3か月でマスターする数学「(5)謎はもう解けた!「数学的思考法」」2026-05-12

2026年5月12日 當山日出夫

3か月でマスターする数学「(5)謎はもう解けた!「数学的思考法」」

この回も、数学的思考法というよりも、手を動かしてみること、という感じかなと思って見ていた。

スズメの問題もそうだし、コインの問題もそうだし、メビウスの輪の問題もそうなのだが、みんなまず手を使って、具体的に図を描いたり、紙を切ったりして考えることになる。まったく抽象的な思考から、こういうことが考えられたということなのだろうか、どうだろうか。このあたり、数学史としては、どう考えることになるのかと思う。

メビウスの輪の問題は、こういう空間ではこういうことがある……ということを純然とアイデアとして思いついたのか、あるいは、実際に紙で輪を作ってくっつけて切ってみてどうなるのか、ということから考えついたのか、どうなのだろうか。

スズメの問題は、すでに一般的な理論があって、それを具体的な数学の問題として設定するとこんなふうになった、という印象がある。

こういうあたりのことは、数学が専門の人は、どう思っているのだろうか。

2026年5月7日記

クラシックTV「超たのしい!“調”のハナシ」2026-05-12

2026年5月12日 當山日出夫

クラシックTV「超たのしい!“調”のハナシ」

再放送である。2025年8月14日。

音楽家にとって、「調」によって、どんな感じの音楽であるかというのは共通理解として持っていることなのだろう。それにしたがって作曲するのも、逆に、それを分かったうえで裏切って曲を作るのも、音楽家それぞれということなのだろう。

チェロの弦が共鳴して振動するのは、とても面白い。こういう現象は、物理的に説明できることだとは思うが、バッハの無伴奏チェロ組曲でこれが分かるというのは、バッハの時代のチェロから、チェロの楽器としての構造が同じだから、ということにもなるかと思う。

弦楽器の場合、振動して音を出している以外の弦が共鳴して鳴るという現象はあるはずだから、これをたくみにつかうのが作曲家の妙ということでもいいかもしれない。こういう現象は、ピアノでも観察できるのかと思うが。

人間が、その調の音楽をきいてどんな感じをいだくのか……これは、現代だったら、fMRIで脳の反応として把握することができるのかと思うが、もし可能なら、こういうことはすでに研究されているだろう。調のみならず、音楽(広く聴覚といってもいいだろうが)と脳の働きは、脳科学と音楽にまたがる研究分野ということになる。

2026年5月8日記

ハートネットTV「特集 罪を犯した障害者と向き合う 第2夜 地域での再出発を支える」2026-05-12

2026年5月12日 當山日出夫

ハートネットTV「特集 罪を犯した障害者と向き合う 第2夜 地域での再出発を支える」

行政の側として、司法と福祉が連携して対応しなければならないことの意義は分かるのだが、この事例として、愛知県の豊田市を取材したのは、なぜなのだろうか。先進的な取り組みをやっている事例と理解すれば、そうなのだろう。

豊田市というと、自動車産業の街で、日本で外国人労働者の多いエリアとしても知られている、こういう認識でいるのだが、まちがっているだろうか。

社会の一般的な規範の感覚やルールからはみ出してしまうということで見るならば、知的障害者であっても、外国人であっても、その共同体の内側にいる方から見ると、同じようになる。おそらく、知的障害のある人に限らず、身体的な障害や、また、日本の生活習慣になじめない外国人であっても、さらには、(人間の世の中にはかならずいる)ちょっと変わった人、ということまでふくめれば、社会の規範意識の中におさまることのない人たちに対して、行政がどう対応すべきかという、もうひとつ大きな枠組みで考えなければならないことと思える。

前近代の伝統的社会であったならば……『忘れられた日本人』の世界といってもいいだろうが……それなりに、そういう人たちの居場所(私は、このことばがあまり好きになれないのだが)が、あっただろう。無論、封建的で閉鎖的で排除の感覚もあったとも思うが。

近現代社会において、社会の一般の規範感覚からはみ出してしまった人たちをどう包摂していくか、社会全体としてのインクルーシブなありかた、ということになるだろう。

しかし、ここで問題になるのは、社会にそのような柔軟性を持たせようとしても、急激な大きな変化は受け入れがたいということである。ここには、理念的にゼロサムゲームではなく……~~人は出ていけ、でもないし、逆に、~~人を無制限に受け入れるべきだでもない……許容できる程度の問題という、現実的なことを考えなければならなくなる。その社会の秩序や安定が崩壊してしまうようなことは、避けるべきというのが、どうしてもあるはずである。

許容の幅、寛容性ということは、時代や地域や社会的階層などによって、一律にとらえることのできないものである。(ここのところについて、一律にこうでなければならないと理念的にゴリ押しすると、摩擦が生じる。結局、その地域で生活する人、自治体の現場の対応にまかせられることになってしまう。)

