『夜明け前』(第一部)(上)島崎藤村2018-02-23

2018-02-23 當山日出夫(とうやまひでお)

島崎藤村.『夜明け前』第一部(上)(新潮文庫).新潮社.1954(2012.改版)
http://www.shinchosha.co.jp/book/105508/

今年は、明治維新、日本の近代についての本を読んでみたいと思っている。そのなかで選んだうちのひとつ。再読になる。最初、この作品を読んだのは、若い時、高校生のときか、大学生になっていただろうか。読んだことだけは憶えているのだが、その内用についてまでは、さっぱり忘れてしまっている。

新しく改版してきれいになっている新潮文庫版で読むことにした。まず、第一部の上巻から。

この小説、言うまでもなく、島崎藤村の代表作であり、日本近代文学、自然主義文学の最高峰に位置づけられる作品である。信州馬籠の庄屋に生まれた青山半蔵を主人公とする。これは、藤村の父親がモデルになっている。

時代設定は、幕末から明治維新にかけて。そして、この作品が書かれたのは、昭和のはじめごろになる。第一部が発表されたのは、昭和4年から昭和7年。日本の歴史でいえば、満州事変から五・一五事件のころ、ということになる。この時代、明治維新とはどんな意味をもっていたのだろうか。そこのところが気になっている。

というのは、(話しは変わるが)国立国会図書館の歴音(歴史的音源)で、犬養毅の声を聞くことができる。

演説:新内閣の責務(上)
http://rekion.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1316931

昭和7(1932)年の録音である。この年、五・一五事件が起きている。これを聞くと、なかで、「維新60年」ということを言っている。また、歴史の知識としては、昭和のはじめごろ、「昭和維新」ということばが使われたことも知っている。たしかに、昭和の初期、まさに明治維新から60年ぐらいが経過している。

この時代、まだ明治維新は、記憶のうちにあった時代ということになる。

たとえば、戦後70年以上が経過した今日、太平洋戦争は歴史的な出来事であると同時に、ある一定の世代以上の人びとにとっては、自らの記憶のうちにあるできごとでもある。

島崎藤村は、明治5年(1972)に生まれている。たぶん、島崎藤村にとって、明治維新という出来事は、自分の経験の延長にあったことにちがいない。その藤村が、自分の父親をモデルにして書いたのが『夜明け前』である。

順番に読んでいってみようと思って、まず、第一冊目(第一部、上巻)。この巻で、印象的なのは、次の二点だろうか。

第一は、信州馬籠という、一見すると辺鄙とおもわれがちな地方にあっても、確実に、歴史の動きがおしよせていることである。黒船のやってくる少し前のところから、この小説はスタートする。その黒船騒動が、信州馬籠という宿場町にいても、肌で実感できる歴史的、社会的な出来事として語られている。

具体的には、中山道をとおる、その道中を誰がどんなふうに旅して行ったかということから分かることでもある。ちなみに、皇女・和宮は中山道をとおって江戸に向かっている。

幕末から明治維新の歴史を、江戸でもなく、また、京でもなく、さらには、薩摩でも長州でもない、信州馬籠という宿場を舞台にして描いていることになる。

第二は、これは若い時に読んで印象に残っていることで憶えているのだが、半蔵は、平田篤胤の没後の門人ということになる。若いころ読んだ時に、そんなこともあるのかと思って読んでいた。

まがりなりにも、国語学といような分野で勉強してきて、この年になって、この箇所を読んでみると、近世における国学の隆盛ということを物語るエピソードとして理解できる。

読みながら付箋をつけた箇所……鎖国こそが漢心(からごころ)であって、古代の素直な心にたちかえるとするならば、開国ということになる……という意味のことが書いてあった。国学というと、尊皇攘夷思想と結びつけて考えがちであるが、一方で、このような理解のしかたもあるのかと思って読んだ。国学というものが、日本の近世から近代にかけてもっていた意味について、考えてみなければならないと思った。(強いていうならば、国学という学問の持っている近代的な側面ということになる。)

だが、そうはいっても、世の中の趨勢としては、尊皇攘夷という方向に動いていく。青山半蔵も、そのなかに巻き込まれていくことになる。

以上の二点が、第一部(上巻)を読んで感じたところである。

ともあれ、明治になってから生まれ、日本の近代文学を背負ってきたといってもよい島崎藤村にとって、昭和のはじめごろに、明治維新とはどのようなものとして描かれることになるのか、このような関心をもって続きを読むことにしようと思っている。

『明治天皇』(四)ドナルド・キーン2018-02-17

2018-02-17 當山日出夫(とうやまひでお)

