『西郷どん』における方言(二)2018-02-08

2018-02-08 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2018年1月26日
『西郷どん』における方言
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/26/8776739

前回、とりあげなかった人物で、そのことばが気になる人びとについて。

まず、由羅。江戸ことばであった。薩摩の地で斉興とともにいるのだが、そのことばは江戸ことばである。

NHKのHPを見ると、由羅は江戸出身とある。薩摩にきて、斉興のもとにいることになっても、そのことばは江戸ことばのままである。

それから、新しく登場した於一(篤姫)。これは、鹿児島ことばであった。島津の姫のひとりということだから、鹿児島ことばでも自然といえば、そうなのだが。しかし、この姫は、いずれ江戸の将軍のもとに嫁ぐことになる。江戸に行ってからも、鹿児島ことばのままなのであろうか。

さて、以前のNHKの大河ドラマ『篤姫』では、どうだったろうか。(これは、あまりはっきり覚えていない。)

また、斉彬は薩摩藩主になっても、江戸ことばのままである。この斉彬の江戸ことばと、斉興の鹿児島ことばの違いが、親子の対立を一層鮮明にしている。

この『西郷どん』の脚本は中園ミホである。今、BSで再放送している『花子とアン』の脚本も書いている。『花子とアン』をみていると、村岡花子は、もともと山梨ことば。それが、東京の女学校に入って、東京ことばになっていく。働いて、結婚して、という展開だが、東京の仕事の場面や家族との会話のシーンでは、東京ことば。しかし、故郷の家族(父や母)と話すときには、山梨ことばになっている。

また、妹のかよも、東京のカフェで働いているという設定であるが、山梨ことばが抜けていない。

中園ミホ脚本においては、登場人物が、どの方言を話すかは、状況によっていくぶん左右されるところがあるようだ。キャラクターの設定と場面によって、どの方言を、どのような場面で使うか選択的である、ともいえようか。

では、『西郷どん』ではどうなるだろうか。今のところ、登場人物の状況の変化によって、そのことばが変わるということはない。だとすると、このまま明治維新になって、明治政府ができるとすると……そこは、まさに『国語元年』(井上ひさし)のような状況になるだろう。薩摩や長州、京都などのことばが入り乱れる。

たぶん、なにがしかの共通のことばがあったはずである。方言のまま同士でことばが通じるとは思えない。だが、江戸ことばの斉彬と、鹿児島ことばの薩摩の人びとと支障なくコミュニケーションできているという設定からするならば、このまま方言をかえずにいくということもあり得るだろう。(あくまでもドラマの演出としてであるが。)

これから、幕末の動乱期、明治維新をむかえるとき、西郷隆盛や、篤姫のことばは、どのように変化するだろうか/あるいはしないのだろうか、このあたり、注目して見ていこうと思っている。

そして、牢にいた謎の男は、どんなことばをはなすのだろうか。

『西郷どん』における方言2018-01-26

2018-01-26 當山日出夫(とうやまひでお)

NHKの今年の大河ドラマは『西郷どん』である。国語学の観点から見て思ったことなどいささか。

気になるのは、登場人物のことば。今のところ、ドラマは、鹿児島における西郷隆盛の青年期の話しである。まだ、黒船が来るまえのこと。舞台は、鹿児島である。

当然のことであるが、西郷隆盛は、鹿児島ことばを話している。家族など他の周辺の登場人物もそうである。このあたり、厳密に考えるならば、鹿児島ことばといっても、身分によって違っていた可能性はある。しかし、そこまでドラマでは描いていないようだ。いや、これは、見ている方(私)が分からないだけで、制作側としては、そこまで区分しているのかもしれない。

テレビは字幕表示で見ている。これを、おそらく、字幕無しで見たら、ほとんど何を言っているのか聞き取れないのではないかと思われる。テレビがデジタルになって、台詞に字幕が表示できるようになったから、聞き取れない鹿児島ことばで話をしていてもよいということなのかもしれないと思って見ている。

西郷隆盛が鹿児島ことばであるのは、いいとしても、藩主・斉興、それから、久光が、鹿児島ことばである。その当時の大名であるからといって、江戸ことばにはなっていない。

このあたり、大河ドラマの前作『おんな城主直虎』と違うところである。『おんな城主直虎』では、主人公・直虎をはじめとして、大名、国衆クラスの武家、それから、ネコ和尚など、(今日でいう)標準的な日本語を話していた。その土地の方言を話していたのは、百姓たちであった。ここでは、社会的階層・階級によって、その地方の方言を話す、標準的なことばで話す、この違いを演出していた。さらにいうならば、方言は、社会的階級の指標にもなっていた。

