28回「東洋学へのコンピュータ利用」でいいたかったこと2017-03-12

2017-03-12 當山日出夫

3月10日は、京都大学人文科学研究所で、第28回「東洋学へのコンピュータ利用」。
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/seminars/oricom/
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/seminars/oricom/2017.html

私の話しは、最初。
「JIS仮名とUnicode仮名について」

これは、去年の表記研究会(関西大学)で、「JIS仮名とユニコード仮名」というタイトルで話をしたものに、再整理して、テーマを、仮名のコード化ということにしぼって、さらに、用例・実例などを、追加したもの。表記研究会では、主に、日本語学研究者を相手だった、今回は、うってかわって、コンピュータや文字コードの専門家があつまる会。

話しの内容の基本は、私の書いているもう一つのブログ「明窓浄机」で書いたことである。

明窓浄机
http://d.hatena.ne.jp/YAMAMOMO/

基本的な主な内容は、すでにここに書いてこと。それに対して、今回特に付け加えて言ったこととしては、ちょっとだけ、最後の方に追加したことがある。それは……翻刻とはどういう行為であるのか、そして、翻刻と文字コードとはどう考えればよいのか、ということ。

今回の研究会、最後の発表が、

永崎研宣(人文情報学研究所)
Webで画像を見ながら翻刻をするためのいくつかの試み

この発表の趣旨は、主に、IIIFによる、画像データの処理。これはこれで、非常に興味深いことなのだが、その先の具体的な話しになると、「翻刻」「翻字」「釈文」というのは、いったい何なのか、という議論の世界がまっているはずである。

常識的に考えて、写本・版本の漢字・仮名を、現在の通行の漢字・仮名におきかえる仕事、といってしまえば、それまでであるが、この時、考えなければならないいくつかの問題点がある。

漢字は、現在の通行字体(常用漢字体)にするのか、それとも、いわゆる正字体(旧字体)にするのか、という問題がある。これは、単純に置き換えることのできな場合がある。

それから、変体仮名の問題がある。全面的に変体仮名が縦横につかわれている近世以前の版本・写本を、現在の通行の仮名字体になおす、これはいいだろう。

ところが、明治以降、近代になってから、活字印刷がはじまってから、変体仮名活字というものが、使用されている。これを、どのように、翻刻するべきなのか。これから、議論しなければならない論点になってきている。

近代になって、特に、戦後、仮名は非常に整理された状態になっている。変体仮名を使おうと思っても、その活字、また、フォントが無い、という状態であった。それが、今般、変体仮名のユニコード提案という事態になって、変体仮名を翻刻につかえる可能性が出てきた。

では、明治時代ぐらいの書籍などで、変体仮名活字がつかわれている場合、そのまま変体仮名で表記するのか、それとも、現在の通行の仮名字体にするのか、新たな判断が求められるようになってくるだろう。

現在でも、古典籍の翻刻などにおいて、「ハ」「見」は、「は」「み」にせずに、漢字の字体を使用するというような慣習がある。(詳しく調べたわけではないが、これは、私の学生のころから、ひろくひろまってきた慣用的な方法のように理解している。)

そして、このような翻刻の方針について、異論を述べる人も現在でもいる。

翻刻における漢字字体の問題、仮名の問題(変体仮名)、このような問題に、すぐに正解があるということではないであろう。あつかう文献の種類や、その翻刻の利用目的に応じて、様々な方式があるとすべきである。だが、これから、本格的に、近代の活字資料の翻刻、デジタルテキスト化ということをむかえて、このことについて、改めて議論を重ねていく必要があるにちがいない。

「しれっと」は海軍用語か2017-02-13

2017-02-13 當山日出夫

島尾敏雄の『魚雷艇学生』を読みながら、付箋をつけた箇所。「しれっと」の用例である。

島尾敏雄.『魚雷艇学生』(新潮文庫).新潮社.1989 (新潮社.1985)
http://www.shinchosha.co.jp/book/116404/

以下、引用である。〈 〉は原文傍点。

私が頼りにしていたのは、誰だったか教官の一人に教えられた、青年士官はどんな逆境にも〈しれっ〉としておれ、という心得の言葉であった。〈しれっ〉とするというのは動じないで平気な様子を保っていること指すと思われた。〈しれっ〉としているように装うことで私はやっと何かを支えている気持になってきたのだ。(p.53)

