『ひよっこ』における方言2017-06-26

2017-06-26 當山日出夫

昨日につづき、NHKの朝ドラ『ひよっこ』について。

このドラマで、興味深く思って見ていることは、方言のとりあつかいである。これまで、朝ドラでは、いろんな地方を舞台にしてきた。地方を舞台にすれば、当然ながら、その地方色のための方言の使用ということになる。

たぶん、朝ドラの歴史のなかで、近年、方言について、画期的な方針をとったのは、『あまちゃん』(2013前、宮藤官九郎脚本)からではないかと思ってみている。このドラマでは、方言が、ただその地方色を出すためのものではなく、もっと積極的に、その地域のアイデンティティの自覚的表現として、つかわれていた。

それは、登場人物でいえば、春子(アキの母、小泉今日子)が、地元に帰ってスナックで仕事をするようになったとき、突然、北三陸方言を話すようになったことからもうかがわれる。それまでや、東京で芸能事務所をやっているようなときは、東京方言で話していた。

『ひよっこ』でどうだろうか。奥茨城方言を、かなり積極的につかっているようである。そして、重要なことは、ヒロインのみね子は、奥茨城方言にコンプレックスをいだいていないということである。

最初、上京してきてつとめた電機工場(向島電機)では、寮に入っていた。そこの仲間たちも、その出身地の方言(青森とか福島とか)を、話していた。まあ、これは、工場の従業員であるから、方言で話すかどうかは問題にならなかったともいえよう。

その後、みね子は、失業、転職ということがあって、レストラン・すずふり亭で働くようになる。ホール係。これは、接客業である。お客さんに接するのに、奥茨城方言のままでは、どうかなという気もしないではないのだが、ここも、特に問題がないように描いている。

それから、方言について興味深い登場人物が他にいる。

佐賀出身の大学生。慶應の学生という設定。彼は、佐賀出身ということだが、その地方の方言をまったくつかっていない。慶應の学生に、佐賀方言はにつかわしくない。東京の大学生としては、東京方言を話す、ということなのだろうか。

それに対して、富山出身の青年。どうやら漫画家としての才能にはめぐまれていないようだが、話していることばは、富山方言である。

さらに、興味深いのは、バー「月時計」。ここの店主(女性)は、方言の勉強をしているという。地方から東京に出てきたような客に対応するため。方言で話しをすると、お客さんが安心するからだという。ここでは、方言を使うことが、コンプレックスではなく、むしろ、積極的な意味を持つものとしてある。

ところで、地方から東京に出てきた人びとの、方言コンプレックスというのは、少なくとも、1970年代まではあったはずである。

たとえば、「赤いハイヒール」(太田裕美)。

http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=53838

「そばかすお嬢さん故郷なまりが それから君を無口にしたね」

これは、1976年である。ちょうど私が、東京にでて大学生活をはじめたころのことになる。私の場合、京都(宇治市)の出身であるので、方言コンプレックスを感じるということはなかったが、地方から出てきた学生には、なんとかして、東京方言(共通語)を話そうという雰囲気があったように記憶している。

映画「三丁目の夕日」は、1960年代が舞台である。『ひよっこ』よりは、すこし前の時代設定になる。この映画では、地方(青森)出身者の方言コンプレックスというべきものが、そんなに強くではないが、やんわりと表現されていたように憶えている。

さて、『ひよっこ』である。1960年代を舞台にした、このドラマにおける方言の描き方は、かなり特殊であるといえるかもしれない。実際の1960年代の東京で働く地方出身の人びとにとっては、方言の問題は、かなり深刻な面があったかと思う。だが、このドラマは、それを描かない。逆に、方言の使用をきわめて肯定的に描いている。

時代考証というような観点からは問題があるのかもしれないが、ドラマにおける方言の使用のあり方の事例としては、きわめて興味深いものであると思ってみている。

なお、上に、佐賀出身の慶應の学生が方言を話さないということを書いた。これは、たとえば、明治時代『三四郎』(夏目漱石)において、九州出身の小川三四郎が、まったく方言をつかわない、東京のことばで、広田先生などと話していることと、並べて考えてみるべきことかもしれない。地方出身で東京に出てきている大学生は、もう東京の人間ということになるのであろうか。

『椰子の実』の歌詞を誤解していた2017-05-20

2017-05-20 當山日出夫(とうやまひでお)

