『ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか』高橋杉雄(編著)/文春新書2023-07-20

2023年7月20日 當山日出夫

ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか

高橋杉雄(編著).『ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか-デジタル時代の総力戦-』(文春新書).文藝春秋.2023

軍事の専門家から見たウクライナ戦争論である。これは読んで良かった。

かなり軍事的な面にかたよりがあるかもしれないが、ウクライナ戦争について多面的に論じてある。なぜこの戦争が始まったか、いつからはじまったのか、どういう性格の戦争なのか、終わるとしたらどういう状況においてなのか、読んでなるほどと思うことばかりである。

収録するのは、以下の論考。

ロシア・ウクライナ戦争はなぜ始まったのか 高橋杉雄
ロシア・ウクライナ戦争――その抑止力破綻から台湾有事に何を学べるのか 福田潤一
宇宙領域からみたロシア・ウクライナ戦争 福島康仁
新領域における戦い方の将来像――ロシア・ウクライナ戦争から見るハイブリッド戦争の新局面 大澤淳
ロシア・ウクライナ戦争の終わらせ方 高橋杉雄
日本人が考えるべきこと 高橋杉雄

テレビなどで報じられるウクライナ戦争の姿について、軍事の専門家の観点からはこのように冷静に分析することができるのかと感じる。

なぜウクライナ戦争は抑止に失敗したのかという分析から、台湾有事の可能性に言及するあたりのことは、説得力のある議論だと思う。

ウクライナにしてみればヨーロッパになりたいと思っている。一方、ロシアとしてはウクライナはロシアの一部ということになる。双方にアイデンティティをかけた戦争だけに、その落とし所は簡単ではない。

この本は、これを意図したものではないであろうが、しかし、気になるのは台湾有事のことになる。極論すれば、台湾有事はすでに始まっていると言っていいのかもしれない。すくなくとも、現代におけるハイブリッド戦争においては、すでにもう始まっている。

そして、それがいつ起こるか、あるいは、起こらないか、わからない。もし、起こるとすれば、AIを駆使したものになるだろうと予見する。その上で、回避すべく努力すべきことになる。戦争を回避するのは、外交や経済関係だけではない。軍事力の裏付けがあってこそであることも、よく理解できることである。

2023年7月19日記

『土偶を読むを読む』縄文ZINE(編)2023-07-14

2023年7月14日 當山日出夫

土偶を読むを読む

縄文ZINE(編).『土偶を読むを読む』.文学通信.2023
https://bungaku-report.com/books/ISBN978-4-86766-006-5.html

私は、考古学については、まったくの門外漢である。だが、この本の対象としている『土偶を読む』が世に出たときのことは、記憶にある。かなり話題になった本であった。そして、サントリー学芸賞を受賞した。

しかし、この本については、毀誉褒貶のある本だという認識は持っていた。

その『土偶を読む』は、私は、読んでいない。だから、ある意味で的外れな感想を持ってしまうのかもしれないのだが、しかし、この本は面白かった。そして、考古学という学問のみならず、学問的に手続きを踏んで考えるということの重要性を語っている本だと思う。

この本を読む限りであるが、『土偶を読む』は、まず、まとも評価するに耐えないレベルの本である(らしい。)これは、何も考古学に限った話しではない。私の専門の領域、日本語の文字、表記という分野においても、ある学会などでは、とても専門的評価には耐えないレベルの発表があったりすることは確かである。とはいえ、発表している当人はいたって真面目である。学問的に何かを論じるという方法において、問題があるということになる。

だからということではないが、専門知ということについては、いろいろと考えるところがあった。評価するに価しない発表は無視しておけばいいという、それだけでは済まないということも確かにあると思う。ここは、専門家の責任として、しかるべく評価する必要がある。

この意味では、この『土偶を読むを読む』は、非常に良心的に作られている本だと思う。特に、本の後半部分がいい。現代の考古学、なかんずく、縄文時代の研究の最前線で、どのようなことが考えられているのか、かなり分かりやすく語ってある。

これは、これから大学院などで専門的な勉強を始めようという若い人にとって、どの分野のことを勉強するかを問わず、参考にして読んでいい本だと思う。

2023年5月19日記

『トッド人類史入門 西洋の没落』エマニュエル・トッド/片山杜秀/佐藤優2023-07-11

2023年7月11日 當山日出夫

トッド人類史入門

エマニュエル・トッド.片山杜秀.佐藤優.『トッド人類史入門 西洋の没落』(文春新書).文藝春秋.2023
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166613991

