『ことばの危機』東京大学文学部広報委員会(編)2020-07-18

2020-07-18 當山日出夫(とうやまひでお)

ことばの危機

阿部公彦・沼野充義・納富信留・大西克也・安藤宏 東京大学文学部広報委員会(編).『ことばの危機-大学入試改革・教育改革を問う-』(集英社新書).集英社.2020
https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1024-b/

東京大学で、昨年(二〇一九)に行われたシンポジウムを書籍化したものである。内容的には、国語教育改革批判の本である。が、そこは、東大でやっただけのことはある。そうそうたるメンバーでなりたっている。

論点として、そうきわだって目新しい論点のあるという本ではないが、しかし、それぞれの専門分野の第一人者の語っていることだけに、その意味では説得力のある本になっている。

詠みながら、付箋をつけた箇所を一箇所だけ引用しておく。

「ルールを切り替えることで全く新しい世界を導き入れるという行為は、人間の知性の根幹をなすものです。自分が慣れ親しんだ文脈でしか生きていない人は、異なる環境に適応することができませんし、異なる環境から来た人にも上手に対応できない。」(p.49)

第一章 「読解力」とな何か――「読めていない」の真相をさぐる 阿部公彦

ここで、やや強引になるかもしれないが、「古典は本当に必用なのか」の議論にひきつけて考えてみる。まさに「古典」で学ぶのは、過去の日本である。その考え方、心情について、触れることになる。それは、現代とは異質なものである。だが、しかし、一方で、現代にも通じる普遍性をももっている、そのようなものが「古典」ということになる。まさに「古典」を学ぶということは、今の自分とは異なる世界との対話であるといっていいだろう。

現代いわれている社会のグローバル化ということがある。このときに、必用になるのは、自分とは異なる価値観、世界観、人生観を持った人びととどのようにつきあっていくかということになる。このときに、多様な価値観に対応できる柔軟な発想がもとめられる。それを涵養するものが、まずは、文学教育であり、「古典」の教育である……このように考えてみるのだが、これは、牽強付会にすぎるだろうか。

数学や自然科学の分野の普遍性も重要だろう。だが、その一方で、文化や芸術といった分野の多様性を帯びながらも、それをつきつめていくところにある普遍性というものへの認識も重要であると、私は思う。

それから、この本で面白かったところを、もう一つ書いておく。

第三章 ことばのあり方 納富信留

ここで、「論理国語」への批判として、次のようなことを言っている……論理学という学問は実利には役にたつものではない……やはり、ここは、ことばと論理ということについて、改めてたちどまって考える必用があると思うのである。

「古典は本当に必用なのか」ということを考えるうえで、読んで損のない本だと思う。

やまもも書斎記 2019年1月18日
「古典は本当に必要なのか」私見
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/18/9026278

2020年7月7日記

『「勤労青年」の教養文化史』福田良明2020-07-12

2020-07-12 當山日出夫(とうやまひでお)

「勤労青年」の教養文化史

福田良明.『「勤労青年」の教養文化史』(岩波新書).岩波書店.2020
https://www.iwanami.co.jp/book/b505594.html

この本を手にして読んでみようと思ったのは、「教養」ということにある。その歴史的背景に興味があった。今、日本において、特に人文学知は危機的状況にあるといっていいだろう。そのなかでも、近年の話題としては、「古典は本当に必用なのか」をめぐる議論がある。

やまもも書斎記 2019年1月18日
「古典は本当に必要なのか」私見
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/18/9026278

この本を読んで思ったことを書いてみるならば、次の二点だろうか。

第一には、教育格差の問題。

現代における教育をめぐる議論で、もっとも重要な課題となっているのは、教育格差である。「生まれ」によって、その後のその人間の教育の機会均等が損なわれているという問題である。ただ、これは、結果の平等ということで、どのような大学に進学することになるのか、どのような職業につくことになるのか、また、端的にいってしまえば、その人生における年収はどの程度なのか……この平等、不平等をめぐる議論である。

しかし、この本は、この昨今の教育格差の議論からは距離をおいている。この議論のなかで見えなくなってしまいかねない、「教養」への希求に焦点をあてている。

高校進学さえもままならないような時代……戦後のある時代まで……において、なぜ、若者は「教養」を求めたのか。そこには、実利ではない、人間として豊かに生きるための「教養」への熱意があった。それが、近年の教育の現場においては、消滅してしまっているといってよいであろう。