私は、どうやら『椰子の実』(島崎藤村)の歌詞を誤解していたようだ。

NHKの朝ドラ「ひよっこ」を見ている。その中で、コーラスのシーンがある。今週は、『椰子の実』が歌われていた。

ヒロイン・みね子の働くような職場で、合唱がおこなわれていたことの背景については、すでに書いた。

やまもも書斎記 2017年5月19日
『うたごえの戦後史』河西秀哉
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/05/19/8565235

この放送では、歌詞もでていたのだが、次の箇所、

「おもいやる やえのしおじお」

この「しおじお」は、「汐々」であった。ここを、私は、てっきり、「汐路を」であると思ってこれまで聞いていた。

海岸にたどりついた椰子の実が、これまではるばる旅をしてきた海の道について思いをはせているのだとばかりおもっていた。これは、誤解だったようだ。(強いていえば、「汐々」であっても、「汐路を」であっても、そんなに意味は変わらないかもしれない。)

WEBで確認してみると、「汐々」となっている。

椰子の実
http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/yashinomi.htm

この曲、自動車のなかで聞くことにしているCDにもはいっている。薬師丸ひろ子が歌っている。アルバム「時の扉」に収録。これを、MP3にして、SDカードにいれて、自動車のなかで聞いたりしている。

たぶん、この他にも誤解している歌詞はたくさんあるのだろうが、たまたま気付いたので書き留めておいた次第である。

『ブッデンブローク家の人びと』トーマス・マン(その四)2017-05-08

2017-05-08 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。
やまもも書斎記 2017年5月6日
『ブッデンブローク家の人びと』トーマス・マン(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/05/06/8545571

トーマス・マン.望月市恵(訳).『ブッデンブローク家の人びと』(岩波文庫).岩波書店.1969

上巻
https://www.iwanami.co.jp/book/b247748.html
中巻
https://www.iwanami.co.jp/book/b247749.html
下巻
https://www.iwanami.co.jp/book/b247750.html

この小説を読んでいて気になったことをちょとだけ。

第一は、「コンズル」ということばについてである。読み始めて、最初のうちは、このことばは固有名詞(人名)だと思っていたが、そうではない。読んでいくと、「コンズル」といわれる人物がたくさん出てくる。そのうちで、もっとも頻繁に出てくるのが、この小説の一族の長としてではあるが。

ジャパン・ナレッジで「コンズル」を検索してみた。すると、

男性名詞
1.領事
2.(古代ローマの)執政官
ポケットプログレッシブ独和辞典

とある。「領事」とあるだけではよく分からないのだが、読んでいくと、当時の「市民社会」において、一定の地位にあることをしめす称号のように読み取れる。

このことば、この『ブッデンブローク家の人びと』という小説を理解するうえでは、きわめて重要なことばだと思うのだが、なぜか、訳注とか、解説とかはない。たぶん、今、この小説を翻訳するならば、丁寧な注か解説をつけるべきことばになるだろう。

この本(翻訳、岩波文庫)の出た当時であれば、この程度のドイツ語は、一般教養として知っているということが前提であったのかもしれない。

第二は、「舌鼓」の用例である。

やまもも書斎記 2017年4月22日
「舌鼓」は「したつづみ」か「したづつみ」か
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/04/22/8496134

このことばが、『ブッデンブローク家の人びと』の翻訳文中にも登場する。

上巻、p.236

下巻、p.54

に、「舌鼓」の漢字に「したづつみ」と振り仮名がある。

だからといって、「したづつみ」の方が正しいと主張するつもりはない。両方の語形が行われているなかで、その片方「したづつみ」の使用例として、あげて記録にとどめておきたいのである。

追記 2017-06-05
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年5月10日
『ブッデンブローク家の人びと』トーマス・マン(その五)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/05/10/8552184

「舌鼓」は「したつづみ」か「したづつみ」か2017-04-22

2017-04-22 當山日出夫

『楡家の人びと』(北杜夫、新潮文庫版)を読んでいて、付箋をつけた箇所がある。それは、「舌鼓」のルビの箇所である。

第三部の167ページ。「舌鼓」に「したづつみ」とルビがある。

このことば、「したつづみ」なのだろうか、それとも、「したづつみ」なのだろうか。私のことばとしては、「したづつみ」で憶えている。だが、世の中の趨勢としては、「したつづみ」の方が優勢のようにも観察される。そんなに注意して見ている、聞いているというわけではないのだが、このことばは気になっていることばのひとつである。