ちなみに、『日本国語大辞典』(第二版、ジャパンナレッジ)では次のようにある。

物に動じないさま、けろっとして何も問題にするものはないという態度であるさま、また、何事もなかったように厚かましくふるまうさまを表わす語。

初出例は、1967、井上光晴、である。

確かに、初出例という点では、日本国語大辞典の用例の方が古い。だが、島尾敏雄の書いていることからは、この「しれっと」のことばは、海軍用語として戦前・戦中からつかわれていたとおぼしい。

なお、私の記憶では、この「しれっと」のことばは、吉田満もその著作のどこかでつかっていたと憶えている。島尾敏雄、吉田満の用例から考えるならば、海軍用語として考えてもいいだろう。つまり、その用例をさがせば、戦前のものに遡りうるということである。

その用例を戦前の文献に探すことは、難しいものかもしれない。しかし、戦争の手記、回顧録などを見ることによって、確認できるだろうか。少なくとも、海軍用語としての「しれっと」という解説は、辞典にあってもよいように考える。

「歌姫」の用例をすこし2017-01-11

2017-01-11 當山日出夫

『アンナ・カレーニナ』を読んで、気になったことばがあったので、付箋をつけておいた。

トルストイ、木村浩(訳).『アンナ・カレーニナ』(上・中・下)(新潮文庫).新潮社.1972(2012改版)
http://www.shinchosha.co.jp/book/206001/
http://www.shinchosha.co.jp/book/206002/
http://www.shinchosha.co.jp/book/206003/

ひろったことばは「歌姫」である。該当箇所を〈 〉で示す。

オブロンスキーはもう伯爵夫人を相手に、新しい〈歌姫〉の話しをていた。
上巻 p.162

有名な〈歌姫〉が二回目に出るというので、上流社交界の全員が劇場に集まっていた。
上巻 p.315

この〈歌姫〉の才能の特色について人から何百ぺんと聞いたことを繰り返しはじめた。
中巻 p.339

他にもあったのかもしれないが、気のついたのは以上である。

「歌姫」の語、日本国語大辞典(ジャパンナレッジ)では、語釈(1)の「歌を巧みにうたう女。また、芸妓をみやびやかに呼ぶ語。」では、用例が示してあるが、語釈(2)の「女性歌手。女流声楽家。」には用例が無い。

上記、『アンナ・カレーニナ』の訳文の用例は、どちらに該当するであろうか。

女性歌手という意味でつかう場合と、芸妓の別称とは、分けて考えた方がよいかもしれない。

なお、中島みゆきの『歌姫』は、アルバム『寒歌魚』に収録。これは、1982年。

武田徹『日本語とジャーナリズム』2016-12-28

2016-12-28 當山日出夫

武田徹.『日本語とジャーナリズム』.晶文社.2016
http://www.shobunsha.co.jp/?p=4100

日本語のジャーナリズム論である。面白かった。

まず、森有正のあたりからこの本の論ははじまる。日本語という言語は、特殊な言語なのであろうか(欧米語と比較してであるが)という問いかけ。このような問いかけが、現代言語学では、あまり意味のないことである、ということは、著者(武田徹)も認識したうえで、その議論をおっている。

そして、本多勝一におよび、さらに、丸山真男へとすすむ。

途中、論点が逆転する。近代の日本語(国民国家日本の言語、国語)が、どのうようにして形成されてきたかを、手際よくまとめてある。このあたりは、非情にバランスのとれた、記述になっていると思う。日本語史の記述としても、妥当なものである。

このような論点をふまえたうえで、さらに問いかける。日本語によるジャーナリズムは可能であるのだろうか、と。主語「I」とは何か。ジャーナリズムの文章の主語は、いかにあるべきか、考察がめぐらされる。

最後の章は、片岡義男について。

私が読んで、この本の言っていることに、なにがしかの説得力を感じるのは、中程で記述される、近代日本語形成について論じた部分があるからである。この部分が、非情にうまくまとめてあり、その後の、日本語とジャーナリズム論の布石になっている。近代日本語というものも、歴史的所産であることをはっきりと認識したうえで、では、そのような日本語をつかってなされる、現代日本のジャーナリズムは、いかにあるべきと論じていく。この論の進め方に、私は、つよく共感するところがある。

