知恵泉「吉田正 戦争と“いつでも夢を”のはざまに」 ― 2026-06-11
2026年6月11日 當山日出夫
知恵泉「吉田正 戦争と“いつでも夢を”のはざまに」
前回の服部良一につづいて、この回は、吉田正である。(放送の字幕表示では、一貫して、𠮷田、の文字を使っていた。)
ムード歌謡というのは、このごろ、ふたたび流行りだしてきたかな、という感じでは見ているのだが、そんなに聞いてみようとは思わない。番組の中で出てきた歌は、ほとんどどれも知っている。
『異国の丘』のエピソードは、有名である。
この話しは、音楽史の話しであるのだが、視点を変えてみるならば、大衆の中の歌というものは、どこか「よみびとしらず」として、歌い継がれて、その過程で、歌詞が作られたり、変わったり、ということの一例になるかと思う。現代につたわる「民謡」でも、やたらと歌詞がたくさんの種類があるものがあるが、それは、人びとに愛唱される中で、増幅していったものである。(今のように厳格に著作権などの考えのない時代である。)
『いつでも夢を』は、知っている歌であるが、近年で有名になったのは、朝ドラの『あまちゃん』の中で使われたということがある。このときは、橋幸夫が、本人の役で登場して歌った。
『有楽町で逢いましょう』で思うことだが、東京の中で、有楽町は、いろんなイメージで歌われてきた。昭和歌謡の「歌枕」といっていいかもしれない。有楽町、数寄屋橋、銀座、このエリアが、昭和の大衆文化の中で、どのようにイメージされてきたのか、これは面白いことだと思う。
この歌が、有楽町そごうの歌だということは知られているが、今では、その有楽町そごうを憶えている人も少なくなったかもしれない。数寄屋橋の阪急もなくなった。また、建築として見ても、この建物はとても価値のあるものである。(どうでもいいことかと思うが、数寄屋橋というと、学生のころ、赤尾敏の演説を聴いた。今になって思えば、もっと真剣にきちんとその話を聞いておくべきだったと思うことになるのだが。)
『寒い冬』『いつでも夢を』は、吉永小百合の歌でもある。戦後の大衆文化史の中では、やはり吉永小百合という存在は大きい。いまでも、そのオーラは残っている。
ゆきさおりが、『ルームライト』に関連して、吉田拓郎のことに触れていた。日本語の歌の歴史の中で、吉田拓郎のはたした役割は大きい。(決定的に、大きなインパクトだったのは、桑田佳祐であるが。私の覚えていることとしては。)
2026年6月3日記
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