『西郷どん』では、方言は、必ずしも社会的階層を反映するものとしてはあつかわれていない。むしろ、その地方色を出すためである。さらには、薩摩という地方にあって、封建領主であるという立場を強調するものになっている。

開明的な藩主として、薩摩藩を改革し、さらには倒幕への道筋をつけることになる斉彬は、標準的なことばをはなしている。江戸ことばといってもいいのかもしれない。斉彬は、江戸の藩邸に住まいしているということになっている。この観点では、江戸ことばでも不思議はないようなものかもしれないが、しかし、斉彬の江戸ことばは、その開明性の象徴でもあるのだろう。

これと比較して、その後の歴史で、あくまでも封建的な大名の立場にたつであろう斉興や久光は、鹿児島ことばなのである。ここでは、方言が、地方性のみならず、歴史的後進性、あるいは、封建的性格を表すものとなっている。

これから、ドラマでは、長州の人びとや、土佐の人びとが登場するにちがいない。また、京都の公家も出てくるであろう。むろん、江戸の勝海舟は登場するだろう。このような登場人物が、どのようなことばを話す人間として出てくることになるのか、このあたりを注目して見ていきたいと思っている。いうならば、幕末・明治維新を舞台にした日本語(時代劇語、方言……それは、フィクションとしてのといってもよいかもしれない……)のドラマとして見ることになる。

追記 2018-02-08
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月8日
『西郷どん』における方言(二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/08/8784439

『わろてんか』における方言2018-01-15

2018-01-15 當山日出夫(とうやまひでお)

このドラマの話しの運びからいって、伊能栞の母親は、もう登場しないだろうと思われるので、ここで書いておくことにする。

母親(志乃)は、東京下町ことばを話していた。東京で地震があったことを知った伊能栞は、向島のあたりのことを心配していた場面があった。たぶん、向島は母親(志乃)が住んでいたあたりになるのだろう。向島は下町である。

東京の下町で芸者をしていた母親が産んだ子供が栞である。

だが、その伊能栞は、大阪でビジネスをしていながら、東京ことば(山の手ことば)で話している。東京下町ことばは、うかがえない。はたして、伊能栞の母方言はいったいどのことばであるのだろうか。中学まで母親と一緒に暮らしていたとするのならば、東京下町ことばを話していてもおかしくはないのだが。

これは、活動写真という新しい娯楽ビジネスを手がける近代的なビジネスマンとしての伊能栞には、東京のことばでも、山の手ことばの方がふさわしいということである。言い換えるならば、東京下町ことばは似合わない。伊能栞の生いたちはともかくとして、近代的ビジネスマンには、大阪での仕事の場面でも、東京(山の手)のことばがふさわしいということになる。

大阪で商売をするなら、郷に入れば郷に従えで、大阪ことばを話していてもいいようなものであるが、そうはなっていない。近代的なビジネスを表すものとしては、大阪ことばはふさわしくないのである。伊能栞が無理に大阪ことばをつかう場面は、ぎこちなさがともなっている。

それから、てんのことばであるが、これは一貫して京都ことばになっている。これも、大阪で商売をするからといって、大阪ことばになってはいない。もっとざっくりというならば、大阪のおばちゃんのことばにはなっていない。

テレビドラマで、登場人物がどの方言を話しているかという設定は、そのドラマの意図にしたがっている。この観点からは、伊能栞は近代的なビジネスマンとしてこれからも出てくることになるのであろうし、てんは京都育ちということを背景にしての、藤吉をささえる内助の功を描くことになるのだと思って見ている。

『國語元年』井上ひさし(中公文庫版)その二2018-01-02

2018-01-02 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2017年12月30日
『國語元年』井上ひさし(中公文庫版)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/30/8757864

井上ひさし.『國語元年』(中公文庫).中央公論新社.2002 (中央公論社.1985)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2002/04/204004.html

この作品には、日本のいろんな地方の登場人物が出てくる。主人公の南郷清之輔は、長州のことば。その岳父と妻は、薩摩のことば。浪人の元武士の若林虎三郎は、会津のことば。このテレビドラマ版の語り手(ふみ)は、山形のことば、などである。

