ブラタモリ「東京・深大寺▼自然界隈で大注目!深大寺が注目される秘密とは」 ― 2026-09-03
2026年9月3日 當山日出夫
ブラタモリ「東京・深大寺▼自然界隈で大注目!深大寺が注目される秘密とは」
深大寺には行ったことがない。植物公園も名前は知っているのだが、行ったことはない。
それにしても、変なお寺である。ご本尊の釈迦如来像(白鳳時代のものである)よりも、元三大師像を、大切にしている。こういうことは珍しいことではないともいえる。真言宗のお寺で、大師堂が立派だったりすることはあるし、西本願寺や東本願寺では、御影堂が大きい。(阿弥陀仏よりも、親鸞聖人の方が、大事にされているといっていいだろうか。)だいたい、日本の仏教寺院では、釈迦涅槃会よりも、その宗派の開祖忌の方が、重要な行事であるのが、普通である。
関東ローム層の上に黒ボク土があって、その下に地下水脈がある。これが、関東平野の基本的な土地のあり方、といっていいのだろうか。このあたりは、もうちょっと説明のほしかったところである。少なくとも、水田を作って稲作には向かないが、蕎麦の栽培には適していたということにはなる。
そばがき、というのを久しぶりに見た。今、普通に食べる細く切った蕎麦は、古い言い方をすれば、そばきり、である。(つい近年まで、私の住んでいるところの最寄りの駅の近くのお店に、そばきり、という看板があった。もう無くなってしまったが。)おそらく、蕎麦の歴史、日本の麺類の歴史ということを考えると、そばがきの方が、よりシンプルであり、古くはこうやって食べていたものかと思う。ざるそばなどの場合、そのつゆのダシに何を使うか、醤油が一般にあったのか、ということも問題になるだろう。
吉永小百合と白鳳仏が一緒に写っていた写真が、雑誌の表紙になった時代があるというのは、とても興味深い。かつての映画女優さんの仕事でもあったろうし、また、これを写したのは、土門拳であった。
江戸時代に両国まで、出開帳があった。単純に考えて、江戸(特に下町エリア)から深大寺までは、歩いて簡単に行ける距離ではなかったはずだから、深大寺までお参りやってくる人は、それなりの目的や楽しみがあったのだろう。映っていた江戸時代の様子としては、『江戸名所図会』で、国会図書館のデジタルコレクションを使っていた。この本は、私が、学生のころまでは、角川文庫で普通に本屋さんで売っていた本である。
自然界隈という。「~~界隈」という言い方が、このごろのはやりであることは知っている。この他には、「~~系」という言い方もある。これらは、現代における、婉曲表現の一つかなと思って見ている。(といって、こういうことで、論文を書いてみようなどとは、まったく思わなくなっている。学生(大学院生)に教えていたころなら、こういう今の日本語の現象について、君は、どう分析しますか、と話しをしてみるところであるが。)
2026年8月30日記
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