未来予測反省会「太陽光発電で世界中のエネルギーをまかなえるようになる」 ― 2026-04-04
2026年4月4日 當山日出夫
未来予測反省会「太陽光発電で世界中のエネルギーをまかなえるようになる」
エネルギー問題は、現代では、単に技術だけのこととして語ることはできない。経済的な視点も必要だし、特に、今日では、経済安全保障という視点からもかんがえなければならない。また、環境問題も無視することはできない。
世界が平和で、超電導ケーブルで電気を世界各地に送れる……ということが実現すれば、そういうこともあるかなとは思う。最後に出てきていた、宇宙から地上に電気をとどける構想は、まず、OHISAMAが打ち上げられないといけないはずだが、H3ロケットを使うとして、大丈夫だろうか。
ペロブスカイトの実用化は、どうなるだろうか。とりあえずの課題は、コストだろう。それから、少しぐらい高くなっても、これに期待するという人びとの考え方もあるにちがない。
番組で少しだけ触れていたが、今の、メガソーラーなどの太陽光パネルの耐用期限がきたとき、大量に廃棄、リサイクル、ということが課題になるにちがいないのだが、この技術的な、また、経済的なメドはたっているのだろうか。
原子力発電の社会的な将来的なコストということが、(特に反原発の立場から)言われるのだが、それと同様に、太陽光発電の社会的なコスト(環境への負荷、リサイクルのコスト)ということが、あまり大きく語られることがないように思っている。里山の山肌をけずってソーラーパネルで埋め尽くしてしまうのは、(感覚的には)本末転倒という気がする。今の法律で合法的かどうかということもあるが、長い目で見ての、特に経済的な合理性という観点からの説明が必要であるという印象がどうしてもある。
2026年3月31日記
3か月でマスターする人体「(10)痛みの正体を知る」 ― 2026-04-04
2026年4月4日 當山日出夫
3か月でマスターする人体「(10)痛みの正体を知る」
痛みというものは、数値化することができない。また、その原因も実に様々である。この点からは、サイエンスの方法論でとらえることが難しいものだろうとは思う。
だが、これも、近年になって、神経と脳の反応ということ(でいいだろうか)で、なんとか可視化することができるようになった。
脳において、ミクログリアが、痛みを感じると同時に、それを和らげる作用もしている。人間にとって、痛みとは、そもそも何なのだろうか。無論、ケガをしたりしたときに、そのことをとっさに脳で判断して、適切な行動を取ることは必要なので、おそらくは、多くの動物にそなわっていることだとは想像するが。
面白いのは、味覚における辛みというのが、痛みの一種であるということ。そして、その痛み(辛み)を、快感と脳で感じるようになる。ただ、食べ物の辛さの好みとかは、かなり食文化によって異なることかと思うので、これは、人間にとって何が快感であるのか、という問題につながっていくことになるのかもしれない。
2026年4月2日記
新日本風土記「フグとアンコウ」 ― 2026-04-03
2026年4月3日 當山日出夫
新日本風土記「フグとアンコウ」
フグは今年になってから、近所のお店で食べた。アンコウは、これまでに食べたことはあるかと思うが、はっきりと記憶にない。
番組の本来の趣旨とはまったく関係ないことから書いておくが、堺でてっさ包丁を作っているのだが、その鍛冶屋さんが、戦前は軍刀を作っていた、と語っていた。堺の包丁などの刃物産業については、いろんな番組でとりあげられるのだが、昔の軍刀の生産にかかわっていたといいうことが出てくるのは、きわめて珍しい。私の記憶する範囲では、初めてかもしれない。昭和になって、大量の軍刀が作られた(昭和新刀というが)のが、どのような地域のどんな工場においてであり、それが、どのように流通して利用された(?)のか、別に隠すことではないと、私は思っている。新しいとはいえ、日本刀を作れる技術を持っているところは、そう多くないはずである。こういうのを、今の価値観で軍需産業ということで、どうこう言うことでもないだろう。
日本の人びとが、フグとかアンコウとか食べてきた歴史は、どんなものなのだろうか。文献資料からも分かることだし、考古学の発掘資料からも、魚の骨が出てくれば、何を食べていたか特定できる。
