語彙・辞書研究会で言いたかったこと2016-11-16

2016-11-16 當山日出夫

語彙・辞書研究会、第50回の研究会に行ってきた。記念のシンポジウムで、テーマは「辞書の未来」。
2016年11月12日。新宿NSビル。

http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/goijisho/

その質疑の時、私が言おうとして十分に語れなかったことについて、ここに書いておきたい。つぎのようなことを私は言いたかった。

もし、日本語が漢字というものをこれからも使い続けていくとするならば、書体・字体・字形をふくめて、安定した形で見ることのできる紙の辞書は、ある一定の需要、あるいは、必要性があるのではないだろうか。たしかに、世の中の趨勢としてデジタル辞書の方向にむかっていることは否定できないであろう。であるならば、デジタル文字ほど、不安定なものはない。特に漢字について、その書体・字体・字形をきちんと確認することは、ある意味では、デジタルの世界では無理と考えるべきかもしれない。逆に、この可変性のなかに、デジタル文字、デジタルテキストの特性を見いだせるだろう。そのような流れのなかで、安定した文字のかたち(書体・字体・字形)を見ようとするならば、まだ、紙の辞書に依拠せざるをえないのではないか。紙の辞書に文字の典拠がある、この地点から離脱したところに、デジタル辞書の未来は、どんなものになるのであろうか。

限られた質疑の時間のなかであったので、上記のことの半分ぐらいしか話せなかった。次の研究会は、来年の6月。発表を申し込んでみようか、どうしようか、いま思案中である。

琉球語の仮名表記2016-09-25

2016-09-25 當山日出夫

昨日はアイヌ語の仮名表記を見たので、今日は琉球語の仮名表記を見ることにする。

やまもも書斎記 2016年9月24日
アイヌ語の仮名表記
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/24/8198295

同じく、『日本語のために』を見ることにする。

やまもも書斎記 2016年9月17日
日本文学全集30『日本語のために』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/17/8192276

この本の琉球語のところ、第5章を見る。
「おもろさうし」 外間守善 校注
「琉歌」 島袋盛敏

このうち、「琉歌」の1866(p.194)に、

「ゐ」小書き

が見て取れる。これは、JIS仮名に無い字である。

この本の解題をみると、『標音評釈 琉歌全集』が1968年、『琉歌大観 増補』が1978年、とある。

もちろん、琉球語を日本語の一方言とみなすか、あるいは別言語とみなすか、議論のあることは承知している。さらに、ただ琉球語というのではなく、言語学的には、さらに細かな言語になることも、一応の知識としては持っている。

そのうえで、あえて問われてしかるべきであろう……アイヌ語の仮名がJIS仮名としてはいっているのに、琉球語の仮名表記ができなのは、どうしてなのか。JIS規格「0213」のとき、琉球語は考慮しなかったのか。「0213」の制定は、2000年である。年代としては、資料的に利用しえたはずのものである。

問題としては、安定した字体・表記法があるかどうか、ということがあったのかもしれない。

ここで、小書きの仮名は、通常の文字と同じ文字なのか、別の文字なのか、という議論がふたたび必要になってくる。同じ文字で大きさがちがうだけならば、それはそれでよい。しかし、別の文字として存在を認めるならば、文字の規格に必要であるという論になる。情報交換のための文字としての必要性を主張できる可能性がある。

さて、どうしたものだろうか。

アイヌ語の仮名表記2016-09-24

2016-09-24 當山日出夫

現在のコンピュータにある仮名は、日本語の表記のためのものもあるが、アイヌ語の表記のためのものもある。

次の仮名である。

セ゚ツ゚ト゚ (半濁点)

ㇰㇱㇲㇳㇴㇵㇶㇷㇸㇹㇷ゚ㇺㇻㇼㇽㇾㇿ (小書き)

これらの仮名、今、私がこの文章を書いているエディタ(WZ9)では、正しく表示してくれない。これらの仮名は、「0213」で追加になった仮名である。だから、JIS規格にはなっている文字。しかし、実際の運用は、ユニコードで使うようになっている。ワープロ(Wordなど)では、ユニコードとしてあつかって表示する。(なお、同じファイルを、EmEditorでひらいて表示させると、ただしく見える。たぶん、WEBでも大丈夫だと思うので使っておく。また、ワープロ(一太郎2016)を使っている場合、横書きでは正しく表示(合成)するのだが、縦書きになると乱れてしまう。これは、ガ行鼻濁音の半濁点についてでも同様の現象が起こる。)