その理由は、若いとき、東京に住んでいたころのこと……私の国語学の先生……山田忠雄という……と話しをしていて出てきた。「したづつみ」のように、複合語になって濁音の位置が移動する例がある。この他には、「せぐくまる」がある。

このことの経験が、記憶にのこっている。そのせいか、テレビなどで、「舌鼓」ということばが出てくると、どっちで言っているか、注目する。

ただ、日本国語大辞典(ジャパンナレッジ)を見ると、「したつづみ」の方がただしいとある。見出しは「したつづみ」。そして、「誤って「したづつみ」とも。」とある。初出例は、日葡辞書。語誌のところに、「したづつみ」は、転訛した語形であると記してある。

現代日本語においても、まだ「したづつみ」の使用例があるということの一例として、『楡家の人びと』の用例をあげておきたい。

追記 2017-05-08
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年5月8日
『ブッデンブローク家の人びと』トーマス・マン(その四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/05/08/8548850

28回「東洋学へのコンピュータ利用」でいいたかったこと2017-03-12

2017-03-12 當山日出夫

3月10日は、京都大学人文科学研究所で、第28回「東洋学へのコンピュータ利用」。
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/seminars/oricom/
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/seminars/oricom/2017.html

私の話しは、最初。
「JIS仮名とUnicode仮名について」

これは、去年の表記研究会(関西大学)で、「JIS仮名とユニコード仮名」というタイトルで話をしたものに、再整理して、テーマを、仮名のコード化ということにしぼって、さらに、用例・実例などを、追加したもの。表記研究会では、主に、日本語学研究者を相手だった、今回は、うってかわって、コンピュータや文字コードの専門家があつまる会。

話しの内容の基本は、私の書いているもう一つのブログ「明窓浄机」で書いたことである。

明窓浄机
http://d.hatena.ne.jp/YAMAMOMO/

基本的な主な内容は、すでにここに書いてこと。それに対して、今回特に付け加えて言ったこととしては、ちょっとだけ、最後の方に追加したことがある。それは……翻刻とはどういう行為であるのか、そして、翻刻と文字コードとはどう考えればよいのか、ということ。

今回の研究会、最後の発表が、

永崎研宣(人文情報学研究所)
Webで画像を見ながら翻刻をするためのいくつかの試み

この発表の趣旨は、主に、IIIFによる、画像データの処理。これはこれで、非常に興味深いことなのだが、その先の具体的な話しになると、「翻刻」「翻字」「釈文」というのは、いったい何なのか、という議論の世界がまっているはずである。

常識的に考えて、写本・版本の漢字・仮名を、現在の通行の漢字・仮名におきかえる仕事、といってしまえば、それまでであるが、この時、考えなければならないいくつかの問題点がある。

漢字は、現在の通行字体(常用漢字体)にするのか、それとも、いわゆる正字体(旧字体)にするのか、という問題がある。これは、単純に置き換えることのできな場合がある。

それから、変体仮名の問題がある。全面的に変体仮名が縦横につかわれている近世以前の版本・写本を、現在の通行の仮名字体になおす、これはいいだろう。

ところが、明治以降、近代になってから、活字印刷がはじまってから、変体仮名活字というものが、使用されている。これを、どのように、翻刻するべきなのか。これから、議論しなければならない論点になってきている。

近代になって、特に、戦後、仮名は非常に整理された状態になっている。変体仮名を使おうと思っても、その活字、また、フォントが無い、という状態であった。それが、今般、変体仮名のユニコード提案という事態になって、変体仮名を翻刻につかえる可能性が出てきた。

では、明治時代ぐらいの書籍などで、変体仮名活字がつかわれている場合、そのまま変体仮名で表記するのか、それとも、現在の通行の仮名字体にするのか、新たな判断が求められるようになってくるだろう。

現在でも、古典籍の翻刻などにおいて、「ハ」「見」は、「は」「み」にせずに、漢字の字体を使用するというような慣習がある。(詳しく調べたわけではないが、これは、私の学生のころから、ひろくひろまってきた慣用的な方法のように理解している。)

そして、このような翻刻の方針について、異論を述べる人も現在でもいる。

翻刻における漢字字体の問題、仮名の問題(変体仮名)、このような問題に、すぐに正解があるということではないであろう。あつかう文献の種類や、その翻刻の利用目的に応じて、様々な方式があるとすべきである。だが、これから、本格的に、近代の活字資料の翻刻、デジタルテキスト化ということをむかえて、このことについて、改めて議論を重ねていく必要があるにちがいない。