フグを安全に食べられるようになったのは、明治になってから、伊藤博文が気に入ってということらしいが、それまでに、いや、それからも、たくさんの人が死んだのだろう。経験(これを食べたら死ぬ)の蓄積があって、また、近代になってから、どの部位にどんな毒があるか、科学的に分析できるようになったことが大きく寄与しているはずである。
番組では言っていなかったことだが、フグの調理の免許は、都道府県の管轄であり、地域によって、その取得の難しさの違いがある。フグを多く食べる地域と、そうではない地域とでは、異なるらしい。
フグというと、下関が有名である。取引されるのは、圧倒的に養殖である。天然のトラフグをもとめて、日本海の韓国とのEEZぎりぎりまで行く。天然トラフグは、高付加価値でもうかるらしい。だが、その漁船も少なくなっている。
福島のフグを、これから地域の名産として売り出すことは、有望かもしれないが、それならば、まず、フグ調理の免許のことを、きちんと制度的に整備して、多くの業者がかかわって、かつ、安全に、ということになるはずだが、こういうことはどうなっているのだろうか。
福島の常磐物として、フグが捕れるようになったのは、環境の変化、海水温の変化ということがあってのことのようである。
東京の神田のアンコウのお店は有名である。確か、神田の街の風景として、『虎に翼』で出てきていたかと覚えている。このドラマも、最初の方は、頑張って作っていた。
アンコウが捕れるところとして出てきていたのは、青森県の風間浦村。それから、茨城の大洗。アンコウの魚類としての生態については、分からないことが多いらしい。
青森で捕ったアンコウを新幹線で、生きたまま東京まで運んでくるというのは、現代ならではのことである。
アンコウを食べる歴史は、新しいらしい。だが、現在では、アンコウが地域の名物になっているところもある。
フグとかアンコウとか、名前はみんな知っている魚なのだと思うが、実際にそれを食べるかどうか、地域の食文化という観点で見ると、地域差が非常に大きいだろう。大阪あたりだと、街中で、普通にてっちりなどのお店があるが、東京では、見かけないかもしれない。
てっさについてくる薬味のネギが、特殊なものだとは知らなかった。キロ単価だと、フグよりも高い。
2026年3月26日記
未来予測反省会「人類は100mを9秒35で走れるようになる」 ― 2026-04-03
2026年4月3日 當山日出夫
未来予測反省会「人類は100mを9秒35で走れるようになる」
あまりスポーツ関係の番組は見ない。ニュースで、野球とかサッカーとかのことを言うと、そんなもんかと思って見ているだけである。
番組としては、スポーツ科学とはどういうことをやっているのか、という観点でみると、なるほどこういうことを考えているのかと思うところが、いくつかあった。
100メートル走を、選手が、どのように走っているのか。その加速、最高速度、減速、ということを分析する。多くのカメラで、走る選手の映像をとって分析すれば、分かることでもある。
また、靴や、走る路面の状態、など、いろんな要素を考慮すると、最終的にうまくいった場合、さらに世界最高の記録が生まれる可能性はある。
それから、興味深いのは、やはりスポーツは「試合」なのであって、同時に走るライバル選手の動きによる、心理的な駆け引きもある。こういう要素があるからこそ、スポーツとして、人をひきつけるものがあるのだろう。ただ、スピードを競うだけだったら、競技の大会とか、オリンピックとかである必要はないにちがいない。
2026年4月1日記
NHKスペシャル「秀吉と京都の秘密 〜最新探査 豊臣家の興亡〜」 ― 2026-04-03
2026年4月3日 當山日出夫
NHKスペシャル「秀吉と京都の秘密 〜最新探査 豊臣家の興亡〜」
これは、あまり面白くなかった。そう目新しい新知識で、歴史の見方が大きく変わるということにはなっていない。(そもそも、それほどのことは期待していないけれど。)
戦国時代の荒廃した京都の街を、復興させたのは、秀吉のちからによるところが大きい。これは、確かなことなのだろう。室町将軍であっても、逃げ出すしかなかったような京都の街に秩序と繁栄をもたらした、というべきだろうか。(室町幕府を滅ぼしたのは、信長ということでいいだろうか。)
