『明治天皇』(四)ドナルド・キーン2018-02-17

2018-02-17 當山日出夫(とうやまひでお)

ドナルド・キーン.角地幸男(訳).『明治天皇』(四)(新潮文庫).新潮社.2007 (新潮社.2001)
http://www.shinchosha.co.jp/book/131354/

続きである。
やまもも書斎記 2018年2月3日
『明治天皇』(三)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/03/8781281

この第四巻は、歴史としては、日露戦争から明治天皇の崩御にいたるまでの、明治のおわりの時期のことになる。

読んで印象にのこったことは次の二点だろうか。

第一は、日露戦争。この本は、冷静に日露戦争のことを描いている。読んでみての印象としては、結局、朝鮮半島から満洲にいたる地域の権益をめぐっては、日本とロシアとは戦わざるをえなかったというふうに描いてあると読める。今日の観点からは、日露戦争は、侵略戦争という位置づけができるのかもしれないが、本書では、そのような立場をとってはいない。

そして、世界の歴史のなかで日露戦争を見る視点を忘れてはいない。なぜ、イギリスが日本と同盟することになったのか。また、なぜ、アメリカが和平の仲介に乗り出すことになったのか。このあたりの国際情勢が冷静な筆致で語られる。

第二は、安重根の伊藤博文暗殺事件と、幸徳秋水の大逆事件である。どちらも、明治国家にとっては重大事件である。が、記述のなかで印象に残ることとしては、安重根も、幸徳秋水も、ともに、明治天皇には畏敬の念をもっていた、という指摘である。

明治政府、日本国家に対しては、たしかに反逆したということになる。だが、明治天皇という人(といっていいだろうが)、に対しては、好意的な立場であったことが、二つの事件の記述の中に見える。これは、意外な指摘であるという印象であり、また、明治天皇という一人の近代国家の君主が、その当時の人びとにとって、きわめて魅力的な存在であったということでもある。

以上の二点が、四冊目を読んで、強く印象に残ることである。

明治という時代、近代国家としての日本の成立、このような歴史的背景とは別に、一人の君主としての明治天皇という存在がある。明治天皇を抜きにしては、明治という時代、明治維新という歴史的出来事を語ることはできない。しかし、その一方で、明治天皇という一人の君主は、抜きん出て人を魅了するところがある。明治大帝といわれるゆえんであろう。

別の角度からみれば、たまたま明治維新がおこったときに天皇の地位にいただけのことであったのかもしれない。だが、そうであるにしても、その後、45年間にわたって、「明治」という時代を背負ってきたという歴史的事実の重みがある。これもたまたま明治という年号がつづいた(一世一元)というだけのことかもしれない。だが、そう思って見ても、「明治」という時代ととにあった明治天皇の偉大さというものが、減ずるものでもない。

日本の近代において、明治維新の後、明治天皇という偉大な君主のもとに日本の近代化がすすめられてきた。むろん、それに併行して、社会のひずみや犠牲という面もあったにはちがない。だが、そのようなことをふまえてもなお、明治天皇の残した足跡は偉大であるといわざるをえない。

ドナルド・キーンの『明治天皇』は、特に、新出の史料によって斬新な歴史観を打ち出したという本ではない。多くは既存、既刊の史料、文献によっている。その量は膨大である。その資料をもとに、明治という時代と、明治天皇という君主の一代を描いた本書は、明治150年をむかえた、今日においてこそ、さらに読まれるべき本だと思う。

『明治天皇』(三)ドナルド・キーン2018-02-03

2018-02-03 當山日出夫(とうやまひでお)

ドナルド・キーン.角地幸男(訳).『明治天皇』(三)(新潮文庫).新潮社.2007 (新潮社.2001)
http://www.shinchosha.co.jp/book/131353/

続きである。
やまもも書斎記 2018年1月22日
『明治天皇』(二)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/22/8774280

三冊目である。この巻は、普通の日本史でいえば、憲法の制定から、日清戦争のころまで。三冊目まで読んで思うことなど、いささか。

第一は、閔妃暗殺の事件に一つの章をつかってあること。この事件のことをめぐっては、普通の日本史の教科書などでは、そう大きくあつかうことはないだろうと思われる。が、この事件は、日本の近代の歴史を考えるとき、はずせないことでもある。

というのは、この『明治天皇』という本は、確かに、明治天皇というひとりの君主の生涯を追っている評伝・歴史書ではあるのだが、同時に、その当時の世界における日本、特に東アジアにおける日本という観点をもって書かれているからでもある。日本だけから見た日本になっていない。(このあたり、ドナルド・キーンという外の目から見た日本であるということになる。今では、著者は、日本国籍であるが。)

第二は、上述のこととも関連するのだが、明治国家にとっての最大の課題として、条約改正を描いていることである。治外法権をみとめ、関税自主権が無い、という不平等条約の改正こそが、明治国家の最大の課題であったという視点がつらぬかれている。

