で母親という女性をドラマで描くということ、それ自体が、かなり難しいことになっているかと思う。そのような女性が、まったくいなくなったということではないが、そのような生き方については、かなり否定的な見方をすることが、主流になってきている。もし、そのような生活の女性を描くとしても、一見すると平穏な生活の背景にある、さまざまな邪悪なものをえぐり出すということになる。ちなみに、『岸辺のアルバム』は1977年であり、『チョッちゃん』よりも、10年ほど先行している。『チョッちゃん』をリアルタイムで見た視聴者(私もその部類に入るが)は、このような「古風な」生活に安心感を見出していたのかとも思う。そして、このような感覚は、再放送の今でも、どこかに残っていると感じるところでもある。
要が蝶子に結婚を申し込むとき、君には声楽家の才能がない、と言ったのはウソだった、ということである。このことについては、今の価値観からするならば、かなり否定的にとらえることになる。声楽家になる夢を壊した、理不尽な男の暴力的発言ということになるだろう。
蝶子は、要に対して、結婚詐欺と言う。
自分の夢をかなえることが、人生の最も重要な価値である、という現代の人生観(といっていいだろう)からすれば、要はゆるしがたい男性であり、蝶子に同情することになる。(夢をかなえることが至上の価値とすることは、ある意味では人生を堅苦しくすることになる。だからといって、夢をもってはいけないといういことではないけれど。)
しかし、ウソをついてまで結婚したいと思った、蝶子のことを思っている要の気持ちを、蝶子は受け入れることになる。私の感覚としては、これはこれでいいのだと思う。もし、あのとき、こうしていれば自分の人生はまた違ったものであったかもしれない……このようなことは、生きていればいくらでもある。だが、蝶子だって、これから生きていくなかで、いっぱいこういうことがあるにちがいない。それでも、まあ、幸せだと感じて生きていけるなら、それでいいではないか。このように見て思うことになるのは、私が、もう老人だからであろうとは思うのであるが。
邦子は映画女優になる。この時代の映画女優というと、花やかな面がある一方で、社会的には、いろいろな偏見で見られることのあった職業ということになるだろうが、このドラマでは、そういうところは描いていない。ここのところは、この時代の常識的判断で作ったということになるだろう。
富子おばさんは、泰輔おじさんが、いろんな事業の夢をおいかけるのをとがめる。もっと地道な生活をしろという、身の周りの人たちの面倒をみることのできる生活がおくれればそれで十分だと語る。そんな富子おばさんは、要のことに憤慨している蝶子がしゃべっていても、平然として聞いている。
蝶子は、要の妻であり加津子の母親でありという生活をえらび、邦子は映画女優ということになる。それぞれにどちらが輝いているとか優劣をつけていないことが、このドラマのいいところ、ということになるだろう。
また、昭和のはじめの時代、結婚相手を自分の意志で決めることのできた女性は、少なかった。蝶子は、このことについては後悔はしていない。このことも重要なことである。
2025年6月28日記
『チョッちゃん」 2025年6月23日の週
蝶子の一家は引っ越す。前のアパート(赤坂)から、洗足の住宅地である。この時代の洗足あたりは、どんなだっただろう。高級住宅街ではないと思うが、そう都心ということでもない。渋谷あたりが、そろそろ開発されて郊外の住宅地になりかけていたころになる。
この時代、昭和のはじめごろ、農村部の貧困ということはあり、満州に日本の活路を見出していこうという時代背景はあったとしても、まだ世の中は落ち着きがあった時代である。東京は、震災からの復興を経て、モダンな都市として、人びとを引きつけるものがあっただろう。
蝶子は、主婦であり母親として生活することになる。今の時代の価値観からするならば、東京の住宅街の専業主婦で母親という女性をドラマで描くということ、それ自体が、かなり難しいことになっているかと思う。そのような女性が、まったくいなくなったということではないが、そのような生き方については、かなり否定的な見方をすることが、主流になってきている。もし、そのような生活の女性を描くとしても、一見すると平穏な生活の背景にある、さまざまな邪悪なものをえぐり出すということになる。ちなみに、『岸辺のアルバム』は1977年であり、『チョッちゃん』よりも、10年ほど先行している。『チョッちゃん』をリアルタイムで見た視聴者(私もその部類に入るが)は、このような「古風な」生活に安心感を見出していたのかとも思う。そして、このような感覚は、再放送の今でも、どこかに残っていると感じるところでもある。