「しれっと」は海軍用語か2017-02-13

2017-02-13 當山日出夫

島尾敏雄の『魚雷艇学生』を読みながら、付箋をつけた箇所。「しれっと」の用例である。

島尾敏雄.『魚雷艇学生』(新潮文庫).新潮社.1989 (新潮社.1985)
http://www.shinchosha.co.jp/book/116404/

以下、引用である。〈 〉は原文傍点。

私が頼りにしていたのは、誰だったか教官の一人に教えられた、青年士官はどんな逆境にも〈しれっ〉としておれ、という心得の言葉であった。〈しれっ〉とするというのは動じないで平気な様子を保っていること指すと思われた。〈しれっ〉としているように装うことで私はやっと何かを支えている気持になってきたのだ。(p.53)

ちなみに、『日本国語大辞典』(第二版、ジャパンナレッジ)では次のようにある。

物に動じないさま、けろっとして何も問題にするものはないという態度であるさま、また、何事もなかったように厚かましくふるまうさまを表わす語。

初出例は、1967、井上光晴、である。

確かに、初出例という点では、日本国語大辞典の用例の方が古い。だが、島尾敏雄の書いていることからは、この「しれっと」のことばは、海軍用語として戦前・戦中からつかわれていたとおぼしい。

なお、私の記憶では、この「しれっと」のことばは、吉田満もその著作のどこかでつかっていたと憶えている。島尾敏雄、吉田満の用例から考えるならば、海軍用語として考えてもいいだろう。つまり、その用例をさがせば、戦前のものに遡りうるということである。

その用例を戦前の文献に探すことは、難しいものかもしれない。しかし、戦争の手記、回顧録などを見ることによって、確認できるだろうか。少なくとも、海軍用語としての「しれっと」という解説は、辞典にあってもよいように考える。

「歌姫」の用例をすこし2017-01-11

2017-01-11 當山日出夫

『アンナ・カレーニナ』を読んで、気になったことばがあったので、付箋をつけておいた。

トルストイ、木村浩(訳).『アンナ・カレーニナ』(上・中・下)(新潮文庫).新潮社.1972(2012改版)
http://www.shinchosha.co.jp/book/206001/
http://www.shinchosha.co.jp/book/206002/
http://www.shinchosha.co.jp/book/206003/

ひろったことばは「歌姫」である。該当箇所を〈 〉で示す。

オブロンスキーはもう伯爵夫人を相手に、新しい〈歌姫〉の話しをていた。
上巻 p.162

有名な〈歌姫〉が二回目に出るというので、上流社交界の全員が劇場に集まっていた。
上巻 p.315

この〈歌姫〉の才能の特色について人から何百ぺんと聞いたことを繰り返しはじめた。
中巻 p.339

他にもあったのかもしれないが、気のついたのは以上である。

「歌姫」の語、日本国語大辞典(ジャパンナレッジ)では、語釈(1)の「歌を巧みにうたう女。また、芸妓をみやびやかに呼ぶ語。」では、用例が示してあるが、語釈(2)の「女性歌手。女流声楽家。」には用例が無い。

上記、『アンナ・カレーニナ』の訳文の用例は、どちらに該当するであろうか。

女性歌手という意味でつかう場合と、芸妓の別称とは、分けて考えた方がよいかもしれない。

なお、中島みゆきの『歌姫』は、アルバム『寒歌魚』に収録。これは、1982年。

武田徹『日本語とジャーナリズム』2016-12-28

2016-12-28 當山日出夫

武田徹.『日本語とジャーナリズム』.晶文社.2016
http://www.shobunsha.co.jp/?p=4100

日本語のジャーナリズム論である。面白かった。

まず、森有正のあたりからこの本の論ははじまる。日本語という言語は、特殊な言語なのであろうか(欧米語と比較してであるが)という問いかけ。このような問いかけが、現代言語学では、あまり意味のないことである、ということは、著者(武田徹)も認識したうえで、その議論をおっている。

そして、本多勝一におよび、さらに、丸山真男へとすすむ。

途中、論点が逆転する。近代の日本語(国民国家日本の言語、国語)が、どのうようにして形成されてきたかを、手際よくまとめてある。このあたりは、非情にバランスのとれた、記述になっていると思う。日本語史の記述としても、妥当なものである。

このような論点をふまえたうえで、さらに問いかける。日本語によるジャーナリズムは可能であるのだろうか、と。主語「I」とは何か。ジャーナリズムの文章の主語は、いかにあるべきか、考察がめぐらされる。

