国語語彙史研究会(第118回)に行ってきた2018-04-30

2018-04-30 當山日出夫(とうやまひでお)

2018年4月28日は、国語語彙史研究会(第118回)があった。大阪大学まで行ってきた。

朝の10時ごろに家をでた。近鉄に乗って鶴橋からJR。大阪(梅田)から、阪急。石橋の駅でおりて、とりあえず昼食。ちょっと時間があったので、喫茶店を探してコーヒーを飲んでから、歩いてキャンパスまで。前回、大阪大学に行ったときは、ちょっと道に迷ったこともあったのだが、今回は、特に迷うことなく、すんなりと行けた。

発表は三つ。いろいろと問題点のある発表もあり、感心させられる話しもありで、これは面白かった。もう、還暦を過ぎて、そろそろ隠居して自分の好きな本を読んですごしたいと思っている。自分自身で、これから新規な研究テーマに手を出そうという気はまったくなくなっている。

とはいえ、たまに研究会・学会などに出て、研究発表を聞くのが、かなりの刺激になっている。

終わって懇親会。二時間ほどの時間だが、立ったままでいるのがつらくなってきた。普段、家にいて自分の部屋で本を読んだりする。そのほか、散歩に出るような生活である。朝から外に出て夜まで靴をはいているのが、それだけでつらいと感じるようになってきた。年をとってきたということである。

終わって、例によって、若い人たち、それから、同年配の人たち数人で一緒に二次会。石橋の駅のすぐそばの居酒屋で、軽くビールなど飲んで、いろいろ話しなど。先日の、日本漢字学会が京大であったときとだいたい同じようなメンバーだった。このような会、特に若い人たちにとっては、学会の裏事情などに接する機会になるのかもしれない。研究発表や質疑応答の場面では見られない、いろんな話しなど。

家にかえったら、11時ちかくになっていた。

さて、懇親会の時にも話したことだが……6月9日、語彙・辞書研究会で話しをする。JIS仮名、ユニコード仮名の話しをする予定。漢字とちがって、全部で数百ほど(今回新たにきまった変体仮名をふくめて)の、小さなな文字集合であるが、その実態、文字の定義、運用、ということについては、種々の問題点が残っている。これは、問題提起だけはしておきたい。後は、これからの若い人たちの仕事で、続きをやってもらいたいと思っている。

日本漢字学会に行ってきた2018-03-31

2018-03-31 當山日出夫(とうやまひでお)

2018年3月29日は、日本漢字学会の設立、記念シンポジウム。京都大学まで行ってきた。

かなり人はあつまっていた感じだし、懇親会も人が多かった。だからといって、この分野の研究の中心になるかというと、ちょっと微妙かなという気がしないでもない。

シンポジウムは、面白かった。それぞれの専門分野の研究成果を、わりとわかりやすい……強いていえば、啓蒙的な立場から……一般向けに話しがあった。このようなシンポジウムで話しをする側の人たち(研究者)はいいとしても、その後の、フロアからの一般の質問が…………ちょっと「と」という気がするのがあった。

まあ、確かに漢字というものは、ある意味で自明なものである。漢字については、あれこれと定義する必要はないかもしれない。また、日本語のなかに普通に存在している文字でもある。だから、漢字については、誰でもなにがしかのことを語ることはできる。

だが、そのことと、文字というものを学問的方法論できちんと考えるということは、別次元のことがらになる。

たぶん、今年の12月には、学会としての研究会があるのだろう。その時、どのような発表があつまるか、また、どのような質疑応答がなされるか、期待半分、不安半分といったところだろうか。

学会の懇親会は盛況であった。終わって、知り合いの若い人たちと……奈良女子大学、東北大学、京都大学など……百万遍近辺のお店に行って、いろいろ話して帰った。これからの若い人たちが、この漢字学会でどんどん発表してくれればと思う。

家に帰ったら、10時半ぐらいになっていた。留守の間にとどいていた本、『嵯峨野明月記』(中公文庫)があった。『背教者ユリアヌス』を読む(再読)まえに、こちらの本の方をまず再読しておきたくなったので買った。