この番組の制作スタッフは分かって作っていることであるが、知的障害者を、犯罪を犯す側としてあつかっていたが、実際のありかたとしては、被害者でもある。詐欺の手先としてお金を受け取る仕事をさせられたという事例は、法的には加害者になったことになるが、しかし、視点を変えれば、その上にいたボスからの被害者である。

また、知的障害といっても、程度の問題、その性格の問題ということもある。すべての能力が劣っているということではない。

金銭の管理ができないということは、今の時代だったら問題となるが、これが、100年前だったら、別にどうということはなかったことだろう。今の時代だから問題になる。いや、さらに、今だったら、スマートフォンのアプリで、これだけのお金がどういう目的で使えるのか、AIがアシストして教えてくれるということも、可能である。これで、スマートフォンによるキャッシュレス決済で生活できるとするならば、金銭管理の感覚の有無など、ほとんど問題にならないだろう。

画面に映っていた事例では、文字は書けるということである。これも、今では、スマートフォンの普及によって、手で文字を書くことができなくても困らないということもありうる。これはこれで、新たな問題点になることである。(AI翻訳機能が発達すると、日本語が出来なくても日本でくらせるということになるので、テクノロジーの発達と、社会の秩序や安定の感覚ということとは、かなりややこしいことになるかとも思っている。だからこそ、日常的な生活の感覚でどう感じるかということが重要になるのだろうが。)

2026年5月10日記

映像の世紀バタフライエフェクト「シベリア 絶望と欲望の大地」2026-05-12

2026年5月12日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト「シベリア 絶望と欲望の大地」

最後まで見て、名前の出ていたのは、池田嘉郎と菊月俊之。ソ連・ロシアと軍事の専門家として、ということだと思う。

見ていて、特に、目新しいことが語られていたということはない。むしろ、言っていないことが気になる。それは、現在のロシアにとって、シベリアは、北極海に面していて、北極海の覇権をめぐっては、アメリカ、NATOと対立するようになってきている、ということである。それに、今では、中国が、北極海は自分のところにも権利があると名乗りを上げて手を出そうとしてきている。

だが、こういうことまで言うと、ちょっと大変なので触れないことにしたのか、とは見て思ったことである。

ソルジェニーツィンは、高校生か大学生のころに手にしたと覚えている。『収容所群島』は読んだのだが、はっきりいって、文学的に感銘をうけたという作品ではなかった。シベリアなら、ドストエフスキーの名前が出てきてもよかったかと思うが、これはこれであつかいが面倒ということだったのかもしれない。

興味深いのは、シベリアをふくめて、ロシアという概念が成立してきたプロセスということかもしれない。シベリアは、流刑の地であったが、同時に、ロシア・ソ連の産業をささえる豊かなめぐみの大地でもあった。いわゆるロシア的ということ……これは、ドストエフスキーなど読むと、どうしても感じることなのだが……に、シベリアという土地のことが、どう関係しているのか、これはロシア研究の専門家にじっくりと話しを聞きたいところである。

ドストエフスキーも、ソルジェニーツィンも、プーチンも、いってみれば、きわめてロシア的といっていいだろうか。(ちなみに、『ロシア的人間』(井筒俊彦)を読んだのは、学生のときだった。)

樺太が、かつては日本の領土(外地)であった。ここには、多くの日本人、それから、いろんな人たちが住んでいた。無論、樺太アイヌという人びともいた。

しかし、植民地経営としては、実際はどうだったのだろうか。かつて、石橋湛山は、小日本主義をとなえて、海外の植民地は、要するに儲かるものではないから手放せばいい、といったのだが、これについて、現在の歴史学の植民地研究としては、どう考えられているのだろうか。(ただ、コロニアリズムを悪として糾弾するだけではなく、経済や政治についての冷静で実証的な研究が必要である。)

かつて、岡田嘉子は、樺太でソ連との国境を越えた。(このことは、出てきていなかったが。)

シベリア鉄道というと、私は、林芙美子の旅行記を思い出す。三等ぐらいの庶民的な座席で、林芙美子は、シベリア鉄道で旅をしてパリまで行っている。とにかく、好奇心旺盛、バイタリティにあふれる旅行記である。

現在のロシアは、多民族国家で、ウクライナとの戦争に、ロシア人(特に都市部の)以外の人びとが多く動員されているということは、言われている。経済的徴兵とうことになる。

中央アジアからモンゴルや中国とのこととか、シベリアの地域は、今のロシアにとってもいろいろと難しい地域かもしれない。

それにしても、シベリアにたくさんの囚人が送られたということはあったが、これは、それだけたくさんの囚人がいて、つまりは、犯罪もあったということなのだろう。ロシアやソ連は、犯罪大国だった、といっていいのだろう。中には無実の罪だった人も大勢いただろうと思うが。

シベリアに抑留中になくなった人びとの墓参に行って、『異国の丘』が流れるのは、とても切ない。

2026年5月8日記