最後の章は、片岡義男について。

私が読んで、この本の言っていることに、なにがしかの説得力を感じるのは、中程で記述される、近代日本語形成について論じた部分があるからである。この部分が、非情にうまくまとめてあり、その後の、日本語とジャーナリズム論の布石になっている。近代日本語というものも、歴史的所産であることをはっきりと認識したうえで、では、そのような日本語をつかってなされる、現代日本のジャーナリズムは、いかにあるべきと論じていく。この論の進め方に、私は、つよく共感するところがある。

たぶん、それは、まがりなりにも、私自身が、日本語研究者のはしくれとして勉強してきた、その視点から読んでいるせいかとも思う。単なる日本語論でもないし、日本語の作文技術論でもない。その日本語という言語が、近代になってから、ジャーナリズムの発達、近代文学の成立とともに、歴史的に形成されたものであるということを、ふまえている。この部分があるからこそ、本書の主要なテーマである、現代日本語においてジャーナリズムは可能であるのか、という問いかけが、意味のあるものとして、私には読める。

ところで、この本、先に記したように森有正の書いたものからスタートしている。私が、森有正の著作を読んでいたのは、高校生のころのことである。「経験」と「体験」の違い、若い時はそれなりに理解していたつもりでいた。いま、森有正は、そう読まれる人ではなくなっているようだ。

探せば、昔読んだ本が残っているはず。探し出してきて、再読してみたくなている。

漱石『三四郎』の野々宮と野々宮さん(その2)2016-12-02

2016-12-02 當山日出夫

昨日のつづき。夏目漱石『三四郎』における、野々宮の呼称をめぐる問題である。

やまもも書斎記 2016年12月1日
漱石『三四郎』の野々宮と野々宮さん
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/12/01/8263506

今日とりあげるのは次の本。

小池清治.『日本語はいかにつくられたか?』(ちくま学芸文庫).筑摩書房.1995 (原著 筑摩書房.1989)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480082107/

この本は、日本語の歴史を、古事記・万葉集の時代から、近代の文学にいたるまでを概観した、ごくわかりやすい本である。(実は、この本を、以前は、日本語史の講義の教科書に使っていた。しかし、今は、もう絶版になってしまっている。)

第Ⅴ章「近代文体の創造 夏目漱石」を見ることにする。

まず、漱石のことばにはいくつかの層があることを指摘する。

  古語の層、江戸語の層、現代語の層

これらの各層が無頓着につかわれているとする。(pp.176-177)

「この無頓着ぶりは漱石の文体がいわゆる言文一致体でないことを如実にしめしていることになる。もし言文一致であるとすれば漱石の口頭語は古語、中世・近世語、現代語が渾然一体となった不思議な言語であったということになるからだ。/漱石が意を用いたのは言語の文学的用法であった。」(p.178)

として、

 A 野々宮宗八どの  一例
 B 野々宮さん    三例
 C 野々宮宗八    一例
 D 野々宮さん  一一八例
 E 野々宮君    七〇例
 F 野々宮     四〇例

と調査の結果をしめす(p.178)

「『三四郎』という作品は、小川三四郎を視点人物として、基本的に三四郎の「語り」によって成り立っている。三四郎の目に映り、耳に聞こえ、心に思ったことが、彼は熊本出身の大学生であるにもかかわらず、東京弁で語られる。」(p.179)

そして、用例をあげたのち、つぎのようにある。やや長くなるが引用する。

 これも三四郎の耳を通した表現である。このように『三四郎』では、三四郎の眼に野々宮宗八が一人の男、美禰子を中に挟んでの三角関係のライバルと映る時に、「君」や「さん」という上下関係を表わすことばが振り捨てられるのである。(中略)

 「野々宮」には、視点人物三四郎眼・耳を通した表現と三人称視点の表現の両用法がある。そして、前者は、三四郎の主観、即ち、野々宮宗八を一個の男、ライバルとして見るという意識が反映している用法なのである。『三四郎』の鑑賞のしどころの一つは、野々宮が真にライバルであるか否かというところにある。それを、二種類の「野々宮」によって、作者は技巧的に表現しているのであった。

