『定本日本近代文学の起源』柄谷行人2017-02-20

2017-02-20 當山日出夫

柄谷行人.『定本日本近代文学の起源』(岩波現代文庫).岩波書店.2008 (岩波書店.2004)
https://www.iwanami.co.jp/book/b255833.html

この本の初版は、1980年(所収の、初版あとがきによる。)

今から30年以上も前の本である。初版が出てから、幾度か版を変え、あるいは、外国語版(翻訳)があって、それへのあとがきを追加などがある。この岩波現代文庫版が、最新のものということになる。

この本を再び読んでみたくなったのは、武田徹が、『日本語とジャーナリズム』で言及していたからである。再度、自分の目で、読んで確認しておきたくなった。

やまもも書斎記 2016年12月28日
武田徹『日本語とジャーナリズム』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/12/28/8296921

この本からは、次の二ヶ所を引用しておきたい。

「つまり、表現されるべき「内面」や「自己」がアプリオリにあるのではなく、それは「言文一致」という一つの物質的形式の確立において、はじめて自明のものとしてあらわれたのである。かつてのべたように、「言文一致」とは、言を文にうつすことではなく、もう一つの文語の創出にほかならなかった。したがって、単に口語的に書く山田美妙や二葉亭四迷の初期の実験は、森鴎外の『舞姫』(明治二三年)が登場するやいなや、たちきえるほかなかった。」(p.170)

「これまでにもくりかえし述べたように、私は「文学史」を対象としているのではなく、「文学」の起源を対象としている。」(p.149)

だが、そうはいっても、この本は、「文学史」として読まれてしまうことになる。これは、その「起源」を尋ねることが、おのずと「歴史」を語ることになってしまうからである。そして、これは、筆者には不本意なことかもしれないが、現代において、本書を除いて、手軽な「近代文学史」がほとんど無い、ということもある。

さらに引用するならば、次の箇所になるだろうか。

「明治二十年代における「国家」および「内面」の成立は、西洋世界の圧倒的な支配下において不可避的であった。われわれはそれを批判することはできない。批判すべきなのは、そのような転倒の所産を自明とする今日の思考である。(中略)「文学」、すなわち制度としてたえず自らを再生産する「文学」の歴史性がみきわめられなければならないのである。」(p.137)

このような視点たったとき、今、私の考えることとしては、日露戦争後の文学としての、夏目漱石の諸作品……漱石は、ほとんど日露戦争と同時に文学(小説)の世界にはいったと考えていいだろう……を、どう理解し、読むかということになる。

あるいは、(最近、私が読んだりしたもののなかでは)志賀直哉の作品など。明治40年すぎてから書かれている。これらの作品を、今日の視点から、どのように、読むのか、ということが問いかけられることになるのだと理解する。

ただ、私は、近代文学については、単なる読者の一人でありたいと思っているので、これ以上の言及はしない。だが、漱石などを読むとき、その文章(近代的な口語散文)の成立と、その文学とは、密接に関連しているということを確認しておけばよいと思っている。

漱石が、その小説において、どのような文章の技巧をこらしているかは、すでに少し見たことがある。

やまもも書斎記 2016年12月1日
漱石『三四郎』の野々宮と野々宮さん
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/12/01/8263506

やまもも書斎記 2016年12月2日
漱石『三四郎』の野々宮と野々宮さん(その2)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/12/02/8265835

近代の文学において、どのような文章によって、何を書くのか、また、その対象は、はたして自明なことなのであろうか。近代的な市民社会における自己、自我というものは、アプリオリに存在するものなのだろうか。このようなこと、『定本~~』を再読してみて、いろいろと考えてみたりしている。

『暗夜行路』志賀直哉2017-02-17

2017-02-17 當山日出夫

志賀直哉.『暗夜行路』(新潮文庫).新潮社.1990(2007改版)
http://www.shinchosha.co.jp/book/103007/

「暗夜行路』の成立の事情は複雑である。

ジャパンナレッジでみると、概略はつぎのようになる。

大正10年(1921)年から昭和12年(1937)にかけて『改造』に断続連載。前編は、大正11年(1922)。後編は昭和12年(1937)。十数年以上の年月をかけて書いた、志賀直哉の唯一の長編小説である。