では、なぜ、「教養」への希求がなくなってしまったのか。そこのところの経緯を、この本は追っている。現代の教育格差の議論では見えなくなってしまっている問題点といってよいであろう。

第二には、その「教養」の問題。

進学できなかった「勤労青年」は、「教養」をもとめた。それについては、地方における青年学級であるとか、主に都市部における定時制高校であるとか、『葦』や『人生手帖』という雑誌メディアであるとか……これらについて、実証的に考察してある。さらには、その後のこととして、一般向けの歴史雑誌やNHK大河ドラマにまで、考察がおよんでいる。

結局は、日本社会の高度成長と、進学率の向上によって、「教養主義」というものの没落ということになり、それにともなって、「勤労青年」たちの「教養」への希求も消滅していくことになる。

かつて定時制高校で学んでいた若者たちは、実利……直接すぐに役にたつこと……ではなく、「教養」……人間として豊かになること……を目指していた。このことの指摘は、重要な意味があると思う。

以上の二点が、この本を読んで思ったことなどである。

「古典は本当に必用なのか」という最近の議論について考えてみるならば、まさに、「教養」への希求の消滅ということを時代的背景に考えなければならないということになる。古典不要論はこのようにいう……学校教育の目的は、それを学んだ学生の利益になるものでなければならない、具体的には、年収に反映されなければならないし、公的な学校教育においては、GDPにむすびつくものでなければならない。このような言説に納得するか、あるいは、違和感を覚えるかどうかは別にして、少なくとも、今では、堂々とこのような議論がなされるようになっていることは確かなことである。

教育に実利をもとめる立場については、「教養」というものへのリスペクトの観点が欠けていると思わざるをえない。いや、むしろ、今の時代の風潮として、全体的にそうなってしまっているとすべきかもしれない。

この本は、現代の、そして、これからの「教養」ということを考えるとき、参照されるべき本になっていくだろう。

2020年7月7日記

追記 2021年6月14日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年6月14日
『高校に古典は本当に必要なのか』
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/06/14/9387766

オンライン授業あれこれ(その一二)2020-07-11

2020-07-11 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年7月4日
オンライン授業あれこれ(その一一)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/04/9264573

レポートの提出は、電子メールでということにしてある。これは、最初にオンライン授業の方針を決めて学生に連絡した時点(4月16日)では、電子メールしか学生からのレポート提出の手段がなかったからでもある。その後、大学の授業支援のシステムのバージョンアップで、レポートの提出もできるようになった。しかし、一度出した方針を途中で変えるのは、混乱のもとだと思ったので、電子メール提出ということにしている。

ただ、電子メール提出といっても条件がいくつかある。

まず、大学の電子メールシステムから送信すること。自分で契約しているプロバイダのメールや、Gメールなどからのものは、受理しないということしてある。これについては、中にわずかではあるが、守らない学生がいる。こちらのメッセージ、レポート提出についての注意事項を読んでいないのだろうか。そのような提出に対しては、これは受け取ることができない、大学のメールシステムから送信のこと、と返信して、その後、なんとか提出できているようだ。

電子メールのタイトルは、基本のルールを決めておいた。たとえば、「日本語史第二回レポート(学生氏名)」のように書くこと、としておいた。これも、時々守らない学生がいる。こちらが指定したルールに違反していることを指摘して、再提出を求めることにしている。

それから、気になっていることとして、電子メール提出で、添付ファイル(Word文書ファイル)が多いのだが、ただ、文書ファイルを添付しただけで、本文か空のものが目につく。これは、確かに、こちらが指示したことには違反してはいない。しかし、一般的にいって、電子メールでの提出物のマナーには反しているだろう。すくなくとも、自分の名前と学籍番号、それから、課題を添付ファイルで送信する旨、ちょっと書いておくべきことだと思う。

たぶん、これまで(高校まで)、電子メールでのやりとりというものを経験していないのかもしれないのだろう。これは、基本的マナーとして、やはりどこかの時点で身につけておくべきことだろう。

電子メールでのやりとりというのは、たしかに新しいことではあるが、しかし、その背景には、書簡のやりとりなどの歴史的積み重ねがある。そのうえに、ここ二~三十年の間に、できあがってきた、ルールというべきものがないではない。少なくとも、社会の一般常識としてのマナーというのは存在するだろうと思う。

