BSスペシャル「Blind Spot 見えない“隣人”」 ― 2025-10-09
2025年10月9日 當山日出夫
BSスペシャル Blind Spot 見えない“隣人”
以下のようなことは、あまりいう人もいないと思うで、かなり偏った見方になるかとも思うのだが、書いておくことにする。
この文章を書いている時点では、ハマスが人質解放に合意したということである。これで、武装解除とか、さらに和平交渉が進展するかどうかは分からないが、大きな転換点にあることはたしかだろう。
二年ほど前の10月7日、ハマスが、イスラエルを急襲して人質をとったとき、日本のマスコミなどで言われたことは、ハマスは選挙も行っており正当にガザ地区を統治している、ガザの人びとから支持されている、ということがあった(これは、今では、もう言う人もいなくなったが。)また、あるテレビの番組で言っていたこととして、これは、ハマスが、自分たちのことを忘れないでほしいというメッセージである、とも言っていた。なるほど、そういうこともあるかと思っていた。忘れられてしまっているようなパレスチナのこと、ガザのこと、ハマスという組織のこと……これを、世界に認識させたい、ということだと理解する。
そう思ってみると、まさしくハマスの意図した結果になったといってよい。イスラエルのガザに対する容赦ない攻撃、戦禍に苦しむ人びと、多くの犠牲者、援助物資がとどかず飢餓に直面する人びと……こういうことが、世界中にひろまったことになる。被害者で無垢のガザの人びとと、残虐なイスラエルの政府や軍隊、という図式は、一般的なイメージとして定着することになっている。
距離を置いて見るならば、ハマスにとって、イスラエルがガザを攻撃して、一般の市民に犠牲者が出るのは、おりこみずみのことであり、強いて言うならば、ハマスは、ガザの人びとの命を使って、自らの政治宣伝の道具にした、ということになる。(もし、本当にガザの人びとの命を少しでも救いたいのならば、まず、人質を解放することであった。)
だが、それも、そろそろ限界が近づいたということなのだろう。これ以上、ガザで人びとが苦しむことになると、その憎悪の矛先が、ハマスに向かってくる。お前たちがここに居座って人質を解放しないままでいるから、いつまでもイスラエルからの攻撃を受けることになる。食糧も入ってこない。さっさと人質を解放して、出ていってくれ、ということになる。
世界の多くの国が、パレスチナの国家承認の方向に動いてきて、また、中東のアラブ諸国も、対イスラエルということでは一致するようになってきている。(だが、周囲の国で結束して、イスラエルとの全面戦争で、イスラエルを滅ぼしてしまえ、地上から抹殺してしまえ、というところにはいたっていないし、おそらく、将来的にそうなることはないだろう。)
このあたりが潮時と見て、おそらく、今般の和平交渉ということになったのかと思っている。パレスチナ問題を、イスラエルの横暴ということで、世界に認知させることが出来たことになる。ガザの市民の命は、ハマスによって、そのために使い捨てにされたことになる。(手を下したのはイスラエルであるが。)
このような視点で考えてみると、NHKの番組は、まさしくハマスの戦略にのせられたものである、ということになる。
番組内ではイスラエルの普通に見える人びとを取材していて、自由に語るというふうに見せていた。それは、基本的に、この地域における、イスラエルとパレスチナとの共存の難しさであり、また、憎悪の連鎖である。
だが、これは、鏡像でもあることに、この番組の製作者は気づいているのだろうか。同じようなことを、パレスチナの側の人びとについても、作ることができるだろう。そこで語られるのは、共存の難しさ、憎悪の連鎖、についてパレスチナ側からのことになるはずである。
イスラエルの側を否定的に描こうとすればするほど、それは、同時に、パレスチナの側の憎悪を映し出すことにつながる。意図としては、パレスチナがいかに善良であるかということを言いたいということであったとしても、そのように見ることはできない。憎悪は憎悪しか生まない。こんなに安楽にしていて、たらふく食べて、パレスチナの悪口ばかり言っているような、イスラエルは許すことができないという気持ちを、増幅させることにしかならない。憎悪の連鎖……これが、この番組の作り手の意図したことなのだろうか。
なお、平和を希求する理想と、現実的な解決策を考えるということは、決して矛楯することではないと私は思っている。
2025年10月5日記