私も、この年になって、昔、高校生のころに読んだ本を、もう一度、じっくりと読み直したくなってきている。辻邦生を読み直したい。それから、福永武彦なども。

ところで、京都大学のキャンパスの桜は、ちょうど満開だった。シンポジウムは、時計台であったのだが、その舞台の背後のスクリーンを上げると、ガラスになっていて、庭の桜がきれいにみえた。桜の花を背景にしての学会というのも、雰囲気のいいものであった。

追記 2018-04-02
日本漢字学会のホームページができている。
https://jsccc.org/

第29回「東洋学へのコンピュータ利用」に行ってきた2018-03-12

2018-03-12 當山日出夫(とうやまひでお)

第29回「東洋学へのコンピュータ利用」

2018年3月9日は、第29回「東洋学へのコンピュータ利用」である。

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/seminars/oricom/2018.html

例年よりも発表が多かった。朝、長女が仕事に出るのとおなじに駅まで行く。去年までは、それでもかなり早めについたと憶えているのだが、今年は、開始ギリギリの時間になってしまっていた。会場の部屋はすでにほとんど一杯だった。

同日、デジタルアーカイブ学会が東京でやっていたのだが、それでも、多くの発表があり、また、多くの人をあつめている。

例によって、文字についての発表がほとんどであった。個々の発表については特に言わないことにして、総合して印象を述べれば……すでに、コンピュータの文字は、ユニコードの世界になっている、ということである。もはや、JISコードのことを問題にはしてない。

これも、まったく問題にならなくなったというわけではない。私の発表した変体仮名の問題は、コンピュータと仮名というテーマで言うならば、JISコードとユニコードで、その微妙な差異に大きな問題をはらんでいる。(ただ、見た目の問題としては、ユニコードでは、JISの仮名を表示できないかのごとくである。これは、JISコードとユニコードの関係を把握していないと、全体がわからない。)

とはいえ、なかで興味深い発表をひとつだけあげておくならば、次の発表だろう。

安岡孝一
ISO/IEC 10646:2017にない日本の漢和辞典の漢字

最新の版でも、現代の日本の漢字辞典……大漢和辞典、新大字典、新潮日本語漢字辞典、新字源……(それぞれ最新版)などの漢字で、ふくまれていないものがある。その多くは、異体字であったり、国字であったりである。これらの漢字が、これから、どのようなるのか、ここは注目しておかなければならないことである。

この論文は、すでにオンラインで公開されている。

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/publications/2018-03-09.pdf

研究会がおわって、例年のように懇親会。家にかえったら、10時半ごろになっていた。来年は、2019年3月8日の予定である。それまでに、自分の勉強が少しでも進んだら、また発表しようかと思っている。(だが、それよりも、本を読む生活をおくりたいのであるが。)

関西大学の東西学術研究所に行ってきた2018-02-12

2018-02-12 當山日出夫(とうやまひでお)

2018年2月10日。関西大学で研究会があった。2017年度の関西大学東西学術研究所の研究例会。

いろいろ興味深い発表があった。まず、金水敏さん(大阪大学)の「村上春樹小説のキャラクター分析と翻訳」。それから、岡島昭浩さん(大阪大学)の「近代方言意識史を目指して-西郷隆盛はどう語らせられてきたか」。

これらは、国語学、日本語学の近年の用語でいえば、役割語とか方言コスプレなどの概念で論じられることのあるテーマである。

金水さんの役割語の発表、著書でその考え方を知ってはいたが、直接、口頭発表でこの話しを聞くのは初めてである。役割語と物語論の分析の融合をめざしていることは理解できるのだが、村上春樹以外の作品でどうなるのか、今後のこの研究の展開に期待したいと思う。

岡島さんの発表は、ちょうどNHK『西郷どん』の放送もあるので、タイムリーな発表であった。西郷隆盛という人物を論じるにあたって、鹿児島方言とのかかわりが、かなり以前からあったことが実証されていたように思う。(ただ、実際に西郷隆盛がどんなことばを話していたのか、このことについて、もうちょっとつっこんだ話しがあると面白かったのだが。)

