語彙・辞書研究会(53回)に行ってきた2018-06-15

2018-06-15 當山日出夫(とうやまひでお)

語彙・辞書研究会

2018年6月9日、東京で語彙・辞書研究会があったので、行って発表してきた。

当日のプログラムは以下のとおり(発表者名と発表タイトル)

1. 菊池そのみ・菅野倫匡 「勅撰和歌集における品詞の構成比率について」
2. 中澤光平 「方言辞典に求められるもの―与那国方言辞典作成の現場から―」
3. 大久保克彦 「『大漢和辞典』専用 OCR とフォントの開発」
4. 當山日出夫 「変体仮名と国語辞典とワープロ」
[講演]
野村雅昭 「落語辞典の穴」

最初の発表(菊池さん、菅野さん)は、この前の国語語彙史研究会の続きといった感じ。今回の方がより整理されていたと感じた。

中澤さんの発表は、絶滅の危惧にある方言を辞書として記述するときのいろんな苦労。この発表、使用する仮名の問題において、私の話したことと少し関係がある。

大久保さんの発表は、大漢和を全部スキャンして、漢字の字形をデジタル処理してみたというもの。何を目指すか明確なところはまだ無いようであるが、今後の発展に期待したい。

野村先生の発表は、落語の話し。落語を国語資料としてつかうときの資料論の話しに踏み込んだものであった。

で、私の話したことであるが……これまで、表記研究会や、東洋学へのコンピュータ利用(京都大学)などで、話してきたことを、辞書という観点から再整理してみたもの。特に新規に話したことではないが、これからの国語辞典が仮名・変体仮名というものをどう記述すべきか、ということについて、少しは問題提起になったかと思う。

終わって、会場のあった新宿NSビルの上の方の階で懇親会。かなり人は集まったほうだろうか。この懇親会は、椅子に座ってテーブルで食事しながら。そんなに多くの人と話すことはできないが、落ち着いていろいろ話せる。体もこの方が楽でもある。(このごろ、立食の懇親会でずっと立っているのが、つらくなりはじめてきた。)

この語彙・辞書研究会は、以前にも発表したことがある。三省堂の中に事務局があり、現代の辞書についての研究発表をするには、一番適した研究会かもしれない。

今回の発表では、ちょっとトラブルがあった。持って行ったパソコン(レッツノート)が、プロジェクタが認識してくれなくて、画面が映らなかった。しばらく待って、どうにか回復したのだが、急ぎ足でスライドを見せて説明ということになってしまった。こんなことは始めてである。研究発表などで、これまで、VAIOとか、レッツノートとか、使ってきている。ケーブルを繋いで、まったく認識してくれなかったということは、これまでの経験ではない。

後で思い返せば、すばやく頭を切り替えて、人のパソコンを借りることにすればよかったかと思う。そのために、USBメモリにもデータを入れて持って行っておいたのであった。あるいは、こんなこともあることにそなえて、レジュメを読み上げるだけで発表にできるように工夫しておくべきだったのかもしれない。世の中、いったい何が起こるかわからない。私も、これから先、どれだけ研究発表などすることになるか分からないが、万が一、今回のようなことが再び起こっても対応できるように準備しておくべきだと感じた次第でもある。

『半分、青い。』における方言(二)2018-05-31

2018-05-31 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2018年4月19日
『半分、青い。』における方言
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/04/19/8829326

ドラマを見ていると……東京に出てきて秋風羽織のもとで漫画家修業にはげむことになった鈴愛は、岐阜方言が抜けていない。これは、まわりの秋風のスタッフの人たちも気付いていることである。このことのドラマとしての意味は、何なのだろうか。

第一には、漫画家をめざすならば、特に、方言は気にならないということなのかもしれない。別に、作品中で方言を使うわけではない。漫画を描く時には、きちんとした標準的な日本語で台詞を描いているようだ。これが、接客業のような仕事をするならば、東京に出てきて岐阜方言のままというのは、問題があるのかもしれない。

第二に、岐阜方言を残しているということは、帰る家があることを意味しているとも理解できる。岐阜には、つくし食堂があり、両親と祖父それに弟がいる。帰ろうと思えば、いつでも帰れる。あるいは、何かあれば、電話がある。この岐阜出身で、いざとなれば帰る場所を持っている、この安心感を感じさせることばでもある。