ドナルド・キーン.角地幸男(訳).『明治天皇』(四)(新潮文庫).新潮社.2007 (新潮社.2001)
http://www.shinchosha.co.jp/book/131354/

続きである。
やまもも書斎記 2018年2月3日
『明治天皇』(三)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/03/8781281

この第四巻は、歴史としては、日露戦争から明治天皇の崩御にいたるまでの、明治のおわりの時期のことになる。

読んで印象にのこったことは次の二点だろうか。

第一は、日露戦争。この本は、冷静に日露戦争のことを描いている。読んでみての印象としては、結局、朝鮮半島から満洲にいたる地域の権益をめぐっては、日本とロシアとは戦わざるをえなかったというふうに描いてあると読める。今日の観点からは、日露戦争は、侵略戦争という位置づけができるのかもしれないが、本書では、そのような立場をとってはいない。

そして、世界の歴史のなかで日露戦争を見る視点を忘れてはいない。なぜ、イギリスが日本と同盟することになったのか。また、なぜ、アメリカが和平の仲介に乗り出すことになったのか。このあたりの国際情勢が冷静な筆致で語られる。

第二は、安重根の伊藤博文暗殺事件と、幸徳秋水の大逆事件である。どちらも、明治国家にとっては重大事件である。が、記述のなかで印象に残ることとしては、安重根も、幸徳秋水も、ともに、明治天皇には畏敬の念をもっていた、という指摘である。

明治政府、日本国家に対しては、たしかに反逆したということになる。だが、明治天皇という人(といっていいだろうが)、に対しては、好意的な立場であったことが、二つの事件の記述の中に見える。これは、意外な指摘であるという印象であり、また、明治天皇という一人の近代国家の君主が、その当時の人びとにとって、きわめて魅力的な存在であったということでもある。

以上の二点が、四冊目を読んで、強く印象に残ることである。

明治という時代、近代国家としての日本の成立、このような歴史的背景とは別に、一人の君主としての明治天皇という存在がある。明治天皇を抜きにしては、明治という時代、明治維新という歴史的出来事を語ることはできない。しかし、その一方で、明治天皇という一人の君主は、抜きん出て人を魅了するところがある。明治大帝といわれるゆえんであろう。

別の角度からみれば、たまたま明治維新がおこったときに天皇の地位にいただけのことであったのかもしれない。だが、そうであるにしても、その後、45年間にわたって、「明治」という時代を背負ってきたという歴史的事実の重みがある。これもたまたま明治という年号がつづいた(一世一元)というだけのことかもしれない。だが、そう思って見ても、「明治」という時代ととにあった明治天皇の偉大さというものが、減ずるものでもない。

日本の近代において、明治維新の後、明治天皇という偉大な君主のもとに日本の近代化がすすめられてきた。むろん、それに併行して、社会のひずみや犠牲という面もあったにはちがない。だが、そのようなことをふまえてもなお、明治天皇の残した足跡は偉大であるといわざるをえない。

ドナルド・キーンの『明治天皇』は、特に、新出の史料によって斬新な歴史観を打ち出したという本ではない。多くは既存、既刊の史料、文献によっている。その量は膨大である。その資料をもとに、明治という時代と、明治天皇という君主の一代を描いた本書は、明治150年をむかえた、今日においてこそ、さらに読まれるべき本だと思う。

『銀河鉄道の父』門井慶喜2018-02-16

2018-02-16 當山日出夫(とうやまひでお)

門井慶喜.『銀河鉄道の父』.講談社.2017
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062207508

第158回の直木賞受賞作。読んでみることにした。宮沢賢治の父のことを描いた作品ということで、興味がわいた。ちょうど、『宮沢賢治』(吉本隆明.ちくま学芸文庫)を、読み始めていたところでもあった。

ただ、これは、あくまでも〈小説〉として描いた、宮沢賢治と、その父である。宮沢賢治の評伝として読んではいけないだろう。気楽に読めばいい。そして、そのように読める。

父と子の物語である。実直に質屋をいとなむ父親とその一族。そのなかにあって、その当時としては高学歴の道を歩むことになる子ども、賢治。その生き方の対比が、主に父親の視点から語られる。だが、ここには、深刻な親子の生き方の断絶というものがない。父親は、あくまで慈愛のまなざしをもっている。また、賢治の方でもそれに答えている。

