よみがえる新日本紀行「現代遠野物語」2026-05-02

2026年5月2日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行「現代遠野物語」

オリジナルは、昭和47年。

『遠野物語』は、年をとってから、ようやく読めるようになった本である。Kindle版を、ときどき読んでいる。これまで『遠野物語』を敬遠してきたのは、とても怖い本だからである。普通のホラー小説のように怖さを意図して書いたものではないのだが、読んでいると心底怖くなる。若いころは、とても読み通すということのできなかった本である。だから、『遠野物語』を多く引用してある『共同幻想論』(吉本隆明)も、あまりきちんと読んではいないのである。(だが、これも、今ではKindle版として持っている。)

はじまりの方でさりげなく言っていたことであるが、この地域では、昔はヒエやアワを栽培していた。お米を作るようになったのは、戦後になって、イネの品種改良が進んだからである。

こういうことは、特に東北地方の農業について、基本的な重要なことだと思うのだが、あまり大きく語られることがない。近代になってからのイネの品種改良によって、寒冷地でも稲作が可能になってきた歴史というのは、やはり重要なことだと思う。

昔は馬を飼っていた。だが、馬を飼うのに、現代だと、イネのワラは必需品のように思うのだが、稲作がなかったことは、どんなふうにして馬を飼っていたのだろうか。

それが、この番組のオリジナルのころだと、牛の飼育に変わってきている。稲作の歴史、馬を飼う歴史、牛を飼う歴史、こういうことの総合的な研究というか、生活誌ということは、どれぐらい分かっていることなのだろうか。

登場していた人びと、男性も女性も、なにがしか頭にかぶっている。女性は手ぬぐいをかぶっているし、男性は帽子をかぶっているか、タオルを頭に巻いている。こういう生活の中の習慣は、いつごろまであったことなのだろうか。今では、都市部においても、男性が外出するときに帽子はかぶらない。戦後しばらくころまでは、帽子をかぶっているのが普通だった。子どもでも、男の子は、普通に野球帽をかぶっていた。漫画でいえば、『オバケのQ太郎』では男の子は野球帽をかぶっているが、『ドラえもん』ではかぶらなくなっている。(こんなことは、別にどうだっていいじゃないかということもあるかもしれない。だが、普通にくらしている人びとの生活の感覚の変化ということは、私は重要なことだと思っている。)

遠野と海辺とを、馬で行き来して荷物を運んでいた。駄賃付け、と言っていた。馬で運べるもので、生活がなりたっていたということでいいだろうか。これが現代では、道路が通じて、トラックが通らないとどうにもならなくなっている。農作業でも、軽トラックは必需品である。

番組の中では、民話、といっていた。私は、この用語はつかわない。柳田国男などの民俗学用語としては、昔話、伝説、ということだと思って、学生のころから、そうしてきている。

民話の語り部を継承していこうということは、意味のあることだとは思うけれども、その民話を語り継いできた人びとの生活が変わってしまえば、その民話もどうなるかわからない。大事なのは、どういう生活の中で(それは、現代から見れば非常に過酷なものだっただろう)、そのような民話が語り継がれてきたのか、ということの認識かとも、思っている。

『遠野物語』を読んで、ここに書かれた昔話や伝説が、どのどうな生活とともあったのか、その人びとの心性に想像力をはたらかせる必要がある。

昔の番組の中で、NHKの記者(?)がマイクを手にして、テープレコーダーを方から下げてインタビューしていた。いわゆるデンスケである。昔は、こんなふうだったなあと見ながら思ったのだが、今の、放送の仕事をしている若い人は、オープリールのテープレコーダーとか、使ったことがないのかもしれないかと思う。

2026年4月29日記

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