以上の二点ぐらいが、鈴愛が、いまだに岐阜方言で話していることの、ドラマとしての演出かなと思って見ている。

その一方で、律の方は、すっかり東京方言になっているようだ。いや、むしろ岐阜方言を消して話そうとしている。清と再会したとき、岐阜方言を意図的に消していた。これは、これから、律が東京の人として生きていくことを示唆するものかと思う。鈴愛は、岐阜に帰ることがあるかもしれないが、律は帰ることはないのだろう。

また、理工学部でロボットに関心があるように描かれている。ロボット工学の世界で生きていくとなれば、岐阜出身ということは関係ないだろう。世界に通用することばで生きていくことになる。

しかし、岐阜方言を残している鈴愛は、故郷を背負ってこれから生きていくことを暗示している。それは、自分の心に忠実に生きていく人間の生き方である。今の時点では、このように理解している。自分自身に素直である人間の生き方、これが今の鈴愛の生き方だと思うのである。それを象徴しているのが、岐阜方言である。

『西郷どん』における方言(五)2018-05-24

2018-05-24 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記  2018年3月29日
『西郷どん』における方言(四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/29/8813994

この前の回から重要なのが奄美大島のことば。これは、テレビで字幕が出ていた。

私は、通常、見るときも字幕表示で見ている。これは、表示させないことができる。だが、それとは別に、始めから放送の画面の中に組み込んであるものとして、奄美大島ことばには字幕があった。

薩摩のことばもわかりにくいが、わかりにくさという点では、奄美大島のことばも、そう大して違わないと感じる。しかし、ドラマ制作の側(NHK)としては、奄美大島のことばには、字幕をつけるという方針でのぞんでいる。

一般の日本語からすると、薩摩のことばは、わかりにくいかもしれないが、同じ日本語であるということなのであろう。薩摩ことばについては、字幕をつけていない。

奄美大島のことばになると、さらにわかりにくいことばになっている。おそらく純然たる奄美ことばなのであろう、ユタのことばはほとんどわからない。(言語学的に厳密に考えるならば、奄美大島方言というよりも、奄美語という一つの言語を設定して考えることになるのかと思う。ここは、方言区画論は私の専門領域とはかなり離れるので、一般的な日本語学の知識としてであるが。)

ともあれ、NHKとしては、奄美大島のことばは、薩摩の外にあることば、日本語の外にあることばとして、とらえていることを意味するのだろう。ただ、わかりやすい、わかりにくい、という意味で、字幕をつける、つけないということではないと思う。

今のテレビは、デジタル放送になっているので、字幕表示が、ある意味でデフォルトになっているとも言える。その前提で、薩摩のことばには、字幕が出ないのだと思っている。

テレビのドラマの中のことばを耳で聴いている限りの印象では、薩摩のことばと同程度に奄美大島のことばも、わかりにくい。ここで、ことさら、奄美大島のことばに字幕をつけるということにしているのは、奄美大島は、薩摩の支配下にあったとはいえ、ほとんど琉球に近い、「日本」のギリギリ外側に位置するところという意味があるのであろう。

それほど遠いところ、これをことばの面でいいかえるならば、日本語が通じないところ、という辺境の島というイメージになる。そのような遠方の島に流された西郷、ここのところを強調するために、奄美大島のことばには字幕がついているのだろう。

だが、ドラマの中では、西郷の薩摩のことばと、奄美大島のことばとで、コミュニケーションに支障があるようには描かれていない。それぞれのことばで、話して通じているように描かれている。西郷は、あいかわらずの薩摩のことばであり、愛加那は、(おそらくは)純然たる奄美大島ことばなのであるが、この間で、ことばが通じないという場面は無かった。

また、興味深かったのは、奄美大島で、龍佐民(柄本明)の話していたことば。奄美大島でも上流階級に属するという位置づけであろう。薩摩の役人と話しをすることもあるようだ。この人物のことばは、時代劇の武士のことばを基本として、それに、奄美大島のことば、薩摩のことばを、すこし混ぜたような感じで話していた。