それから、内田慶市さん(関西大学)の発表。関西大学の、KU-ORCASについて。関西大学も、これからの日本において、東洋学研究を中心にして、拠点として名乗りをあげることになる。その意義を語ったものであった。他にも、日本では、拠点となるべき研究機関、大学などあるが、これから、これらが相互に連携して、デジタル技術をつかって、新たな自分学知の構築ということになるのであろう。

上阪彩香さん(大阪大学)の発表は、私はこれまで何度か聞いてきた、浮世草子の計量分析の話し。このような話し、純然たる人文学系の研究者を相手にして、どのように説得力のある話しをすればいいのか、これは、これからの課題かもしれない。これから、いわゆる文理融合、文理連携の研究領域がひらかれていくなかで、このような研究が重要になってくるにちがいない。

沈国威さん(関西大学)の発表、近代語研究とコーパスの話し。日中の対照言語学の観点から見て、中国語、日本語ともに、近代語の形態素解析とコーパスの構築の重要性を認識させるものであった。

私の話したのは、JIS仮名とUnicode仮名について。これまで、表記研究会、東洋学へのコンピュータ利用セミナー(京大)などで、話してきたものを、整理して、加筆して発表。これは、来月の東洋学へのコンピュータ利用セミナーでも話しをする予定である。特に、秋萩帖の仮名についてこれから考えなければならないと思っている。

仮名という一見すると、自明で当たり前のことのように思える文字であっても、コンピュータで使う文字として仮名・変体仮名がどのように決まっているのか、どう運用することが求められるのか、この方面のことになると、研究はこれからである。

終わって、発表者を中心に懇親会。大学近くのイタリアンのお店。久々に家のそとで楽しくワインなど飲んで、充実した時間だった。

国語語彙史研究会(117回)に行ってきた2017-12-11

2017-12-11 當山日出夫(とうやまひでお)

土曜日(12月9日)は、第117回の国語語彙史研究会。近畿大学(東大阪)であったので、行ってきた。

たまたま子供が仕事が休みで、遊びに行くので、そのついでに駅まで一緒。ちょっと時間が早めになったが家を出る。我が家からだと、八戸ノ里から行くことになる。各停しか止まらないのが、ちょっと不便であるが。

早い目について、大学の近所のファミレスで昼食。コーヒーを飲んでから、大学へ。行ってみると実にきれいなキャンパスである。(これと比べると、京都の国立の大学など、スラムのように見えてくる・・・)

発表は、いつものように三件。今回も、ある程度、研究発表の経歴をつんだ人の発表だったので、それぞれに勉強になった。

漠然とした印象を書いておくならば……いい発表というのは、いい「問い」の立て方をしている発表である。「答え」として、鮮やかにきれいな結果を出す、ということもあるが、それよりも、この文献、このことば、この資料に、こんな見方があったのか、と気付かせてくれるような発表がいい。

終わって懇親会。新しく建物をつくっているキャンパスである。できたばかりの話題の図書館の中であった。ホテルのラウンジかと思うような会場。そのせいか、(それから、参加者が予定より少なかったせいか)、会費がいつもよりも高かった。

帰りも八戸ノ里まで歩いた。たまに外に出て、コンクリートやアスファルトの上を歩くと、つかれる。が、翌日は、いつものとおりに起きて、子供を仕事に駅まで送っていく。

次回は、来年の4月、大阪大学でとのこと。

訓点語学会に行ってきた2017-10-26

2017-10-26 當山日出夫(とうやまひでお)

10月22日は、第117回の訓点語学会。東京大学で開催。ちょうど台風がきていて、どうなるか心配ではあったのだが、宿も予約してあることだしと思って、行ってきた。

午前中に聞いておきたい発表……『白氏文集』の漢字音についての発表……があったので、前日から行く。『白氏文集』の漢字音、特に、神田本の声点については、私が、その索引(漢字索引、訓読文索引)をつくったことの延長として、調べて学会発表して、論文に書いたことである。私の初めての訓点語学会での発表である。