 夏目漱石の方法の工夫とは、こういう種類の工夫である。『三四郎』には「男」が一六八例、「女」が三六六例用いられている。これらにも、漱石独自の工夫が施されている。

以上、p.182。

いかがであろうか。昨日の半藤一利の指摘とまったく同じ趣旨のことを言っている。半藤一利の『漱石先生ぞな、もし』には、参考文献の一覧が巻末に掲載になっているが、そのなかに、小池清治の本ははいっていない。また、半藤一利の書きぶりからしても、先行文献として小池清治の仕事があることは、知らなかったようでもある。

これは、偶然に、ほぼ時を同じくして、『三四郎』における「野々宮」の呼称をめぐって、同じような論考を展開したことになる。歴史探偵・半藤一利と、日本語学者・小池清治である。

なお、半藤一利、小池清治の文章から、『三四郎』の該当箇所の引用はあえてはぶいた。これらの本を見るもよし、あるいは、『三四郎』を自分で読んで、その目で探してみるもよし、ということにしておきたい。

漱石『三四郎』の野々宮と野々宮さん2016-12-01

2016-12-01 當山日出夫

半藤一利.『漱石先生ぞな、もし』(文春文庫).文藝春秋.1996 (原著 文藝春秋.1992)
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167483043

このところ、漱石関係の軽い本を、ぽつぽつと読んでいる。そのなかの一つ。この本の続編『続・漱石先生ぞな、もし』については、すでにふれた。

やまもも書斎記 2016年10月12日
半藤一利『続・漱石先生ぞな、もし』徴兵逃れのこと
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/10/12/8222873

今回は、最初に出た方の本を読んで気のついたことを、いささか。

『三四郎』について、つぎのように述べてある。ちょっと長くなるが引用する。

 小川三四郎の先輩にして、物理学者である野々宮宗八は、三四郎にとっては、美禰子をめぐっての恋のライバル(?)である。『三四郎』の愛読者には、そんなことは百も承知のことであろうが、では作者の漱石がこのふあーとした三角関係をいかなる工夫をもって描いているか、注目してみる価値がありそうである。

 『三四郎』という小説は原則として三四郎の「視点」によって描かれている。ほぼそれで一貫し、ときどき漱石先生は三四郎を第三人称で描出するが、まずは三四郎の目に映り、耳に聞こえ、心に思ったことが中心となっている。

 そこでライバル野々宮がどう扱われているか、探偵眼を光らせてちょっと注意すると、野々宮荘八どの、野々宮さん、野々宮君、そして野々宮の呼び捨て、とそのときどきで呼称が違うのに気付くのである。いちばん多いのは野々宮さん、つぎに野々宮君。いずれにせよ三四郎の先輩なのだから、これは当然のこと。注目すべきは野々宮と呼び捨てにするとき。

 漱石は、それを巧みに区別して使っているような気がわたくしにはする。思いつきに近く、あまりに確信のない話なんであるが……。たとえばその一例――、

以上、p.162、「野々宮と野々宮さん」から。

そして用例をあげたあとで、さらに次のようにある。

 野々宮と呼び捨てにしている場面が全部が全部そうとばかりいえないが、漱石は、美禰子をめぐって野々宮荘八が三四郎の胸のうちをかき乱すとき、かならず「さん」や「君」を取りはらっている。この点はたしかで、三四郎の妬ける心の動きをそこに示すかのように工夫しているようなのである。

(中略)

 はたして野々宮さんが真に恋のライバルなのかどうか、分明でないところに『三四郎』の面白さがある。それをはっきり示さずに、「野々宮」と呼び捨てにすることで三四郎の一方的な心理の焦りをだす。そんなところに、漱石の見事な小説作法があるように思うのであるが、どうであろうか。まるっきりの誤診かな。

以上、p.164

著者(半藤一利)は、「まるっきりの誤診かな」と言っているが、そんなことはないと思う。

また、最近でた本にも同じ趣旨のことがかいてある。

半藤一利.『漱石先生、探偵ぞなもし』(PHP文庫).PHP研究所.2016 (文庫オリジナル)
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-76659-1

「野々宮と呼び捨てにしている場面の全部が全部そうとばかりはいえないかもしれませんが、漱石は、美禰子をめぐって野々宮宗八が三四郎の胸のうちをかき乱すとき、かならず「さん」や「君」を取り払っている。この点はたしかで、三四郎の嫉ける心の動きをそこに示すかのように漱石先生は工夫しているようなのであります。」(p.192)

以上、長々と、半藤一利の言っていることを引用してきた。これは、次のことを書きたいがためである・・・実は、これとまったく同じ指摘が、日本語学の方面からもなされているのである。

これは長くなるので、明日につづく。