アイヌ語の場合、半濁点「゜」付きの仮名は、合成で示す。

したがって、JISの文字のコード表にはあるのだが、ユニコードの表にははいいっていない文字がある。その文字単独でははいっていない。「゜」と合成してつかうことを知らなければ使えない文字ということになる。

小書きの「ㇷ゚」(半濁点)などが、特に問題となる。

アイヌ語を表記する仮名が、JIS規格に決められ、そして、ユニコードで運用が可能になっている、このこと自体はよろこぶべきことであろう。だが、問題があるとすれば、次の二点。

第一に、現在のJIS規格「0213」で、アイヌ語用の仮名が入っていることが、どれほど知られているだろうか、ということ。

第二に、半濁点つきの仮名は、ユニコードでは合成で表示するようになっているため、エディタやワープロがそれに対応していない場合、正しく表示されないことがある、ということ。

以上の二点が、今後の問題として残っていることになる。

ところで、このアイヌ語仮名、知識としては知っていたが、実際に使用された事例を目にしたのは、最近になってからである。

池澤夏樹=個人編集「日本文学全集」30『日本語のために』.河出書房新社.2016

この本については、すでにふれた。

やまもも書斎記 2016年9月17日
日本文学全集30『日本語のために』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/17/8192276

「アイヌ神謡集」、知里幸恵 著訳/北道邦彦  編
「アイヌ物語」、山辺安之助/金田一京助 編
「萱野茂のアイヌ語辞典」

これらのアイヌ語の表記に、JIS規格で制定された仮名を見いだすことができる。おそらく、一般的な書物(アイヌのことを専門にしたのではない)において、アイヌ語仮名が使用された、珍しい例といえるのかもしれない。

気になるのは、この本『日本語のために』の組版において、アイヌ語の組版データはどうなっているのだろうか、ということなのである。JIS規格文字(フォント)が使用されたのであろうか。それとも、通常の仮名を小さく印刷したのであろうか。このことが気になっている。

小書きの仮名は別の文字なのか(その2)2016-09-23

2016-09-23 當山日出夫

以前に書いたことのつづきである。

やまもも書斎記 2016年9月19日
小書きの仮名は別の文字なのか
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/19/8194165

小書きの仮名、これが通常の大きさの文字(仮名)と同じであるかどうか、という問題。これを考えるときに次のことも考慮にいれないといけないだろう。

第一には、小書きの仮名は、それ単独では音を表ささないということである。一般には、仮名は表音文字である。だが、小書きの仮名は、それ単独で読むことができない。

たとえば、

「しゃ」

の「ゃ」だけを取り出して読もうとしてもできない。促音の「っ」も同様である。それ単独で音を取り出すことができない。前後の文字(仮名)と一緒になって初めて、ある特定の音を表すことができる。「しゃ」の「し」と「ゃ」を分離してしまうことは、できない。

第二には、文字の大きさだけではなく、表記されたときの位置も問題になることである。横書きでは、左下にくるようになるし、縦書きでは、右上にくるようになる。ただ、文字の大きさが小さくなっているだけでは、表記として不十分である。つまり、どの方向に小さくなっているのか、位置するのかということまで含めての文字ということになる。

ワープロで文書を書いていて、そこだけフォントのポイントを下げてやったのでは、不体裁な文書にしかならない。現代の通常の日本語文では、そのような表記法はつかわない。

以上の、二点。こういうことを考えるならば、単に文字の大きさの大小では割り切れないことになる。単独では同じかたちの文字であるが、表記されたときの行内における位置情報までふくんでいる文字ということができようか。

ただ、そうはいっても文字の「かたち」、これを字体といっておくことにするが、これは、同じである。さて、どう考えればよいのであろうか。

実際に表記されるときのあり方から、ただ文字それだけを取り出してきて論ずることは、不適切なのであろうか。あるいは、文字と、表記の方法(文字をどう使うか)を、分けて考えるべきなのであろうか。

今のところこのように考えることもできよう……たとえば、宣命書のことなどを念頭においていみるならば、あるいは、延慶本平家物語などを考えてみるならば、文字の大きさというのは、表記の方法に属することがらであって、文字そのものの属性ではないと考えておくべきなのかもしれない。