その京都の街の経済的な繁栄を考えるならば、いわゆる京都の町衆たちのなりわいがどんなだったかということが基板としてあるはずだが、これは、どれぐらい分かっていることなのだろうか。特に、商業の面で、京都の商人たちは、どんな商売をしていたのだろうか。(戦国時代だと、堺の街の商人のことは、よく語られるのだが。)
京都の街区、道路を変えたということである。これに、町衆たちは反対したのか、しなかったのか、その史料は残っているのか、いないのか、このあたりが、まず気になる。また、街区が変更になると、そこに居住する人たちが入れ替わるということになるのだろうか。あるいは、新しい街区に対応して、新しい街の生活とか商売とかが起こってくると考えることになるのだろうか。
御土居、聚楽第、大仏、京都新城……これらを、CGで再現して見せるというのは、テレビ番組だから、どうしてもそういう方向にいくのかとは思う。しかし、知りたいと思うのは、飛雲閣の建築年を推定した根拠であったり、地下の構造物を計測する技術の開発であったり、ということの方である。(少なくとも、私の場合は。飛雲閣については、その建築の様式や技術から考えるのか、あるいは、使ってある木材の科学的分析から考えるのか、どうなのだろうか。)
瓦に金箔を使うとしても、秀吉がより派手で目立つように豪華に作ったということになるのかとも思うが、では、逆に、信長が、そのように作らなかった理由はいったい何なのだろうか。安土城は、絢爛豪華な城であったとして、瓦に使う金箔をケチったということか、あるいは、そのように作ったなんらかの合理的理由を考えられるのか。
2026年3月31日記
魯山人のかまど「冬編」 ― 2026-04-03
2026年4月3日 當山日出夫
このドラマでは、食事について、こまかな蘊蓄をかたむけることはないが、美味しいものとはどういうものなのか、ということについて、魯山人がどう思っていたかという観点から作った、という理解でいいだろうか。
ロックフェラー家の御曹司がやってくる。茶室でもてなすのだが、古風な、茶道の作法など関係ない。この意味では、いわゆる伝統といわれるものを無視していることになるのだが、こういう茶室の使い方をできるのも、魯山人だからである、ということになる。
狂言のシーンは、巧みではあるのだが、さて、これで魯山人という人物を描くことに繋がっているかとなると、ちょっと疑問かなという気がしないでもない。
各地のお雑煮の場面は、どうだろうか。確かに、日本の各地でいろんな種類のお雑煮がある。これを言うなら、日本のお正月でお餅を食べない地域が多いということもあるので、こういうことをふくめての日本の食文化だと思う。
魯山人は、近代において、いわゆる美食ということの概念を強く主張したといっていいだろうが、その先に何を見ていたのか……芸術家として追求した美は、どんなものだったのか。その視線の先にあるものを、なんとなく感じる作り方になっていたとは思う。これが美食だと言って提示するのではなく、そのさらに向こう側にどんな世界を感じとっていたのだろうか、と思う。
書家であり、また、陶芸家でもあった。現代では、それらは、高く評価される。ただ、ドラマでは、書家という面は、あまり強く出していなかった。ドラマに作るとき、書家という面は、難しいかなとも思う。
家庭料理こそ最高であると言いながら、自分自身は、まったく家庭的でない、破滅型の人生を送ったことになる。それを、一人で食事を作って食べるということで、表現していると理解していいだろう。
2026年4月1日記
映像の世紀バタフライエフェクト「昭和天皇 前編 立憲君主から現人神へ」 ― 2026-04-02
2026年4月2日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト 昭和天皇 前編 立憲君主から現人神へ
最後まで見て、名前があがっていたのは、古川隆久、梶田明宏、一ノ瀬俊也。昭和の歴史、それも昭和天皇のこととなると、こういう人選になるかなと思う。(あまり、こういうところまで見る人は少ないかなとは思っているが。他にも、昭和史、近代天皇史の専門家の名前は、思いうかぶが。)