思い起こせば、明治の初めの岩倉使節団の欧米への派遣も、条約改正を視野にいれての準備であったと記述されていた。

現在の日本は、不平等条約のもとにはない。(まあ、在日米軍の問題があるにはあるのだが。)だからであろうか、明治国家の最大の目標が、不平等条約の改正にあったということが忘れ去られてしまいがちである。だが、著者の立場からすれば、世界のなかにおける日本ということを考えるとき、諸外国とどのような条件で条約をむすんでいたのかは、最大の課題ということになる。

以上の二点が、第三巻を読んで強く印象にのこっているところである。

東アジアにおける日本を国際的な視点から見る……このことの一つのあらわれが、第50章「清国の「神風連」」かもしれない。中国近代史では義和団の事件である。このことにかなりのページがつかってある。

これは、幕末から明治にかけての日本の歴史……開国から明治維新……におけるナショナリズム、これを、東アジア全体の流れのなかにおいて見ようという発想からくるものだと思って読んだ。日本におけるナショナリズムの動きが、尊皇攘夷運動から明治維新にいたったとして、では、となりの中国ではどうであったか、義和団の件を軸に記述してある。中国では欧米列強の侵略に対してどう対応したのであろうか。

また、閔妃暗殺事件の流れの裏には、朝鮮におけるナショナリズムをめぐる様々な動きを無視できないとも読み取れる。それが、近代の日本との朝鮮との関係のなかで、不幸な事件をひきおこした遠因であるとも解釈できる。(直接的には、そのように書いてあるというのではないのだが。)

この本は、19世紀の日本、明治という時代を描きながら、同時に、東アジアの歴史における日本を見る視点の重要性を教えてくれる。このような歴史の視点は、まさに著者として人を得て書かれたというべきであろう。

追記 2018-02-17
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月17日
『明治天皇』(四)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/17/8789356

『明治天皇』(二)ドナルド・キーン2018-01-22

2018-01-22 當山日出夫(とうやまひでお)

新潮文庫版の『明治天皇』の二冊目である。

一冊目については、
やまもも書斎記 2018年1月20日
『明治天皇』(一)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/20/8773017

ドナルド・キーン.角地幸男(訳).『明治天皇』(二)(新潮文庫).2007 (新潮社.2001)
http://www.shinchosha.co.jp/book/131352/

この二冊目で描かれるのは、明治維新から、明治十四年の政変、自由民権運動(植木枝盛)ぐらいまで。明治維新を経て、東京に政権が確立してから、近代的な国民国家になっていく、まさにその出発点のできごとが、基本的に編年式に語られる。

この巻を読んで印象に残るのは、やはり西南戦争である。西郷隆盛の征韓論からの動き、不平士族の騒乱、そして、おこる西南戦争とその決着。この一連のながれについては、『翔ぶが如く』(司馬遼太郎)が描いたところでもある。

ちなみに、『翔ぶが如く』は、二回読んでいる。司馬遼太郎の小説は新聞連載が基本だから、途切れ途切れに読んでも筋が追っていける。電車の中で読む本と決めてカバンの中にいれておいて、昔の若い頃に読んだ。『坂の上の雲』も、電車の中で読んだ本である。

それを読んでの知識が事前にあったせいかもしれないが、歴史上起こった西南戦争を、より客観的に、東京にいる明治天皇の視点ではどのような出来事であったのか、という冷静な記述に、ある種の感銘をうけて読んだ。

この『明治天皇』(新潮文庫)の二巻目まで読んで思ったことなど、いささか書くとすれば、次の二点であろうか。

第一には、著者(ドナルド・キーン)は、アメリカの人(今では、日本国籍であるが。)この本は、その外国の目から見た日本の近代史である。普通の日本の歴史……学校の教科書に出てくるような、あるいは、一般の歴史小説で描かれるような……とは、異なる視点から歴史を見ている。

そのことがよく分かるのは、沖縄の問題。明治になって、沖縄県が設置されるまで、沖縄は琉球国という独立国であった。それが、半分は清朝に朝貢し、かたや薩摩藩の支配下にもある、という二重の立場であった。この沖縄が、明治になって、日本国の領土に組み入れられプロセスを、かなりのページをつかって記述してある。

一般の学校の日本史の教科書であれば、沖縄は、はるか古代から日本の領土の一部であったという立場である。このような立場を、著者(ドナルド・キーン)はとっていない。あくまでも、近代になってからの日本の領土としての沖縄ということで、記述してある。

これは、北海道についても同様な視点がある。北海道、樺太、千島、これらの領土が確定したのは、明治になってからロシアとの交渉があってのことである。それまで、北海道(蝦夷)は、完全に幕府の支配権の及ぶところではなかった。

また、明治14年のこと、ハワイ王国の王(カラカウア)が日本をおとづれている。このことに一つの章がつかってある。ハワイもまた、近代になってから、アメリカの領土に組み込まれた新しい土地である。明治のこのころには、ハワイはまだアメリカのものではなかった。そのハワイと明治政府との間で条約が結ばれている。幕末にアメリカと結んだ不平等条約のようなものではなく、これは対等なものであった。