私がこのテレビを見ていた時の記憶として、毎回、冒頭に、ふみ(石田えり)の手紙が語られていた。そのはじまりは、きまって「オドチャに、カガチャ」ではじまっていたのを覚えている。今日の標準的な日本語で、文字をあてるなら、この箇所、井上ひさしは、「父上様、母上様」としている。

ところで、中公文庫版(テレビドラマ版)を読んで、次のようなことに気付く。それは、この作品は、各地の方言と、今日の標準的な日本語の、パラレルテキストになっていることである。本文(本行)は、普通の日本語。それにルビとして、その話者の方言が付してある。

では、すべての登場人物の台詞にルビがついているかというと、そうでもない。ルビのついていない登場人物がいる。女中頭の加津である。テレビドラマでは、山岡久乃が演じていたのを覚えている。

この加津は、幕臣の奥様であったという設定。維新の後、女中奉公をしていたのだが、このドラマでは、南郷清之輔の住まいする屋敷に奉公することになっている。加津のことばは、本山の手ことば、ということになる。

加津の台詞には、ルビがない。

それから、江戸下町ことばの、たねとちよの台詞にも、基本的にルビがついていない。(ところどころについている程度である。)

つまり、山の手の奥様のことばや、下町のかみさんのことばには、ルビがないのである。

また、このドラマでは、各地の方言を話す人びとどうしで話しが通じないという場面が多く描かれる。しかし、加津のことば(本山の手ことば)は、みんな理解しているようである。

ドラマの最初は、山形から出てきたふみが、始めてお屋敷に入るところからはじまる。そのとき、加津と対面するのであるが、加津はふみの山形のことばが聞き取れないで苦労する。しかし、ふみの方は、加津の話していることばを、聞き取れている。

このようなところをみるならば、結果的に次のようにいえるだろう。それは、今日の標準的な日本語の話しことばが、東京のことばを元にしてできあがっている、ということである。

この『國語元年』は、方言の多様性を尊重すべきという立場である。しかし、多様な方言のなかにあって、今日の標準的な日本語として生き残っている、あるいは、その基礎をなしているのは、江戸から東京にかけてのことばであることになる。

つまり、「全国統一話し言葉」を制定しようという苦労の物語であるが、読んでみると、結局は、首都である東京のことばが基本になったということを、裏付けることになってしまっている。

ただ、厳密にいえば、東京方言=標準語、ではない(国語学、日本語学の知見として)。そうはいっても、『國語元年』で描き出そうとしたような、多様な方言のなかにあって、江戸・東京のことばが、標準的な日本語の基層をなしていることは、否定できないことになる。

学問的な課題としては、ではどのようなプロセスを経て、東京のことばを基本にして、標準的な日本語が形成されてきたのか、ということになる。この点については、新潮文庫版『新版 國語元年』の解説(岡島昭浩)が、非常に参考になる。中公文庫版(テレビドラマ)と新潮文庫版(舞台)の違いも重要であるが、国語学・日本語学の観点からの解説としては、新潮文庫版が重要である。

『國語元年』井上ひさし(中公文庫版)2017-12-30

2017-12-30 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2017年12月26日
『新版 國語元年』井上ひさし
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/26/8755325

井上ひさし.『國語元年』(中公文庫).中央公論新社.2002 (中央公論社.1985)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2002/04/204004.html

新潮文庫の『新版 國語元年』を読んで、中公文庫版の方も確認しておきたくなって読んでみた。再読である。

確認してみるならば、『國語元年』は、もともとNHKのテレビドラマ。この放送は私は見た記憶がある。中公文庫版にはいつの放送とは書いていないのだが、新潮文庫『新版 國語元年』の解説(岡島昭浩)によると、1985年の放送とある。その年(1985)に、中央公論社から、「日本語を生きる」(日本語の世界10)として刊行。その後、中公文庫版になっている(2002)。

一方、テレビドラマの後で、井上ひさしが、舞台にかけている。その脚本として書いたもの(戯曲)が、『新版 國語元年』の方になる。

前後関係を確認しておくならば、もとはテレビドラマの方が先にあって、舞台版が後からということである。

物語の大きな筋道は基本的に同じ。だが、違いがある。二点に絞ってみる。

第一は、舞台版では、写真が大きな役割をもっていることである。作中で、何度も、一家の記念写真を写そうとして、その都度、何かの事情で失敗することになる。そして、その失敗写真が、舞台演出上でも意味のあるものとしてつかわれている。