小書きの仮名は別の文字なのか2016-09-19

2016-09-19 當山日出夫

これは、別のところにすでに書いたことなのだが、日本語(それから、アイヌ語)の表記でもちいる、小さい仮名……これは、別の文字なのであろうか。

たとえば、




どう見ても、同じ字体であるとしか判断のしようがない。ただ、違うのは大きさである。大きさの違いというのは、文字の属性(字体とか書体とか)とどのように関係するのであろうか。

一つの考え方としては、コンピュータによる情報交換用の文字であるから、あらかじめ大きさの違う文字として設定しておかなければならない、という考え方があると思っている。つまり、文字としては同じであるが、ただ、その用法として、小さく表記するだけのこと、ということになる。

だが、その一方で、別のコードを付与している文字である、ということは、別の文字であると認定している……このように考えることもできる。

この小書きの仮名、日本語においては、「0208」では、

ぁぃぅぇぉ

ゃゅょ


ァィゥェォ

ャュョ

ヵヶ

がある。それが、「0213」では、ちょっと追加になって、

ゕゖ

ㇰㇱㇲㇳㇴㇵㇶㇷㇸㇹㇺㇻㇼㇽㇿ

になる。上記のうち、「0213」で追加の片仮名はアイヌ語表記用である。
なお、このうち「ㇷ」は、半濁点つきになる。ユニコードでは、合成で示すことになっている。

さて、これはどう考えればいいのであろうか。別の文字と認定するのか、同じ文字で大きさが違うだけのものと認定するのか。はっきりいってよくわからないというのが正直なところである。これを、「異体字」として考えるわけにはいかないようにも思える。

このことについては、表記研究会のときに研究会にあつまった人の意見をきいてみたいと思っている。

追記 2016-09-21
アイヌ語の仮名(小書き)、厳密にみれば、「フ」「プ」とある。JIS規格には両方あるのだが、ユニコードには、半濁点の「プ」ははいっていない。

追記 2016-09-23 このつづきは
小書きの仮名は別の文字なのか(その2)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/23/8197498

『世界の文字の物語』2016-08-25

2016-08-25 當山日出夫

夏の忙しい時期がようやく終わったので、行ってきた。我が家からだと、自動車で、一時間ほどで行ける。

『世界の文字の物語-ユーラシアの文字のかたち-』
大阪府立弥生文化博物館
2016年7月9日~9月4日

あまり大規模な展示ではなかったが、タイトルのとおり、ユーラシア大陸の各地で発生した文字と、その伝播が手際よく展示されていた。

文字についてはあたりまえというべきことかもしれないが、この展示でよくわかったことをあげておきたい。二点ある、

第一には、文字は、多言語表記が可能なものであるということ。展覧会をざっと見た印象としてであるが、ある特定の言語だけを表記する文字というものは、少数といっていいのではないだろうか。まだ、未解読の文字があるので、この点については、なんともいえないが。

ある文字が発明されると、近隣の言語の表記に流用されている事例が非常に多い。これは、今日、仮名といえば日本語、ハングルといえば朝鮮語、ときめてかかってしまうことへの反省として、考えてみなければならないことかもしれない。いや逆に、文字の歴史からすれば、日本語専用の仮名、朝鮮語専用のハングルという認識は、近年に特殊な地域で発達した文字についてのものと見るべきかもしれない。

第二には、文字は他の文字から影響をうける、あるいは、それによって変化していくものであること。隣接する諸言語との交流、あるは、支配・被支配というような関係のもと、文字は、他の言語に対応するために、いやおうなく変化していくものである。字喃(ベトナム)なども、漢字から派生した文字と考えるべきだろう。

この意味では、日本での真仮名の存在は、漢字という文字の使用法のひとつの変化した形と見なすことができるのかもしれない。仮名としてではなく、漢字の用法のひとつとして、とらえることもできよう。

ざっと以上の二点が、この展覧会を総合して残った印象である。他にも、文字とメディアの問題とか、文字の使用目的の問題とか、多言語地域としての敦煌の問題とか、そもそも文字を持たない無文字言語の問題とか、いろいろ考えるべき点、勉強すべきと感じる点が多々あった。