この作品には、あまり文学者としての宮沢賢治の姿は出てこない。ただ、勉強がしたい、地域の人につくしたいという、真面目な青年の姿である。

また、宮沢賢治を論じるとき大きく問題になる法華経信仰の問題、そして、父の信仰(浄土真宗)との対立も、そう深刻なものとしてはあつかわれていない。

作中、印象的なのは、妹、トシの死の場面である。これは、宮沢賢治の「永訣の朝」で知られている。

たまたま、その子どもが宮沢賢治という名の残る文学者であった。だが、このような父と子の物語は、大正時代の地方にあっては、そんなに珍しいものではなかったろう。実直に家業にはげむ親、勉学への志を持つ子ども、その間にある対立、また、通い合う心情。そして、病気。おそらく、どこにでもあり得たであろうような、家庭の姿を描いている。たまたま、この小説の場合、子どもが宮沢賢治という著名な文学者であったということにすぎない。

大正時代、日本のどこにでもあり得た、父と子、家庭の物語として、この作品は読まれればよいのだと思う。

『おらおらでひとりいぐも』若竹千佐子2018-02-05

2018-02-05 當山日出夫(とうやまひでお)

若竹千佐子.『おらおらでひとりいぐも』.河出書房新社.2017
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309026374/

今年の第158回芥川賞受賞作である。

この作品を一言で言うならば、老年小説、とでもいうべきであろうか。

第一に、この作品の作者(若竹千佐子)は、1954年の生まれ。芥川賞の受賞者としては高齢になる。が、そんなことよりも、現代において「文学」の担い手が、高齢化しているということを表しているのだと思う。

かつて、「文学」とは若い人のものであった。その文学青年(今では、もう死語かもしれない)が、年をとってきて、今、老年にさしかかっている。「文学」の読み手も、また、書き手も、老年のことになってきている。

第二に、この作品の描いている世界が、まさに老年の日常である。主人公(桃子)は、七十才を越えて、ひとり暮らしの生活。都市近郊の住宅地に、ひとりで住んでいる。幸い、娘が近くにいるので、なにかと日常の助けにはなっているようだ。だが、病気もある。出かけるといっても、最小限の買い物をのぞけば、病院にいくか、亡き夫の墓参りぐらいである。

いま、まさに、少子高齢化社会をむかえて、どこにでもいるような独居老人の日常を、その心の奥底から描いている。

だが、「老い」を描いたというべきこの小説に、暗さはない。たぶん、意図的にそのような側面を描かなかったのだろうと思われる。老人には老人なりの充実した時間があるというストーリーの展開である。

以上の二点が、「老人文学」として見た場合のことである。

それから、この作品のもう一つの側面としては、「方言小説」それも「東北弁小説」ということがある。作者、それから、主人公は、東北の出身。東京オリンピックのころに東京に出てきて、結婚。家庭をもって、その子どもたちも大きくなり、家を出て、夫は先に亡くなり、今は、独居生活。その生活のなかの奥底からたちあがってくるのが、故郷の言葉、方言、東北方言である。

この小説の独白の多くの部分は、東北弁で語られる。

「東北弁とは最古層のおらそのものである。もしくは最古層のおらをくみ上げるストローのごときものである、と言う。」(p.15)

人間が年老いてきたとき、その人生の体験の原体験とでもいうべきものにたちかえるとするならば、そこにあるのは、母方言である。そして、その母方言としては、東北弁はいかにもにつかわしい。

「老人小説」として、また、「東北方言小説」として、この作品は、今日の日本の「文学」であるというにふさわしいと思う次第である。

『明治天皇』(三)ドナルド・キーン2018-02-03

2018-02-03 當山日出夫(とうやまひでお)

ドナルド・キーン.角地幸男(訳).『明治天皇』(三)(新潮文庫).新潮社.2007 (新潮社.2001)
http://www.shinchosha.co.jp/book/131353/

続きである。
やまもも書斎記 2018年1月22日
『明治天皇』(二)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/22/8774280

三冊目である。この巻は、普通の日本史でいえば、憲法の制定から、日清戦争のころまで。三冊目まで読んで思うことなど、いささか。

第一は、閔妃暗殺の事件に一つの章をつかってあること。この事件のことをめぐっては、普通の日本史の教科書などでは、そう大きくあつかうことはないだろうと思われる。が、この事件は、日本の近代の歴史を考えるとき、はずせないことでもある。

というのは、この『明治天皇』という本は、確かに、明治天皇というひとりの君主の生涯を追っている評伝・歴史書ではあるのだが、同時に、その当時の世界における日本、特に東アジアにおける日本という観点をもって書かれているからでもある。日本だけから見た日本になっていない。(このあたり、ドナルド・キーンという外の目から見た日本であるということになる。今では、著者は、日本国籍であるが。)