考証としては、江戸時代の奄美大島において、薩摩藩との交渉のなかで、どのようなことばが使われたのか、という観点から見ることになる。このような意味で考えて見るならば、純然たる奄美大島のことばでも、薩摩のことばでもない、一種のバーチャルな時代劇語とでもいうべきものを、ドラマとしては、使うことになるのだろう。

『西郷どん』における、奄美大島のことばは、ドラマというバーチャルな世界でのことばとして、理解しておくべきことだと思う。奄美大島のことばには、字幕ということで、ある種のエキゾチシズムを演出していると理解すべきなのであろう。

『言葉の海へ』高田宏(その二)2018-05-05

2018-05-05 當山日出夫(とうやまひでお)

言海

続きである。
やまもも書斎記
『言葉の海へ』高田宏
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/05/04/8843351

高田宏.『言葉の海へ』(新潮文庫).新潮社.2018 (新潮社.1978)
http://www.shinchosha.co.jp/book/133301/

この画像は、私が持っている『言海』の「あ」の冒頭の部分である。学生の時に古書店で買って今も持っているものである。

この本を読みながら付箋をつけた箇所を、すこし引用しておきたい。

「「日本」はすこしずつ育ってはいたが、文彦のうちにあるような「日本」は、まだこの国には根づいていない。在るべき「日本」のために、「日本辞書」と「日本文法」は、なにほどかを為し得るはずだ。そして、この仕事は余人に任せることはできぬ。いや、自分のほかに人はいない。この仕事の重さを知ること、この仕事と「日本」との関わりを明確に見ること、そして、この仕事を洋学上に築くこと、それは、この大槻文彦にしかできぬ。」(pp.245-246)

「右か左かと分ける見方からすれば、てんでんばらばらかも知れない。しかし、ひとつの思想で国は育たない。「世界」を最も知る明六社の人びとが、多様な方向に仕事をすることで、「日本」が育って行った。大槻文彦の『言海』も、そのひとつである。/或る微妙な、国家形成のかなめの仕事が、この人びとの手に成っていった。政治権力と反政府行動と、その両者だけではネーションは生まれない。必要なのは、或る微妙な、「知」を活性化した触媒である。」(p.247)

他にも多数の付箋をつけたのだが、明治の初期のナショナリズムの中に大槻文彦がいたことは確かだろう。いや、そのような人物として、著者(高田宏)は、大槻文彦を描いている。

ここで、大槻文彦のナショナリズムは、きわめて肯定的に描かれている。それが、国語辞典の編纂とストレートにむすびついている。

今日、このようなストレートなナショナリズムで、国語辞典を語ることはできなくなっている。国語辞典とは、いったい誰のための、何のための辞書であるのか、これが、改めて問われる時代をむかえている。

ひとつには、日本語という言語が、日本語を母語とする人びとだけのものではなくなってきている。外国人受け入れなどにともなって、日本語を母語としない人びとをも視野にいれる必要がおこってきている。

だが、かつて、大槻文彦が『言海』を編纂した時代は、まさに、日本語が「国語」になる、その時代でもあった。このことについて、今日の視点からは、極めて否定的にとらえる傾向が強い。だが、そのような時代、いや、それ以前の前近代、幕末期から開国の時代をむかえて、国家が成立していく過程において、日本語の辞書、文法が、自らの手によって編纂されるべきという、これは必然の意識である。

『言海』については、今日多くの研究がある。その中にあって、『言葉の海へ』は、『言海』の生まれた時代背景、明治のナショナリズムと日本語の辞書、文法ということについて、一つの見解をしめしている。ことばや辞書ということを考えていくと、どうしてもナショナリズムの問題を避けてはとおれない。『言海』とナショナリズムを考えるうえで、今後もこの本『言葉の海へ』は重要な位置を占めるものであるにちがいない。

『言葉の海へ』高田宏2018-05-04

2018-05-04 當山日出夫(とうやまひでお)

言葉の海へ

高田宏.『言葉の海へ』(新潮文庫).新潮社.2018 (新潮社.1978)
http://www.shinchosha.co.jp/book/133301/

この本は再読になる。最初出た時に買って読んだのを覚えている。学生のときだった。

はっきり言って、学生の時……国文学、国語学ということを勉強する……この本を読んであまり関心しなかったのが印象として残っている。『言海』という辞書の成立論をあつかったものとして読むと、今ひとつ物足りなく感じてしまったのであろう。