このような視点で、日本の近代史を語ることは、普通の日本史では希なことだと思う。少なくとも、学校で教えている日本史では出てこない。

第二に、第二巻まで読んでも、明治天皇その人の声とでもいうべきものは、ほとんど見えてこない。『明治天皇紀』によって、史実が淡々と記述される。希に明治天皇の思いが出てくると、それは、和歌によってである。

そして、その明治天皇であるが、第一巻から読んでくると、孝明天皇の皇子として京都で生まれたものの、帝王教育というようなものはうけていない。塀の奥の、京都の御所の奥深く、一般の市民とは隔絶したところで育った。それが、明治維新になって東京に出てくることになって、外国からの賓客と接する必要がおこるようになって、また、明治宮廷の近代化ということが行われることになって、徐々に、近代的な天皇らしくなっていく。また、メディアにおける天皇のイメージ……錦絵であったり、写真であったり……も、明治なってから、徐々に形成されていくことになる。

ところで、天皇で思い出すのは、今上天皇のこと。その退位の意向を示されたメッセージのなかで、日本各地を旅して人びとの暮らしによりそうことが象徴天皇としてのつとめである旨のことを、語っておられた。このような天皇のあり方は、先の昭和天皇をひきついでいるものでもあろう。

天皇の巡幸ということは、明治になってからの「発明」(この用語は著者はつかっていないが)である。例えば、伊勢神宮でも、明治になるまで天皇が参拝するということはなかった。

近代になってからの明治天皇のイメージというものも、やはり明治になってから創り出されてきたものであり、それには明治天皇自身の意思も働いていたところもあるし、周囲の重臣たちの意向でそうなっていったというところもある、この年代的な変化が、編年的に語られる『明治天皇』を順番に読んでいくと、感じ取れるところである。

以上の二点が、第二巻までを読んで思ったところである。

次の第三巻は、憲法の制定から、日清戦争のできごとになる。楽しみに読むことにしよう。

追記 2018-02-03
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月3日
『明治天皇』(三)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/03/8781281

『明治天皇』(一)ドナルド・キーン2018-01-20

2018-01-20 當山日出夫(とうやまひでお)

ドナルド・キーン.角地幸男(訳).『明治天皇』(一)(新潮文庫).新潮社.2007 (新潮社.2001)
http://www.shinchosha.co.jp/book/131351/

以前に新潮社から『明治天皇』(上・下)として出ていたものを、文庫版にして四巻にしたもの。順番に読んでいっている。まずは、第一冊目からである。

第一巻は、明治天皇の生いたちから、明治維新、東京遷都のころまでをあつかっている。読んでみて思ったこととしては、まさにこの本は、書かれるべくして、人を得て書かれた本であるという印象である。いうまでもなく、著者(ドナルド・キーン)は、アメリカでの日本文学研究の第一人者。その著者が、明治天皇という、日本近代の天皇の評伝を書いている。

読んで感じるところは、実に平明で、バランスのとれた、そして、史実にのっとった記述になっているということである。

もとは英語で書かれた本を、日本語に訳してある。だが、その執筆(翻訳)にあたっては、日本で刊行された史料によっている。この本で、引用してある史料については、原文に依拠して記載してある。(英語で書かれたものを、日本語の史料にもとづいて、その箇所をあつかってある、ということである。原文が漢文のものは書き下しで示してその後に現代語訳の説明があるので、一般にわかりやすい記述になっている。つまり、英語を介した日本語にはしていない。)

特殊な史料によっているということはない。基本的に公刊されている史料、記録類によっている。この本の記述は、基本的に『明治天皇紀』にしたがっているとみていいだろう。また、そこに描き出される明治天皇のイメージも、きわだって特殊ということではない。その時代の、その史料によって、自ずから描き出される明治天皇像である。

各章ごとに詳細な注がついている。史料の典拠がしめしてあり、異説・異論のあるものは、その旨が書いてある。

第一巻は、父である孝明天皇のことからはじまる。明治天皇の出生から、明治になって天皇が東京に行くまでのことが書かれている。幕末史であり、主に京都の宮廷から見た明治維新史でもある。それが、ほどよい密度で、典拠とすべき史料に依拠して記述してある。簡略にすぎることもないし、細かすぎて読むのに苦労するということもない。極端に保守的でもないし、また、逆に反体制的という立場でもない。幕末から明治維新にかけての時代背景のもとに、京都の宮廷、明治宮廷がいかに対応してきたか、冷静な筆致で描かれている。基本は、編年式に年代を追って記述してあるが、テーマによっては紀伝式に事柄の筋をたどってある。

読みながら、かなりの付箋をつけてしまったのだが、その中のいくつかを見ておくことにする。二つばかりについていささか。

第一は、五箇条の御誓文である。明治維新になって、新政府の方針を示した指針として、私などの世代であれば、学校の歴史の教科書に載っていたのを覚えた記憶がある。この五箇条の御誓文は、まさに「御誓文」という名がしめしているとおり、神道の形式にのっとっている。

この意味では、明治という新しい時代の幕開けを象徴する史料(出来事)でありながら、その復古的な面(王政復古によって明治政府は誕生した)も、同時に持っていることになる。