第二は、上述のこととも関連するのだが、明治国家にとっての最大の課題として、条約改正を描いていることである。治外法権をみとめ、関税自主権が無い、という不平等条約の改正こそが、明治国家の最大の課題であったという視点がつらぬかれている。

思い起こせば、明治の初めの岩倉使節団の欧米への派遣も、条約改正を視野にいれての準備であったと記述されていた。

現在の日本は、不平等条約のもとにはない。(まあ、在日米軍の問題があるにはあるのだが。)だからであろうか、明治国家の最大の目標が、不平等条約の改正にあったということが忘れ去られてしまいがちである。だが、著者の立場からすれば、世界のなかにおける日本ということを考えるとき、諸外国とどのような条件で条約をむすんでいたのかは、最大の課題ということになる。

以上の二点が、第三巻を読んで強く印象にのこっているところである。

東アジアにおける日本を国際的な視点から見る……このことの一つのあらわれが、第50章「清国の「神風連」」かもしれない。中国近代史では義和団の事件である。このことにかなりのページがつかってある。

これは、幕末から明治にかけての日本の歴史……開国から明治維新……におけるナショナリズム、これを、東アジア全体の流れのなかにおいて見ようという発想からくるものだと思って読んだ。日本におけるナショナリズムの動きが、尊皇攘夷運動から明治維新にいたったとして、では、となりの中国ではどうであったか、義和団の件を軸に記述してある。中国では欧米列強の侵略に対してどう対応したのであろうか。

また、閔妃暗殺事件の流れの裏には、朝鮮におけるナショナリズムをめぐる様々な動きを無視できないとも読み取れる。それが、近代の日本との朝鮮との関係のなかで、不幸な事件をひきおこした遠因であるとも解釈できる。(直接的には、そのように書いてあるというのではないのだが。)

この本は、19世紀の日本、明治という時代を描きながら、同時に、東アジアの歴史における日本を見る視点の重要性を教えてくれる。このような歴史の視点は、まさに著者として人を得て書かれたというべきであろう。

追記 2018-02-17
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月17日
『明治天皇』(四)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/17/8789356

『老いの生きかた』鶴見俊輔(編)2018-02-02

2018-02-02 當山日出夫(とうやまひでお)

鶴見俊輔(編).『老いの生きかた』(ちくま文庫).筑摩書房.1997 (筑摩書房.1988)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480033277/

鶴見俊輔の本をWEBで探していて、たまたま見つけたので買ってみた。こんな本も出していたのかと、ちょっと意外な感じもした。

もとの本が出たのが、1988であるから、一昔前のことになる。その当時の「老い」の状況と、今日の少子高齢化社会を迎えての「老い」の状況は異なるだろう。時代とともに文学があるとするならば、これからの時代、「老い」ということは、大きな文学のテーマになるにちがない。

おおむね、日本の近代文学の作家は若死にしている(今日の平均寿命とくらべて、ということなるが。)漱石など、五十で亡くなっている。だからということもないが、漱石の作品には、あまり「老い」を感じるものがない。鴎外も同様である(史伝になる、すこし趣が違うかもしれないが)。

芥川竜之介や太宰治は、若い時に、自ら命をたっている。

これまでに読んだ作品で、もっとも「老い」を実感したのは、『山の音』(川端康成)である。

やまもも書斎記 2017年2月15日
『山の音』川端康成
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/15/8362121

この鶴見俊輔(編)『老いの生きかた』であるが、「老い」をテーマにしたアンソロジーである。全部で二十編ほどの短い文章をおさめてある。

その最初に収録されているのが、「柳先生」。中勘助の作品である。昭和22年の文章である。小学校のときの思い出として、柳先生のことを書いている。老教師の生活である。短い作品なのだが、最後を読んで、「人生五十年」とある。(私は、もうとうに五十をすぎてしまった。)

まだ、戦後まもないころの時代としては、人間の生涯というのは五十才ぐらいが、一つの節目であったのだろう。それが、いまでは、七十、八十までは、元気でいるのが当然のような時代になってきた。

しかし、人は必ず年老いる。少子高齢化社会において、文学は、どのような「老い」を描いていくことになるのだろうか。ちょうどその時代に、自分自身が生きてきていることになる。

生老病死という。「死」についての文学は多くある。「老」は「死」に向き合うことでもある。だが、今日では、それのみではない。鰥寡孤独の境涯にあって、ひとりで生きていくことの意味を考えることにもなろう。また、社会的には福祉の課題でもある。