だが、それから四〇年ほどたって、文庫版で再読してみて……なるほど、若い時にこの本の良さが分からなかったのも無理はない、と反省するところがある。この本は『言海』という辞書の成立論……学問的分野でいえば、国語学史ということになる……の本ではない。そうではなく、幕末から明治にかけて、近代を生きた大槻文彦という人物の、その生涯をつらぬいていたものが何であったかの評伝なのである。これは、近代という時代を作ってきた、一人の人間、大槻文彦の人生を追った作品である。

逆に言えば、この本からは、「近代」というものを見てとることができるかもしれない。そのような広い視点にたって読まないといけない。

この本は、明治24年、芝公園の紅葉館での、『言海』出版記念の祝宴のときからはじまる。この時の祝宴に集まった人びとを紹介した後、著者(高田宏)は、次のように書いている。

「参会者を貴顕碩学の諸士と呼べばそれまでだが、この顔ぶれには実は三つの焦点がある。(中略)/円の一つは「条約改正への関心」であり、二つは「反藩閥の心情」、そして三つが「洋学を背景にした国家意識」だ。ナショナリズムとも呼べる感情が、この三つを結んでいる。」(pp.30-31)

この本『言葉の海へ』で描き出される大槻文彦の人生は、ナショナリズムの人生であるといってよいであろう。

断っておくと、私は、ナショナリズムを悪い意味でつかおうとは思わない。幕末から明治の初期にかけて、近代的な国家である日本をどのように築いていくか、その根底にある素朴な、だが一方で熱烈な、感情である。これを私は、肯定的に受けとめておきたいと思っているし、また、この本を読んで感じる、大槻文彦のナショナリズムは、素直に肯定できるものして描かれている。

そして、このナショナリズムの感情が起こってくる背景にあるのが、仙台という土地にかかわる、江戸時代以来の感情……リージョナリズム(郷土意識とでも言おうか)……、それと、大槻文彦の学んだ洋学、そして、漢学、である。

この本から浮かび上がってくるのは、大槻文彦という一人の人間の人生であると同時に、大槻が生きた時代……幕末から明治にかけて……その「近代」という時代の様相である。それは、明治維新をなしとげた薩長藩閥でもない、仙台という地に根ざした地方の感覚から、日本という近代国家へと変貌していくプロセスでもある。

新しい新潮文庫本は、明治150年ということで刊行になったらしい。「近代」という時代を考えてみるのに役に立つ、すぐれた本であると思う。

追記 2018-05-05
この続きは、
やまもも書斎記 2018年5月5日
『言葉の海へ』高田宏(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/05/05/8844424

『半分、青い。』における方言2018-04-19

2018-04-19 當山日出夫(とうやまひでお)

今度のNHKの朝ドラ『半分、青い。』も見ている。ドラマの時代設定は、1980年代。舞台は、岐阜である。地方を舞台にしたドラマであるから、当然のように、その地方の方言がつかわれている。テレビを見ていると、その地方の方言は、さほど特色が強いとは感じられない。標準的な日本語に近い印象である。だが、それとなくその地方の雰囲気を感じさせる話し方である。これはこれでいいとして、見ているとその方言を使わない登場人物がいる。

それは、語り、ナレーションである。ヒロイン(鈴愛)の祖母(廉子)であるが、はやく一週目に亡くなってしまって、ナレーションになっている。風吹ジュンである。(このようなナレーションの設定は、以前のドラマでは、『べっぴんさん』であった。菅野美穂が母親役で出ていて、亡くなってからナレーションをしていた。)

この語り、ナレーション(廉子)、生きている間(?)は、岐阜方言だったと思うのだが、ナレーションになってからは、方言が消えている。少なくとも、私の見た限りでは、そのように感じる。ドラマの進行を客観的な視点から見るナレーションという立場からするならば、方言ではなく、標準語の方がふさわしいということなのであろう。このナレーションのことばが、これから、標準語のままでいくのか、あるいは、場合によっては、祖母の立場にもどって方言に帰ることがあるのか、これから気をつけて見ていきたいと思う。