ただ、これも時代とともに変化してきてはいる。私が電子メールを使い始めたころは、自分の好きな時間に読んで、自分の好きな時間に送信(返信)すればよいものであった。が、このごろは、このような感覚が通用しなくなってきてもいるようだ。(返信はすぐにしなければならない、夜中に送信してはいけない、など)。

が、ともあれ、添付ファイルを送るときに、本文に何も書かずに、添付ファイルだけ送信というのは、今後、指導していくことにしたいと思っている。

2020年7月10日記

追記 2020-07-25
この続きは、
やまもも書斎記 2020年7月25日
オンライン授業あこれこ(その一三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/25/9271484

オンライン授業あれこれ(その一一)2020-07-04

2020-07-04 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年6月27日
オンライン授業あれこれ(その一〇)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/06/27/9262025

さて、いろいろと困ったことが起こるものである。

ある学生から連絡があった。スマホが故障して、修理に時間がかかって、ようやくアクセスできるようになったが、どうしたらいいでしょうか……ということ。

もうすでに、レポートは二回実施して、締め切ってしまっている。レポートは四回の予定。ただ、レポートを出すだけなら、遅れてもいいようなものかもしれないが、ただ、今回は、レポートの講評として、書くべきポイント、採点のポイントなど、すでに学生に示している。これを見ることができる状況なので、同じ基準で評価ということはできない。

このような学生のこともあって、学校のPC教室を利用できるように、特別の配慮があったはずなのだが、その連絡を見ていなかったのだろうか。

スマホしかもっていなくて、たまたま、そのスマホが故障して……という事態は、学生の自己責任ということであつかっていいものか、どうか、このあたりは、いろいろ考えるところである。

また、オンラインのライブ授業(ZOOMとか、Webexとか)であった場合には、さらに困ったことになりかねない。一番、古風な形式かもしれないが、オンデマンドの教材配信という方式であるので、これなら、今からでも、頑張ればなんとかなる。残りの教材配信をちゃんと見て、レポートを提出してくれれば、なんとかできるかと思う。情状を考慮することも可能ではある。

それにしても、大学の事務から、大学のLMSを見るようにという連絡は行っているはずなのだが、見ていなかったのだろうか。このあたりをふくめて、通常の授業があった場合とは違った判断が必用になってくる。通常の授業があった場合なら、学期末の試験を受けて、レポートを提出してあれば、なんとかなる。出席は毎回確認することにしているが、評価にはふくめないという方針でいる。

スマホしか持っていないという学生のことは、配慮すべきことになるかと思う。大学生になれば、パソコンを持っていて当たり前、という前提は通用しないと思うべきだろう。

ともかく、あと二回のレポートをなんとか無事にのりきることにしよう。

2020年7月3日記

追記 2020-07-11
この続きは、
やまもも書斎記 2020年7月11日
オンライン授業あれこれ(その一二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/11/9266868

オンライン授業あれこれ(その一〇)2020-06-27

2020-06-27 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年6月20日
オンライン授業あれこれ(その九)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/06/20/9259458

第二回のレポート提出が終わった。結果的には、次の二点がいえるだろうか。

第一に、提出率が下がったことである。

四月にオンラインでの、オンデマンド教材配信をはじめて、二ヶ月になる。レポートは二回目である。LMSを見ていると、だんだん、学生のアクセスが低下していっているのが分かる。毎週水曜日の朝に、だいたいA4で4ページほどの教材資料を配信している。内容的には、そんなに難しいことを書いているつもりはない。だが、それを読んでレポートを書くとなると、かなりきちんと読んでみないといけないようになっている。ただ、普通の授業があったときのように、漫然と教室に出てきていればよい、という状況ではない。この意味では、オンデマンド方式の方が、学生により緊張感を与えていることになるのかもしれない。

レポートは、第一回のときよりも、提出率が悪い。そもそもLMSを見ていない学生が増えている。これは、おそらくは、学生全体として、オンライン授業についてこれるかどうか、ということの分かれ目にさしかかってきているということなのかもしれない。