番組では、天皇機関説について、昭和天皇自身はそれを肯定する立場であったと言っていたが、これは、近代史の常識だろうと思っている。さらには、昭和の戦前までの時代であっても、高級官僚など、国家の枢要に位置する人たち、知識人の一部にとっては、美濃部達吉の天皇機関説は、ごく普通の考え方であったはずである。
しかし、一般の庶民については、絶対的な天皇制ということが、強制されていたというのが、基本的な理解でいいかと思う。だからこそ、戦後になってからの、天皇制をめぐる、さまざまな言説が問題となるということだと思っている。
ここで、上杉慎吉とか、箕田胸喜の名前を出すこともなかっただろう。
昭和天皇について語るとき、昭和天皇自身がどんな人物であったのかということと、(明治憲法の)その天皇制という制度のもとで、国家の指導者や軍がどのように考えて行動したか、ということとは、とりあえず分けて考えるべきだと思っている。
しかし、これも、西欧の目から見れば、ヒトラーとムッソリーニと昭和天皇がならんであつかわれるのは、歴史の流れとしていたしかたないことではあるだろう。近年だと、これにスターリンがならぶことになるかもしれない。(どういう人物で歴史を語ることになるのかということは、歴史とともに変わる。)
昭和天皇が、ヨーロッパ外遊のときが、生涯の花だったと語ったことは、よく知られていることだと思っている。そのときの、パリの地下鉄の切符が残っているのは、とても興味深い。
映像資料として興味深かったのは、明治宮殿の内部の写真であるし、また、戦争の末期につかわれた御文庫の内部。終戦の聖断が下された場所である。今から10年ほど前の映像だったが、荒廃していた。これは、今はどうなっているのだろうか。
昭和天皇について語っていながら、現在の上皇さまについても、さりげなく触れている。そういえば、その軍服姿を見たことがない。
生物学者、博物学者としての、昭和天皇のことは、もっと知られていいことだと思っている。(以前は、伊勢の海の博物館に、昭和天皇が相模湾の調査のときに使った船が展示されていたのだが、これは、今はどうなっているだろうか。)
特攻ということに、ことさら気持ちを寄せていることは、そういうことなのだろうと思うが、ただ、日本の社会において、ことさらに特攻を美談として語ることには、私は反対である。しかし、その軍人たちの意志や気持ちは、最大限、尊重されなければならないとも思う。(また、他の、戦死者、民間の犠牲者についても、同様であるべきだが。)
毎回、見て思うのだが、特攻機がアメリカ軍の軍艦に突入していく様子が、カラーフィルムで記録されている。こういう記録を残していた、アメリカ軍は、やはりすごいとしかいいようがないと感じるところである。(他に適当な表現が思いうかばないのだが。)
昭和天皇が、自らの意志を明示して政治を動かすことになったのは、二・二六事件のときと、終戦のときと、言われている。それに加えて、昭和3年の田中義一内閣のときのことも、昭和の歴史を考えるうえでは重要なポイントになる。
加藤陽子の『昭和天皇と戦争の世紀』は読んだ本であるが、もう一回読んでみようかと思っている。
どうでもいいことだが、制度的な制約とはいえ、「平成天皇」とか「令和天皇」ということばを使うことが許されないのは、こういう時代のことを語るときに、なんとなく不自由である。見ながら、頭の中で、こっそりと変換して理解することになっている。
2026年3月31日記
映像の世紀バタフライエフェクト 昭和天皇 前編 立憲君主から現人神へ
最後まで見て、名前があがっていたのは、古川隆久、梶田明宏、一ノ瀬俊也。昭和の歴史、それも昭和天皇のこととなると、こういう人選になるかなと思う。(あまり、こういうところまで見る人は少ないかなとは思っているが。他にも、昭和史、近代天皇史の専門家の名前は、思いうかぶが。)
番組では、天皇機関説について、昭和天皇自身はそれを肯定する立場であったと言っていたが、これは、近代史の常識だろうと思っている。さらには、昭和の戦前までの時代であっても、高級官僚など、国家の枢要に位置する人たち、知識人の一部にとっては、美濃部達吉の天皇機関説は、ごく普通の考え方であったはずである。