また、〈心の声〉とでもいうべきものがあった。律の語りも、方言を感じさせなかった。

それから、子どもの時代に登場していたブッチャーの親。西園寺一家である。この母親は、いかにもお金持ちという感じの話し方である。『ドラえもん』におけるスネ夫の家を思い浮かべればいいだろうか。「お金持ち」には、方言は似つかわしくないということかもしれない。あるいは、「お金持ちことば」という「役割語」で考えてみるべきことであろうか。

ただ、これも舞台が岐阜だからそうなるのだと思う。前作『わろてんか』のように京都・大阪が舞台ならば、お金持ちが出てきても、京都方言や大阪方言のままであったはずである。(中で、東京方言の伊能栞がいたが、これは、東京生まれという設定であった。)

これから、ヒロインが成長して、やがては東京に出て行くことになるはずである。そこで、どのようなことばが話されることになるのか、見ていきたいと思っている。時代と土地、それから、語り、心の声……これらが登場人物のことばにどう関係していくか、気になるところである。

追記 2018-05-31
この続きは、
やまもも書斎記 2018年5月31日
『半分、青い。』における方言(二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/05/31/8862756

日本漢字学会に行ってきた2018-03-31

2018-03-31 當山日出夫(とうやまひでお)

2018年3月29日は、日本漢字学会の設立、記念シンポジウム。京都大学まで行ってきた。

かなり人はあつまっていた感じだし、懇親会も人が多かった。だからといって、この分野の研究の中心になるかというと、ちょっと微妙かなという気がしないでもない。

シンポジウムは、面白かった。それぞれの専門分野の研究成果を、わりとわかりやすい……強いていえば、啓蒙的な立場から……一般向けに話しがあった。このようなシンポジウムで話しをする側の人たち(研究者)はいいとしても、その後の、フロアからの一般の質問が…………ちょっと「と」という気がするのがあった。

まあ、確かに漢字というものは、ある意味で自明なものである。漢字については、あれこれと定義する必要はないかもしれない。また、日本語のなかに普通に存在している文字でもある。だから、漢字については、誰でもなにがしかのことを語ることはできる。

だが、そのことと、文字というものを学問的方法論できちんと考えるということは、別次元のことがらになる。

たぶん、今年の12月には、学会としての研究会があるのだろう。その時、どのような発表があつまるか、また、どのような質疑応答がなされるか、期待半分、不安半分といったところだろうか。

学会の懇親会は盛況であった。終わって、知り合いの若い人たちと……奈良女子大学、東北大学、京都大学など……百万遍近辺のお店に行って、いろいろ話して帰った。これからの若い人たちが、この漢字学会でどんどん発表してくれればと思う。

家に帰ったら、10時半ぐらいになっていた。留守の間にとどいていた本、『嵯峨野明月記』(中公文庫)があった。『背教者ユリアヌス』を読む(再読)まえに、こちらの本の方をまず再読しておきたくなったので買った。

私も、この年になって、昔、高校生のころに読んだ本を、もう一度、じっくりと読み直したくなってきている。辻邦生を読み直したい。それから、福永武彦なども。

ところで、京都大学のキャンパスの桜は、ちょうど満開だった。シンポジウムは、時計台であったのだが、その舞台の背後のスクリーンを上げると、ガラスになっていて、庭の桜がきれいにみえた。桜の花を背景にしての学会というのも、雰囲気のいいものであった。

追記 2018-04-02
日本漢字学会のホームページができている。
https://jsccc.org/

『国語学史』時枝誠記2018-03-30

2018-03-30 當山日出夫(とうやまひでお)

時枝誠記.『国語学史』(岩波文庫).岩波書店.2017 (岩波書店.1940)
https://www.iwanami.co.jp/book/b313869.html

国語学史

『やちまた』(足立巻一)を読んで、買って積んであったこの本を読んでおきたくなった。

やまもも書斎記 2018年3月19日
『やちまた』足立巻一
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/19/8806507

時代を考えてみると、『やちまた』で著者(足立巻一)が、神宮皇學館の学生生活をおくっているころ、それは、時枝誠記が、言語過程説にいたる一連の仕事にかかわっていたときになる。ちなみに、『国語学原論』は、1941年(昭和16)である。ほぼ、『やちまた』の学生時代と重なる。

