新日本風土記「おかえり神戸 わたしの母港」 ― 2026-06-11
2026年6月11日 當山日出夫
新日本風土記「おかえり神戸 わたしの母港」
再放送である。最初は、2024年4月22日。
神戸の街については、いろんな角度から見ることができるが、普通には、近代になってからの港街ということで見ることになるだろう。港街だから、欧米の文化が入ってきてハイカラな街というイメージもあるが、一方で、港湾労働者という人たちなど、社会的にはあまり良い印象では見られてこなかったという面もある。(こういうことを、もっと露骨な表現で言うこともできるが。)
見ていて一番興味深かったのは、海王丸。今なら、GPSで位置を知ることのできる時代であるが、昔ながらの方法……天体の観測……で、位置(緯度経度)を知る。番組の中では言っていなかったが、六分儀、ということなのかと思うが、ここはもうすこし説明がほしかったところである。
海員の服の専門店が、商店街の中にあるというのも、面白い。
それから商店街のお煎餅屋さん。関東大震災で、東京で商売ができなくなったので、神戸に流れてきたということだった。東京でも、関東大震災を契機として、人の移動があり、それにともなって、仕事の変化もあったことになるが、これは、全国的にも、影響を及ぼしたことになるのかとも思う。こういうことの研究というのは、どれぐらいあるのだろうか。
似たようなことになるが、太平洋戦争中の疎開で人が移動して、その結果として、都市部と農村部との関係に変化があったのかどうだったのか、このあたりのことも気になるところである。
神戸から多くの人が、ブラジルに移民として渡っていった。番組では、そのことの負の面は語っていなかったが、移民として日本を出ざるをえなかった事情、現地に行ってからの苦労など、さまざまなことがある。
たまたま、再来年の朝ドラが『ほんのモキチ』として、斎藤茂吉・輝子のことを描くことになったのだが、斎藤茂吉の息子は、いうまでもなく、北杜夫である。その作品の一つに、『輝ける碧き空の下で』がある。小説としては、必ずしも成功した作品ということではないかとも思うのだが、ブラジルに渡った日系移民の生活を描いている。今は、Kindle版で読める。
多様な宗教が仲よくということは、いかにもNHKらしい視点かなとは思う。これも、見方によっては、それぞれに自由にどうぞ。ただし、邪魔になるようなこと、全体の秩序を乱すようなことは、お互いにしないようにしましょう。ということでいいのかと思う。これを、無理にでも、一緒に混在させるべきだという考え方もあるが、それでは、軋轢を生むだけである。時間をかけて、地域の社会の中で共存のありかたを探っていくのがいい。日本は、外来の宗教に不寛容なのではない。問題となるのは、既存の社会秩序の安寧を乱さないこと、ということである。そうであるかぎり、個々の人の信仰については、どうでもいい……ということで理解することもできる。(すべてがそうというわけではないけれど。)
日本語教育のことが出てきていた。外国人に対する日本語教育の教師の資格について、公的な制度が整ってきたところであるが、実際の運用については、多くの課題がある。現実には、現場の学校や自治体、地域に、まかされてしまっているという面がある。(政府としては、日本国内の日本語教育については文部科学省、国外の日本語教育については外務省ということで、やってきていたのだが、これから総合的に再構築して考えなければならないことは確かだと思っている。)
1955年の震災のとき、神戸の街への支援は、陸路が主だったはずである。港街だから、海から支援物資や人員の輸送ということもできたかもしれないのだが、港の機能が失われ、船が接岸できないことになれば、海からの支援は難しいことになる。これは、近年の能登半島の地震のときでも、海から支援物資を輸送してということは、実際には難しかった。船が接岸できる港がなく、仮に、接岸できて物資が陸揚げでできても、そこからの輸送の陸路が十分ではない。こういうことは、防災だけではなく、国防という観点からも、おおきな課題かなと思うところである。
2026年6月7日記
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