これからの読書、自らの「老い」を考えることにもなるのかと思っている。

と、以上の文章を書いたのが数日前。今、読んでいるのは、『おらおらでひとりいぐも』(若竹千佐子)、第158回の芥川賞である。これは、まさに、老年小説というべき作品。この本については、後ほど。

『明治天皇』(二)ドナルド・キーン2018-01-22

2018-01-22 當山日出夫(とうやまひでお)

新潮文庫版の『明治天皇』の二冊目である。

一冊目については、
やまもも書斎記 2018年1月20日
『明治天皇』(一)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/20/8773017

ドナルド・キーン.角地幸男(訳).『明治天皇』(二)(新潮文庫).2007 (新潮社.2001)
http://www.shinchosha.co.jp/book/131352/

この二冊目で描かれるのは、明治維新から、明治十四年の政変、自由民権運動(植木枝盛)ぐらいまで。明治維新を経て、東京に政権が確立してから、近代的な国民国家になっていく、まさにその出発点のできごとが、基本的に編年式に語られる。

この巻を読んで印象に残るのは、やはり西南戦争である。西郷隆盛の征韓論からの動き、不平士族の騒乱、そして、おこる西南戦争とその決着。この一連のながれについては、『翔ぶが如く』(司馬遼太郎)が描いたところでもある。

ちなみに、『翔ぶが如く』は、二回読んでいる。司馬遼太郎の小説は新聞連載が基本だから、途切れ途切れに読んでも筋が追っていける。電車の中で読む本と決めてカバンの中にいれておいて、昔の若い頃に読んだ。『坂の上の雲』も、電車の中で読んだ本である。

それを読んでの知識が事前にあったせいかもしれないが、歴史上起こった西南戦争を、より客観的に、東京にいる明治天皇の視点ではどのような出来事であったのか、という冷静な記述に、ある種の感銘をうけて読んだ。

この『明治天皇』(新潮文庫)の二巻目まで読んで思ったことなど、いささか書くとすれば、次の二点であろうか。

第一には、著者(ドナルド・キーン)は、アメリカの人(今では、日本国籍であるが。)この本は、その外国の目から見た日本の近代史である。普通の日本の歴史……学校の教科書に出てくるような、あるいは、一般の歴史小説で描かれるような……とは、異なる視点から歴史を見ている。

そのことがよく分かるのは、沖縄の問題。明治になって、沖縄県が設置されるまで、沖縄は琉球国という独立国であった。それが、半分は清朝に朝貢し、かたや薩摩藩の支配下にもある、という二重の立場であった。この沖縄が、明治になって、日本国の領土に組み入れられプロセスを、かなりのページをつかって記述してある。

一般の学校の日本史の教科書であれば、沖縄は、はるか古代から日本の領土の一部であったという立場である。このような立場を、著者(ドナルド・キーン)はとっていない。あくまでも、近代になってからの日本の領土としての沖縄ということで、記述してある。

これは、北海道についても同様な視点がある。北海道、樺太、千島、これらの領土が確定したのは、明治になってからロシアとの交渉があってのことである。それまで、北海道(蝦夷)は、完全に幕府の支配権の及ぶところではなかった。

また、明治14年のこと、ハワイ王国の王(カラカウア)が日本をおとづれている。このことに一つの章がつかってある。ハワイもまた、近代になってから、アメリカの領土に組み込まれた新しい土地である。明治のこのころには、ハワイはまだアメリカのものではなかった。そのハワイと明治政府との間で条約が結ばれている。幕末にアメリカと結んだ不平等条約のようなものではなく、これは対等なものであった。

このような視点で、日本の近代史を語ることは、普通の日本史では希なことだと思う。少なくとも、学校で教えている日本史では出てこない。

第二に、第二巻まで読んでも、明治天皇その人の声とでもいうべきものは、ほとんど見えてこない。『明治天皇紀』によって、史実が淡々と記述される。希に明治天皇の思いが出てくると、それは、和歌によってである。

そして、その明治天皇であるが、第一巻から読んでくると、孝明天皇の皇子として京都で生まれたものの、帝王教育というようなものはうけていない。塀の奥の、京都の御所の奥深く、一般の市民とは隔絶したところで育った。それが、明治維新になって東京に出てくることになって、外国からの賓客と接する必要がおこるようになって、また、明治宮廷の近代化ということが行われることになって、徐々に、近代的な天皇らしくなっていく。また、メディアにおける天皇のイメージ……錦絵であったり、写真であったり……も、明治なってから、徐々に形成されていくことになる。