たぶん、それは、まがりなりにも、私自身が、日本語研究者のはしくれとして勉強してきた、その視点から読んでいるせいかとも思う。単なる日本語論でもないし、日本語の作文技術論でもない。その日本語という言語が、近代になってから、ジャーナリズムの発達、近代文学の成立とともに、歴史的に形成されたものであるということを、ふまえている。この部分があるからこそ、本書の主要なテーマである、現代日本語においてジャーナリズムは可能であるのか、という問いかけが、意味のあるものとして、私には読める。

ところで、この本、先に記したように森有正の書いたものからスタートしている。私が、森有正の著作を読んでいたのは、高校生のころのことである。「経験」と「体験」の違い、若い時はそれなりに理解していたつもりでいた。いま、森有正は、そう読まれる人ではなくなっているようだ。

探せば、昔読んだ本が残っているはず。探し出してきて、再読してみたくなている。

漱石『三四郎』の野々宮と野々宮さん(その2)2016-12-02

2016-12-02 當山日出夫

昨日のつづき。夏目漱石『三四郎』における、野々宮の呼称をめぐる問題である。

やまもも書斎記 2016年12月1日
漱石『三四郎』の野々宮と野々宮さん
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/12/01/8263506

今日とりあげるのは次の本。

小池清治.『日本語はいかにつくられたか?』(ちくま学芸文庫).筑摩書房.1995 (原著 筑摩書房.1989)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480082107/

この本は、日本語の歴史を、古事記・万葉集の時代から、近代の文学にいたるまでを概観した、ごくわかりやすい本である。(実は、この本を、以前は、日本語史の講義の教科書に使っていた。しかし、今は、もう絶版になってしまっている。)

第Ⅴ章「近代文体の創造 夏目漱石」を見ることにする。

まず、漱石のことばにはいくつかの層があることを指摘する。

  古語の層、江戸語の層、現代語の層

これらの各層が無頓着につかわれているとする。(pp.176-177)

「この無頓着ぶりは漱石の文体がいわゆる言文一致体でないことを如実にしめしていることになる。もし言文一致であるとすれば漱石の口頭語は古語、中世・近世語、現代語が渾然一体となった不思議な言語であったということになるからだ。/漱石が意を用いたのは言語の文学的用法であった。」(p.178)

として、

 A 野々宮宗八どの  一例
 B 野々宮さん    三例
 C 野々宮宗八    一例
 D 野々宮さん  一一八例
 E 野々宮君    七〇例
 F 野々宮     四〇例

と調査の結果をしめす(p.178)

「『三四郎』という作品は、小川三四郎を視点人物として、基本的に三四郎の「語り」によって成り立っている。三四郎の目に映り、耳に聞こえ、心に思ったことが、彼は熊本出身の大学生であるにもかかわらず、東京弁で語られる。」(p.179)

そして、用例をあげたのち、つぎのようにある。やや長くなるが引用する。

 これも三四郎の耳を通した表現である。このように『三四郎』では、三四郎の眼に野々宮宗八が一人の男、美禰子を中に挟んでの三角関係のライバルと映る時に、「君」や「さん」という上下関係を表わすことばが振り捨てられるのである。(中略)

 「野々宮」には、視点人物三四郎眼・耳を通した表現と三人称視点の表現の両用法がある。そして、前者は、三四郎の主観、即ち、野々宮宗八を一個の男、ライバルとして見るという意識が反映している用法なのである。『三四郎』の鑑賞のしどころの一つは、野々宮が真にライバルであるか否かというところにある。それを、二種類の「野々宮」によって、作者は技巧的に表現しているのであった。

 夏目漱石の方法の工夫とは、こういう種類の工夫である。『三四郎』には「男」が一六八例、「女」が三六六例用いられている。これらにも、漱石独自の工夫が施されている。

以上、p.182。

いかがであろうか。昨日の半藤一利の指摘とまったく同じ趣旨のことを言っている。半藤一利の『漱石先生ぞな、もし』には、参考文献の一覧が巻末に掲載になっているが、そのなかに、小池清治の本ははいっていない。また、半藤一利の書きぶりからしても、先行文献として小池清治の仕事があることは、知らなかったようでもある。