ここからはさらに、なぜ「御誓文」という神道による形式で、明治新政府の方針が公にされることになったのか、その歴史的、文化的な意味を考えることが必要になってくるだろう。この『明治天皇』では、そこのところまでの考察はなされていない。だが、神道によっていることの指摘はきちんとしてある。

第二は、歌である。明治天皇は歌人でもあった。その歌について、著者(ドナルド・キーン)は、次のように記している。

「これらの和歌には、詠み手の感情や個性がほとんどうかがわれない、いや皆無と言ってもいい。天皇と皇后は、過去千年間の無数の宮廷歌人とまったく同じ作法で春のおとずれの喜びを歌っている。言い回しや言葉の影像に独創を取り入れようという意図などまったく無い。韻律的に正確なこれらの和歌を詠むことは、伝統的な宮廷文化に精通していることを示すにとどまった。」(p.456)

明治になるまで……極言するならば正岡子規が登場するまで……宮廷和歌とは、このようなものであったし、それでよかったのである。これはこれで、歌の伝統である。むしろ、このような、ある意味でのマンネリは評価されるべき面でもある。

以上の二点ぐらいが、書き留めておきたいと思ったことである。

この第一巻から読み取れる歴史としては、明治維新、王政復古ということは、京都の宮廷から望んだことではなく、幕末の時代、倒幕という時の勢いにのせられて、そうなってしまった、ということらしい。孝明天皇は、攘夷主義者であったし、公武合体の立場であった。それが急死してしまい(その死は謎につつまれているようだが)、幼い明治天皇の時代になって、大政奉還、明治維新ということが起こってしまった、このように、京都の宮廷から見ればなるのだろうか。

御誓文という神道の形式、また、歌に象徴される京都からの伝統文化をひきついだものとして、明治宮廷は、明治維新、文明開化の時代をむかえていくことになる。それは、第二巻以降になるのだろう。楽しみに読むこととしたい。

追記 2018-01-22
この続きは、
やまもも書斎記 2018年1月22日
『明治天皇』(二)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/22/8774280

NHK『美子伝説』2018-01-04

2018-01-04 當山日出夫(とうやまひでお)

2日の夜の放送。録画を3日の昼間に見て文章を書いている。

時空超越ドラマ&ドキュメント 美子伝説
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/93016/3016039/index.html

NHKがお正月番組として、ちからをいれてつくった放送だと思う。面白かった。思ったことを言えば、明治宮廷版「坂の上の雲」というところか。

そういえば、『坂の上の雲』の小説(司馬遼太郎)には、明治天皇はほとんど登場していなかったように覚えている。NHKドラマの『坂の上の雲』には、明治天皇が登場していた。明治宮殿のシーンがかなりあった。しかし、その皇后、美子(はるこ)については、登場していなかった。

思ったことなど、いさかか。次の三点について書いてみる。

第一に、美子皇后の開明性。

明治になって近代日本がスタートした。まあ、これは、常識的な知識。近代というものを、明治以前、近世期にその萌芽を見いだす歴史観もあることは承知している。

やまもも書斎記 2017年11月24日
『「維新革命」への道』苅部直
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/11/24/8733452

明治なって、立憲君主国の建設を目指す日本にとって、皇室の近代化というのは、喫緊の課題であった。その課題に、堂々とこたえたのが、明治天皇よりもむしろ、美子皇后であった、ということになる。たとえば、美子皇后が、洋装でメディア(写真)に現れたことのインパクトの大きさが、描かれていた。

あるいは、(近代の)皇室というのは、明治になってからの日本の「発明」であるともいえる。立憲君主国としての明治国家は、このようにとらえることもできる。明治になって新しい皇室がもとめられたとき、それまで千年以上の間、京都にいた、皇室はどうしたのか。

明治天皇は、「攘夷」の人。外国人嫌い。それに対して、美子皇后は、「文明開化」の人、といえようか。えてして、明治天皇というと、日清・日露の戦いを指導した武勇のイメージがつよい。しかし、それは、明治政府が、意図的に創り出した近代国家、明治国家にふさわしいとされる天皇像であったことになる。

第二に、天皇と皇后が、日本における家庭、夫婦を象徴するものであること。

明治天皇と美子皇后が、馬車に同乗して一般の人びとの前にすがたを表したというのは、画期的なことだったらしい。その姿を描いた錦絵に当時の人びとは驚いたという。

天皇家のあり方というのは、その時代の一般の国民の、家庭・家族についての考え方を反映している。あくまでも一家の家長としての威厳を保ち外で仕事をする天皇。それに対して、内向きのことに専念するという立場の皇后。そのイメージの原型とでもいうべきものが、明治天皇と美子皇后にある。

