『太平記』「危うし足利家」 ― 2026-05-04
2026年5月4日 當山日出夫
『太平記』「危うし足利家」
日曜日の昼間に『太平記』と『豊臣兄弟』を続けて見ていると、私の感覚ではということになるが、『太平記』の方がずっと面白い。動乱の時代に生きる人間、権謀術数の中に生きる人間、というのは、こういうものだよなあ、とつくづく思うところがある。
強いていえば、『豊臣兄弟』は、表現が過剰なのである。登場人物がどう思っているか、どう感じているか、それは見るものの想像力で感じることであって、無理矢理、演技や演出や台詞で説明的に描くものではないだろう。(こういうのが、分かりやすいと好きな人もいるかとは思うけれど。)
父親の貞氏(緒形拳)が、寡黙ながら非常に存在感がある。発想が古めかしいと言われればそれまでなのだが、やはり男は黙っている方がいい。(こういうのは、このごろだと「正しくない」と批判されるのだが。)
この回でも、藤夜叉たちの旅芸人の一座が出てきている。鎌倉の幕府の内紛劇を、武士ではない社会階層の人から見ればどうなのか、という視点の設定がある。
2026年5月3日記
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