ところで、天皇で思い出すのは、今上天皇のこと。その退位の意向を示されたメッセージのなかで、日本各地を旅して人びとの暮らしによりそうことが象徴天皇としてのつとめである旨のことを、語っておられた。このような天皇のあり方は、先の昭和天皇をひきついでいるものでもあろう。

天皇の巡幸ということは、明治になってからの「発明」(この用語は著者はつかっていないが)である。例えば、伊勢神宮でも、明治になるまで天皇が参拝するということはなかった。

近代になってからの明治天皇のイメージというものも、やはり明治になってから創り出されてきたものであり、それには明治天皇自身の意思も働いていたところもあるし、周囲の重臣たちの意向でそうなっていったというところもある、この年代的な変化が、編年的に語られる『明治天皇』を順番に読んでいくと、感じ取れるところである。

以上の二点が、第二巻までを読んで思ったところである。

次の第三巻は、憲法の制定から、日清戦争のできごとになる。楽しみに読むことにしよう。

追記 2018-02-03
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月3日
『明治天皇』(三)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/03/8781281

『明治天皇』(一)ドナルド・キーン2018-01-20

2018-01-20 當山日出夫(とうやまひでお)

ドナルド・キーン.角地幸男(訳).『明治天皇』(一)(新潮文庫).新潮社.2007 (新潮社.2001)
http://www.shinchosha.co.jp/book/131351/

以前に新潮社から『明治天皇』(上・下)として出ていたものを、文庫版にして四巻にしたもの。順番に読んでいっている。まずは、第一冊目からである。

第一巻は、明治天皇の生いたちから、明治維新、東京遷都のころまでをあつかっている。読んでみて思ったこととしては、まさにこの本は、書かれるべくして、人を得て書かれた本であるという印象である。いうまでもなく、著者(ドナルド・キーン)は、アメリカでの日本文学研究の第一人者。その著者が、明治天皇という、日本近代の天皇の評伝を書いている。

読んで感じるところは、実に平明で、バランスのとれた、そして、史実にのっとった記述になっているということである。

もとは英語で書かれた本を、日本語に訳してある。だが、その執筆(翻訳)にあたっては、日本で刊行された史料によっている。この本で、引用してある史料については、原文に依拠して記載してある。(英語で書かれたものを、日本語の史料にもとづいて、その箇所をあつかってある、ということである。原文が漢文のものは書き下しで示してその後に現代語訳の説明があるので、一般にわかりやすい記述になっている。つまり、英語を介した日本語にはしていない。)

特殊な史料によっているということはない。基本的に公刊されている史料、記録類によっている。この本の記述は、基本的に『明治天皇紀』にしたがっているとみていいだろう。また、そこに描き出される明治天皇のイメージも、きわだって特殊ということではない。その時代の、その史料によって、自ずから描き出される明治天皇像である。

各章ごとに詳細な注がついている。史料の典拠がしめしてあり、異説・異論のあるものは、その旨が書いてある。

第一巻は、父である孝明天皇のことからはじまる。明治天皇の出生から、明治になって天皇が東京に行くまでのことが書かれている。幕末史であり、主に京都の宮廷から見た明治維新史でもある。それが、ほどよい密度で、典拠とすべき史料に依拠して記述してある。簡略にすぎることもないし、細かすぎて読むのに苦労するということもない。極端に保守的でもないし、また、逆に反体制的という立場でもない。幕末から明治維新にかけての時代背景のもとに、京都の宮廷、明治宮廷がいかに対応してきたか、冷静な筆致で描かれている。基本は、編年式に年代を追って記述してあるが、テーマによっては紀伝式に事柄の筋をたどってある。

読みながら、かなりの付箋をつけてしまったのだが、その中のいくつかを見ておくことにする。二つばかりについていささか。

第一は、五箇条の御誓文である。明治維新になって、新政府の方針を示した指針として、私などの世代であれば、学校の歴史の教科書に載っていたのを覚えた記憶がある。この五箇条の御誓文は、まさに「御誓文」という名がしめしているとおり、神道の形式にのっとっている。

この意味では、明治という新しい時代の幕開けを象徴する史料(出来事)でありながら、その復古的な面(王政復古によって明治政府は誕生した)も、同時に持っていることになる。

ここからはさらに、なぜ「御誓文」という神道による形式で、明治新政府の方針が公にされることになったのか、その歴史的、文化的な意味を考えることが必要になってくるだろう。この『明治天皇』では、そこのところまでの考察はなされていない。だが、神道によっていることの指摘はきちんとしてある。

