100分de名著「ウィトゲンシュタイン“論理哲学論考”“哲学探究” (3)生成AIは言葉を理解しているのか?」2026-04-24

2026年4月24日 當山日出夫

ウィトゲンシュタイン“論理哲学論考”“哲学探究” (3)生成AIは言葉を理解しているのか?

この回になって、古田徹也は、自分の考えを述べるようになっている。前回までは、ウィトゲンシュタインが考えたことを、やさしく解説する、ということに徹していて、自分の意見を語るということがなかった。(これは、別に悪いということではない。自分の考えと、他の人が考えたこと、これを、きちんと区別して話すのは、研究者として当然のことである。)

AIに人間のことばが分かるのか、これは、ウィトゲンシュタインの時代には存在しなかった問題だが、現代では、非常にアクチュアルな哲学の、あるいは広く人文学の大きな課題となっていることである。

ことばが分かる、というのは、どういうことなのか、そもそものこの定義をめぐっては、まさにいろんな立場から議論がある。

個人的なことを書いておくと、数年前(というよりかなり近いが)、ChatGPTが登場してきたとき、もうことばをあつかう研究者の仕事を止めようと思った。日本語学の分野で、各種の文献資料をもとに、いろいろと考えることになるが、ここで、AIがつかったことばは、人間がつかったことばと、同列に見なしていいかということが問題になる。具体的には、その語や言い方の用例として使っていいか、ということになる。

これには、二つの立場がある。

(1)人間がつかったものではないのだから、人間のことばの用例として見なすことはできない。

(2)それを読んだり聞いたりした人間が、それで意味がわかり、特に不自然に感じることがないのならば、それは人間のことばと同じにあつかってよい。

原則的には、この二つの立場がある。もし、前者(1)の立場を厳格につらぬくとなると、ことばの研究は、非常な困難に直面することになる。現代では、もはや、文章を書くのにAIを補助的につかってもよい、あるいは、使うのが当たり前という時代になってきている。純然たる人間のつかったことばをとりだして集めるということが、(今の時代以降の資料・用例としては)絶望的に難しくなる。

では、(2)のAIのことばを人間のことばとまったく同じにあつかっていいのかとなると、これはこれで、その先にかなりややこしい議論がある。人間にとってことばとはなんであるかという問いについて、AIをふくめて考えなければならなくなる。

このような面倒なことにかかわるのは、もういやであると思って、きっぱりと日本語の研究の領域からは、手をひくことにした。年齢的にも、もう、そろそろリタイアしてもいいときだったし、ということもある。

これからは、AIがもたらす言語研究の世界を横目で見ながら、自分の好きな本……昔読んだ古典など……を、読んですごしたいと思っている。

2026年4月23日記

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