この作品、若い時、高校生ぐらいのときだったろうか、読んだことを憶えている。そのときは、そう感動するということもなかったが、最後の、大山の登山の場面だけは、妙に印象深く記憶に残っていた。この作品をはじめとして、志賀直哉の作品など、改めて再読してみたくなって読んでみた。

作品中、地域としては、東京だけではなく、尾道、それから、京都を舞台にしている。この作品を読んだのが高校生のころだったとすれば、その当時は、京都の宇治に住んでいたから、京都を描いた文学として記憶にあってもいいようなものだが、その記憶が私にはない。

この意味では、『細雪』の京都の花見の場面を憶えているのとは対照的である。まあ、『細雪』は、国語の教科書でも出てきて読んだということもあるのかもしれない。だが、その土地を、どのように文学的に描写するかということも関係してくるだろう。

漱石も京都を描いている。京都に足をはこんでもいる。だが、一般的に、近代文学のなかの京都というのは、あまり印象にのこっていない。個人的に強く印象にのこっているのは、『檸檬』(梶井基次郎)だろうか。これも、高校生ぐらいのときに、読んだ本である。ちなみに、そのころ、京都の丸善にはよく行った。むろん、『檸檬』に描かれた丸善とは違っているのだが。

やまもも書斎記 2017年2月1日
『細雪』谷崎潤一郎(その一)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/01/8346499

やまもも書斎記 2016年12月12日
NHK「漱石悶々」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/12/12/8273984

今になって再読してみて、京都を舞台に描いている小説の一つだな、という感じはしても、その京都の街に文学的印象を持つような書き方にはなっていない。いや、文学的印象という観点では、始めの方に出てくる尾道の街の描写の方が印象深い。

再読してみて、やはり作品全体として印象的なのは、大山の登山のシーン。もっと延々と詳細な描写があったように記憶していたのだが、再読してみると、登山そのものの記述は、ごくあっさりとしたものである。

だが、そこで描かれている、自然描写、それから、人生観、人間観というべきものは、感動的といってもよい。

付箋を付けた箇所。

「それからの彼は殆ど夢中だった。断片的には思いのほか正気のこともあるが、あとは夢中で、もう苦痛というようなものはなく、只、精神的にも肉体的にも自分が浄化されたということを切りに感じているだけだった。」(p.558)

この長編は、決して読みやすいものではない。特に波瀾万丈の事件がおこるというようなものではない。なにがしか罪の意識とでもいうようなものを背負った主人公(時任謙作)の、心境小説とでもいうべき描写がながくつづく。だが、それを我慢して最後まで読んで、登山の場面になると、ああここまで読んできてよかったなあ、と感じる。最後の登山の場面において、主人公に同化して自分自身も浄化されるような印象が残った。

志賀直哉の作品、短編など、さらに読んでみようと思っている。

『山の音』川端康成2017-02-15

2017-02-15 當山日出夫

川端康成.『山の音』(新潮文庫).新潮社.1957(2010改版) (筑摩書房.1954)
http://www.shinchosha.co.jp/book/100111/

ひさかたぶりの再読になる。最初に読んだのは、高校生のころだったろうか。正直にいって、有名な作品であるという理由で読んではみたものの、なにがいいのかさっぱりわからなかった。文学的感性については、ある程度のものをもっていたと、いくぶんの自負はあるものの、さすがに、この作品を味わうのは、高校生では無理であったかと、しみじみと思う。この年、還暦をすぎて、この小説の主人公とほぼ同じ年代になって読んでみて、つくづくと感じ入るところのある作品である。

文庫(新潮文庫)の解説を書いているのは、山本健吉。この小説を、一種の心境小説としても読める、とある。とはいえ、単純な心境小説ではなく、何重にも入り組んだ虚構のうえになりたっている描写をさして、そのように表現している。そう言われてみると、なるほどと感じる。

読みながら付箋をつけた箇所。

「冬の朝、暗いうちに目をさまして、信吾がさびしく思うようになったのは、いくつごろからだろうか。」(p.224)

(電気カミソリを掃除して)「ふと下を見ると、信吾の膝に極く短い白毛がぽつぽつ落ちていた。白毛しか目につかなかった。/信吾はそっと膝を払った。」(p.285)