これは、偶然に、ほぼ時を同じくして、『三四郎』における「野々宮」の呼称をめぐって、同じような論考を展開したことになる。歴史探偵・半藤一利と、日本語学者・小池清治である。

なお、半藤一利、小池清治の文章から、『三四郎』の該当箇所の引用はあえてはぶいた。これらの本を見るもよし、あるいは、『三四郎』を自分で読んで、その目で探してみるもよし、ということにしておきたい。

漱石『三四郎』の野々宮と野々宮さん2016-12-01

2016-12-01 當山日出夫

半藤一利.『漱石先生ぞな、もし』(文春文庫).文藝春秋.1996 (原著 文藝春秋.1992)
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167483043

このところ、漱石関係の軽い本を、ぽつぽつと読んでいる。そのなかの一つ。この本の続編『続・漱石先生ぞな、もし』については、すでにふれた。

やまもも書斎記 2016年10月12日
半藤一利『続・漱石先生ぞな、もし』徴兵逃れのこと
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/10/12/8222873

今回は、最初に出た方の本を読んで気のついたことを、いささか。

『三四郎』について、つぎのように述べてある。ちょっと長くなるが引用する。

 小川三四郎の先輩にして、物理学者である野々宮宗八は、三四郎にとっては、美禰子をめぐっての恋のライバル(?)である。『三四郎』の愛読者には、そんなことは百も承知のことであろうが、では作者の漱石がこのふあーとした三角関係をいかなる工夫をもって描いているか、注目してみる価値がありそうである。

 『三四郎』という小説は原則として三四郎の「視点」によって描かれている。ほぼそれで一貫し、ときどき漱石先生は三四郎を第三人称で描出するが、まずは三四郎の目に映り、耳に聞こえ、心に思ったことが中心となっている。

 そこでライバル野々宮がどう扱われているか、探偵眼を光らせてちょっと注意すると、野々宮荘八どの、野々宮さん、野々宮君、そして野々宮の呼び捨て、とそのときどきで呼称が違うのに気付くのである。いちばん多いのは野々宮さん、つぎに野々宮君。いずれにせよ三四郎の先輩なのだから、これは当然のこと。注目すべきは野々宮と呼び捨てにするとき。

 漱石は、それを巧みに区別して使っているような気がわたくしにはする。思いつきに近く、あまりに確信のない話なんであるが……。たとえばその一例――、

以上、p.162、「野々宮と野々宮さん」から。

そして用例をあげたあとで、さらに次のようにある。

 野々宮と呼び捨てにしている場面が全部が全部そうとばかりいえないが、漱石は、美禰子をめぐって野々宮荘八が三四郎の胸のうちをかき乱すとき、かならず「さん」や「君」を取りはらっている。この点はたしかで、三四郎の妬ける心の動きをそこに示すかのように工夫しているようなのである。

(中略)

 はたして野々宮さんが真に恋のライバルなのかどうか、分明でないところに『三四郎』の面白さがある。それをはっきり示さずに、「野々宮」と呼び捨てにすることで三四郎の一方的な心理の焦りをだす。そんなところに、漱石の見事な小説作法があるように思うのであるが、どうであろうか。まるっきりの誤診かな。

以上、p.164

著者(半藤一利)は、「まるっきりの誤診かな」と言っているが、そんなことはないと思う。

また、最近でた本にも同じ趣旨のことがかいてある。

半藤一利.『漱石先生、探偵ぞなもし』(PHP文庫).PHP研究所.2016 (文庫オリジナル)
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-76659-1

「野々宮と呼び捨てにしている場面の全部が全部そうとばかりはいえないかもしれませんが、漱石は、美禰子をめぐって野々宮宗八が三四郎の胸のうちをかき乱すとき、かならず「さん」や「君」を取り払っている。この点はたしかで、三四郎の嫉ける心の動きをそこに示すかのように漱石先生は工夫しているようなのであります。」(p.192)

以上、長々と、半藤一利の言っていることを引用してきた。これは、次のことを書きたいがためである・・・実は、これとまったく同じ指摘が、日本語学の方面からもなされているのである。