第二に、ルールを守らない学生が、少しだがまだいることである。

レポートの評価は、そんなに厳しいものにしていない。基本的なことが書けていれば大丈夫ということにしている。こちらが意図したポイントをふまえたものであればよい。

見ていると、そのポイントをまったく外しているものが、ちょっと目立つ。そんなに難しい課題ではなかったと思うのだが、これは、基本的に、文章を読むちから、書くちから、基礎的なリテラシの問題だろうと思わざるをえない。

レポートを書くということで、そのトレーニングになればと思っている。今回は、あらかじめ、いくつか条件を提示しておいた。段落(パラグラフ)に分けて書くこと、「です」「ます」で書いてはいけないこと、「……と思います」のような表現は使ってはいけないこと、などである。見ていると、これらは、基本的には守っているようだ。

だが、あいかわらず、Gメールなどから送信してくる学生がいる。これは厳しく対応することにしている。オンラインの、電子メールでのやりとりの場合、メールアドレスが何であるかは、重要である。大学の授業の提出物なら、その大学のメールシステムを使うのが、常識だろう。そのシステムのメールが使えることが、学生としての身分証明なのであるから。これについては、受け取らないことにして、再提出を求めることにした。

たぶん、LMSに書いた、レポートの課題を、きちんと読んでいないのだろう。これは、最初、四月のときに、オンライン授業の方針の概要を示したときをふくめて、レポートの課題には、かならず書いて確認してきたことである。それを守っていないということは、LMSのメッセージを、きちんと読んでいないということになる。

以上の二点が、第二回のレポートを見て思ったことなどである。

前期の授業も、半分をすぎた。レポートはあと二回である。オンラインの授業についてくることができる学生と、そうではない学生と、別れることになるのだろうかと思っている。

2020年6月26日記

追記 2020-07-04
この続きは、
やまもも書斎記 2020年7月4日
オンライン授業あれこれ(その一一)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/04/9264573

オンライン授業あれこれ(その九)2020-06-20

2020-06-20 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年6月15日
オンライン授業あれこれ(その八)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/06/15/9257669

第二回目のレポートの提出が遅い。前回のときは、課題を出した翌日からほぼ連続的に毎日いくらかづつの提出があったのだが、今回は遅れている。これは、二回目だから、提出日に間に合えばいいというので、そのつもりでいるのかもしれない。

しかし、LMSを確認すると、レポート提出の課題を見ていない、未読になっている学生がまだかなりの数にのぼる。何らかのかたちでLMSをつかっているのは、私の担当している科目だけではないはずである。他の科目でも使っているはずだから、とにかくアクセスして目にする、ということはあるはずである。それが無いというのは、学生全体がオンライン授業に疲れてきているということなのかもしれない。

ただ、ここにきて思うことを書いておくならば、今回のCOVID-19を契機にして、教育というもの、大学というものへの、考え方が大きく変わってくるだろうとは思っている。従来ならば、時間割が決まっていて、それに従って学校の教室に出てきていればよかった。それが、まず、学校に行く必用がなくなってきている。

科目によっては、リアルタイム双方向(Webexなど)ということもあるが、オンデマンド方式だと、時間に拘束されることがそもそもなくなる。これは、漫然と、学校というものがあり、時間割があり、そこに通うということで成り立っていた学習への意識を大きく変えさせるものになる。

マイナスの面を考えてみるならば、とにかく学校に通うということで持続していた、学習への意欲が続かないということがあるだろう。自分の意志をかなり強固に持っていないと、オンライン学習は続けられない。

しかし、その一方で、従来の学校というシステムになじめなかった学生が、勉強についてきているという面もあるだろうと思ってみる。このような学生にとっては、オンラインの、それも、オンデマンドの授業というのは、逆に、勉強への意欲を継続させるものになるにちがない。

これらを総合的に考えてみるならば、トータルでは、どうにかなっていると考えるべきだろうか。

ともあれ、オンラインの教材配信とレポート(四回)である。前期は、この方針で臨むことにする。ほぼ四週間に一回のレポート、それも、A4で1ページほどである。そんなに負担になっているとも思わない。これをきっかけに、電子メールで、文書を提出することになれてくるならば、それはそれでいいことだろうと思うことにしている。

2020年6月19日記

追記 2020-06-27
この続きは、
やまもも書斎記 2020年6月27日
オンライン授業あれこれ(その一〇)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/06/27/9262025