(ネクタイの結び方をふと忘れてしまって)「結びかけたのをいったんほどいて、また結ぼうとしたが結べなかった。」(p.353)

他にもあるが、上記のような、「老い」を感じさせる描写に、しみじみとする。(私の経験では、さすがに、ネクタイの結び方を忘れるということはないのであるが。)

ジャパンナレッジ「日本大百科事典」を見ると、『山の音』は、1949から1954、とある。川端康成は、1899年の生まれだから、50歳代前半にこの小説を連載していたことになる。主人公の信吾は、60歳ぐらいの設定。書いていたときよりも、すこし上の年齢の設定になっている。それを、このように描ききるというのは、これこそ文学的想像力というものなのであろう。

この小説を読んで、ふにおちる、あるいは、はっとさせられる描写が、上記の引用など、多々ある。それは、私自身が、年をとってきたということでもあるし、さらには、この小説の描写によって自分自身の「老い」を意識させられる、気付かせられる、ということでもある。

こういうのを文学というのである。そして、この文学が、若い時にわからなかったのは、いたしかたのないことなのかもしれない。

ところで、この小説を読みながら思ったこと……小津安二郎の映画を見ているような感じがしてしかたがなかった。となると、原節子が演じるのは、どの役だろうか。菊子か、それとも、英子か。このようなことが、読みながら、頭からはなれなかった。(このような印象をもって、この小説を読む人も多いのではないだろうかと推測したりしているのだが。)

ともあれ、文学は若いときにだけ読むものではない。年をとってから、昔、若い時にわからなかった作品を再読してみると、その良さがわかることもある。『山の音』は、さらに読んでみたい作品である。

追記 2017-02-15
この文章を書いてアップロードしてから、検索してみて、『山の音』が映画化されていることを知った。成瀬巳喜男監督。原節子が、菊子の役を演じているよし。

『魚雷艇学生』島尾敏雄2017-02-12

2017-02-12 當山日出夫

島尾敏雄.『魚雷艇学生』(新潮文庫).新潮社.1989 (新潮社.1985)
http://www.shinchosha.co.jp/book/116404/

この本、新潮社のHPには掲載になっているが、オンラインの書店のHPなどを見ると、もう売っていないようだ。島尾敏雄の作品が、ここにきて再評価されるかもしれない。この本も、重版にならないだろうかと思うが。

震洋……太平洋戦争における、特攻のひとつである。この作品は、震洋(魚雷艇)の部隊の指揮官となって、ついに出撃することなく終戦をむかえた、筆者の自伝的な、あるいは、私小説的な作品である。

この小説は、筆者が、予備学生として海軍にはいるところからはじまる。そして、いくつかの訓練を経て、奄美大島に赴任するまでを描いている。このつづき、最終的に、出撃することなく終戦を迎えることになる経緯、その後のことなどは、『出発は遂に訪れず』に書かれることになる。さらには、『死の棘』につづくことになる。

この本を読んで、私のなかに去来したものはといえば、同じく、太平洋戦争末期に特攻として出撃し、奇跡的に生還した、吉田満の一連の作品である。吉田満も、学生を経て、海軍にはいっている。学生であるから、同じく、士官としてである。

ここで、単純に、吉田満と比較することはさしひかえておきたいと思う。特攻というのは、どう考えても、人間としての極限状態である。それは、そう簡単に比較考量することのできる体験ではないだろう。

文庫本で200ページ弱の作品である。しかし、そこに描かれている事実は重い。だが、なんと淡々とした筆致であることか、とも感じる。

筆者は、海軍にはいって、最初は、魚雷艇の乗組員としての訓練をうける。これは、いかに危険といえども、生還の余地はある。それが、途中から、特攻に切り替わることになる。爆弾を搭載したモーターボート、震洋、である。これに、筆者は、「志願」することになる。

戦記の類いを呼んで、特攻は基本的に「志願」という名のもとに行われていたことは、あったろう。しかし、実際は、強要に近かったとしても、である。

その「志願」にいたる過程が、実にあっさりと書いてある。おそらくは、いろんな煩悶、苦悩はあったろうが、そんな様子は筆者は描かない。これは、筆者だけのことではなく、周囲のおなじ特攻隊員についても、同様である。きわめて淡々とした描写である。

読みながら付箋をつけた箇所。

「震洋、回天、伏竜など特攻兵器の訓練場所にも当てられたために」(p.80)