頑張って調べたという発表ではあるが、やはり、『白氏文集』をあつかう上では、その本文の系統が、旧鈔本系か、版本系か、ということは、おさえておいた方がいいだろうと思った。(このことについては、質疑の時に発言しておいた。)

それから、神田本白氏文集の声点は、均一にはつけられていない。かなり意図的に、文字を選んでつけてある。このことは、「訓点語と訓点資料」に論文として書いたことである。(このことも、質疑で言っておいた。)

午後から、韓国の口訣学会からの招待研究発表。これは、面白かった。韓国に残っている訓点資料、口訣資料について、どのような資料が残っていて、どのような方法で研究するのか、その実際の研究者の発表を聞くことができたのは、非常に勉強になった。しかも、発表が、日本語で話をしてくれて、レジュメも日本語で書いてあったので、わかりやすかった。

日本の訓点語学会と、韓国の口訣学会は、これを出発点として、これからも、相互に国際交流をつづけていくことになるらしい。これはこれとして、きわめて喜ばしいことである。日本から、これからの若い人が韓国に行って発表することになる。また、韓国の研究者の発表を日本にいて接することもできる。これは、この分野の研究にとって、重要な意味のあることだと思う。

折悪しく台風がきていたので、懇親会(山上会館)もちょっと早めに切り上げることになった。また、二次会も行くには行ったが、店が早くしめてしまうということなので、そう長くいることはできなかった。かるくハイボールなど飲みながら、ちょっと話をして宿に帰った。

水道橋に宿をとってあったので、雨が降っていたが、歩いて帰った。電車に乗ったりするより、その方が早い。

翌日は、台風の影響で新幹線が少し乱れていたが、とにかく、午前中に東京を出て、昼を京都ですませて、家にかえった。我が家は、台風の影響で木の葉が散ったりしてはいたが、そう被害がなくてよかった。

国語語彙史研究会に行ってきた2017-09-18

2017-09-18 當山日出夫(とうやまひでお)

16日は、関西大学で、国語語彙史研究会。台風の影響で雨が降っていたが、行ってきた。

総じて感想をのべれば、レベルの高い研究会であると思う。まあ、発表した人たちは、それなりに研究者としてのキャリアのある人であるから、それも当然であるが。

ともあれ、私として関心を持ってきいていたのは……ことばを学問的にあつかう方法論について。いろんな研究分野、研究対象、また、それに応じて研究方法がある。だが、どのような研究をするにしても、基本的に守らなければならない、ふまえておかねばならない、基本的手続きというものがある。

今回の発表(三件)は、部分的には問題がないわけではないだろうが、おおむね基本的な方法論にしたがっていたと思う。私としては、結果としてその発表で何が言われているかもあるが、それよりも、そのことをいうために、どのような学問的な手続きをふまえているか、ということが勉強になったと思っている。

懇親会に出て、だいたい毎回同じようなメンバーとすごす。で、時間が早かったので……それから、翌日(17日)の表記研究会が中止ということだったので……二次会に。

大学の近くの、ちょっとおしゃれな感じのお店。関大の先生の知っている店とのことで、悪くはなかった。(このあたりも、お店の栄枯盛衰ははげしいらしい。行った店も、新しく出来たところとのこと。)

いろいろ雑談して、帰った。帰って、メールを確認してみると、17日の表記研究会は中止にする旨の連絡がはいっていた。賢明な判断だったと思う。大阪に暴風警報がでているような状態になったから、開催は無理ということになったであろう。

私の専門としては、あまり語彙には関係ないのであるけれども、主に、文献資料をつかって、ことば(日本語)を歴史的に研究するということで、この研究会は、いろいろ勉強になるところがある。次回は、12月である。たぶん、これも出席することになるかと思っている。

訓点語学会(116回)に行ってきた2017-05-24

2017-05-24 當山日出夫(とうやまひでお)