また、皇后には子供ができず、跡継ぎの子供は、側室の子であるというのも、明治ならではことであろう。その子供も多くは夭折している。これも、昔のはなしである。

ちなみに、大正天皇の生母、柳原愛子と、柳原白蓮(歌人)が姻戚関係にあったことについては、この番組を見て始めて知った。

ともあれ、天皇家のあり方が、一般の国民の家族観、夫婦観にかかわっていることは、昭和の時代、そして、今の平成の時代になっても、そのようなものとしてあることは、実感されるところである。大正天皇の結婚式は、近代的な結婚のモデルとなるものであったし、また、今上天皇の結婚は、まさに戦後の自由な恋愛を象徴するものでもあった。(内実、どのようにことがはこばれたかは別の問題として。)

第三に、歌。

明治天皇が歌をたくさん詠んでいたことは知っていた。が、美子皇后も歌を詠んでいる。

そういえば、むかし角川文庫で、明治天皇と昭憲皇太后の歌集が出ていたはずであるが、今は、どうなのだろうと思う。(ちょっと見てみると、今では、もう売っていないようだ。私の記憶では、明治神宮に参拝に行ったとき、売店で角川文庫本を売っていたのを覚えている。)

天皇あるいは皇后の歌は、狭義の歌、文学としてどうこう言うべきものではない。その立場(天皇であり皇后でありという)から、国と国民を思って、その思いを述べるものであると考えている。(このあたりは、昔、学生のころにならった、池田彌三郎先生などの考えていたことである。)

明治天皇は、日常的に歌を詠んでいた。このことについては、かなり以前に書いたことがある。米窪明美の本も、番組では資料として使われていた。

やまもも書斎記 2016年5月29日
米窪明美『明治天皇の一日』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/05/29/8097931

やまもも書斎記 2016年6月13日
米窪明美『明治宮殿のさんざめき』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/06/13/8110191

以上の三点が、テレビ(録画)を見ながら思ったことなどである。

それにしても、美子皇后(昭憲皇太后)の『昭憲皇太后実録』が刊行になったのが、近年のこと(2014)とは、改めて驚く。近代の皇室、天皇の歴史は、これからの研究課題である。

昭憲皇太后実録

原武史の『皇后考』(講談社学術文庫)は買ってある。これも読まなければと思った次第。それから、ドナルド・キーンの『明治天皇』も読もうと思ってまだ読めていない。これも読んでおきたい本の一つになる。

明治150年の今年、明治という時代を考えて本を読んでいきたい。「美子伝説」は、明治150年という年の初めにふさわしい番組であったと思う。

『「維新革命」への道』苅部直2017-11-24

2017-11-24 當山日出夫(とうやまひでお)

苅部直.『「維新革命」への道ー「文明」を求めた十九世紀日本ー』(新潮選書).新潮社.2017
http://www.shinchosha.co.jp/book/603803/

全部で11の章からなるが、1章から8章までが『考える人』に連載に加筆したもの。9章から11章までは、書き下ろし。そのせいか、連載部分とその後の部分で、随分と論調が異なる。

本書のサブタイトル「「文明」を求めた十九世紀日本」が、『考える人』の連載部分にはよくあてはまる。

一般に、中学・高校などで習う歴史の知識としては、明治維新によって日本は文明開化の道を歩みはじめ、近代国家を建設していった、ということである。それがまったく嘘ではないにしても、いくぶんの問題のある歴史観であることは、すこし歴史にかかわる勉強をすればわかる。

明治になるまえから、江戸時代から、すでに日本においては、近代的な社会の諸制度、思想、文化とでもいうべきものがあった、というのがひとつ。

それから、明治になったからといって、すぐに全面的に近代社会になったのではなく、前近代的な要素を多分にふくんでいた社会であった、ということがひとつ。

この本は、このうちの前者……江戸時代のうちに、すでに日本では、近代的とでもいうべき、各種の要因が芽生え始めていた、ということを、論じている。例えば、本居宣長に「進歩」の思想を見いだしたりしている。

それと、この本の特に書き下ろし部分でのべてあることは、「文明」「開化」とは、いったい何であったかの考察である。その当時の資料、史料をみながら、明治期に生きた人びとにとって、明治維新によっておこった社会の変革がどのように映じていたかを、述べてある。

これは、この本のはじめの方でのべてあること……明治維新というが、これは、「復古」なのか、「革命」なのか、という論点の提示。新しい日本の建設が、なぜ、「王政復古」という復古的な制度としてスタートしたのか。そして、なぜ、「維新」という語が選択されてきたのかの考察。

本書の内容は、ざっと以上のようになるだろうか。

近世から明治にかけての、特に、近世後期の社会の制度、学問、思想のありかたを手際よく整理してある。明治維新の以前に、江戸時代において、すでに近代につながる様々な萌芽が見いだせる。これ自体は、特に目新しいものではないと思うが、この本のような形で整理してあると、説得力のあるものとして読める。

ただ、後半の9章~11章が、どうも堅苦しい。雑誌連載をもとにしたものではないせいか、いかにも生硬な議論という印象がある。(私の読んだ印象として、結局、この本は明治維新について、何をいいたかったのか判然としなかった。)

が、ともあれ、明治維新ということについて、江戸時代からの流れで考えるとう視点と、その明治維新の時代にあって、人びとはどのようにその出来事をとらえていたのか、という視点、この二つの観点が重要であることは、理解できたかと思う。