要が蝶子に結婚を申し込むとき、君には声楽家の才能がない、と言ったのはウソだった、ということである。このことについては、今の価値観からするならば、かなり否定的にとらえることになる。声楽家になる夢を壊した、理不尽な男の暴力的発言ということになるだろう。
蝶子は、要に対して、結婚詐欺と言う。
自分の夢をかなえることが、人生の最も重要な価値である、という現代の人生観(といっていいだろう)からすれば、要はゆるしがたい男性であり、蝶子に同情することになる。(夢をかなえることが至上の価値とすることは、ある意味では人生を堅苦しくすることになる。だからといって、夢をもってはいけないといういことではないけれど。)
しかし、ウソをついてまで結婚したいと思った、蝶子のことを思っている要の気持ちを、蝶子は受け入れることになる。私の感覚としては、これはこれでいいのだと思う。もし、あのとき、こうしていれば自分の人生はまた違ったものであったかもしれない……このようなことは、生きていればいくらでもある。だが、蝶子だって、これから生きていくなかで、いっぱいこういうことがあるにちがいない。それでも、まあ、幸せだと感じて生きていけるなら、それでいいではないか。このように見て思うことになるのは、私が、もう老人だからであろうとは思うのであるが。
邦子は映画女優になる。この時代の映画女優というと、花やかな面がある一方で、社会的には、いろいろな偏見で見られることのあった職業ということになるだろうが、このドラマでは、そういうところは描いていない。ここのところは、この時代の常識的判断で作ったということになるだろう。
富子おばさんは、泰輔おじさんが、いろんな事業の夢をおいかけるのをとがめる。もっと地道な生活をしろという、身の周りの人たちの面倒をみることのできる生活がおくれればそれで十分だと語る。そんな富子おばさんは、要のことに憤慨している蝶子がしゃべっていても、平然として聞いている。
蝶子は、要の妻であり加津子の母親でありという生活をえらび、邦子は映画女優ということになる。それぞれにどちらが輝いているとか優劣をつけていないことが、このドラマのいいところ、ということになるだろう。
また、昭和のはじめの時代、結婚相手を自分の意志で決めることのできた女性は、少なかった。蝶子は、このことについては後悔はしていない。このことも重要なことである。
2025年6月28日記
『あんぱん』「サラバ 涙」 ― 2025-06-29
2025年6月29日 當山日出夫
『あんぱん』「サラバ 涙」
このドラマを見ていると、基本にあるのは、司馬遼太郎史観だなと感じるところがある。太平洋戦争(大東亜戦争をふくむ一連の戦争)は、昭和になってからの軍部、なかでも、陸軍が悪い。統帥権干犯などという理屈をもちだして政治を壟断したのが諸悪の根源である。日本の国民は、それまではまともだった。軍部と政治にだまされて、いたしかたなく戦争に突入していった。それには抵抗することができなかった。だが、これも、明治のころの「坂の上の雲」のころまでは、まだまともな国民国家をめざしていた。ざっと以上のようなことになるだろうか。
これはこれで、一つの歴史の見方であり、間違っているということではないかもしれない。
しかし、近年では、これとは違う歴史の見方もあることになる。
昭和戦前の日本の軍国主義をささえたのは、一般の国民(市民、大衆)である。総合的に政府の政策を支持していたのであり、また、その気分をあおったのはマスコミ(新聞、雑誌、ラジオ)であった。政府や軍部は、その支持を得て、満州事変以降の軍国主義的な対外拡張政策をとったことになる。太平洋戦争も終わりのころになって、本土空襲がはげしくなり、生活が苦しくなって、人びとには厭戦気分はあったものの、日本の政府の方針を根本から否定するということではなかった。(革命にいたるようなことはなかった。)
さらにいえば、そのような日本の国民感情をたくみにコントロールしたのが、終戦後のアメリカ、実際にはGHQであり、アメリカは、軍国主義者という悪から、日本国民を解放したという善のイメージをうえつけることに成功した。そして、その後の、日本のアメリカ追従政策ということにつながることになる。GHQの占領政策は、たくみなものであり、現代の日本においても、このことを批判的に論じることは、表向きにはタブー視するところがある。(これぐらいのことは、書いてもいいだろう。)