これは長くなるので、明日につづく。

佐和隆光『経済学とは何だろうか』2016-11-17

2016-11-17 當山日出夫

佐和隆光.『経済学とは何だろうか』(岩波新書).岩波書店.1982
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/42/9/4201820.html

いうまでもないことだが、私は、経済学など専門外である。しかし、岩波新書のこの本ぐらいは読んでいる。で、ここで書いておきたいと思っているのは、「パラダイム」という語についてである。

今、「パラダイム」ということばはよく使われると思う。より広義には、思考の枠組みとでもいうような意味で使われるだろうか。もちろん、このことばは、トーマス・クーンの『科学革命の構造』でもちいられた、科学哲学の専門用語である。

そして、今では、このことば「パラダイム」について論じようとするときには、クーンの本に依拠して述べるというのが、普通になっていると思われる。

トーマス・クーン/中山茂(訳).『科学革命の構造』.みすず書房.1971
http://www.msz.co.jp/book/detail/01667.html

だが、私の経験では、この「パラダイム」ということばを初めて眼にしたのは、クーンの本によってではない。それを引用してつかった、佐和隆光の岩波新書『経済学とは何だろうか』によってである。そして、私の見るところでは、日本の社会のなかで、「パラダイム」ということば多く使われるようになったのは、この岩波新書を契機としてであったように、思うのである。

そこを確認するならば、「クーンの「科学革命」論」として、

「「科学の客観性」への疑問を、もっと鮮明なかたちで提示したのが、科学史家トーマス・クーンである。クーンは、その著『科学革命の構造』(1962年、邦訳みすず書房刊)で、〈範型〉(パラダイム)という概念を提案し、古い〈範型〉が新しい〈範型〉によって、とってかわられる過程を、「科学革命」と呼んだ。」(p.154)( )内はルビ。

そして、パラダイムということば・概念をもちいて、経済学の潮流の変化を説明していく。(経済学の門外漢である私には、そのことについて評価はできないが。)

この本を若い時に読んで、経済学の何であるかは分からなかった(今でも分からないままであるが)、「パラダイム」ということばだけは、はっきりと覚えている。その後、何かのおりに使い初めて、今日にいたっている。

その後、みすず書房の『科学革命の構造』も買って読んだりしたものである。かなり難解な本で、あまりよくわからなかったというのが正直なところであるが。

現在ではどうなんだろうかと思う。「パラダイム」ということばが一般化しているので、特に意識することなく、普通の人は普通にこのことばをつかっていると思う。特に、若い人はそうだろう。もし、ちょっと勉強してみようという気のある若者ならば、直接に『科学革命の構造』を読んでみたりするかもしれない。

だが、学問史……というほどの大げさなものではないとしても、「パラダイム」という概念で、学問・研究の進展の枠組みを考えようとするならば、是非とも『経済学とは何だろうか』をはずすことはできないと思う。少なくとも、私の個人的経験からするならば、日本において「パラダイム」の語がひろまったのは佐和隆光の『経済学とは何だろうか』(岩波新書)によってであると、理解しているからである。

すくなくとも、上記のような観点において、『経済学とは何だろうか』は、読まれていい本だと思っている。

語彙・辞書研究会で言いたかったこと2016-11-16

2016-11-16 當山日出夫

語彙・辞書研究会、第50回の研究会に行ってきた。記念のシンポジウムで、テーマは「辞書の未来」。
2016年11月12日。新宿NSビル。

http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/goijisho/

その質疑の時、私が言おうとして十分に語れなかったことについて、ここに書いておきたい。つぎのようなことを私は言いたかった。

もし、日本語が漢字というものをこれからも使い続けていくとするならば、書体・字体・字形をふくめて、安定した形で見ることのできる紙の辞書は、ある一定の需要、あるいは、必要性があるのではないだろうか。たしかに、世の中の趨勢としてデジタル辞書の方向にむかっていることは否定できないであろう。であるならば、デジタル文字ほど、不安定なものはない。特に漢字について、その書体・字体・字形をきちんと確認することは、ある意味では、デジタルの世界では無理と考えるべきかもしれない。逆に、この可変性のなかに、デジタル文字、デジタルテキストの特性を見いだせるだろう。そのような流れのなかで、安定した文字のかたち(書体・字体・字形)を見ようとするならば、まだ、紙の辞書に依拠せざるをえないのではないか。紙の辞書に文字の典拠がある、この地点から離脱したところに、デジタル辞書の未来は、どんなものになるのであろうか。