オンライン授業あれこれ(その八)2020-06-15

2020-06-15 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年6月6日
オンライン授業あれこれ(その七)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/06/06/9254648

毎週、水曜日の朝(午前九時)に教材の配信ということをつづけている。今までのところ、毎回、A4で4ページの分量のものを送信している。これぐらいなら、読むのにもそう負担ではないだろうと思う。また、もしスマホしか持っていないという学生(PCを自分で持っていない)、であっても、Word文書とPDFの両方を配信しているので、なんとかなっているだろうと思う。

この前のレポートの提出率を見ると、たぶんほとんどの学生がなんとかしているという印象はある。普通に授業があったとしても、普段の学生の出席率は半分ほど、試験の受験率は八割ほどであるので、たぶん、普通に授業があったときと同じ程度のことはできているのだろうと思う。

だが、ここにきて一つ気がかりなことがある。それは、学生が教材を見なくなっていることである。教材やレポート課題は、大学のLMSで配信している。学生がそれを見れば、分かるようになっている。もしまだ見ていなければ、未読と表示されるようになっている。

先週、第二回のレポートの課題を出した。すると、その翌日には、電子メールでレポートを提出してきた学生が数名いた。しかし、その一方で、レポート課題の連絡メッセージ自体をまだ見ていない学生が、かなりの数になる。

さかのぼって、以前に配信した教材などについても見てみるのだが、どうやら、徐々に学生が、オンラインの教材配信から離れていっているような感じがしてならない。あるいは、学生の方も、オンデマンドの教材配信、レポート提出(まだ二回目であるが)、に疲れてきているのかもしれない。

四月にオンライン授業となったときには、大学の方針では、ZOOMを使うことはなかった。後になって、Webexを使うことができるようになった。しかし、それは、私が、オンラインでの教材配信の方針を決めて学生に通知した後のことであった。いまから、リアルタイム双方向に方針転換することもできないと思う。既定の方針のままでいくしかないだろう。

ともあれ、今後、第二回のレポートの提出状況を見て、それからまた考えることになるかと思う。

2020年6月14日記

追記 2020-06-20
この続きは、
やまもも書斎記 2020年6月20日
オンライン授業あれこれ(その九)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/06/20/9259458

オンライン授業あれこれ(その七)2020-06-06

2020-06-06 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年5月30日
オンライン授業あれこれ(その六)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/30/9252140

週に一回(水曜日)の教材配信。それにレポートという形式で進めることにしている。第一回のレポートの提出を締め切った。

ざっと読んで思ったことなど書いておくことにする。二点ほどある。

第一には、全体として思ったよりもレベルが高いということ。

通常の授業があったときに出すのと同じ課題で出してみたのだが、例年のレポートよりもできがいい。

これは、漫然と時間割があってそれにしたがって学校に来て教室で話しを聞いているだけ、という状態から、一歩抜け出して、自分で配布された教材を読まなければならないことによるのだろう。だいたい、これまで、毎回、A4の用紙で4ページほどの分量の教材を配布してきている。通常の授業があったときの配布プリント(2ページ)に解説(2ページ)を加えたものである。

ざっと読んで採点してみた印象としては、どうにもこうにもならない、はしにもぼうにもひっかからない、というのはほとんど無かった。だいたいのレポートが、こちらの意図したポイントをはずすことなく書いてある。

この意味では、オンラインでの教材配信というのも、教育的効果はそれなりにあると言っていだろうと判断している。

第二に、しかし、そうはいっても、レポートの要件を満たしていないものが目につく。レポートの書き方を知らないのである。

全体をまったく改行なし、連続して書いてあるのがかなりある。

文体が、「です」「ます」になっているものがある。

「~~と思います」という言い方をしているものがある。これは、学生の意見を求めたものではない。配布した教材に書いてあったことを、課題の趣旨に沿って要約すればよいのである。

このあたりのことは、先週の教材配布のときに、レポートの講評として、学生に示しておいた。今回は、これらのことについては評価の対象にふくめなかった。しかし、次回からは、このようなこと、レポートの書き方の形式的なことについても、評価の対象とするとして、課題を出そうかと思う。この場合、再度、上記のような書き方をしてはいけないと、学生に示す必用がある。

