『チョッちゃん』(2025年9月15日の週)2025-09-21

2025年9月21日 當山日出夫

『チョッちゃん』 2025年9月15日の週

この週で描いていたのは、疎開のこと。

『チョッちゃん』はBSで朝の放送である。これを見ている人のかなりは、続けて『あんぱん』も見ているだろうと思う。どうしても見て比べてしまうことになる。

この週の『チョッちゃん』を見ていて思うことは、困っている人に親切にするという、ごく当たり前のことを、これほど素直に描けるドラマが作れた時代があった、ということである。『あんぱん』を見ると、困っている人に親切にするということが、具体的にはお腹を空かせている人に食べるものをあげる、ということなのだが、これをいうために、あまりにもああだこうだと理屈を述べすぎている。ここは、素直に、どうぞと差し出せばいいだけのことなのであるが、それが、素直な人間の感情として描けない時代に、現代ではなってきている、ということなのかとも思う。

汽車の中で、たまたま乗り合わせただけの人に、リンゴをあげて(東京まで箱で送ってきてくれて)、その家族が、疎開の途中で難儀して降りた駅で困っているのを見て、住むところなど提供してくれる。こういうことが、実際にありえたこととして、納得できる。それは、このドラマがこれまでに描いてきた人間観のつみかさねによる。人間とはこういうものだ、善意ということを、それと意識することなく、人にやさしくなれるものだし、また、それをうけとることができるものである。

印象的なのは、駅で出会った行商のおばさん。黒柳徹子である。おばさんは、見も知らぬ子ども(加津子と俊継)に白いご飯のおにぎりをくれる。それが、ごく自然な人間の行動として描かれており、加津子と俊継もそれをもらって食べる。

人間のなかには、善意もあれば、邪悪な部分もある。このドラマでは、その善意を肯定的に描いてきている。しかし、だからといって、人間の中にある邪悪な部分をまったく感じないかというと、そうではない。直接的な描写としては出てきていないが、人間の中にある、決して善意ばかりではない部分も、感じさせるところがある。そういう人間を描くのに、その悪意の部分を具体的に描くばかりではないのだ、ということを感じさせる。

戦時下の東京の暮らしということも、共感できる描写になっている。これまでに、防火訓練があったり、防空壕なども出てきてはいる。しかし、昭和20年3月10日の空襲も、具体的に映像化しているということはない。戦時下の生活というと、物資の窮乏であり、空襲であり、ということで、さまざまに描かれてきていることではあるが、日常生活の感覚として、疎開で身近な人びとを別れなければならなくなる、東京もこれからどうなるか分からない、さまざまな不安について、このドラマは、共感できる描写になっている。

えてして昭和16年の太平洋戦争開戦になって、人びとが空襲におびえながらすごしていたという感じのドラマが多いのだが、実際に空襲が本格化するのは、昭和19年にサイパンが陥落して、ここを基地としてB29が本土爆撃が多くなってからのことである。またこれも地方によって違いのあることであり、東京と滝川はちがうし、また、青森の諏訪平もちがっている。

要がいなくなった岩崎の家の生活であるが、蝶子は家の中の規律を守り、礼儀ただしくする、お行儀良くする、ということを子どもたちに教えている。これは、諏訪平に疎開してからも同様である。こういうのを見て思うことは、こういう家庭で育った子どもがどうなるかということなのだが、これは、黒柳徹子という人物の実際のあり方で、ある意味で、視聴者には結論が分かっている。こういう家庭で育ったのなら、こんなふうに人間になるのだろう、ということがおのずと理解される。(あえてことばとして言うならば、品の良さであり、ヒューマニズムである。)

その他、気づいたこととしては、いくつかある。

東京で、蝶子は、兵隊の給料だけではやっていけない、ということを言っていた。戦時下の人びとの生活を描く中で、兵隊の給料、ということが出てくるのは珍しい。

青森の諏訪平の駅で、駅の構内の壁に貼ってあったポスターには、軍用兔とあった。これは、毛皮を利用するために、兔の飼育が戦時中に行われていたことを示すものになる。そして、毛皮をとったあとの兔の肉は、食用にされた。

疎開先で蝶子は、産業組合の事務の仕事につくことができた。この時代としては、地方の女学校とはいえ、女性で女学校出身というのは、希であった。その女学校で、蝶子は、良妻賢母教育を受けたことになる。これに対して、神谷先生は否定的な立場で、校長と対立していた。だが、これも、このときになってみると、女学校のときに身につけた洋裁などのことが、役立つことになっている。おそらくは、料理の実習などもあったかと思うが、どうだったろうか。とにかく、母親のみさは、なんにもできない。

東京で、これからみんなでどうするか話しをしているシーンで、安乃が神谷先生のとなりでだまってその話しを聞いている。その表情がとてもいい。今の価値観からすれば、古風ということになるが、こういう雰囲気の女性を描くことができたのも、1980年代のドラマであったということになるだろう。

2025年9月20日記

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