しかし、一般の庶民については、絶対的な天皇制ということが、強制されていたというのが、基本的な理解でいいかと思う。だからこそ、戦後になってからの、天皇制をめぐる、さまざまな言説が問題となるということだと思っている。
ここで、上杉慎吉とか、箕田胸喜の名前を出すこともなかっただろう。
昭和天皇について語るとき、昭和天皇自身がどんな人物であったのかということと、(明治憲法の)その天皇制という制度のもとで、国家の指導者や軍がどのように考えて行動したか、ということとは、とりあえず分けて考えるべきだと思っている。
しかし、これも、西欧の目から見れば、ヒトラーとムッソリーニと昭和天皇がならんであつかわれるのは、歴史の流れとしていたしかたないことではあるだろう。近年だと、これにスターリンがならぶことになるかもしれない。(どういう人物で歴史を語ることになるのかということは、歴史とともに変わる。)
昭和天皇が、ヨーロッパ外遊のときが、生涯の花だったと語ったことは、よく知られていることだと思っている。そのときの、パリの地下鉄の切符が残っているのは、とても興味深い。
映像資料として興味深かったのは、明治宮殿の内部の写真であるし、また、戦争の末期につかわれた御文庫の内部。終戦の聖断が下された場所である。今から10年ほど前の映像だったが、荒廃していた。これは、今はどうなっているのだろうか。
昭和天皇について語っていながら、現在の上皇さまについても、さりげなく触れている。そういえば、その軍服姿を見たことがない。
生物学者、博物学者としての、昭和天皇のことは、もっと知られていいことだと思っている。(以前は、伊勢の海の博物館に、昭和天皇が相模湾の調査のときに使った船が展示されていたのだが、これは、今はどうなっているだろうか。)
特攻ということに、ことさら気持ちを寄せていることは、そういうことなのだろうと思うが、ただ、日本の社会において、ことさらに特攻を美談として語ることには、私は反対である。しかし、その軍人たちの意志や気持ちは、最大限、尊重されなければならないとも思う。(また、他の、戦死者、民間の犠牲者についても、同様であるべきだが。)
毎回、見て思うのだが、特攻機がアメリカ軍の軍艦に突入していく様子が、カラーフィルムで記録されている。こういう記録を残していた、アメリカ軍は、やはりすごいとしかいいようがないと感じるところである。(他に適当な表現が思いうかばないのだが。)
昭和天皇が、自らの意志を明示して政治を動かすことになったのは、二・二六事件のときと、終戦のときと、言われている。それに加えて、昭和3年の田中義一内閣のときのことも、昭和の歴史を考えるうえでは重要なポイントになる。
加藤陽子の『昭和天皇と戦争の世紀』は読んだ本であるが、もう一回読んでみようかと思っている。
どうでもいいことだが、制度的な制約とはいえ、「平成天皇」とか「令和天皇」ということばを使うことが許されないのは、こういう時代のことを語るときに、なんとなく不自由である。見ながら、頭の中で、こっそりと変換して理解することになっている。
2026年3月31日記
ビストロボイス「ミュージカルと歌舞伎の声「城田優×山寺宏一×尾上松也」EP2」 ― 2026-04-02
2026年4月2日 當山日出夫
ビストロボイス「ミュージカルと歌舞伎の声「城田優×山寺宏一×尾上松也」EP2」
これは、ものすごく面白かった。
エンタテイメントはどういうものか、その本質にせまる内容だった。
私は、ミュージカルも歌舞伎も見ない生活をしている、もう世捨て人の老人であると思っているのだが、芸談として見ていて、う~ん、なるほどなあ、と深く思うところがあった。
ミュージカルでも、歌舞伎でも、その舞台の全体を見わたして、どの時点でどれぐらいの声の使い方をすればいいのか、計算していないといけない。でないと、最後になると疲れてしまうし、次の公演にもさしつかえる。こういうものなのだろうなあ、と思う。スポーツ選手でも、陸上や水泳などだと、コースの全体の中でのちからの配分ができないといけない、ということと同じようなことかとも思う。常に全力を出せばいいというものではない。
(しかし、その一方で、自分でも意識しないうちに勝手に体が動いている、ということもあるのだろうとも思う。芸術の神様が微笑んでくれたときである。こういうことについては、言及がなかったが。)