ところで、来年のNHKの大河ドラマは、西郷隆盛が主人公である。明治維新関係の書物がいろいろと出ることになるだろうと思う。テレビをみながら、いろいろと気になる本を読んでいきたいと思っている。

『日本の近代とは何であったか』三谷太一郎(その六)2017-07-06

2017-07-06 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。
やまもも書斎記 2017年7月1日
『日本の近代とは何であったのか』三谷太一郎(その五)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/07/01/8607561

三谷太一郎.『日本の近代とは何であったか-問題史的考察-』(岩波新書).岩波書店.2017
https://www.iwanami.co.jp/book/b283083.html

第4章「日本の近代にとって天皇制とは何であったか」

この章のポイントは次の二点になるだろう。立憲君主制のもとにおける天皇と、教育勅語における天皇である。

第一には、明治になってから、近代国家としての日本の統合のために、「基軸」となるものとして、天皇制が必要であったことの指摘である。これは、明治の近代国家の古さをしめすものではなく新しさをしめすものとしてである。

ヨーロッパの近代国家は、中世から「神」を継承してなりたっている。しかし、日本は、それをしなかった。いや、それをしようにも「神」が不在であった。また、仏教がそれにとってかわることもできなかった。廃仏毀釈のためである。その結果、

「ヨーロッパ的近代国家が前提としたものを他に求めざるをえません。それが神格化された天皇でした。」(p.216)

「日本における近代国家は、ヨーロッパ的近代国家を忠実に、あまりにも忠実になぞった所産でした。」(p.217)

近代における天皇には、二つの側面があったという。一つは、天皇機関説であり、もうひとつは神聖不可侵性である。この両者は両立し得ない。そして、この後者から導き出されたのが、教育勅語である、とする。

第二は、その教育勅語についてである。

「憲法ではなく、憲法外で「神聖不可侵性」を体現する天皇の超立憲君主的性格を積極的に明示したのが「教育勅語」だったのです。「教育勅語」は、伊藤が天皇を単なる立憲君主に止めず、半宗教的絶対者の役割を果たすべき「国家の基軸」に据えたことの論理必然的帰結でした。」(p.226)

その制定の経緯について解説して、

「道徳の本源は中村案における「神」や「天」のような絶対的超越者ではなく、皇祖皇宗、すなわち現実の君主の祖先であるという意味では相対的な、しかし非地上的存在という意味では超越的な、相対的超越者に移りました。」(p.237)

「こうして教育勅語は国務大臣の副署をもたないものとなり、それによって立憲君主制の原則によって拘束されない絶対的規範として定着するにいたったのです。」(p.240)

以上の二点のように、立憲君主としての天皇、それから、教育勅語の問題にふれて、さらにこうある。

「立憲君主としての天皇と道徳の立法者としての天皇との立場の矛盾は消えることはありませんでした。」(p.241)

「相互矛盾の関係にある両者のうちで、一般国民に対して圧倒的影響力をもったのは憲法ではなく教育勅語であり、立憲君主としての天皇ではなく、道徳の立法者としての天皇でした。「国体」観念は憲法ではなく、勅語によって(あるいはそれを通して)培養されました。教育勅語は日本の近代における一般国民の公共的価値体系を表現している「市民宗教」(civil religion)の要約であったといってよいでしょう。」(pp.241-242)

また、憲法は一般国民のあずかり知らぬものであっともある。大学教育前の段階で憲法教育はおこなわれなかったとして、

「大学教育を受けない多数の国民に対しては、政治教育はなかったといってもいいすぎではありません。」(p.243)

その一例として、吉野作造の「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」も、多数の国民に広く影響のあったものではないと指摘する。(p244)

結果として、「日本の近代においては「教育勅語」は多数者の論理であり、憲法は少数者の論理だったのです。」(p.245)

そして、結論にはこのようにある……象徴天皇制の今後について、どのようにあるべきなのか、それは、天皇自らがどのように語りうることであるのか、また、それは、国民としてどうとらえるべきなのかが、課題であると(p.246)

つまり、この第4章から次のようなことが読み取れよう。

第一に、憲法(明治憲法)は、たしかに立憲君主制を規定したものであったが、それは、ある意味で、非常に近代的なものであった。

第二、大多数の国民にとって、日本のあるべきすがた「国体」をしめしていたのは教育勅語の方であった。

以上の二点を読み取るとするならば、例えば、昨今の話題になるようなことがら……憲法改正、それは、明治憲法の昔にもどすことであるのかもしれないという懸念、あるいは、教育勅語もいいところはあるのだから否定せずに現在でも継承すべきであるというような意見……これらの議論に、冷静な視点を提供してくれることなるだろう。

いたずらに明治憲法を悪の根源であるかのごとくみなすのもどうかと思えるし、一方で、教育勅語を復権させようという動きも、その成り立ちの本質を理解したうえでのことではないと批判することもできるだろう。