これは、テレビドラマ版でもでてくる。いよいよ「全国統一話し言葉」を策定するとなって、南郷清之輔は一家の記念写真をとろうとする。しかし、これは、ドラマのなかでそう大きな意味があるとは思えない。だが、次のような台詞がある。

「清之輔 それなら、日本の話し言葉、すなわち全国統一話し言葉は、維新の大業を忠実に写しておらにゃなりませんがノー。写真のように忠実にノー。」(中公文庫.p.211)

ここをふまえて考えるならば、舞台版における写真を撮るこころみと、その度重なる失敗は、「全国統一話し言葉」の制定の困難さと挫折を表象しているものと理解できるだろう。なお、写真については、新潮文庫版『新版 國語元年』の解説(岡島昭浩)に、同様の言及がある。

第二は、すでに書いたことが、唱歌である。テレビドラマ版にも歌は出てくる。だが、その歌は、地方の方言を反映したもの、それを代表するものとしてである。民謡(鹿児島おはら節)を歌うシーンがあるが、それは、その歌に郷愁を感じるというものではなく、地方ごとに方言があってことばが異なっていることを表すものとして歌われる。

だが、舞台版(『新版 國語元年』)では、唱歌が随所に登場する。これは、逆に、日本語の原風景を表象するものとして出てくる。文語(口語、話し言葉ではない)の唱歌が、日本語共同体の郷愁を表すものとして、舞台ではあつかわれている。

以上の二点が、テレビドラマ版と舞台版とで異なっている点になる。これは、ただ、テレビドラマを舞台にするということで、演出上の都合でそうなったということではないであろう。井上ひさしの「全国統一話し言葉」に対する考え方の反映と見るべきである。

舞台で、写真撮影がことごとく失敗するように、まだ明治7年の段階で、「全国統一話し言葉」は無理であった。まだ、言文一致の動きが始まる前の段階である。

しかし、文語体の唱歌であるならば、登場人物全員が、それぞれの方言は異なっているとしても、共有できる、いわば言語共同体の原風景のようにたちあらわれる。これは、ただ、口語ではなく文語であれば共有できるということではなく、日本語には統一された基本的な様式があり得るのであるということを語っているのだと思う。

それは、テレビドラマ版のつぎのような部分を敷衍したところにあると考える。

「清之輔 ひとつの国にひとつの言葉、それがこの南郷の理想ス。」(中公文庫.p.295)

その「ひとつの言葉」の受け皿になるのが、古代・中世から連綿として続いてきた日本語の歴史であり、それを体現しているのが文語体の唱歌、ということで理解してよいのではないか。

無論、この作品は、簡単に「全国統一はなし言葉」が実現することを描いたものではない。むしろ逆に、その難しさ、さらには、全国各地の方言の多様性と、それによって生活している人びとの暮らしへのまなざし、これを感じることができる。一方的に、国家権力によって、制定されるべきということではない。

さらに述べるならば、文語体の唱歌も、明治になってから、〈発明〉したものにほかならない。近代的な国民国家、日本として、その共同体を表象するものとしての文語体の唱歌である。これは、今日、21世紀だから、このように言い切ることができる。だが、井上ひさしが、このドラマを書いた1980年代ではどうだったであろうか。昨今のカルチュラル・スタディーズが、流行する前のことになる。

舞台版『國語元年』の唱歌のもつ意味は、その書かれた時代背景のもとに、再考察されるべきであろう。

追記 2018-01-02
この続きは、
やまもも書斎記 2018年1月2日
『國語元年』井上ひさし(中公文庫版)その二
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/02/8760296

『新版 國語元年』井上ひさし2017-12-26

2017-12-26 當山日出夫(とうやまひでお)

井上ひさし.『新版 國語元年』(新潮文庫).新潮社.2017
http://www.shinchosha.co.jp/book/116835/

書誌的な解説は次のようになる。

単行本『国語元年』が、新潮社から、1986。それに、「国語事件殺人辞典」「花子さん」を加えて、新潮文庫版『國語元年』が、1989。この本は、そのうちから「國語元年」だけをとりだして、一冊にしたもの。