さて、『あんぱん』であるが、ドラマの個々のエピソードや、一つ一つのシーンについては、よく作ってあると感じるのだが、全体をとおして、何かうったえるところがあり、それが説得力をもって描かれているかどうか、となるとかなりあやしい。少なくとも、私は、あまり面白いと思って見るところがない。
この週で、のぶは小学校の教師を辞める。ここをふりかえってみれば、そもそも、のぶが教師になった動機が、はっきりしない。いや、単純すぎてわからない。のぶが言ったことは、子どもに体操の楽しさを教えたい、ということぐらいだった。(もし、これが純粋に保たれていたのなら、敗戦となっても、教師を辞めることはない。敗戦国となったときこそ、子どもたちに体操の楽しさを教えることは重要である。)
軍国少女になったきっかけも、説得力に欠ける。妹の蘭子の恋人(?)の豪が出征したので、戦地にいる兵隊さんたちに慰問袋を送ろうと、女子師範学校の生徒のときにいいだして、学校あげてのイベントになってしまった。それを、地元では、愛国のかがみとして、もちあげられた。ここも、慰問袋とはどういうものなのかということをふくめて、全体の流れがかなり強引であったと思う。
教師になった動機も、軍国主義的になっていったきっかけも、あまりにもご都合主義的である。ここは、もうちょっとその時代の普通の人びとの生活の感覚、特に高知という地方における、まだ前近代的な封建的な意識の残る(といっていいだろう)生活のあり方から、(あえて昔風の言い方をつかっておくと)下部構造という部分から描くべきことだったと思えてならない。
地方の生活に根ざした昔からの生活感覚をもっていたからこそ……のぶだけではなく、その家族をふくめて……時代の流れとしての軍国主義にそまっていくものであり、そして、終戦からGHQの支配という経緯で、価値観を変えていくことになる。だが、しかし、それでも、根底から(アメリカの教えた)民主主義を信じたということではなく、生活の意識の根底には、封建的遺制というべき部分が残っていた。つまりは、軍国主義も、民主主義も、両方ともうわべだけのものにすぎなかった。このような生活の感覚が、根本的に変わっていくのは、戦後の高度経済成長があって、日本の産業構造、生活の様式が大きく変化していくことによってである。
今では、ざっとこんなふうに考えることが多くなってきているのではないだろうか。
(余計なことを書いておくと……政治的理念、思想、例えば民主主義であっても、それによって現実の多くの人びとの生活が良くなっていくという実感がないと、定着しない。民主的な選挙で選ばれた議員と内閣によって進められた政策のおかげで生活が良くなったという実感が必要であったはずである。それは、冷戦時代に戦争を回避できたということについても、当時の革新系の政策がある程度評価されたものでもあった。こういう歴史的なことを無視して日本での民主主義について語ることは意味がない。この意味では、現在の政治的理念、それがいわゆるリベラルであろうが、保守であろうが、その政策によって生活がよくなるという実感が、多くの人びとが共有できるかどうか、ということが重要なことだと思っている。)
のぶは教師を辞めるとき、間違ったことを子どもたちに教えていた、と言っていた。間違っていた、ということを、のぶはどういう経緯で知ったのだろうか。ただ、GHQの指示で、教科書の一部削除(いわゆる墨塗の教科書)ということになったが、では、それまでの教育のどこがどう間違っていたのか、誰かから教えられたということは描かれていなかった。突然、軍国主義を否定するのだが、ただ、戦争に負けたから、それは間違っていたことになる、と思ったようである。はたして、どうなのだろうか。民主主義、平和主義について、誰かに教わったということはまったく出てきていない。現在の価値観では、のぶは間違っていたことになる。だが、より重要なことは、のぶがどうやってそれを知ったかということであるべきだと、私は思う。この視点がなければ、新聞社でののぶの仕事の意味も描けないはずである。
この時代のマスコミ、新聞やラジオで、どんなことを言っていたのか、ニュース映画でどんなものを見たのか、こういうことがあって、日本人の考え方は変化していったことになる。それでも、この時代には、新旧のいろんな考え方があって、混乱していた時代ということができるだろう。例えば、『青い山脈』など。
まあ、こういうことについては、戦時中の軍国主義についても、戦後のGHQの支配や検閲についても、NHKとして、あまりふれたくないということもあるだろうとは思う。今年、「放送100年」ということで、いろんな特別番組を作っているのだが、あまり昔の放送について、どうであったかあきらかにして考察するということはしていない。(私が見たなかで、一番面白かったのは、ラジオやテレビの料理番組の歴史をあつかった番組であった。)