実にあっさりと書いてある。「震洋、回天、伏竜」どれも、太平洋戦争の末期になって登場した、特攻兵器の名である。非人間的のきわみといってもよい。だが、筆者は、特攻ということに、特に言及することはない。ただ、そのような兵器があり、そのための人員として選ばれ、そして、そのための訓練をうける、その日常をつづっている。

特攻隊員であることについて、筆者はどう思っていたのか、表だった意見めいたものは描かれていない。描かれているのは、その訓練の日常である。それが、現在の視点からみれば、どんなに非人間的なものであるとしても、その残酷さを告発するような視点を、作者はとっていない。

死が日常にある……それを、静謐な文章でつづる。

これほど、非人間的で、残酷ともいうべき日々のできごとを、平明な視点で書き綴ってあるこの作品は、逆に、その静謐さゆえに、特攻という極限状況におかれた人間のあり方を、我々の前にしめしていてくれる。

それは、静謐、平明でありながら、全体にわたっている張りつめた緊張感のある文章によって、である。人間の極限状況を、このように平明につづるということは、おそらく、きわめて強靱な精神力があってのことである。

この作品を読んで感じるのは、落ち着いた筆致の背景にある、並々ならぬ筆者の精神力でなければならない。

しいて蛇足を付け加えるならば、文学、小説、なかでも私小説という形式の文章を書くということが、筆者をささえているのだとも感じ取れる。おそらく、私小説というようなジャンルがなければ、筆者は、この作品を書き得なかったにちがいないだろう。

『海辺の生と死』島尾ミホ2017-02-10

2017-02-10 當山日出夫

島尾ミホ.『海辺の生と死』(中公文庫).中央公論新社.1987(2013改版) (1974 創樹社)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2013/07/205816.html

この文章を書こうと思って、本を検索してみたところ、この作品は映画化されるらしい。が、私としては、

『狂うひとー「死の棘」の妻・島尾ミホー』.梯久美子.新潮社.2016
http://www.shinchosha.co.jp/book/477402/

を読んでみたい。その前に、島尾敏雄の作品、それから、島尾ミホの作品をあらかじめ読んでおきたい、そう思って手にしたものである。

『死の棘』については、すでに書いた。

やまもも書斎記 2017年1月26日
『死の棘』島尾敏雄
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/01/26/8333549

この『海辺の生と死』である。一読してであるが、なんと、清冽で純朴な叙情性をおびた文章であることよ……そして、島尾敏雄の『出発は遂に訪れず』と一緒に読むと、まさに、現代日本文学の奇跡とでもいうべき、男女の、夫婦の文学である。

読んで印象にのこる作品は、まず、『洗骨」である。

一度、埋葬した死者の骨をとりだして、洗ってきれいにして、また納める儀式。このこと、知識としては、南方(沖縄など)の風習として知ってはいたが、実際に、文章に詳しく書かれたのを読むのは、初めてである。

しかし、死者儀礼にまつわるような不気味さというようなものはまったくない。また、単なる民俗の記録という文章でもない。いってみれば、清らかな印象のある文章である。

この作品に代表されるような、南方(奄美大島)の生活、習俗、風習、生活といったものが、細やかで清潔感あふれる文章でつづられている。その一部始終が、少女の視点によりそって、叙情的に細やかな感性でつづられている。

それから、忘れてはならないのは、「その夜」という作品。これは、夫・島尾敏雄の書いた「出発は遂に訪れず」のことを、女性(後に結婚することになる)の立場から、描いている。

どちらを先に読んでもいいようなものかもしれないが、ともかく、両方の文章を読んでみることは、非常に興味がある。

この短編集『海辺の生と死』は、島尾ミホという希有な文学者の残した作品であると同時に、島尾敏雄の文学を理解するうえで、常に参照されるべきものである。

しかし、そんな講釈は抜きにして、この本はいいと思う。

今回の新しい中公文庫版には、吉本隆明の文章もおさめられている。「聖と俗ー焼くや藻塩のー」という、吉本隆明の南方文化論である。それから、解説を書いているのは、梯久美子。