話題の本の一つということで読んでみることにした。他に、エマニュエル・トッドで読んだのは、

『第三次世界大戦はもう始まっている』(文春新書)
『老人支配国家日本の危機』(文春新書)

がある。これらの本を読んで思うところをまとめてみる。なるほどと思うところが半分、ちょっと無理があるなと感じるところが半分、といったところか。

なるほどと思うところは、一つには、家族構成からその地域や国の状態を考えるという発想。これは、これまでに無かったものだと思うが、少なくとも私には、この考え方は斬新なものに思える。また、一定の説得力がある。

とはいえ、注意して読むべきは、家族構成による決定論にはなっていない、というところだろう。そのように読みたくなる面もないではないが、著者自身は、ここのところについては、抑制的である。

ただ、歴史人口学研究者としての領域を踏み出して、昨今の世界情勢にまで議論を広げるあたりは、ちょっとどうかなと思うところがある。特に、日本も核武装すべきとの主張は、なかなか受け入れられるものではないだろう。(日本の戦略的オプションとして、そのような選択肢を持っておくことは否定しない。しかし、現実問題としては、不可能である。そもそも、日本には核実験をする場所がない。)

また、ウクライナの戦争については、かなりロシアよりの立場でものを言っている。これはこれとしてうなづけるものである。多極的価値観の世界という論点からは、ある意味でロシアの言っていることの方に理がある。

が、結果的には、今回の軍事侵攻によって、ウクライナという国民を作ってしまったことはあるだろう。それから、さらにはNATOの拡大と結束という結果を招いてしまった。

読んだ本のうちでは、中国についてはあまり触れられていない。(これも、今後の人口構成から考えて、中国が覇権を握ることは無いだろうという予測には、そうかなと思う。)

さて、『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』であるが、読んでおこうかどうしようか、ちょっと考えているところである。

2023年4月7日記

『人口で語る世界史』ポール・モーランド/度会圭子(訳)/文春文庫2023-07-05

2023年7月5日 當山日出夫

人口で語る世界史

ポール・モーランド.度会圭子(訳).『人口で語る世界史』(文春文庫).文藝春秋.2023(文藝春秋.2019)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163910857

これは面白く読んだ。

人口という視点から、世界の歴史……主に一八世紀以降になるが……を、ダイナミックであると同時に緻密に叙述してある。歴史というのを、このような観点から見ることが出来るのかと、認識を新たにした。

一八世紀の英国から話しは始まる。産業革命によって人口が増えた。それは移民となることもあって、世界の歴史に影響を与える。また、社会の近代化によって、乳幼児死亡率の減少、平均寿命の延びによって、人口は増える。そして、社会が変わり、女性の識字率が向上すると必然的に子供の数は少なくなる。結果として、人口減少という方向に向かう。これは、洋の東西を問わず、どの地域、国でも同じように起こる。

これを読むと、今の日本で問題になっている少子高齢化という現象は日本だけの問題ではないことがよく理解される。ただ、小手先の対応では、子供の数は増えない。人口は減っていく。

人口の増減は、また移民の問題とも深くかかわっている。人口は、生まれる子供の数、死ぬ人の年齢、それから、移民による人の移動によって決まる。(ただ、日本の場合は、移民ということはあまり考慮しなくていいかもしれない。が、これも、将来的にはどうなるか分からない。)

人口というパラメータの他に、宗教とか言語とか民族とかを重ねてみるなら、世界の歴史を、これまでとは違った観点から見ることができるだろう。

もとの本は、日本では一九九九年の刊行。その後、ウクライナでの戦争が起こる。さて、人口という観点から見た場合、ウクライナ問題はどのような姿を見せることになるだろうか。また、中国による台湾問題も、見方によっては、中国の人口問題と切り離せないかもしれない。

世界で起こるいろんな出来事に、人口という観点を導入することで、いろんなことが見えてくる。しかし、この本は、単純に人口ですべてが決まると入っているわけではない。が、決して無視することのできない重要な要素であることを教えてくれる。また、その人口の増減ということが、かなり普遍的な現象として起こることも理解できる。

人口のことへの関心にとどまらず、歴史についての、新たな発想に満ちた本であると思う。

2023年3月31日記

『街道をゆく 三浦半島記』司馬遼太郎/朝日文庫2023-06-23

2023年6月23日 當山日出夫

街道をゆく三浦半島記

司馬遼太郎の「街道をゆく」を読んでいる。たまたまNHKで「新 街道をゆく 奈良散歩」を見て、興味を持った。これまで司馬遼太郎の小説類はかなり読んできていたが、「街道をゆく」シリーズは、読まずにきた。が、読んでみると面白い。小説であれば、「余談」として書かれるようなことが、次から次へと連想のつながりで記述される。まさに自由である。