戦前のことについては、軍の圧力に屈したといういいわけもなりたつかもしれないが、GHQの検閲がどうであったかについては、まだ今の時点では、ほぼ触れられることがない。ちなみに、川端康成の『山の音』など読むと、この時代の一般の郵便物は開封されて検閲されるのが当たり前であったことが描かれている。
このドラマを見ていて、なぜ、のぶが軍国主義になっていったのか、それが、民主主義、平和主義になっていったプロセスと、人びとの意識や生活の変化、時代の雰囲気、特に、マスコミのあり方などが、説得力をもって描かれているとは、どうしても感じられないのである。
これは、その時代について、歴史観がどうのこうのということではない。NHKとしても、描きたくないことはあってしかるべきだろう。しかし、そういうことがあったとしても、人間のこころの動きとして、気持ちの変化があったことを、人間とはこういうものだという共感をもって、そして、それを歴史を背景として(それが司馬遼太郎史観であってもかまわないのだが)、描くことには成功しているとはいいがたいと、思うのである。
2025年6月28日記
『あんぱん』「サラバ 涙」
このドラマを見ていると、基本にあるのは、司馬遼太郎史観だなと感じるところがある。太平洋戦争(大東亜戦争をふくむ一連の戦争)は、昭和になってからの軍部、なかでも、陸軍が悪い。統帥権干犯などという理屈をもちだして政治を壟断したのが諸悪の根源である。日本の国民は、それまではまともだった。軍部と政治にだまされて、いたしかたなく戦争に突入していった。それには抵抗することができなかった。だが、これも、明治のころの「坂の上の雲」のころまでは、まだまともな国民国家をめざしていた。ざっと以上のようなことになるだろうか。
これはこれで、一つの歴史の見方であり、間違っているということではないかもしれない。
しかし、近年では、これとは違う歴史の見方もあることになる。
昭和戦前の日本の軍国主義をささえたのは、一般の国民(市民、大衆)である。総合的に政府の政策を支持していたのであり、また、その気分をあおったのはマスコミ(新聞、雑誌、ラジオ)であった。政府や軍部は、その支持を得て、満州事変以降の軍国主義的な対外拡張政策をとったことになる。太平洋戦争も終わりのころになって、本土空襲がはげしくなり、生活が苦しくなって、人びとには厭戦気分はあったものの、日本の政府の方針を根本から否定するということではなかった。(革命にいたるようなことはなかった。)
さらにいえば、そのような日本の国民感情をたくみにコントロールしたのが、終戦後のアメリカ、実際にはGHQであり、アメリカは、軍国主義者という悪から、日本国民を解放したという善のイメージをうえつけることに成功した。そして、その後の、日本のアメリカ追従政策ということにつながることになる。GHQの占領政策は、たくみなものであり、現代の日本においても、このことを批判的に論じることは、表向きにはタブー視するところがある。(これぐらいのことは、書いてもいいだろう。)
さて、『あんぱん』であるが、ドラマの個々のエピソードや、一つ一つのシーンについては、よく作ってあると感じるのだが、全体をとおして、何かうったえるところがあり、それが説得力をもって描かれているかどうか、となるとかなりあやしい。少なくとも、私は、あまり面白いと思って見るところがない。
この週で、のぶは小学校の教師を辞める。ここをふりかえってみれば、そもそも、のぶが教師になった動機が、はっきりしない。いや、単純すぎてわからない。のぶが言ったことは、子どもに体操の楽しさを教えたい、ということぐらいだった。(もし、これが純粋に保たれていたのなら、敗戦となっても、教師を辞めることはない。敗戦国となったときこそ、子どもたちに体操の楽しさを教えることは重要である。)
軍国少女になったきっかけも、説得力に欠ける。妹の蘭子の恋人(?)の豪が出征したので、戦地にいる兵隊さんたちに慰問袋を送ろうと、女子師範学校の生徒のときにいいだして、学校あげてのイベントになってしまった。それを、地元では、愛国のかがみとして、もちあげられた。ここも、慰問袋とはどういうものなのかということをふくめて、全体の流れがかなり強引であったと思う。
教師になった動機も、軍国主義的になっていったきっかけも、あまりにもご都合主義的である。ここは、もうちょっとその時代の普通の人びとの生活の感覚、特に高知という地方における、まだ前近代的な封建的な意識の残る(といっていいだろう)生活のあり方から、(あえて昔風の言い方をつかっておくと)下部構造という部分から描くべきことだったと思えてならない。