『出発は遂に訪れず』も読んだが、この感想などはまた改めて。『狂うひと』は、買ってある。これから読むことにしよう。

『雪国』川端康成(その二)2017-02-09

2017-02-09 當山日出夫

『雪国』ついてについて続ける。

川端康成.『雪国』(新潮文庫).新潮社.1947(2006改版) (原著 1937)
http://www.shinchosha.co.jp/book/100101/

さらに付け加えるならば、主人公・島村の氏素性である。演劇の評論をしているとは書いてあるが、それで生計をたてているということではないようだ。次のような記述がある。

親譲りの財産で徒食する島村(p.127)

戦前の時代、いわゆる「高等遊民」というべき人びとがいたことは確かだろうが、その中の一人ということになる。島村の家庭では、夫が、休暇に温泉地に行って、その芸者と関係をもつことを、黙認している。

ところで、このブログで、先週は、『細雪』(谷崎潤一郎)をいろいろ眺めてみた。『細雪』は、喪失してしまったものの哀惜を描いた作品であるといえると書いた。芦屋の「中流」の家庭は、ある意味で、高等遊民に通じるものがあるだろう。だが、『雪国』を読んでみても、それが、戦後になって失われてしまったという喪失感のようなものは感じさせない。全編にみなぎる叙情性が全面に打ち出されてきている。その叙情性の故に、いまでも、日本近代文学の代表として読み続けられている作品ということになる。

高等遊民として、文筆に時間をつかい、気がむけば、温泉地に行って、そこの芸者と関係をもつ……このような生活のありかたも、今では、失われてしまったものである。しかし、この『雪国』からは、失われてしまったものについての喪失感はただよってこない。ただ、ひたすら叙情的な作品として読める。

日本文学における叙情性ということを考えるとき、やはり、重要な作品であるというべきであろう。ただ、そのような叙情性を支える、社会的・経済的基盤として、戦前の芸者の制度であり、高等遊民というべき人びとの存在ということも、忘れてはならないだろう。

「雪国」という作品は、叙情性の文学として読むこともよいが、その時代的な世相の背景に目をくばることも必要かと思う。

『雪国』川端康成2017-02-08

2017-02-08 當山日出夫

川端康成.『雪国』(新潮文庫).新潮社.1947(2006改版) (原著 1937)
http://www.shinchosha.co.jp/book/100101/

ひさしぶりに読みたくなって、読んでみた。これまでに数回は読んでいる。主に若い時の読書だった。今になって読み直してみて気付いた点をいくつか。

第一に、この小説は、戦前の発表の作品だということ。若い時、高校生、大学生のころに読んだ印象では、戦後まもなくぐらいの作品かと思っていた、と記憶する。ちなみに、私は昭和30年のうまれ。今回、新潮文庫版で読み直して、解説や年表を見て、戦前の昭和12年の作品であることを確認した。昭和12年といえば、支那事変の年。日中戦争がいよいよ本格化した時期になる。

その古さというのを感じさせない、時代を感じさせない作品にである。冒頭の列車での旅のシーンなどから、ある程度の年代は感じさせるが、特に、いつのことという印象を残すものではない。いや、逆に、時代を超えて、清冽な叙情性を感じさせる作品であるといえよう。

第二に、戦前の作品であるから、作中に出てくる、芸者としての仕事などは、その背景に、年季奉公など、ほとんど人身売買に近いような制度があったろうと推測される。だが、作品中には、そのようなことは表だって書いていない。これは、この作品の発表された当時、当たり前すぎることだから書いていないだけのことなのか、あるいは、意図的に作者(川端康成)が、婉曲に表現しようとしたことなのか。

第三に、『雪国』というタイトルのせいもあるが、冬の場面ばかりが印象に残っている。しかし、読んでみると、季節が夏である場面もかなり出てくる。四季を通じた、温泉場の風情が描かれている。

第四に、読みながら、強く印象にのこって付箋をつけた箇所。

秋が冷えるにつれて、彼の部屋の畳の上で死んでゆく虫も日毎にあったのだ。翼の堅い虫はひっくりかえると、もう起き直れなかった。蜂は少し歩いて転び、また歩いて倒れた。季節の移るように自然と滅びゆく、静かな死であったけれども、近づいて見ると脚や触角を顫わせて悶えているのだった。それらの小さい死の場所として、八畳の畳はたいへん広いもののように眺められた。(p.128)