「三浦半島記」は、場所としては三浦半島を話題にしている。あつかってある時代は主に鎌倉時代である。

その歴史観、武士とはどのように発生したものなのか、あるいは、鎌倉幕府とは板東武者にとってどのような存在であったのか、頼朝は何をした人物なのか……このようなこと、現在の歴史学からすれば、ちょっと疑問になるところもあるにちがいない。だが、これは自由なエッセイとして読めばいいと思う。歴史学書ではない(と、思って私は読むことにしている。)

そう思って、気楽に読むことにすると、これが実に面白い。

最新の歴史学的研究はそれはそれとして、司馬遼太郎という人物が何をどう思って、何から何を連想するか、そのつながりと飛躍がが面白いのである。

去年のNHKの大河ドラマが、『鎌倉殿の13人』であった。これは全部見た。そのせいもあるのだろうが、この本を読みながら、あのシーンはこういうことだったのかとうなづくところがいくつかあった。あるいは、ここは、司馬遼太郎と解釈の違う脚本になっていたなと思うところもある。

つづけて、「街道をゆく」を読んでみたいと思っている。

2023年6月22日記

『「戦前」の正体』辻田真佐憲/講談社現代新書2023-06-08

2023年6月8日 當山日出夫

「戦前」の正体

辻田真佐憲.『「戦前」の正体-愛国と神話の日本近現代史-』(講談社現代新書).講談社.2023
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000377413

今の世の中で一般に保守と言われている人たちがいる。あるいは、右翼と言ってもいいかもしれない。「日本をとりもどす」とか言っている。(これは私には、非常に空虚なことばにしか感じられない。これなら、まだ「虚妄」の民主主義の方がましである。)

明治の昔に帰そうとしているようである。

では、明治の昔は実際はどんなであったか。これが、意外と知られていないといのが、実情のようである。明治維新から、大東亜戦争の終結まででも、七〇年以上ある。その時代が、はたして均一の価値観、世界観で語れるものなのだろうか。

この本は、特に、神話の理解において、日本の近現代がどうであったか、分かりやすく語っている。すぐれた日本の近代史概説であり、あるいは、日本神話入門でもある。

そもそも、明治維新は、復古であった。天皇制の再発明が明治維新であったと言っていいだろう。この意味では、日本神話も明治になってからの再発明であると言えるだろう。

日本神話が、明治以降どのように受容されてきたのか、その概略が分かりやすく述べてある。例えば、神功皇后の事跡……今ではもう忘れられているようであるが……が、きわめて人気の高いものであったということがある。あるいは、「八紘一宇」ということばが、どのような経緯で社会に定着していったのかということもある。

近代の歴史について、明治維新から段階を追って語ってある。それは、明治になってから、日本神話が、人びとのなかにどのように定着していったかという歴史でもある。(それが、今日では、日本神話は、ほとんど忘れられていると言ってもいいかもしれない。)

著者(辻田)は、歴史には「物語」が必要であるという。これには、私も同意する。無論、実証的な研究は必須であるが、その実証においても、「物語」と無縁ではありえない。

近代……大東亜戦争まで……の日本の「物語」がどんなもので、どのように歴史的に形成されたものであるか、語ってある。そして、重要なことは、かつての日本が、そのような「物語」を持っていたということを、現代においても認識しておく必用性である。これは、決して戦前を美化することでも、否定することでもない。

そのうえで、これからの日本において、どのような「物語」が必要であるのか、考えることが重要になってくる。この本は、「伝統」とは何か、「保守」とは何か、考えるために有益な一冊であると思う。

2023年5月20日記

『昭和史講義【戦後文化篇】』(下)筒井清忠(編)/ちくま新書2023-01-13

2023年1月13日 當山日出夫

昭和史講義(下)

筒井清忠(編).『昭和史講義【戦後文化篇 】』(下).ちくま新書.筑摩書房.2022
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480074973/

上巻につづいて読んだ。収録されている論考のタイトルだけ書いてみる。

戦後の木下恵介と戦争
『君の名は』と松竹メロドラマ
成瀬巳喜男
ゴジラ映画
サラリーマンと若大将
新東宝の大衆性・右翼性・未来性
『叛乱』
三隅研次と大衆時代劇
日活青春映画
東映時代劇
任侠映画興亡史
「幕末維新」映画
菊田一夫
少年少女ヒーローとヒロイン
東映動画とスタジオジブリ
長谷川町子、手塚治虫と戦後の漫画観
「平凡」と大衆文化
朝ドラ
被爆者・伊福部昭と水爆怪獣・ゴジラ