かつて、私が学生だったころ、国語学という研究において、国語学史という分野は、文法とか音韻などとならんで、国語学という学問を形成する一つのおおきな分野であった。それが、現在、日本語学ということになって、では、日本語学史というのが重要な領域を占めているかというと、どうもそうともいえないようである。

とはいっても、ここは時代の流れがある。この『国語学史』(時枝誠記)では、ほとんど言及されることのない資料である、中世のキリシタン資料についての研究は、近年では、かなりさかんになってきているという印象がある。たぶん、これは、国語学史・日本語学史というのを考える基盤となるものが大きく変わってきたということがあるのだろう。

時枝誠記の時代……その主な著作は戦前の刊行になり、近年の国語学批判でまっさきに批判される立場にあったことになる。「外地」において「日本語」が「国語」として存在した時代である。それが、現在ではどうだろうか。「日本語」は、ほぼ日本という国の中だけの言語になった。が、一方で、それにとどまらないで、いわゆる外国人に対する日本語教育(日本の国内外において)が、重要な言語政策課題、研究課題となってきている。世界の中における日本語というものを考える時代になってきているといえるだろう。

言語過程説にいたる時枝誠記の立場からするならば、言語(日本語)を、客観的に外在する対象として分析したことになる……それは、主にラテン語文法にもとづいてということになるのだろうが……キリシタン資料の日本語研究は、参照するに価しないものであったと考えられる。あくまでも、日本語を使う人間が、そのことばをどのように自覚していくかというところに、『国語学史』の本筋がある。

『国語学史』(時枝誠記)であるが……これは、やはり、その言語過程説を理解するうえで、重要な意味をしめることになる。ざっくりというならば、「てにをは」を「辞」としてとらえる、日本語の文法の自覚の歴史と言っていいだろう。

また、この『国語学史』を読んでみて、「外地」において「日本語」を「国語」とした時代を背景に、「国語学」という学問が自明のものではなくなってしまっているということへの、自覚がはっきりと見てとれる。「国語学」が「日本語」の研究であることを、改めて考え直していると言ってよいであろうか。時枝誠記は、「日本語」ということにきわめて自覚的であったと読み取れる。

戦前の本であり、ちょっと専門的な内容の本ではあるが、岩波文庫の一冊である。ことさら専門家だけのものということもないであろう。私も、もう国語学、日本語学というところからは隠居しようと思っている……いくつか学会には出ることにしているが……そのような境遇に身をおくことして、純然たる読書の楽しみとして読む、ちょっと専門的な本、とでもいえばいいだろうか。新規な学説をおいもとめるのではなく、今では古いかもしれないが、かつての先達たちが考えた跡を味わいながらたどって本を読んでいきたいと思うようになった。

『西郷どん』における方言(四)2018-03-29

2018-03-29 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2018年3月8日
『西郷どん』における方言(三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/08/8799659

2018年3月25日放送の第12回で、篤姫は大奥にはいることになった。その経緯と、篤姫のことばが興味深い。

以前、鹿児島にいたとき、於一(篤姫)は、薩摩ことばであった。また、江戸の薩摩藩邸に来てからも、そのことばのままであった。それが、幾島の登場によって、無理に矯正させられることになった。薩摩ことばのままでは、公方様の御台所にはふさわしくないということなのである。

その幾島のことばは、上級の武家ことばに、すこし京都風のところがまじっていることばとして設定してあった。

だが、その篤姫も、本格的に将軍家との婚儀が決まり、大奥にはいる決意をかためたところで、薩摩ことばがすっかり消えていた。標準的といっていいだろうか、上級武家の女性ことばになっていた。これは、ドラマの設定としては、幾島の教育の効果ということになるのだろう。

大奥にはいる決意をした篤姫を安政の大地震がおそう。そこを、からくも西郷が助ける、というシーン。ここで、篤姫は、ついホンネのもらしてしまう。このまま西郷につれられてどこかに逃げてしまいたい、と。この時、篤姫は、薩摩ことばをつかっていた。

島津の姫、大奥にとつぐ身としては、タテマエでは武家ことばをつかっていながら、その本心を語るところでは、薩摩ことばになる。このあたり、ドラマのことばの演出としてはうまいと思う。