このような描写に、「末期の眼」を感じるといえば、月並みな感想になるかなと思う。しかし、叙情性にあふれた『雪国』のなかに、このような冷徹なまなざしで生きものの生死を見ている箇所があることは、ある種のおどろきでもあった。また、むろん、温泉地を舞台にして、小さな生命の生き死にを観察した文章としては、『城の崎にて』(志賀直哉)を連想するのは、当然のことかもしれない。

ざっと以上のようなところが、久々に『雪国』を再読、再々読してみて、気付いた点である。

『雪国』は、雪のある場面ばかりではない。それ以外の季節の描写もあるのだが、やはり、「雪」というイメージがつきまとう。そして、淡いエロティシズムをふくみつつも、透明な叙情性にあふれた作品である。やはり、近代日本文学の代表作というにふさわしい。

だからこそ、若いときに読むことも必要だが、年をとってから再読しても、さらにその魅力を感じる作品となっている。

追記 2017-02-09
やまもも書斎記 この続きは、
『雪国』川端康成(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/09/8355860

『細雪』谷崎潤一郎(その六)2017-02-06

2017-02-06 當山日出夫

つづきである。
やまもも書斎記 2017年2月5日
『細雪』谷崎潤一郎(その五)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/05/8350837

さきに角川文庫版の内田樹の解説をひいて、この作品は、失ってしまったものへの哀惜の念の小説であると書いておいた。そのことを、再度、確認する。このように書いてある。

「「存在するもの」は、それを所有している人と所有しない人をはっきりと差別化する。だが、「存在しないもの」は「かつてそれを所有していたが、失った」という人と、「ついに所有することができなかった」という人を〈喪失感においては差別しない〉谷崎潤一郎の世界性はそこにあるのだと私は思う。」 〈 〉内 原文傍点。 (p.300)

このことに私も異論はない。だが、そのうえで、あえて次のように考えてみることも無意味ではないだろう。それは、谷崎は、それを所有していた人の視点にたって、この小説を書いている、ということである。

ここで、私に思い浮かぶのは、石原千秋の次の本である。

石原千秋.『漱石と三人の読者』(講談社現代新書).講談社.2004
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784061497436

この本における漱石論への賛否は別にしても、この本でしめされたような考え方……つまり、作者は、どのような読者を想定して、その小説を書いたのか、ということは、考えられるべきである。このことを、谷崎潤一郎『細雪』について考えて見ると、どうであろうか。

第一に思い浮かぶのは、それを所有していた人、である。もはや戦争によって失われてしまった、美的生活……芦屋の「中流」の生活……それを、実体験として知っている人が、まず思い浮かぶ。数少ないであろうが、このような人たちが実際にいたことは確かなことである。でなければ、『細雪』のような小説は成立しない。

第二には、大正時代から古くからの谷崎の読者たち、であろうか。谷崎潤一郎がそれまでに描いた、あるいは、『細雪』で描き出そうとした世界に、なにがしか共感するものをもっている人たちということになる。これも、いくぶんかは、それを所有していた人たちであろう。具体的には、作中で頻繁に登場する歌舞伎座での公演。それに足をはこぶような人たち、といってもよい。あるいは、「六代目(菊五郎)」の舞台を知っているような人ともいえようか。

第三には、最初、この小説が発表された「中央公論」(戦時中)、「女性公論」(戦後)、その読者であるような人たち。このような人たちは、全国にいるであろう。この人たちも、戦争によって、なにがしかの喪失感を感じずにはいられなかった人たちということになる。

石原千秋にならって『細雪』が、どのような読者に向けて書かれたものかを、想像してみると、だいたい以上のようになるかと思っている。この分析が妥当かどうかは別にしても、ある作家、作品が、どのような「読者」を想定して書かれたものであるか、考えてみることは無意味ではない。いや、むしろ、歴史的に、その作品を位置づけようとするならば、積極的にもっと考えられなければならないことでもあろう。

このような視点にたって考えるとき、谷崎潤一郎は、それを所有していた経験をもつ人を、読者のなかに想定していたと考えるのが、妥当であろうと思う。もちろん、それに限定されるのではなく、その外側に、さらに広範な雑誌の読者を考えることになる。だが、そのコアになる部分に、戦前の阪神間(芦屋)の「中流」家庭の経験をもつ人たちを考えていたはずである。