どの論考もかなり力をいれたものになっている。ただ、全体として、映画に偏っているという印象はいなめない。これは、編者(筒井清忠)自身が、映画史の研究もしているということと関連があるのだろう。

映画にかたよった編集であることは、意図的にそうしている。だが、そうではあっても、黒澤明と小津安二郎はわざとはずしている。これは、このような編集もあっていいと思う。しかし、であるならば、映画史として日活ロマンポルノを切り捨てることはないだろうと思うが、どうだろうか。

それにしても、昭和の戦後といっても四〇年以上になる。それを、映画を軸にまとめるのは、ちょっと無理があったのではないかと思われる。テレビのことがほとんど出てこない。まあ、朝ドラに一つの章を使ってはいるが。他にも大衆演劇、芸能、それから、少年少女漫画雑誌のことがほとんど出てこない。

ここは、【戦後編】のさらなる続編に期待したいところである。

2023年1月3日記

『昭和史講義【戦後文化篇】』(上)筒井清忠(編)/ちくま新書2023-01-12

2023年1月12日 當山日出夫

昭和史講義(上)

筒井清忠(編).『昭和史講義【戦後文化篇】』(上).ちくま新書.筑摩書房.2022
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480074966/

夏に出た本で、上・下ともに買って積んであった。冬休みに時間のある時に読む本として、取り出してきて読んだ。非常に面白く読んだ。まず、上巻から。

上・下になっていて、上巻の方は、論壇・小説・マスコミといったあたりをメインに扱っている。

タイトルだけ書いてみる。

丸山眞男と橋川文三
鶴見俊輔
知識人と内閣調査室
復興・成長の経済思想
福田恆存と保守思想
戦後のベストセラー
獅子文六と復興
石坂洋次郎
石原慎太郎と太陽族
林房雄と三島由紀夫
社会派ミステリー
時代小説の再興
有吉佐和子
小林秀雄
大宅壮一と戦後マスコミ
岡本太郎の芸術
沖縄文化
勤労青年の教養文化
全共闘運動

読んで、これは読んでおきたい、あるいは、読みなおしてみたいと思った本がいくつかある。鶴見俊素見はきちんと読んでおきたい。始めの方に出てくる『日本浪曼派批判序説』(橋川文三)など、読んだのは学生の時のことだった。まだ探せば昔の本を持っているはずである。新しい本もある。これなど、改めて読みなおしてみたいと思う。他には、福田恆存などもそうである。いくつかの著作は読んだことがあるが、まとまっては読んできていない。小林秀雄も読みなおしてみたい。林房雄の『大東亜戦争肯定論』は、昔買ったのを覚えている。まだどこかにあるはずである。

ところで、興味深いことは……戦後の文化史を論ずるとして、では、一般の多くの日本の人びとは、どんな本を読んできたのだろうか、という肝心のところが、曖昧なままになっていることである。確かにベストセラーという著作や小説はあった。その発行部数もだいたい分かっているかもしれない。しかし、それらがその他のどんな本や雑誌と一緒に売られ、どのように読まれたかとなると、今一つはっきりしない。信頼できるデータ、資料が残っていないからである。ここではさらに、貸本屋という存在も考えてみなければならない。

それぞれの論考はとても興味深いものである。それは確かなことなのだが、読み終わって上記のような漠然とした不満は残る。これは、編者、筆者の責任ではない。そのようなことを明らかにする資料が残っていないのであり、あるいは、未開拓の研究分野である、ということなのである。

このようなことを確認するためにでも、この本は一読する価値があると思う。日本近現代における読書史というような領域は、まだ分からないことだらけのようだ。

2022年12月30日記

『ウクライナ戦争』小泉悠/ちくま新書2022-12-26

2022年12月26日 當山日出夫

ウクライナ戦争

小泉悠.『ウクライナ戦争』(ちくま新書).筑摩書房.2022
https://www.chikumashobo.co.jp/special/ukraine/

今年(二〇二二)の二月にウクライナで戦争が始まって以来、多くの軍事専門家、国際政治専門家が、マスコミに登場してきているのだが、そのなかで信用していい一人といいと思っている。