多少、厳しい評価になるかもしれないが、しかし、このようなことは、勉強していく中で、どこかの段階で、指導されなければならないことである。オンライン授業で、その他の科目のレポート提出など増えていることだろうと思う。ここは、守るべきルールを示したうえで、それに沿って書くことを求めることも、必用なことであると思う。

以上の二点が、第一回のレポートの提出を見て、思うことなどである。

それにしても、レポートの課題を見ていない学生が少なからずいる。大学のLMSでは、学生がアクセスすれば、そのことが分かるようになっている。それを見ると、レポート課題を出したときのメッセージを、見ていない学生が存在する。

このような学生については、大学の事務の方に、連絡しておいた。

前期はオンライン授業、期末試験は無し、平常点評価ということになっている。あと三回のレポートである。配布した教材を読んでまとめるという方向でやっていきたいと思っている。そして、レポートの書き方の作法ということについても、おりをみて言及していくつもりでいる。

2020年6月5日記

追記 2020-06-15
この続きは、
やまもも書斎記 2020年6月15日
オンライン授業あれこれ(その八)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/06/15/9257669

オンライン授業あれこれ(その六)2020-05-30

2020-05-30 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年5月23日
オンライン授業あれこれ(その五)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/23/9249568

そろそろ普通の授業を再開という動きがないではないが、基本的には前期の間はオンラインでということになるだろう。

もし、一部の授業を再開したとしても、オンラインとの組み合わせをどうするか、これが新しい問題として起こってくる。リアルタイム双方向(ZOOM、Webexなど)でやっていると、そのために、家に帰る、あるいは、学内でWi-Fiのつながる場所を求めることになる。これは、非現実的である。通常の授業と組み合わせるのなら、オンデマンド方式にせざるをえないと思う。

ところで、第一回のレポートを課題として出して、提出させた(電子メール)。このときに思ったことなど書いておく。

第一には、大学のメールシステムが使えない、使わない学生がいるということである。

このことは、きちんと最初の課題提出のときに書いておいたことである。必ず大学のメールシステムから送信すること。プロバイダメールや、Gmailなどからは、受け付けない。このことは書いておいた。

しかし、Gmailなどで送ってくる学生がいる。これは、不受理として再提出とした。

また、中には、何故か理由は分からないが、大学のメールシステムが使えない、アクセスできないという学生がいる。レポートの課題をLMSで送信しているので、それを見ることができるなら、同じアカウントとパスワードで問題なく使えるはずである。これは、とりあえず、大学の窓口に相談してみなさいということで、特別に受付を延長することにした。

このような学生は、これまで大学のメールシステムを使ったことがないのかもしれない。これから、オンライン授業ということが、なにがしかの形で定着したものになっていくだろう。そのとき、大学のメールシステムが使えない、使わない、ということではすまないはずである。その大学のメールシステムが使えることは、学生としての身分証明なのである。

ここは厳しくして、大学のメールシステム以外から送ってきたものは、絶対に不受理ということにしておきたいと思っている。

第二には、文章が書けないこと。

これは、今にはじまったことではないのだが、レポートの文章を、まったく段落、パラグラフに切らずに、連続して書いてくる学生が非常に多い。これまで、高校のときに、文章を書くときには、段落に分けて書くということを習ってきていないのだろう。あるいは、習ったかもしれないのだが、身についていないということなのであろう。

これは、特に電子メールの本文に書いてくる学生に顕著である。添付ファイルとして、Word文書ファイルで送ってくる学生は、まだましというべきだろうか。ワープロで文章を書くにせよ、電子メールの文章を書くにせよ、文章の書き方の基本をまず学んでおくべきだろうと思う。

ただ、私の担当している授業は、文章の書き方の授業ではないので、今回は、特に減点するなどのことはしないつもりでいる。次回のレポートからは、文章のマナー、ルールにしたがって書くこととして、守っていないものは、減点することにしようかと思う。厳しいかもしれないが、こうでもしないといつまでたっても文章の書き方が身につかないことになる。

以上の二点が、第一回のレポートを提出させて、思ったことなどである。

レポートは、前期の間に四回の予定でいる。次回以降、文章の書き方、文書作成の基本ということも、説明したうえで、課題を出すことにするつもでいる。

2020年5月29日記

追記 2020-06-06
この続きは、
やまもも書斎記 2020年6月6日
オンライン授業あれこれ(その七)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/06/06/9254648