先日、2017年5月21日は、第116回の訓点語学会研究発表会。京都大学文学部。

この日の京都の予想最高気温は、32℃ということだったので、上着なし、ネクタイなしで行った。会場の教室はエアコンが入れてあるので、そんなに暑くはないのだが、昼食などで外にでるとやはり暑かった。夕方になると、かなり涼しく感じるようになってきた。暑いといっても、真夏のころとは、まだ違う。

訓点語学会といっても、訓点資料をあつかう研究はすくなくなってきている。それよりも、古辞書などをふくめた、国語史研究全般の研究会という感じである。この意味では、近代語研究会も、近代語としてあるとはいえ、ここも日本語の歴史的研究というところに中心があるように思える。それから、国語語彙史研究会も、それに近いかなという気はしている。語彙という限定はついているが、歴史的な研究発表が多い。

大坪併治先生も姿をみせておられた。107歳になられるという。100歳をこえても健康でいるだけではなく、研究活動もなさっておいでである。これは、ことほぐべきこと思う。

研究会が終わって、いつものとおり懇親会に出て、だいたいいつものメンバーで、二次会。京都に宿泊の人の都合を考えて、四条あたりまで出ることにした。手頃な焼き鳥屋さんで、かるくビールでも飲みながら、今回は、古書の話し。

家にかえったら11時ぐらいになっていた。翌朝は、いつもどおりに、5時におきて、子どもを仕事におくっていく(駅まで)。それから、一休みしてしまった。やはり、ここで一休みしないと、後の仕事がつらくなってきた。

家を出ていた間に、表記研究会の案内のメールがきていた。7月1日。東京の清泉女子大学である。「秋萩帖」の特集企画。私は、
「秋萩帖」と「学術情報交換用変体仮名」
ということで話しをする予定。だいたい話す内容は考えてあるのだが、レジュメの準備とかはこれから。

表記研究会のことは、すでに日本語学会のHPにも掲載になっている。

国語語彙史研究会(115回)に行ってきた2017-04-24

2017-04-24 當山日出夫

土曜日(2017-04-22)は、第115回の国語語彙史研究会。同志社大学まで行ってきた。

たまに、街中に出たせいか、何かの花粉などのせいか、翌日の日曜日は、もうひとつ調子がよくなかった。前日の帰りがおそいにもかかわらず、朝一番におきて、子どもを、仕事に送って行く(駅まで)という仕事があったせいもあるのだろうが。

もう還暦をすぎると、特に新しい研究分野に手を出そうという気はなくなってきている。しかし、それでも、国語学の分野で、若い人達が何を考えて、どんな研究をしているのかに、ふれる機会としては、非常に刺激になる。

今回の研究会は、どちらかというと若い人達が中心の発表が多かった。ただ、おおまかな感想を述べるならば、部分的には精緻な考察がなされれているのだが、その発表全体として、何がいいたいのか、いまひとつはっきりしない、という印象だった。とはいえ、最新の若い人達の考えることに触れるよい機会であったと思う。

懇親会は、会場(良心館)の通りをはさんだ、寒梅館の一階のレストラン。ここは、これまで、同志社で研究会などがあったとき、何度かつかったことのある店。

この懇親会では、もう恒例になってしまったかのような感じで、私が、開始の乾杯の挨拶。といって何を話すのでもないが……もう還暦をすぎたので、特に新規の研究をおいかけるというよりも、昔読んだ、古典、名著というようなものを読んで過ごしたいと思っている、岩波文庫とか。それから、日本思想大系など、今では、古書店で安く手に入る時代になったし。まあ、このような話し。

懇親会は、比較的早く終わったので、若い人(奈良女子大学、東京大学)と一緒に京都駅まで行く。手近な店で、かるくビールでも飲みながら、年寄りの雑談。

昔、学生のころには、コンピュータがなかった。論文などは、手作業でカードをつくって、並べて、原稿用紙に万年筆で書いた。それが、パソコンが登場してから、使い始めた。人文学系の研究者としては、パソコン利用の第一世代になるだろう。

それが、今の若い人であれば、デジタル・ネイティブという環境の中でそだってきている。そのような若い人達にとって、昔の手作業のときの研究の話しなど、ある意味で興味のあることかもしれないと思う。