読んで印象に残っていることは、多くあるが二つばかり書いておく。

第一に、国民ということ。

この本ではあまり深くこの点について触れられていないと感じるのだが、ウクライナ戦争は、国民の戦争である。この本が使っている用語でいうならば、三位一体の戦争ということになる。

おそらく歴史の結果的には、この戦争が、ウクライナ国民というものを形成する大きなきっかけになったと回顧される時が来るのかもしれない。また同時に、ソ連崩壊後のロシアを、一つの国民国家として統合する契機になったと、考えるようになるかもしれない。国家と国家、その国民と国民が、それが有する軍事力で正面から対決している、いわば古典的な戦争なのである。

第二には、ロシア論と軍事論。

著者が信用できる論客の一人であると思うのは、自分の専門の議論の範囲をきちんと見極めているところにある。ロシアの専門家であり、軍事の専門家である。これは、言いかえるならば、国際政治や経済の専門家ではないということでもある。だが、これは、マイナスではない。自分の議論の領域に自覚的であり、それ以外のことについては、あえて沈黙を守るという自制が強くはたらいている。これは、ある意味では、専門家としての矜恃のなせるわざでもあろう。

ウクライナの問題は、軍事の議論だけでかたのつく問題ではない。無論、軍事的に戦争の帰趨がどうなるかはきわめて重要であるが。その他、経済の問題もある。ロシアとウクライナだけの問題ではなく、国際社会にとって非常に大きな問題となっている。

この本のバランスの良さは、ロシア論と軍事論が密接にからんで展開されていることであり、それ以外に、あえて言及しないという抑制のきいた論の進め方になっているところにある。

以上の二つのことを、思ってみる。

それにしても、ロシアはなぜ戦争を始めたのか……ということは、とりもなおさず、どのようにしてこの戦争を終わらせることができるのか、という議論に結びつく。ロシアと、軍事と、国際政治、経済、様々な論点がからむ問題であるが、この歴史の決着が見えるのは、かなり先のことになりそうである。

2022年12月23日記

『平家物語』石母田正/岩波文庫2022-12-02

2022年12月2日 當山日出夫

平家物語

石母田正.高橋昌明(編).『平家物語 他六編』(岩波文庫).岩波書店.2022
https://www.iwanami.co.jp/book/b615161.html

もとの本は、岩波新書の『平家物語』(一九五七)である。これを読むのは、少なくとも三度目になる。

若い時、学生のころ、岩波新書で出ていたのを買って読んだ。そのときに印象にのこったこととしては、やはり、知盛の「見るべき程の事は見つ」ということば、そして「運命」ということであった。

何年前になるだろうか、ふとこの本を読みなおしてみたくなって、古書で買って読んだ。このとき、歴史学者としての石母田正の評価はどうだったろうか。もう、過去の人という雰囲気であったかなと思う。久々に読みなおしてみて、歴史学者の考える「運命」とはどんなものなのだろうかと、いろいろと考えたものである。

それが、岩波文庫版として新しく刊行になったので、買って読んでみた。

読んで思うこととしては、率直に面白い本であるということになる。『平家物語』という作品の魅力を、「運命」「叙事詩」というようなキーワードで読み解いていく。今の時点で読んでみて、その語っていることすべてに賛成できるということはないのであるが、しかし、読んで面白かった。昔読んだ時には、こんなに面白い本だとは思わなかったというのが、正直なところである。

『平家物語』は、これも若い時に目を通した。これで論文を書いたこともある。だが、一つの文学作品として、最初から順番にページを繰っていくということは、近年になってからのことである。その文学史的な位置も一通り知っており、どんな作品かは知っているとしても、一つの文学作品として、ただ読むということは、あまりしてこなかった。が、これも、老後の読書と割り切って、特に論文など書こうと思わないで、ただ楽しみのためにだけ、古典を読んでおきたいと思うようになっている。『平家物語』も、きちんと読みたい作品の一つ。その読書の手助けとして、この石母田正の「平家物語」は非常にいい。

ただ、『平家物語』を、「叙事詩」としてとらえることには、ちょっと疑問がないではない。日本文学の歴史をふりかえって、「叙事詩」というべき作品を探すとなると、確かに『平家物語』がある。だから、『平家物語』が「叙事詩」であるとするのは、やや短絡的である。ここは、石母田正が書いているように、この作品の作者の持っていた「物語精神」を読みとるべきだろう。これは、『源氏物語』とも『今昔物語集』とも違った、鎌倉時代という時代になって生まれた、新しい文学である。

この本を読んで、再度、『平家物語』をじっくりと読みなおしてみたくなった。

2022年11月27日記