ともあれ、憲法と教育勅語をめぐる議論は、いまこそ冷静に考え直されなければならない論点であることは確かである。

『日本の近代とは何であったのか』三谷太一郎(その五)2017-07-01

2017-07-01 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。
やまもも書斎記 2017年6月29日
『日本の近代とは何であったか』三谷太一郎(その四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/06/29/8606332

三谷太一郎.『日本の近代とは何であったか-問題史的考察-』(岩波新書).岩波書店.2017
https://www.iwanami.co.jp/book/b283083.html

第4章を読みかけたところで、ふと付箋をつけた箇所について。この章は、近代の天皇制についての章なのだが、それにはいる前の前段階の議論で、ちょっと興味深い記述があった。

日本の近代を機能主義で説明しようとするとき、それに外れた人たちのことにもふれることになる。たとえば、

「森鴎外が一連の「史伝」で描いた江戸時代末期の学者たちの学問は、明治期の機能主義的な学問に対する反対命題でした。鴎外が「史伝」の著述にあたって、そのことを明確に意識していたことは明らかです。」(p.210)

つづけて、永井荷風におよぶ。1909(明治42)年の「新帰朝者日記」について、それを引用したあと、

「ヨーロッパには「近代」に還元されない本質的なものがあるという荷風の洞察は、後年文芸評論家中村光夫に深い感銘をあたえました。」(p.211)

ここを読んだとき、私の脳裏をよぎったのは、読んだばかりの、『日本の覚醒のために』(内田樹)である。

やまもも書斎記 2017年6月29日
『日本の覚醒のために』内田樹
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/06/30/8606943

この中の「伊丹十三と「戦後精神」」で、伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』に言及した箇所である。ここで、内田樹は、伊丹十三が、日本近代がとりこもうとしたヨーロッパにあって、その生活に密着したところにある職人たちの仕事にふれている。ヨーロッパの職人たちのわざこそ、日本の「伝統」とつながるものであると理解していると、私は読んだ。

たぶん、「近代」の日本というもののなかにあって、森鴎外、永井荷風、伊丹十三は、通底するものがあるにちがいない。さらには、内田樹にも。近代日本のモデルとなった西欧文化のなかに、機能主義的ではない文化的な伝統とでもいうべきものを見いだしている。

そして、さらに私見を書くならば、機能的ではない、人間の生活に根ざした文化的なものへの憧憬、これこそは、真性の「保守」の発想につながるものであろう。

伊丹十三をきちんと読んでおかなければならないと思っている次第である。また、荷風や鴎外も読み直してみたい。

追記 2017-07-06
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年7月6日
『日本の近代とは何であったか』三谷太一郎(その六)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/07/06/8615164

『日本の近代とは何であったか』三谷太一郎(その四)2017-06-29

2017-06-29 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。
やまもも書斎記 『日本の近代とは何であったか』三谷太一郎(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/06/24/8603198

第3章は、「日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか」。

この章は、わりと面白く読んだ。日清戦争以降、太平洋戦争(大東亜戦争)までの、日本の植民地統治の時代を、まったくネガティブにとらえるか、それとも、それは日本の歴史のあゆみとしていたしかたのないものであったと比較的肯定的にとらえるか、えてして、議論が極端にぶれがちなテーマについて、特に国家の制度設計の観点から冷静に記述してある。そして、この章は、そんなにふかくではないが、共通の文化的基盤というような観点からも記述がある。

まず、日本が植民地帝国へ踏み出したきっかけになった事件として、日清戦争後の、三国干渉が指摘してある。これによって、「自覚的な植民地帝国」への「内面的な動機」となったとある。(p.148)

いくつか興味深い指摘がある。

日本の植民地の特色として、「本国の国境線に直接する南方および北方地域への空間的拡大として行われました。」(p.151)

また、日本の植民地統治は、法的・制度的にどのようにおこなわれたかについて、伊藤博文は、統監が韓国のすべてを支配するようなことには反対の立場であったという(p.156)。そして、韓国の支配をめぐっては、軍と政府との間で、その影響力、支配力をめぐって、確執があったともある。

さらに、韓国併合後、その植民地というものの法的な位置づけついて、美濃部達吉の『憲法撮要』に言及してある。美濃部達吉は、植民地は、憲法のおよばない「異法区域」であるとしたという(pp.164-165)。

このあたり、日本の近代史を考えるうえで、美濃部達吉という人物がキーになってきている。

特に朝鮮・韓国については、「同化」政策が問題とされる。これについては、「教育勅語」による「同化」について、その当時においても否定的な見解もあったことが記される。

この本の記述が面白いと思って読んだのは、1930年代、つまり、昭和になってからの日本のとった国際政策……国際連盟からの脱退など……が、「地域主義」として、アメリカ、あるいは、ヨーロッパの「帝国主義」と対立するものであったという指摘である。日本のとったアジアを中心とする「地域主義」は、その当時のヨーロッパでの、「汎ヨーロッパ主義」をモデルとしてならったものであるという。つまり、「帝国主義」にかわる新しい概念としての「地域主義」ということになる。これが、後には、「大東亜共栄圏」という発想につながっていく。