声がいいということは役者にとってとても大事なことだが、それに頼ってはいけない。
声優としての仕事として、いったい誰の声なのか分からないのが理想である、という。これも、そうなのだろうと思う。今の時代、声優という仕事がメジャーになりすぎてしまって、この声は誰の声であるか、このアニメでは誰が声優であるのか、それが、その作品の重要な要素のように広告されていたりする。これも時代の流れとしてそうなのかとも思うが、見ている側としては、誰の声であるか、意識しないで見るというのが、一つのあるべき姿かもしれない。(その意味では、舞台やドラマの役であっても、誰が演じているか関係がないという見方もあっていいのかと思う。おそらく、至高の芸というのは、演者を超えたところに存在すると言っていいのかととも思う。)
実写ドラマの声の方が、アニメよりも難しいというのは、そうかなと思う。すでに完成したドラマの声の部分だけ、変えることになる。これを、オリジナルの役者の声の真似から考えるというのは、役者(演技する者)としての声優の仕事というものの本質なのだろう。
もう今では、外国のドラマの日本語吹き替えというのは、少なくなった。NHKで放送しているものが、いくつかあるぐらいだろうか。個人的経験としては、「コンバット」のサンダース軍曹とか、「スパイ大作戦」のフィリックスなどは、どうしても、その日本語の声とワンセットで、記憶にしみついている。
2026年3月31日記
ビストロボイス「ミュージカルと歌舞伎の声「城田優×山寺宏一×尾上松也」EP2」
これは、ものすごく面白かった。
エンタテイメントはどういうものか、その本質にせまる内容だった。
私は、ミュージカルも歌舞伎も見ない生活をしている、もう世捨て人の老人であると思っているのだが、芸談として見ていて、う~ん、なるほどなあ、と深く思うところがあった。
ミュージカルでも、歌舞伎でも、その舞台の全体を見わたして、どの時点でどれぐらいの声の使い方をすればいいのか、計算していないといけない。でないと、最後になると疲れてしまうし、次の公演にもさしつかえる。こういうものなのだろうなあ、と思う。スポーツ選手でも、陸上や水泳などだと、コースの全体の中でのちからの配分ができないといけない、ということと同じようなことかとも思う。常に全力を出せばいいというものではない。
(しかし、その一方で、自分でも意識しないうちに勝手に体が動いている、ということもあるのだろうとも思う。芸術の神様が微笑んでくれたときである。こういうことについては、言及がなかったが。)
声がいいということは役者にとってとても大事なことだが、それに頼ってはいけない。
声優としての仕事として、いったい誰の声なのか分からないのが理想である、という。これも、そうなのだろうと思う。今の時代、声優という仕事がメジャーになりすぎてしまって、この声は誰の声であるか、このアニメでは誰が声優であるのか、それが、その作品の重要な要素のように広告されていたりする。これも時代の流れとしてそうなのかとも思うが、見ている側としては、誰の声であるか、意識しないで見るというのが、一つのあるべき姿かもしれない。(その意味では、舞台やドラマの役であっても、誰が演じているか関係がないという見方もあっていいのかと思う。おそらく、至高の芸というのは、演者を超えたところに存在すると言っていいのかととも思う。)
実写ドラマの声の方が、アニメよりも難しいというのは、そうかなと思う。すでに完成したドラマの声の部分だけ、変えることになる。これを、オリジナルの役者の声の真似から考えるというのは、役者(演技する者)としての声優の仕事というものの本質なのだろう。
もう今では、外国のドラマの日本語吹き替えというのは、少なくなった。NHKで放送しているものが、いくつかあるぐらいだろうか。個人的経験としては、「コンバット」のサンダース軍曹とか、「スパイ大作戦」のフィリックスなどは、どうしても、その日本語の声とワンセットで、記憶にしみついている。
2026年3月31日記
おとなのEテレタイムマシン「土曜美の朝 心を織るよろこび 染織家 平良敏子」 ― 2026-04-02
2026年4月2日 當山日出夫
おとなのEテレタイムマシン「土曜美の朝 心を織るよろこび 染織家 平良敏子」