オンライン授業あれこれ(その五)2020-05-23

2020-05-23 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年5月16日
オンライン授業あれこれ(その四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/16/9247182

前期の間、オンライン授業ということになっている。これまでのことで思うことなど書いておく。京都などの緊急事態宣言は解除されたが、しかし、大学の通常の授業再開は、まだまだ先のことになるだろう。

第一には、やはり学生の興味関心、意欲といったものである。

最初に私の担当の科目(日本語史)をオンラインですすめるとの通知を出したのが、四月一六日のことである。履修登録が確定するのを待って、学生に、大学のLMS(Learning Management System)「学生ポータル」で通知した。

しかし、これを今にいたるまで見ていない学生が、一割以上もいる。大学からは、学生ポータルを見るようにと通知があったはずなのだが、それでも見ていない。これは、私にはどうしようもない。

そういえばであるば、これまでも、毎回の授業の教材プリントは、授業が終わったあとで、PDFにして、この学生ポータルにアップロードしてきた。しかし、これも、学生ポータルにおいてあります、と言っても、分かってくれない学生がいたりした。どうも、学生には、あまり認知されていないシステムなのかもしれない。

どのような形式でオンライン授業を行うかは、まず、これを見てくれないことにははじまらない。

また、リアルタイムの双方向通信(ZOOMやWebexなど)の方が、あるいは、学生の興味関心をひいたかもしれないとは思うところがないではない。しかし、私が、最初に方針を示した時点では、大学としては、ZOOMの導入の予定はなかった。その後、Webexの採用ということになった。また、学生への教材配布やレポート提出のシステムとして、C-Learning というのがあるのだが、これも、その時点では、簡単な選択肢のテストをするぐらいしか機能がそなわっていなかった。これも、その後、拡充されて、レポートや添付ファイルの送信ということができるようになった。

私が、オンライン授業の方針をどのようにするかを決めた時点(四月一六日)では、LMSによる教材配信と、電子メールによるレポート提出というのが、もっとも現実的であった選択だと、今になっても思う。

やはり、LMSによる、オンデマンドでの教材配布と、レポート提出というのは、PCなどの機材、インターネットへの通信環境という点での負担は、最も少なくてすむかもしれないが、学生の興味関心、意欲の持続という面からすると、逆にハードルの高いものであったかとも思う。

だが、これも、本当にやる気のある学生が取り組んでくれるということなら、本来の姿であるといえるのかもしれない。ただ、漫然と、大学に出てきて、時間割どおりに教室に座っている、というだけの学生生活から、一歩先んじて、自分で学ぶ意欲のある学生でないとついてこれない。これはこれで、意味のあることかもしれない。

第二には、レポートの送信である。

第一回のレポートの課題を出した。締切は二週間後としておいたのだが、早々と提出する学生がいる。しかし、これも見ていると、ルールを守っていない学生がいる。提出の絶対条件として、レポートの送信は、大学のシステムのメールをつかうようにと指示してある。プロバイダメールや、Gmailなどからのものは、受理しないとしてある。

だが、それにもかかわらず、指定した大学のシステム以外のメールで送ってくる学生がいる。私の提示したレポートの課題について、きちんと読んでいないのだろうか。あるいは、どのメールのシステムから送信しても、そんなことは、どうでもいいと思っているのだろうか。

学生の課題レポートの送信である。これは、大学のシステムのメールを使うのが、常識であると私は思っている。もし、学生が卒業して就職すれば、その就職先の企業のメールアカウントを使うことが必須になるだろう。すくなくとも、仕事のメールはそうであるにちがいない。これとは別に、個人のプライベートなメールアカウントを持っていることは、自由であるが、仕事には使うべきではないだろう。

このようなこと、学生のときに、きちんと習慣づけておく必用があると思って、大学のメールシステムからの送信を必須としている。そうでないものについては、再提出をもとめることにしている。

以上の二点が、今のところで思っていることなどである。

レポートの課題をしめしたメッセージをまだ読んでいない学生も、かなりいる。これは、私としては、もうどうしようもない。来週には、第一回のレポートの締切ということになる。いったいどれほどの学生が、きちんと提出してくれるかと思っている。

2020年5月22日記

追記 2020-05-30
この続きは、
やまもも書斎記 2020年5月30日
オンライン授業あれこれ(その六)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/30/9252140