このドラマ、薩摩という地域のパトリオティズム(愛郷心)、あるいは、リージョナリズム(郷土主義)の物語でもあると思って見ている。この意味では、江戸に来て何年かたつであろう西郷が、いまだに薩摩ことばなのは、それを意図しての演出であるのであろう。あくまでも、薩摩の地とともにある西郷という設定になっていると思ってみている。(たぶん、最後は、西南戦争の後、城山でおわることになるのだろうが。)

また、大久保も薩摩ことばであった。その書簡の場面。書き言葉としては、書簡用の文書語であったはずだが、それを語る大久保の声は、薩摩ことばであった。大久保もまだ、この時点では、薩摩という地にある人間という設定になるのだろう。大久保もまた、明治維新を経て中央の政治で活躍することになる。その時になっても、まだ、大久保は薩摩ことばを話すことになるのだろうか。この大久保のことばが、これからどのように描かれることになるのかも、気になるとこころである。

薩摩、鹿児島という地域に対する、パトリオティズム、リージョナリズムを表現するものとしての薩摩ことばであろう。今後、幕末から明治維新の動乱、新政府の樹立というなかで、登場人物がどのようなことばを話すことになるのか、見ていきたいと思う。

追記 2018-05-24
この続きは、
やまもも書斎記 2018年5月24日
『西郷どん』における方言(五)

『やちまた』足立巻一(その五)2018-03-26

2018-03-26 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 『やちまた』足立巻一(その四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/24/8810196

足立巻一.『やちまた』(上・下)(中公文庫).中央公論新社.2015 (河出書房新社.1974 1990 朝日文芸文庫.1995)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2015/03/206097.html
http://www.chuko.co.jp/bunko/2015/03/206098.html

『やちまた』(足立巻一)を読んで、今ひとつよくわからないことがある。それは、『詞八衢』(本居春庭)という書物が、いったいどんな書物で、何が書いてあるのか、よくわからないことである。

たぶん、著者(足立巻一)は、意図的に、『詞八衢』という書物の内容には言及していないのである。もし、『詞八衢』について解説しだしたりすると、それだけで、さらに一冊の本を書かなければならないかもしれない。

『詞八衢』は、大部な書物というわけではないが、決してわかりやすい本ではない。それは、ここに掲載した画像を見ればわかる。無論、変体仮名で書いてあるので、読むのはちょっと難しいかもしれない。だが、難しさは、変体仮名で書いてあることではない、この書物の眼目とでもいうべき、用言の活用表についてである。

一般に、現在の国語教育、古典教育で教えられる文法……いわゆる学校文法、古典文法……は、演繹的である。四段活用なら、基本だけを示して、あとは、五十音図によって演繹的に考えるようになっている。

だが、江戸時代、五十音図というのが、一般に流布する前のことである。一部の国学者ならば分かったかもしれないが、一般の読者まで視野を広げて考えるならば、五十音図による演繹的な説明は無理である。あくまでも、実例に即しながら、帰納的実証的に説明するしかない。

その結果、活用を図にしてしめすと次のようになる。表紙(上巻)、本文のはじまり、活用図の画像、刊記(下巻)を示す。

詞八衢(表紙)

詞八衢(本文)

詞八衢(活用図)

詞八衢(刊記)

これでは、今の読者……学校文法をならっているような……には、すぐには何のことか分からなくてもしかたがない。『やちまた』を書いたとき、著者(足立巻一)は、このような江戸時代の国学者の書いた活用の表を、読者に提示することをしていない。だが、著者(足立巻一)は、この表をきちんと理解している。だからこそ、先行研究とのつきあわせということもできる。このことは、わかった上で、『やちまた』は、今日において読まれるべきであろう。

これ以上のことは、専門的な国語学史、あるいは、学校文法の教育史ということになるので、ここまでにしておきたい。

ここで使用した画像は、国立国会図書館デジタルコレクションにある。PDFでダウンロードして、画像(JPEG)に変換したものである。著作権保護期間満了となっている。

蛇足ながら……この画像の題簽(本の表紙の紙に書いてあるタイトル)には「言葉のやちまた」とある。しかし、内題(本の本文の最初に書いてあるタイトル)「詞八衢」とある。この場合、内題を優先する。

上巻
永続的識別子 info:ndljp/pid/2562833
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2562833

下巻
永続的識別子 info:ndljp/pid/2562834
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2562834