第二は、歌である。明治天皇は歌人でもあった。その歌について、著者(ドナルド・キーン)は、次のように記している。

「これらの和歌には、詠み手の感情や個性がほとんどうかがわれない、いや皆無と言ってもいい。天皇と皇后は、過去千年間の無数の宮廷歌人とまったく同じ作法で春のおとずれの喜びを歌っている。言い回しや言葉の影像に独創を取り入れようという意図などまったく無い。韻律的に正確なこれらの和歌を詠むことは、伝統的な宮廷文化に精通していることを示すにとどまった。」(p.456)

明治になるまで……極言するならば正岡子規が登場するまで……宮廷和歌とは、このようなものであったし、それでよかったのである。これはこれで、歌の伝統である。むしろ、このような、ある意味でのマンネリは評価されるべき面でもある。

以上の二点ぐらいが、書き留めておきたいと思ったことである。

この第一巻から読み取れる歴史としては、明治維新、王政復古ということは、京都の宮廷から望んだことではなく、幕末の時代、倒幕という時の勢いにのせられて、そうなってしまった、ということらしい。孝明天皇は、攘夷主義者であったし、公武合体の立場であった。それが急死してしまい(その死は謎につつまれているようだが)、幼い明治天皇の時代になって、大政奉還、明治維新ということが起こってしまった、このように、京都の宮廷から見ればなるのだろうか。

御誓文という神道の形式、また、歌に象徴される京都からの伝統文化をひきついだものとして、明治宮廷は、明治維新、文明開化の時代をむかえていくことになる。それは、第二巻以降になるのだろう。楽しみに読むこととしたい。

追記 2018-01-22
この続きは、
やまもも書斎記 2018年1月22日
『明治天皇』(二)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/22/8774280

『現代秀歌』永田和宏2018-01-13

2018-01-13 當山日出夫(とうやまひでお)

永田和宏.『現代秀歌』(岩波新書).岩波書店.2014
https://www.iwanami.co.jp/book/b226294.html

たまたまテレビをつけたら、歌会始の中継だった(2018年1月12日)。「歌」というものについて、考えるとき、はるか古代の万葉の時代から、今日にいたるまでの、様々な歴史がある。純粋に文学として享受する方向もあるだろうし、(私がかつて学んだような)折口信夫のように民俗学的な方向から考えるアプローチもある。

歌会始には、新年にあたり、天皇が、一般から歌を募集し、そしてまた自らも歌を詠む……ここには、千年以上にわたる、この国における、天皇と歌との関係がひきつがれていることを見てとれる。

しかし、その一方で、歌、特に短歌は、近代になってから、新たな文学の領域を開拓していった、文学の形式の一つであるともいえよう。この意味での現代における短歌のあり方を考えるうえで、この本は非常に参考になる。

すでに、この本については、各方面からいろんな評価がなされているだろう。ここでは、私が読んで一番印象に残った歌について書いておきたい。

「ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば聲も立てなくくづをれて伏す」

宮柊二、『山西省』(昭和24年)

おそらく近代になってから、戦争において、いったどれだけの歌が詠まれたことであろうか。おそらくは、日清・日露の戦争の時代から、日中戦争、太平洋戦争の時代にいたるまで、様々な立場で、様々な内容の歌が詠まれてきたにちがいない。

そのなかには、戦意高揚の歌もあったろう。あるいは、戦死を嘆く歌もあったにちがいない。あるいは、死地に赴く身の上を歌に託した軍人・兵士もいただろう。たぶん、それらの大部分の歌は、文学とは認められないできている。今の時代、戦意を鼓舞するような歌を、文学とは認めることはない。

私は、ここでそれらの大量の歌を文学と認めるべきだといいたのではない。文学以前のものとして、そのような歌が詠まれてきたことを率直に認めることが重要だと思うのである。歌というものが、為政者にとっても、また、庶民・兵士にとっても、戦争にあたっての様々な思いを託すことのできる文学の形式であったこと、そのことの歴史的な意味について思ってみる必要がある。

太平洋戦争の開戦を決定した御前会議において、昭和天皇が、明治天皇の歌を読み上げたことは、広く知られていることである。明治天皇も、日常的に歌を詠んでいた。昭憲皇太后も歌を残している。

そのような歴史的背景があるものとして近代の歌を考えてみたとき、宮柊二の戦時中の兵士としての出来事を詠んだ歌は、改めて意味のあるものとして現れてくることになると感じる。

古代から連綿と続く歌の歴史を考えてみるときに、近代・現代になって、歌人がそれぞれに歌の領域をさぐってきた。私は、狭義の文学ではなく、広義に文学以前の文学までふくめて歌というものを考える視点こそ、近代・現代の歌のもつ意味を把握するうえで重要になると考えている。この意味において、折口信夫のような民俗学的な歌の理解は、再考察されるべきであると思う。