この展覧会を見て、考えを再整理して、今日のコンピュータ文字における仮名の問題を考えるきっかけとしてみたいと思っている。

第114回の訓点語学会2016-05-24

2016-05-24 當山日出夫

5月22日は、京都大学文学部で、第114回の訓点語学会。このごろ、日本語学会の方はさぼりぎみであるが(会費は、はらってはいるが)、訓点語学会だけは、出るようにしている。

会員数は減少傾向にあるらしい。それでも、400名ちかくの会員がいる。学会としては、小規模な方だろうが、研究発表会に出席する立場としては、これぐらいの規模の学会がちょうどいい。

規模が大きくなりすぎると、研究発表会の会場が分かれてしまうことがある。それに懇親会に出ても、人が多すぎて、困惑する。

で、今回の訓点語学会であるが……私個人の興味としては、なかなか興味深かった。特に文字(漢字・仮名)についての発表があった。

最初の発表、略字「仏」の使用拡大と位相(菊地恵太)。
文字(漢字)についていえば、文字の「位相」というのをどう考えるかという論点がある。この点については、すでに、笹原宏之の研究がある。今回の発表についてみるならば、質疑の時にも指摘されていた観点として、漢字が使用されるとき、仏教語として使われているのか、あるいは、そうではない、漢籍の中で使われているのか、これを考えてみないといけないだろう。そのうえで、漢字の字体の異同を考えることになる。

それから、字体と字種との区別から見た篆隷万象名義の重出字(李媛)。
同じ漢字とは何か、という観点。字書のデータベースを作って、同じ文字コード(ユニコード)になる字、という方向で「同じ字」(重複字)を定義していた。これに対して、私が質問したのは、「たとえば、IDSで同じ記述ができる文字を同じと認定することはできないか。さらには、同じ文字コードになる、同じIDSになるといっても、それだけで、同じ漢字が認定できないならば、何か超越的な観点を導入して、この文字とこの文字は同じである/ちがう、という判断をくだすことになるのではないか」と、言ってみた。

最後の仮名の字体について。階層構造としての仮名字体(石塚晴通)。
これは、発表というよりも、問題提起として理解しておいた方がいいだろう。漢字については、書体・字体・字形・字種、といった議論、あるいは、定義が可能である。では、仮名(平仮名・片仮名)については、どうであろうか。漢字と同じように、書体・字体というような階層構造の定義ができるであろうか。

この論点については、これから、私自身、いろいろと考えていかなければならない課題であると思っている。考えたこと、ある程度まとまりそうなら、順次、このブログでも書いていってみたいと思っている。

异体字の昿埜に出て2011-10-13

2011-10-13 當山日出夫

京大人文研での、安岡孝一さんの連続セミナー。4週連続で、木曜日の6:30から、京大までというのは、ちょっときつかった。最初の2回は、まだ、夏休みのうちであったが、後の2回は、もう後期の授業がはじまってしまっている。

4時間目まで授業して、自動車を適当なところに移動してとめて、百万遍まで通うというのは、かなりきびしい。でも、何人かの人は、私と同じで、連続して聴講していた。(まあ、顔なじみの人も、幾人かはいたのであるが。)

このセミナーの基本的内容は、

『新しい常用漢字と人名用漢字-漢字制限の歴史-』.安岡孝一.三省堂.2011

に書かれていることが基本となっている。

ただ、最後の第4回(㐧四夜)は、ちょっと、範囲を拡大して、戸籍用の文字の話し。(これについて、個人的には、いろいろ考えることがあるが、まあ、おいおい書いていくことにしよう。)

ともあれ、セミナー全体を通して感じたことは、現代の日本で制度的にきまっている文字(字種・字体)について、オリジナルの資料にもとづいて、広範に考察をくわえている人は、数少ない。その一人が、安岡さんであるということになる。

(自らの反省をこめていえば)、日本語研究者は、いったい何をしているのか、ということにもなる。

考えること、いろいろ言いたいことはあるけれど、ともあれ、様々な刺激にみちた4週間であった。できれば、この続編の期待したい。

當山日出夫(とうやまひでお)

异体字の昿埜 㐧二夜 「𦁪」字攷2011-09-27


2011-09-27 當山日出夫

http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2011/09/itaiji_no_koya.pdf