沖縄の芭蕉布についてである。芭蕉布というのは、実物を見たことはあるかとも思うが、触ったりしたことはない。こういうのを見ると、柳田国男の「木綿以前の事」を思う。木綿が普及する以前の、昔の布ということになるが、その土地の気候風土からすると、木綿が沖縄にふさわしい布地がどうかは、また考えることになるかと思う。
その織物の仕事とは関係ないことかもしれないが、ちょっとだけ名前が出てきていたのが、大原総一郎。平良敏子は、若いときに倉敷の紡績の会社で働いていたとあった。大原総一郎は、大原美術館に名前を残している。また、大原社会問題研究所もかかわっている。柳宗悦との関係もある。大原総一郎という人物がいて、平良敏子の仕事もあるということでいいのだろう。
芭蕉布については、その染色の技術や染料の歴史というようなことも気になる。あまり、美術とは関係ないことかもしれないが、このようなことを考えてみたくなる。無粋だということは承知しているのであるが。
映っているのを見ると、その手仕事の技は見事である。こういう仕事は、残ってほしいものだと思う。
2026年3月30日記
おとなのEテレタイムマシン「土曜美の朝 心を織るよろこび 染織家 平良敏子」
沖縄の芭蕉布についてである。芭蕉布というのは、実物を見たことはあるかとも思うが、触ったりしたことはない。こういうのを見ると、柳田国男の「木綿以前の事」を思う。木綿が普及する以前の、昔の布ということになるが、その土地の気候風土からすると、木綿が沖縄にふさわしい布地がどうかは、また考えることになるかと思う。
その織物の仕事とは関係ないことかもしれないが、ちょっとだけ名前が出てきていたのが、大原総一郎。平良敏子は、若いときに倉敷の紡績の会社で働いていたとあった。大原総一郎は、大原美術館に名前を残している。また、大原社会問題研究所もかかわっている。柳宗悦との関係もある。大原総一郎という人物がいて、平良敏子の仕事もあるということでいいのだろう。
芭蕉布については、その染色の技術や染料の歴史というようなことも気になる。あまり、美術とは関係ないことかもしれないが、このようなことを考えてみたくなる。無粋だということは承知しているのであるが。
映っているのを見ると、その手仕事の技は見事である。こういう仕事は、残ってほしいものだと思う。
2026年3月30日記
ETV特集「こうして僕らは戦士になった ミャンマー“学生部隊”の素顔」 ― 2026-04-02
2026年4月2日 當山日出夫
ETV特集「こうして僕らは戦士になった ミャンマー“学生部隊”の素顔」
非暴力こそが「正しさ」である、というのは幻想にすぎないと、思い知るべきだろう。すくなくとも、そうは考えない人がいることも認めなければならない。
こういうのが、現実的な判断というべきで、これを、理想的な(観念的なというべきか)非暴力主義で批判することは、筋がちがうと私には思える。キング牧師の言ったことは、それはそれで理想であるとしても、実際には、マルコムXの存在を抜きにして、アメリカの黒人の人権問題の歴史は、語れないだろう。(とはいえ、ガンディーのような人間の生き方もあるべきだとは思うのだが。)
ミャンマーについては、どうしても、軍のクーデターと、その後の軍による独裁政権ということを批判的に見ることになる。そういうことは確かにあるとしても、たとえ欺瞞でしかないとしても、選挙をおこなっていることは、それなりに国家としての秩序が保たれているということもあるだろう。
道路には、自動車が走っているし、マーケットではものを売っている。これが、自動車も走らないし、人はまったくいないし、お店にお売る商品もない……ということだったら、また、別の問題である。
だからといって、今の軍政を肯定することはない。
しかし、ミャンマーが、近代的な国民国家として統合されて、民主的に国家の運営がなされるべき……これは、(日本から見れば)理想であるとしても、どれほど現実的なことなのかとも思う。特に、少数民族が武力抗争をくりひろげている状態では、とにもかくにも、いったんは、強権的な武力で統合してしまうしかない……のかもしれない。民主的で平和的な手続きだけで、武力抗争を終わらせることができるとすると、かなり楽観的にすぎるように思えてならない。まったく不可能だとは思わないけれど。(アラブの春のその後とか、中南米のこととか、いろいろ思うことになるが。)
