『太平記』「父と子」 ― 2026-04-06
2026年4月6日 當山日出夫
『太平記』「父と子」
日曜日の昼間の習慣として、見ることにしている。4Kで、『太平記』を見て、つづけて『豊臣兄弟!』である。
『太平記』は、1991年の作品である。
その第一回のオープニングが、1989年のベルリンの壁の崩壊のシーンからだった。この時代のことは記憶にあるのだが、はっきりと覚えているのは、自分が生きているうちに、ソ連をはじめ東欧の社会主義国が壊れていくのを見ることになったおどろきである。(とはいえ、中国とか北朝鮮は、あいかわらず残っているけれど。)
今から思いかえしても時代の変わり目だったということは感じる。だが、その変化のゆくすえがどういう方向に向かっていくのかは、いまだに混沌としているといっていいのだろうが。少なくとも、「歴史の終わり」にならなかったことは確かである。
1991年というと、時代が平成になってからである。つまり、昭和天皇の崩御の後である。「太平記」の時代は、どう描くにしても、いわゆる南北朝正閏論にかかわることになるし、後醍醐天皇は登場することになる。この時代のドラマを作ったというのも、時代の変わり目を感じるところである。
原作は、吉川英治の『私本太平記』である。この本は読んでいないのだが、ドラマを見ていて思うことは、芸能の一座が出てくることである。この時代にあって、身分や地域の枠組みを超えて、自在に行き来することのできる人びとといってもいいかもしれない。そして、こういう視点で、歴史の流れをを俯瞰的に見ることができる。
こういう存在は、『新・平家物語』の人形劇版が、吉川英治の原作なのだが、中に、赤鼻という、歴史の流れからちょっと離れたところにいて、歴史の目撃者mというような位置の人物が出てくる。
そういえば、『宮本武蔵』でも、又八という、武蔵の友達のような存在があるのだが、これが、武蔵の生き方を、傍から見るということになっていたかと思う。『宮本武蔵』は、高校生のころに読んだのを覚えているぐらいで、はっきりしないけれど。
こういう、歴史の流れの中にあって、その渦中から少し距離をおいて、時代のことを見ているというのは、ドラマを作るときに、重要な視点人物になるかと思っている。
ナレーションが、山根基世アナウンサーであるが、やはり声を聴くと若い。
緒形拳がかっこいい。最後に出てきた沢口靖子が、若々しいと感じる。
さて、来週も見るとしようか。
『私本太平記』は、Kindle版で安くで読める。Unlimited版もある。これは、読んでみることにしようか。
2026年4月5日記
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