歌会始のような伝統的儀礼における歌、それを考えると同時に、近現代における文学としての短歌、これらを総合的に見ることが求められる。

『現代秀歌』の著者、永田裕和は、歌会始の選者のひとりでもある。現代を代表する歌人が歌会始の選者をつとめることの歴史的意味というものについて、少し考えてみたりしている。

『武揚伝 決定版』佐々木譲2018-01-12

2018-01-12 當山日出夫(とうやまひでお)

佐々木譲.『武揚伝 決定版』(上・中・下)(中公文庫).中央公論新社.2017 (中央公論新社.2015)

http://www.chuko.co.jp/bunko/2017/11/206488.html

http://www.chuko.co.jp/bunko/2017/11/206489.html
http://www.chuko.co.jp/bunko/2017/11/206490.html

やまもも書斎記 2017年12月21日
『武揚伝 決定版』(上)佐々木譲
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/21/8752206

やまもも書斎記 2017年12月25日
『武揚伝 決定版』(中)佐々木譲
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/25/8754718

やまもも書斎記 2018年1月5日
『武揚伝 決定版』(下)佐々木譲
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/05/8762607

三巻を読み終わってのまとめて思ったことなど、いささか。三点ほど書いてみる。

第一に、万国公法である。今日でいう国際法、これにのっとるかたちで、榎本武揚はたたかっている。交戦団体としての、外国にみとめられる存在であること。言い換えるならば、(このような表現はこの小説では言っていないが)ゲリラではない、ということである。京都の政権に対して、奥羽越列藩同盟は独立した主権をもつものとして、あつかわれている。

そのため、その当時の列強諸外国も、戊辰戦争については、局外中立の立場をとった。そのことを背景にして、榎本武揚の戦いもあった。

戊辰戦争という内戦を、国際的な視点から見る、ということになる。もし、戊辰戦争のとき、イギリスやフランスなどが、それに乗じて内戦に加わっていたならば、日本の明治維新はなかったかもしれない。それを避けたという意味においても、武揚の戦い方の意義があったことになる。

この小説を読んで感じたことであるが……独立した組織であり、かつ、武力をそなえているならば、それは、国際法上の独立国とみなしうる……これは、『沈黙の艦隊』の論理である。さもありなん、下巻の解説(忍澤勉)で、このことに言及してあった。

第二に、自由と平等の共和国である。榎本武揚は、蝦夷ヶ島(後の北海道になる)に、京都政権とは独立した自治の国を建設しようとした。それは、自由と平等を基本理念とする、共和制の国である。

これは、その後、明治維新の後の日本……立憲君主制による中央集権国家の樹立……と対比して見るとき、あり得たかも知れない、日本の近代のもうひとつの姿ということになる。明治維新後の日本の国家の歩みを相対化して見る視点がここにはある。

第三に、この小説は戊辰戦争までで終わっている。だが、榎本武揚は、その後、明治政府のもとでも活躍している。開拓使出仕、ロシア駐在全権大使、清国駐在全権大使、逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣、などを歴任している(下巻、p.526)

このことについて、著者(佐々木譲)は次のように記している。

「明治政府の手に負えぬ事業が出てきたとき、そのつど武揚がプロジェクトの現場と実務の責任者を引き受けたということである。」(p.526)

戊辰戦争後の武揚の事跡については、一ページほどの記述があるにすぎないが、近代国家としての明治の日本がなりたっていくために、なくてはならない人物であったことが理解される。

このような人物について、その若い時……戊辰戦争のとき、武揚は三十二才であった……のことで、この小説は終わらせている。もし、その後の武揚の活動を描写していくならば、そのまま、明治の日本の近代化の歴史に重なるものとして描かれることになるであろう。

以上の三点ぐらいが、『武揚伝 決定版』を読んで思ったことなどである。

中央公論新社が、このときにこの本を出したというのは、明治150年ということで、それに関連する本をということなのかもしれない。が、そのようなこととがあるとしても、150年前の明治維新を考えるとき、戊辰戦争で負けた側、幕府側に、武揚のような人間がいたということは、興味深い。えてして歴史は勝った側から描かれがちである。この意味において、負けた側の立場からの歴史小説ということで、この作品の価値がある。また、明治維新とは何であったかを、改めて考えるきっかけになる作品であると思う。

「決定版」の後書きを見ると、新しく出てきた史料などによって、かなり榎本武揚の評価は変わってきているらしい。明治維新の歴史も、150年を経て、新たな段階になってきたということである。