実際問題としては、ミャンマーがお金持ちの国になって、その富が、地方の人びとにも行きわたるようになれば……ということになるのかとも思う。しかし、それが実現するとしても、かなり遠い将来のことであろう。
ところで、奥地にひそんで戦闘をつづけている学生たちだが、通信につかっているのは、普通のスマートフォンのようである。この場合、通信回線は、どういうのを利用しているのだろうか。それから、スマートフォンの使用が、敵(別に政府軍とはかぎらない)に傍受されることはないのだろうか。
学生たちの軍事費(?)は、寄付などでまかなっているらしい。これも、ミャンマーの山奥で、キャッシュレス決済など使えると思えないし、現金などを使うということになるのだろうか。どういう経済圏の中で生活して、戦っているのだろうか。
その専門家が見れば、持っている銃などが、どこの製造のものか分かるにちがいない。その流通ルートから、さらにその背後にある、いろんな国際的な、ブラックなマーケットとネットワークが見えてくるのかとも思う。
2026年3月31日記
ETV特集「こうして僕らは戦士になった ミャンマー“学生部隊”の素顔」
非暴力こそが「正しさ」である、というのは幻想にすぎないと、思い知るべきだろう。すくなくとも、そうは考えない人がいることも認めなければならない。
こういうのが、現実的な判断というべきで、これを、理想的な(観念的なというべきか)非暴力主義で批判することは、筋がちがうと私には思える。キング牧師の言ったことは、それはそれで理想であるとしても、実際には、マルコムXの存在を抜きにして、アメリカの黒人の人権問題の歴史は、語れないだろう。(とはいえ、ガンディーのような人間の生き方もあるべきだとは思うのだが。)
ミャンマーについては、どうしても、軍のクーデターと、その後の軍による独裁政権ということを批判的に見ることになる。そういうことは確かにあるとしても、たとえ欺瞞でしかないとしても、選挙をおこなっていることは、それなりに国家としての秩序が保たれているということもあるだろう。
道路には、自動車が走っているし、マーケットではものを売っている。これが、自動車も走らないし、人はまったくいないし、お店にお売る商品もない……ということだったら、また、別の問題である。
だからといって、今の軍政を肯定することはない。
しかし、ミャンマーが、近代的な国民国家として統合されて、民主的に国家の運営がなされるべき……これは、(日本から見れば)理想であるとしても、どれほど現実的なことなのかとも思う。特に、少数民族が武力抗争をくりひろげている状態では、とにもかくにも、いったんは、強権的な武力で統合してしまうしかない……のかもしれない。民主的で平和的な手続きだけで、武力抗争を終わらせることができるとすると、かなり楽観的にすぎるように思えてならない。まったく不可能だとは思わないけれど。(アラブの春のその後とか、中南米のこととか、いろいろ思うことになるが。)
実際問題としては、ミャンマーがお金持ちの国になって、その富が、地方の人びとにも行きわたるようになれば……ということになるのかとも思う。しかし、それが実現するとしても、かなり遠い将来のことであろう。
ところで、奥地にひそんで戦闘をつづけている学生たちだが、通信につかっているのは、普通のスマートフォンのようである。この場合、通信回線は、どういうのを利用しているのだろうか。それから、スマートフォンの使用が、敵(別に政府軍とはかぎらない)に傍受されることはないのだろうか。
学生たちの軍事費(?)は、寄付などでまかなっているらしい。これも、ミャンマーの山奥で、キャッシュレス決済など使えると思えないし、現金などを使うということになるのだろうか。どういう経済圏の中で生活して、戦っているのだろうか。
その専門家が見れば、持っている銃などが、どこの製造のものか分かるにちがいない。その流通ルートから、さらにその背後にある、いろんな国際的な、ブラックなマーケットとネットワークが見えてくるのかとも思う。
2026年3月31日記
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