それをふまえたうえで、それを失ってしまったものとして、普遍的な価値観のもとに読める小説に書き上げたのは、いうまでもなく、谷崎潤一郎の小説家としての手腕にほかならない。一般的、普遍的な価値観にまで高めることができたからこそ、『細雪』は、その喪失の経験をもたない読者にも、受け入れられる作品として読まれるのである。

これまで、一週間、『細雪』について、あれこれと考えてみた。この他にも、書くべきことはある。たぶん、この小説は、その阪神間(芦屋)の「中流」家庭についての、〈情報小説〉でもある。それは、漱石の『三四郎』が、東京帝国大学の事情を、「朝日新聞」の読者に知らしめるため、という作品として読めるということの類似においてである。このようなことについても、いろいろ考えることはあるのだが、ひとまず『細雪』については、しばらく休みにしておきたい。次は「全集」版で読んでみてからということになるだろうか。

『細雪』谷崎潤一郎(その五)2017-02-05

2017-02-05 當山日出夫

つづきである。
やまもも書斎記 2017年2月4日
『細雪』谷崎潤一郎(その四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/04/8349848

この小説は、はたしてハッピーエンドなのであろうか……

ふと、このような疑問をいだく。確かに、雪子の結婚がきまったところで、この小説はおわっている。一般的に考えれば、ハッピーエンドである。だが、谷崎は、それを意図していたのだろうか。

雪子の結婚の相手は、公家華族の庶子である。特にこれといった定職もなく、しかし、遊んでいるというのでもない。建築の仕事をしたりしている。小説の最後の方では、航空機の会社に勤めるようになったとある。

また、そう財産があるという設定でもない。庶子だから、親の家からいくぶんの財産は分けてもらったことがある。だが、それは、使い果たしてしまっている。金儲けが上手というわけでは決してない。雪子と結婚するにあたって、住む家とか、いくぶんの財産をもらうという手はずではあるようである。

しかし、である。これらのことがきまったのは、昭和15年から16年にかけて。結婚がきまって、昭和16年の春に、雪子が鉄道で旅をするシーンで、この小説は終わる。つまり、ヨーロッパでは戦争(第二次大戦)がはじまっている。そして、日本は、日中戦争が泥沼化するなかで、アメリカを相手に戦争になる、その直前の時期である。

昭和16年12月、太平洋戦争がはじまってしまってからのことは、読者の想像にまかされている。そして、この小説が書かれたのは、その中でも下巻が書かれたのは、戦後になってからである。アメリカとの戦争があって、徹底的に負けてしまってから、谷崎潤一郎は、『細雪』の下巻を書いて、完成させている。

確認しておくならば、雪子と華族の庶子との結婚という結末を書いたのは、戦後になって、日本が敗戦をむかえた後のことなのである。

最悪の筋書きを考えるならば……雪子の夫の仕事は無事につづかない。軍需産業(航空機)の会社だから、たぶん、しばらくは景気がいいのかもしれないが、アメリカとの戦争に負けることになれば、明るい未来があるというわけでもなさそうである。また、雪子たちの新居として用意された家は、空襲で焼けてしまったかもしれない。芦屋の幸子たちの家はどうかわからないが、東京の渋谷の鶴子たちの本家は、空襲でやられるにちがいない。

それよりも、華族という制度がなくなってしまうのである。戦後になって、旧華族として格式だけは保ったかもしれないが、その戦後の政治・経済の荒波のなかで、消えていく運命にあることは、まさに、同時代のこととして、戦後にこの小説を完成させた谷崎が、経験したことにちがいない。

大阪の船場の旧家をもととする、芦屋の「中流」の家庭、蒔岡の家。その三女である雪子と、華族の庶子である夫との結婚という最後は、まさに、ほろびゆくもの、戦後になって決定的にほろんでしまったものを、表象していると見るべきではないだろうか。戦後になって、阪神間(芦屋)の「中流」家庭もなくなれば、華族もなくなってしまう。これこそ、まさに、失ってしまって、もはや回復不可能なものであるとしかいいようがない。