ともあれ、戦前の日本の歴史をみるとき、それを「帝国主義」ということばでくくってしまうことへの問題点が指摘されていることは確かである(この本では、そのように直接的な批判のことばはないが)。明治から戦前までの日本の歴史について、細かに時代の潮流をおっていけば、画一的に「帝国主義」とひとくくりにすることはできない。

そして、太平洋戦争後、冷戦時代にあっては、アメリカにとって東アジアは、重要な地域であった。だが、その冷戦終了後は、また、別の意味で、東アジアの重要性がある。しかし、東アジアを統合する、そのような文化的基盤は、はたしてあるだろうか。これは、これからの日本、韓国、中国にとっての課題であるとしめくくってある。

この本の第三章の印象としては、明治時代から昭和前期まで、帝国主義の名のもとにひとくくり語られがちな時代について、細かにその時代時代の潮流のあり方を、特に、政治的な制度設計の観点から解説してあるところであろうか。また、この章では、東アジアに統合的な文化基盤があり得るのかという問いを発している。これに答えることは書いていないのであるが、そのような視点をもって考えなければならないということには、同意できる。

追記 2017-07-01
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年7月1日
『日本の近代とは何であったのか』(その五)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/07/01/8607561

『日本の近代とは何であったか』三谷太一郎(その三)2017-06-24

2017-06-24 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。
やまもも書斎記 2017年6月22日
『日本の近代とは何であったか』三谷太一郎(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/06/22/8601974

三谷太一郎.『日本の近代とは何であったか-問題史的考察-』(岩波新書).岩波書店.2017
https://www.iwanami.co.jp/book/b283083.html

この本の第二章は、「なぜ日本に資本主義が形成されたのか」である。

結論的に感想を述べれば、この本は、この問いに対する答えになっていない。書いてあることは、日本の近代(明治から昭和初期)の経済政策史である。

日本の近代の経済にとって、「先進産業技術と資本と労働力と平和」が必要であった。そして、これらは、国家が作ったという立場をとる(p.86)。あくまでも、国家主導の資本主義の育成ということで記述してある。

まず、明治なってからの政治家として、大久保利通の経済政策がとりあげられる。そして、それを引き継ぐのが、松方正義であった。さらにその次に登場するのは、高橋是清である。最後には、井上準之助が登場して、そこで終わっている。

この章の最初の方で、スペンサーの社会学説についてふれてある。その次に、ウェーバーが出てくる。だが、この本では、ウェーバーにならって、日本における資本主義の「精神」を分析するということはやっていない。なんとなく肩すかしをくらったような気分になる。

ちょっとだけ、日本の「恥」の文化について言及がある。『菊と刀』である。だが、これでもって、日本における資本主義の「精神」を説明するということにはなっていない。

たとえば、

「権力による近代化の心理的促進要因となったのは何だったのか。それを一言でいえば、欧米先進国の文明の理想化されたイメージと対比して生じる、自国の文明への「恥」の意識です。」(p.88)

これは、為政者の意識の分析としては、ある程度いえることなのかもしれない。しかし、これをもってして、ウェーバーのいった資本主義の精神に代わるものとして、とらえるのは無理であろう。

私自身が、あまり経済に関心がないせいなのかもしれないが、この章はあまり面白くなかった。とはいえ、興味深かった記述もある。

日清戦争について、明治天皇はきわめて消極的、反戦的であったということの指摘。日本の近代が戦争の時代でもあったということをふまえるならば、明治天皇の平和志向の指摘は、注目されるべきかもしれない。

それから、教育にふれて、「良妻賢母」ということばは、中村敬宇がつかいはじめたとある。そして、そのつかわれはじめたときの意味としては、自立した市民としての女性という意味合いであったという。この指摘は興味ぶかいもおのであった。(p.104)

ところで、近代の経済史について、私が一番知りたいことは……地租改正のもっていた意味というか、その内実である。地租改正ということで、明治政府が安定した財源を得たということは、この本に書いてあるとおりだと思う。

だが、近世までの年貢にかわって、租税を納めるようになった、という学校教科書的なことから一歩ふみこんで考えてみるならば、江戸時代まで、年貢はどういう人たちが、どのように納めていたのか、ということが気になる。農民ではない、非農業民、商工業に従事するような人びと、あるいは、都市の住民は、どうだったのだろうか。

このあたりのことが一番気になるのだが、そして、その江戸時代の農業、商工業で働くひとびとのエトスが、日本なりの資本主義の精神につらなっていったのだろうと想像してみるのだが、そのあたりのところが、まったく触れられていない。

第一章の政治制度の近代を論じたところでは、近世にその萌芽的要因を探っておきながら、経済のことになると江戸時代のことは、まったく触れられていない。これは、歴史を描く立場として、どうかなという気がしないではない。近代の商工業の歴史は、明治になってからのこととして、江戸時代からは切り離してしまってよいのであろうか。

この第二章は、明治から昭和初期にかけての政府の経済政策史の素描として読めばいいのだと思う。

追記 2017-06-29
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年6月29日
『日本の近代とは何であったか』三谷太一郎(その四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/06/29/8606332