BSスペシャル Blind Spot 見えない“隣人”
以下のようなことは、あまりいう人もいないと思うで、かなり偏った見方になるかとも思うのだが、書いておくことにする。
この文章を書いている時点では、ハマスが人質解放に合意したということである。これで、武装解除とか、さらに和平交渉が進展するかどうかは分からないが、大きな転換点にあることはたしかだろう。
二年ほど前の10月7日、ハマスが、イスラエルを急襲して人質をとったとき、日本のマスコミなどで言われたことは、ハマスは選挙も行っており正当にガザ地区を統治している、ガザの人びとから支持されている、ということがあった(これは、今では、もう言う人もいなくなったが。)また、あるテレビの番組で言っていたこととして、これは、ハマスが、自分たちのことを忘れないでほしいというメッセージである、とも言っていた。なるほど、そういうこともあるかと思っていた。忘れられてしまっているようなパレスチナのこと、ガザのこと、ハマスという組織のこと……これを、世界に認識させたい、ということだと理解する。
そう思ってみると、まさしくハマスの意図した結果になったといってよい。イスラエルのガザに対する容赦ない攻撃、戦禍に苦しむ人びと、多くの犠牲者、援助物資がとどかず飢餓に直面する人びと……こういうことが、世界中にひろまったことになる。被害者で無垢のガザの人びとと、残虐なイスラエルの政府や軍隊、という図式は、一般的なイメージとして定着することになっている。
距離を置いて見るならば、ハマスにとって、イスラエルがガザを攻撃して、一般の市民に犠牲者が出るのは、おりこみずみのことであり、強いて言うならば、ハマスは、ガザの人びとの命を使って、自らの政治宣伝の道具にした、ということになる。(もし、本当にガザの人びとの命を少しでも救いたいのならば、まず、人質を解放することであった。)
だが、それも、そろそろ限界が近づいたということなのだろう。これ以上、ガザで人びとが苦しむことになると、その憎悪の矛先が、ハマスに向かってくる。お前たちがここに居座って人質を解放しないままでいるから、いつまでもイスラエルからの攻撃を受けることになる。食糧も入ってこない。さっさと人質を解放して、出ていってくれ、ということになる。
世界の多くの国が、パレスチナの国家承認の方向に動いてきて、また、中東のアラブ諸国も、対イスラエルということでは一致するようになってきている。(だが、周囲の国で結束して、イスラエルとの全面戦争で、イスラエルを滅ぼしてしまえ、地上から抹殺してしまえ、というところにはいたっていないし、おそらく、将来的にそうなることはないだろう。)
このあたりが潮時と見て、おそらく、今般の和平交渉ということになったのかと思っている。パレスチナ問題を、イスラエルの横暴ということで、世界に認知させることが出来たことになる。ガザの市民の命は、ハマスによって、そのために使い捨てにされたことになる。(手を下したのはイスラエルであるが。)
このような視点で考えてみると、NHKの番組は、まさしくハマスの戦略にのせられたものである、ということになる。
番組内ではイスラエルの普通に見える人びとを取材していて、自由に語るというふうに見せていた。それは、基本的に、この地域における、イスラエルとパレスチナとの共存の難しさであり、また、憎悪の連鎖である。
だが、これは、鏡像でもあることに、この番組の製作者は気づいているのだろうか。同じようなことを、パレスチナの側の人びとについても、作ることができるだろう。そこで語られるのは、共存の難しさ、憎悪の連鎖、についてパレスチナ側からのことになるはずである。
イスラエルの側を否定的に描こうとすればするほど、それは、同時に、パレスチナの側の憎悪を映し出すことにつながる。意図としては、パレスチナがいかに善良であるかということを言いたいということであったとしても、そのように見ることはできない。憎悪は憎悪しか生まない。こんなに安楽にしていて、たらふく食べて、パレスチナの悪口ばかり言っているような、イスラエルは許すことができないという気持ちを、増幅させることにしかならない。憎悪の連鎖……これが、この番組の作り手の意図したことなのだろうか。
なお、平和を希求する理想と、現実的な解決策を考えるということは、決して矛楯することではないと私は思っている。
2025年10月5日記
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