コンピュータの登場によって、何が変わったか、何が変わらないでいるか、このあたりのことを、人文情報学の歴史として、そろそろまとめるような仕事があってもいいのではないかと思っている。

次に学会に出るとすると、訓点語学会(京都大学)になる。それまでには、書斎の本の整理などしてしまおう。あるいは、メインにつかうコンピュータを、今のWin7から、Win10に置き換えてもいいかと思っている。プリンタとスキャナのドライバがあえば、特に問題はない。

28回「東洋学へのコンピュータ利用」でいいたかったこと2017-03-12

2017-03-12 當山日出夫

3月10日は、京都大学人文科学研究所で、第28回「東洋学へのコンピュータ利用」。
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/seminars/oricom/
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/seminars/oricom/2017.html

私の話しは、最初。
「JIS仮名とUnicode仮名について」

これは、去年の表記研究会(関西大学)で、「JIS仮名とユニコード仮名」というタイトルで話をしたものに、再整理して、テーマを、仮名のコード化ということにしぼって、さらに、用例・実例などを、追加したもの。表記研究会では、主に、日本語学研究者を相手だった、今回は、うってかわって、コンピュータや文字コードの専門家があつまる会。

話しの内容の基本は、私の書いているもう一つのブログ「明窓浄机」で書いたことである。

明窓浄机
http://d.hatena.ne.jp/YAMAMOMO/

基本的な主な内容は、すでにここに書いてこと。それに対して、今回特に付け加えて言ったこととしては、ちょっとだけ、最後の方に追加したことがある。それは……翻刻とはどういう行為であるのか、そして、翻刻と文字コードとはどう考えればよいのか、ということ。

今回の研究会、最後の発表が、

永崎研宣(人文情報学研究所)
Webで画像を見ながら翻刻をするためのいくつかの試み

この発表の趣旨は、主に、IIIFによる、画像データの処理。これはこれで、非常に興味深いことなのだが、その先の具体的な話しになると、「翻刻」「翻字」「釈文」というのは、いったい何なのか、という議論の世界がまっているはずである。

常識的に考えて、写本・版本の漢字・仮名を、現在の通行の漢字・仮名におきかえる仕事、といってしまえば、それまでであるが、この時、考えなければならないいくつかの問題点がある。

漢字は、現在の通行字体(常用漢字体)にするのか、それとも、いわゆる正字体(旧字体)にするのか、という問題がある。これは、単純に置き換えることのできな場合がある。

それから、変体仮名の問題がある。全面的に変体仮名が縦横につかわれている近世以前の版本・写本を、現在の通行の仮名字体になおす、これはいいだろう。

ところが、明治以降、近代になってから、活字印刷がはじまってから、変体仮名活字というものが、使用されている。これを、どのように、翻刻するべきなのか。これから、議論しなければならない論点になってきている。

近代になって、特に、戦後、仮名は非常に整理された状態になっている。変体仮名を使おうと思っても、その活字、また、フォントが無い、という状態であった。それが、今般、変体仮名のユニコード提案という事態になって、変体仮名を翻刻につかえる可能性が出てきた。

では、明治時代ぐらいの書籍などで、変体仮名活字がつかわれている場合、そのまま変体仮名で表記するのか、それとも、現在の通行の仮名字体にするのか、新たな判断が求められるようになってくるだろう。

現在でも、古典籍の翻刻などにおいて、「ハ」「見」は、「は」「み」にせずに、漢字の字体を使用するというような慣習がある。(詳しく調べたわけではないが、これは、私の学生のころから、ひろくひろまってきた慣用的な方法のように理解している。)

そして、このような翻刻の方針について、異論を述べる人も現在でもいる。

翻刻における漢字字体の問題、仮名の問題(変体仮名)、このような問題に、すぐに正解があるということではないであろう。あつかう文献の種類や、その翻刻の利用目的に応じて、様々な方式があるとすべきである。だが、これから、本格的に、近代の活字資料の翻刻、デジタルテキスト化ということをむかえて、このことについて、改めて議論を重ねていく必要があるにちがいない。