週末、いろいろあって、書くのがおくれた。京大人文研の連続のセミナーの第二回である。今回は、人名用漢字の話し。

前回が、当用漢字の制定、漢字制限にかかかわる話しであった。今回は、それのつづきで、人名の漢字における制限(する/しない)にかかわる、「攻防」の話しと理解した。

本でいえば、だいたい16ページの「氏名等を平易にする法律思案」のあたりあたりから、37ページの「琉球政府の人名用漢字と当用漢字表」ぐらいに、あたるであろうか。

ここで、個人的感想をのべておくと・・・であるが、人名用漢字によって、当用漢字の制限がなしくづしにされようとしていたときの、エピソード。剱木亨弘の話。本では、33-34ページ。

ちょっと、孫引きで引用しよう、

>>>>

私は、とっさに「剱木亨弘」の名刺を差し出して「私の名前をお読みいただけますか。読めたら引き下がります」とつけ加えた。

「ケンノキ、は分かる」「いや下の名前です」「分からんなあ」--ここまで問答が進んだところで、私は開き直った。

「私の父がつけた名前ですが、今日まで一度も正確によんでもらったことがありません」

<<<<<

このようなやりとりの結果、戸籍法第50条改正案は、廃案になるのである。

これは、漢字制限の問題であると同時に、その読み方(音訓)の問題でもある。ただ、漢字の字種だけに限った議論ではない。私の感覚では、「亨」「弘」も、そう難しい漢字ではない。人名としては、ごく普通につかう漢字。問題は、その読ませ方だろう。

このあたりの問題は、現代の、子供の名づけの問題にも、かかわってくる。とにかく、最近の、子供の名前は、「読めない」のである。しかるべき、由来・典拠のある「なのり」の読みなら、まだ理解できるのであるが。

人名用漢字の問題は、その使用字種の問題だけではなく、読み方にまで踏み込んで議論する必要があるだろう。いや、すくなくとも、名前には、ふりがなをかならずつける習慣を一般化するというような方向の議論がもっとなされてもよいのではないか。

「よみ」の問題にまで人名用漢字について踏み込むと、大混乱になるので、字種の制限の問題にとどまっているというのが、現状とみてよいであろうか。

當山日出夫(とうやまひでお)

异体字の昿埜 㐧一夜 「国」字攷2011-09-16

2011-09-16 當山日出夫

ともあれ、昨日は、都合がついたので、京大まで行ってきた。

この前の国立国語研究所の

第4回 NINJALフォーラム 「日本語文字・表記の難しさとおもしろさ」
2011年9月11日 一橋記念講堂

のときにも感じたことであるが、このような会合に出ての興味はふたつある。一つは、もちろん、そこで話しをする話題についての興味。そして、もう一つは、そこに集まる人たちがどんな人たちで、どんな質問とかをするかの興味である。(ひょっとすると、私の場合、後者の興味の方がつよいかもしれない。)

で、今回の人文研の「异体字の昿埜」であるが・・・内容としては、「国」という文字(現在の常用漢字体)の成立のプロセスの話し。で、ありながら、同時に、日本の戦中から戦後にかけての、言語政策(特に、漢字政策)についての、いきさつの話しとしてきいた。

このあたりの事情は、話しをした安岡さんの本、

安岡孝一.『新しい常用漢字と人名用漢字』.三省堂.2011

のはじめの方に書いてあることでもある。

「日本」において使用する文字は、いったい誰が、どのような議論、価値判断のもとに決められたのか。そこには、漢字制限論に対する、さまざまな立場がある。このあたりを、たとえば「国」という漢字の成立を、題材に話しをしたというのが、昨夜の話しということになるであろうか。

これは、USTREAMで、中継されている。

http://www.ustream.tv/recorded/17284330

資料は、
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/publications/2011-09-15.pdf

となっている。

話しをもとにもどして・・・この種の講演会などを、一般向けに開催して、どうしても、集まるのは、どちらかといえば、年配の人たち。しかも、価値観としては、漢字をつかいたい、と思っている人たち、という気がする。

これはこれで、改めて考えてみたい問題である。とにかく、次週も、都合がついたら、出席することにしよう。

なお、次回以降の内容をふくめての案内は、

http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2011/09/itaiji_no_koya.pdf

當山日出夫(とうやまひでお)