地方の生活に根ざした昔からの生活感覚をもっていたからこそ……のぶだけではなく、その家族をふくめて……時代の流れとしての軍国主義にそまっていくものであり、そして、終戦からGHQの支配という経緯で、価値観を変えていくことになる。だが、しかし、それでも、根底から(アメリカの教えた)民主主義を信じたということではなく、生活の意識の根底には、封建的遺制というべき部分が残っていた。つまりは、軍国主義も、民主主義も、両方ともうわべだけのものにすぎなかった。このような生活の感覚が、根本的に変わっていくのは、戦後の高度経済成長があって、日本の産業構造、生活の様式が大きく変化していくことによってである。
今では、ざっとこんなふうに考えることが多くなってきているのではないだろうか。
(余計なことを書いておくと……政治的理念、思想、例えば民主主義であっても、それによって現実の多くの人びとの生活が良くなっていくという実感がないと、定着しない。民主的な選挙で選ばれた議員と内閣によって進められた政策のおかげで生活が良くなったという実感が必要であったはずである。それは、冷戦時代に戦争を回避できたということについても、当時の革新系の政策がある程度評価されたものでもあった。こういう歴史的なことを無視して日本での民主主義について語ることは意味がない。この意味では、現在の政治的理念、それがいわゆるリベラルであろうが、保守であろうが、その政策によって生活がよくなるという実感が、多くの人びとが共有できるかどうか、ということが重要なことだと思っている。)
のぶは教師を辞めるとき、間違ったことを子どもたちに教えていた、と言っていた。間違っていた、ということを、のぶはどういう経緯で知ったのだろうか。ただ、GHQの指示で、教科書の一部削除(いわゆる墨塗の教科書)ということになったが、では、それまでの教育のどこがどう間違っていたのか、誰かから教えられたということは描かれていなかった。突然、軍国主義を否定するのだが、ただ、戦争に負けたから、それは間違っていたことになる、と思ったようである。はたして、どうなのだろうか。民主主義、平和主義について、誰かに教わったということはまったく出てきていない。現在の価値観では、のぶは間違っていたことになる。だが、より重要なことは、のぶがどうやってそれを知ったかということであるべきだと、私は思う。この視点がなければ、新聞社でののぶの仕事の意味も描けないはずである。
この時代のマスコミ、新聞やラジオで、どんなことを言っていたのか、ニュース映画でどんなものを見たのか、こういうことがあって、日本人の考え方は変化していったことになる。それでも、この時代には、新旧のいろんな考え方があって、混乱していた時代ということができるだろう。例えば、『青い山脈』など。
まあ、こういうことについては、戦時中の軍国主義についても、戦後のGHQの支配や検閲についても、NHKとして、あまりふれたくないということもあるだろうとは思う。今年、「放送100年」ということで、いろんな特別番組を作っているのだが、あまり昔の放送について、どうであったかあきらかにして考察するということはしていない。(私が見たなかで、一番面白かったのは、ラジオやテレビの料理番組の歴史をあつかった番組であった。)
戦前のことについては、軍の圧力に屈したといういいわけもなりたつかもしれないが、GHQの検閲がどうであったかについては、まだ今の時点では、ほぼ触れられることがない。ちなみに、川端康成の『山の音』など読むと、この時代の一般の郵便物は開封されて検閲されるのが当たり前であったことが描かれている。
このドラマを見ていて、なぜ、のぶが軍国主義になっていったのか、それが、民主主義、平和主義になっていったプロセスと、人びとの意識や生活の変化、時代の雰囲気、特に、マスコミのあり方などが、説得力をもって描かれているとは、どうしても感じられないのである。
これは、その時代について、歴史観がどうのこうのということではない。NHKとしても、描きたくないことはあってしかるべきだろう。しかし、そういうことがあったとしても、人間のこころの動きとして、気持ちの変化があったことを、人間とはこういうものだという共感をもって、そして、それを歴史を背景として(それが司馬遼太郎史観であってもかまわないのだが)、描くことには成功しているとはいいがたいと、思うのである。
2025年6月28日記
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