限られた質疑の時間のなかであったので、上記のことの半分ぐらいしか話せなかった。次の研究会は、来年の6月。発表を申し込んでみようか、どうしようか、いま思案中である。

柳田国男「浜の月夜」「清光館哀史」2016-10-21

2016-10-21 當山日出夫

書斎の床の上につんだままになっていた。『日本近代随筆選』(岩波文庫、全3冊)。

ときどき手にとって、きままにページをくっているのだが、ふと「浜の月夜」「清光館哀史」が目にとまった。第一冊「出会いの時」所収。「浜の月夜」「清光館哀史」が、連続して掲載になっている。この本、原則、一人の著者につき一作品しか収録していないにもかかわらず、この箇所だけは、例外的なあつかいになっている。

千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重(編).『日本近代随筆選 1 出会いの時』(岩波文庫).岩波書店.2016
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/31/0/3120310.html

筆者は、いうまでもなく柳田国男。

この文章については、すでに触れたことがある。

やまもも書斎記 2016年8月15日
ちくま学芸文庫『なつかしの高校国語』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/15/8152283

この二つの文章、『筑摩書房 なつかしの高校国語』にも掲載になっている。

筑摩書房編集部(編).『名指導書で読む 筑摩書房 なつかしの高校国語』.ちくま学芸文庫.2011.筑摩書房
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480093783/

ここでも「浜の月夜」につづいて「清光館哀史」が掲載になっている。この二つの文章、連続しているものとして読んでいる。だが、もともとは別々に書かれたものが、『雪国の春』を編纂するときに一緒になったものである。

柳田国男.『雪国の春』(角川ソフィア文庫).角川学芸出版.2011新版(1956年初版)
http://store.kadokawa.co.jp/shop/g/g201108000861/

まず、「浜の月夜」で、清光館と称する宿にとまったこと記される。それをうけて、

「お父さん。今まで旅行のうちで悪かった宿屋はどこ。/そうさな。別に悪いというわけでもないが、九戸の小子内の清光館などは、かなり小さくて黒かったね。」

とつづくところに、この文章の妙味がある。

ちくま学芸文庫版で読んで、角川文庫版で読んで、さらに、岩波文庫版で読んで……しみじみと、時代を経てしまったものだ、ということを感じる。もうこのようなのどかな文章を書いている時代ではないだろう。

SNSでは、ちょっと旅行に出れば、旅先の写真がつぎつぎとアップロードされる。この駅につきました。こんなお店にはいりました。いま、こんなものを食べています・・・

これはこれで、今の時代としてのあり方なんだろうなとは思うものの、「浜の月夜」「清光館哀史」の文章を読んでみると、今よりのんびりしていたかもしれないが、しかし、それだけにかえって濃密な時間の流れがあったように感じる。現代、これらの文章を読んで感じ取るべきものがあるとするならば、時間の流れに対する感覚の違い、とでもいうべきものになるだろうか。

「浜の月夜」を書いて、何年か後になって「清光館哀史」を書いて、本にするとき、連続するように編集する。いまでは、もうこんなふうにして文章を書き、本をつくっていくという時代ではないのかもしれない。
「浜の月夜」は、大正9年。朝日新聞に「豆手帖」連載。
「清光館哀史」は、大正15年。『文藝春秋』。
『雪国の春』にまとめられるのは、昭和3年。岡書院。
そして、今、私たちは、この二つの文章を連続するものとして鑑賞している。(以上、角川文庫の解説による。)

それ以前に、人が旅にでて感じるものが変わってしまったようにも思える。かつて柳田国男が清光館というふるびた小さな宿に泊まって、感じたこと、思ったこと、その土地と人びとへのまなざし。それを、数年後に、同じ土地をたずねて、ふりかえっている。そこでの感慨。そして、それを本にするときに、めぐりあわせる。