先に、『細雪』角川文庫版の解説を見た。書いているのは内田樹。そこには、この小説は、失ってしまったものへの哀惜の念がこめられているとあった。この指摘にまちがいはないと、私は同意するものである。そして、その感覚を確信するのは、作中の随所にちりばめられた描写……その典型が、有名な花見の場面であり、蛍狩の場面である……もさることながら、この小説の結末を経て、雪子のその後のことを、想像してみることによってである。

雪子の結婚がハッピーエンドであるような世の中が、もはやおとづれることはない。それこそが、戦争と敗戦によって、日本が決定的に失ってしまったものである。

『細雪』を、久しぶりに読んでみて、特にその結末……雪子の結婚……を考えてみて、このようなことを思ってみた次第である。

追記 2017-02-06
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年2月6日
『細雪』谷崎潤一郎(その六)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/06/8351963

『細雪』谷崎潤一郎(その四)2017-02-04

2017-02-04 當山日出夫

つづきである。
やまもも書斎記 2017年2月3日
『細雪』谷崎潤一郎(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/03/8348853

現在の観点から、『細雪』を通読すると、これが全体でひとつのまとまった物語を形成している。無論、そのように作者(谷崎潤一郎)は書いている。

だが、その上中下の各巻が、異なった成立の事情があることを知ったうえで読むと、微妙にその違いがあることがわかる。その概略については、昨日書いた。

特に、中巻になって、どことなく書きぶりがかわってきているのを感じる。それは、時代の情勢への対応、と言ってよいであろうか。「時局がら」というような表現が、かなり目につくようになってくる。

たとえば、

「第一今日の非常時に不謹慎であると云うべきで」(p.9)

とういうような時代に配慮した表現が、随所に見られる。読みながら気付いた箇所には付箋をつけてみた。

これは、戦争中(太平洋戦争)において、出版できるかどうかわからないような状況のなかにあって、もし刊行できるならば、当局から叱責をうけるようなことがないように、という配慮からだろうと推測される。

ところが、下巻になると、これは、もう戦後になって書かれている。戦後になってから、まだ太平洋戦争(昭和16年から)がはじまるまでの時代を描いたものということになる。ここにいたると、もはや懐古というような、なまやさしいものではない。はっきりと確信犯的に、戦前の時代がどんなであったか、それを、小説として書きとどめておこうという意思が働いていたと考えるべきであろう。もはや軍などに配慮する必要は無い。そのせいか、下巻には、映画のタイトルとか、当時の世相・風俗をあらわすような場面が、いくつか目につくように読める。

たとえば、

「十二月の或る週に、待ち焦がれていた仏蘭西映画「格子なき牢獄」がかかったので、二人はそれを見に行ったが、」(p.109)

など。

このような観点からは、『細雪』で有名な場面、花見と蛍狩は、決定的にその意味がちがってくる。

花見の場面は、上巻にある。太平洋戦争ははじまっている段階において、その前の日中戦争の時期、さらには、さかのぼって大正時代の船場の蒔岡の家の豪奢を、しのんでいるという方向である。

だが、蛍狩の場面は下巻になる。書かれたのは戦後である。もう敗戦で何もかも失ってしまった後、戦争の前の、ある時期の平和な(といってよいだろう)生活のひとこまを描いたもの、ということになる。

以前、この『細雪』を読んだときには、一つの物語として読んだと憶えている。だが、上中下の各巻の成立の背景を知った上で読むならば、戦中から戦後にかけての、谷崎潤一郎という作家の気概とでもいうべきものを、感じ取ることができる。それは、あの戦争中、敗色の濃いなかで、よくぞ書いたものである、ということと同時に、戦後になって、いわゆる戦後民主主義の時代をむかえて、戦前の阪神間での「中流」の生活がどんなであったかを、こと細かに描写していく、その美意識にかける執念のようなものを、感じずにはおられない。

谷崎文学における戦争の意味などについては、近代文学を専攻しているというわけではないので、よくわからない。だが、『細雪』を読むかぎりにおいては、谷崎は、強靱な意志をもって、そのようなこと(戦争があり、そして敗戦をむかえた)から、超然としたところに、独自の美意識の領域を構築していこうとしていたと考えるべきと読むことができる。

このような意味において、『細雪』は、さらに子細によまれるべき作品であると思うのである。

追記 2017-02-05
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年2月5日
『細雪』谷崎潤一郎(その五)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/05/8350837