ところで、「日本近代随筆選」は、しまいこんでしまわずに手元においておきたいと思ってそばにおいてある。といっても、書斎の床の上にであるが。

たとえば、「末期の眼」(川端康成)。昔、何かで読んでいたはずの文章なのだが、今、読み返すと、この文章を書いた人間が、あのような最期をむかえることになった……忘れていたわけではないのだが、改めて気づかされる。

末延芳晴『夏目金之助ロンドンに狂せり』2016-10-19

2016-10-19 當山日出夫

末延芳晴.『夏目金之助ロンドンに狂せり』.青土社.2016(これは、新装版、原著は、2004、青土社。加筆・修正あり。)
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=2930

今年は、漱石没後100年。NHKでは『夏目漱石の妻』を放送するし、岩波書店は、新しく全集を出す。(この新しい全集、この前に出たのとそう大きく変わることはないようだが、しかし買っておくかなという気にはなっている。全巻予約販売にはなっていないので、順番に買っていくつもり。)

ところで、この本も、漱石没後100年をあてこんで出されたもの。帯には「没後100年/生誕150年記念」とある。「新装版あとがき」を読むと、ちょっとだけ修正を加えたとある。

私は、漱石の作品を読むのは好きな方だが、漱石について書かれたものを読むのは、あまり好きではない。近代文学専攻という立場ではないので、純然たる読者の立場でとおしてきたつもりでいる。とはいえ、日本語学の立場から見て、近代日本語、特に口語散文の成立という観点からは、漱石の文章は重要だとは思っている。

高校生のときぐらいまでに、その当時で、文庫本で読める漱石の作品の主なものは読んでいる。これは、私の年代であれば、ごく普通のことだろう。それから、江藤淳の『夏目漱石』も。

この本について感想を書いておくならば、次の二点。

第一には、「漱石」と「金之助」の虚実皮膜の間、とでもいうようなものを感じる。タイトルは「夏目金之助」としてある。英国ロンドンに留学していたのは、「金之助」であって「漱石」ではない。あくまでも、「文部省留学生夏目金之助」としての生活の足取りをおっている。その「金之助」が、ときどき「漱石」の顔をのぞかせる時がある。ロンドンでの生活、その困窮のなかで、「金之助」をすくったのは「漱石」になれる時であったように理解される。

漱石について、そのロンドンでの生活は、研究がつくされているという感じがしているのだが、この本は、それでもなお、新たな知見を与えてくれるものだろうと思う。(近代文学研究が専門というわけではないので、このあたりの研究分野の事情にはうといのだが。)

第二には、『倫敦塔』の解釈である。この本は、『倫敦塔』の読み解きに、かなりのページをつかってある。「金之助」のロンドン体験がどのようなものであったのか、また、それが、その後の「漱石」の作家活動にどのような影響を与えたものであったのか、『倫敦塔』を読むことによって、解き明かそうとしているかのごとくである。

これまで、『倫敦塔』は、あまり好きな作品ではなかったというべきなのだが、これをきっかけに、再度、『倫敦塔』を読み直してみようかという気になっている。(読むなら、岩波の新しい全集版でということになるか。たぶん、持っている古い版と変わらないはずだが。)

以上の二点が、ざっとした感想である。

気になった箇所を引用しておく。この本は、資料として、漱石の書簡や日記を大量につかっているのだが、

「漱石は、日本の近代文学者のなかでは、初期の漢文体から最後の『明暗』の完全言文一致体まで、一番過激に文体を変えていった作家といっていいだろう。その漱石が自己本来の文体を掴みとる最初のきっかけが、これまで一般に子規との関連で言われてきたような、写生文ではなく、漢文体からやむをえず踏み出してしまった疑似言文一致体や手紙の候文体にあったことは、今後もっと解明される必要があるだろう。」(p.135)

このあたりの指摘は重要かなと思う。

漱石の文章は、今の中学生でも読める。『坊っちゃん』など。理解の難易をとわなければ、『明暗』も読めるだろう。そのような文章がどのような経緯で形成されてきたのか、今後の研究課題になるということだろう。

そして、それは、もはや、漱石コーパス、近代文学コーパス、近代日本語コーパス、というものを駆使しての仕事になるにちがいない。もう私としては、何をするでもなく、ただ、ひたすら、一人の読者の立場で、漱石の作品を読むことにしたいと思っている。