また、中公文庫版の『國語元年』とも異なる。

井上ひさし.『國語元年』(中公文庫).中央公論新社.2002
http://www.chuko.co.jp/bunko/2002/04/204004.html

私の「國語元年」を見た、読んだ経歴を書けば……まず、テレビ(NHK)で放送の「國語元年」は見ている。その戯曲版が中公文庫版。これとは別に演劇として上演された「國語元年」がある。これは見たことがない。今回の新潮文庫版は、その舞台戯曲版の「國語元年」である。

中公文庫版と新潮文庫版では、内容的には基本的に同じであるが、大きく異なっているところは、新潮文庫版では、唱歌が随所に取り入れられていることである。これは、かつてのテレビ放送でも、中公文庫版でも無かったことである。

このたび、新潮文庫版の『國語元年』を読んで思うことをいささか書いておく。

上述のように、舞台版としては、唱歌が重要な役割をはたしていることがある。この物語は、知られているように、文部官僚・南郷清之輔を主人公として、「全国統一話し言葉」の制定をめぐっての、悲喜劇である。結局、南郷清之輔のこころみは成功することなく、最終的には、精神の病を得てこの世を去ることになる。

人為的に、あるいは、国家の権力によって、強引に「全国統一話し言葉」を決めることは、結局のところ失敗する。だが、この作中(新潮文庫版)では、唱歌だけは、明治にはじまって、今日にうたい継がれているものとして登場してくる。そして、その唱歌にかかわったのも、また南郷清之輔という設定である。

ここがテレビドラマ版と大きくちがっているところである。このところに、私は、作者・井上ひさしの日本語についての、思いの変化を見て取る。

舞台、演劇というところで、唱歌を効果的にあつかっている。そして、その唱歌のことばは、文語文である。口語体ではない。ここに私は、日本語をつかう人びとの共同体としての、ノスタルジーのようなものを感じてしまう。国家権力による「全国統一話し言葉」は失敗する。しかし、それ以前からの文語をふまえた唱歌は、明治から現代にいたるまで生きのびている。その淵源は、どこにあるのか。明治以前の古代・中世からの日本語の歴史にもとめることになろう。

人為的な「全国統一話し言葉」に対して、自然に人びとのこころの中でうけつがれている古くからのことばがある。それを表象しているのが、唱歌ということになるのだと思って読んだ。

ここのところを、井上ひさし論として、どうとらえるかは、難しいところかもしれないが、一番重要なポイントになると思う。ここを、井上ひさしは、いわゆる伝統的な日本語共同体というところに退歩したのではないかとも、理解できなくはない。唱歌といえども、それは、明治政府が意図的に制定したきわめて人為的な、作られた伝統でもあるのだから。

ところで、『國語元年』(中公文庫版、新潮文庫版)を読んで、また、その解説(岡島昭浩)を読んで、私の感じたところを一つ述べるならば、近代の日本語を論じる時に、えてしてわすれがちになる視点……今日の日本語をつくりあげてきた、先人たちの努力へのリスペクトこそ、重要なのであるということである。

近代の日本語研究は、学会の名称が、「国語学会」から「日本語学会」に変更になったことに象徴的に表されているように、その学問自体が、きわめて批判的なまなざしで見られてきたという経緯がある。このような経緯のなかで、日本語学・国語学という分野で勉強して来た私の感ずるところは、近代になってからの先人たちの努力あってこその今日の日本語である、ということである。たとえ、その負の側面をいかにあげつらうとしても、その結果としてある、今日の現代日本語のうえに、我々の言語文化、社会、歴史がなりたっていることはまぎれもない事実である。この事実のうえに、謙虚になって、近代日本語をつくりあげてきた先人たちの仕事にリスペクトをもって向かうべきではないだろうか。

追記 2017-12-30
この続きは、
やまもも書斎記 『國語元年』井上ひさし(中公文庫版)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/30/8757864

『文章読本』中村真一郎(その四)2017-09-02

2017-09-02 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。

やまもも書斎記 2017年8月31日
『文章読本』中村真一郎(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/08/31/8662778

さらに付箋をつけた箇所を引用しておきたい。永井荷風にふれて次のように書いてある。

「こうした口語文への疑いというものは、荷風がいかに深い文体感覚の所有者であったかを示しているわけです。英語やフランス語の〈文学的〉文体、また漢文に比べて、明治以降に発達した新しい口語文は、いかにも未熟なもの、古典的完成に遠いものと感じられたでしょう。/文体というものは、その文体を使う人の、知性と感性との全体的な反映です。そうして荷風は西洋から帰って来てから半世紀近くのあいだ、ずっと近代日本の蕪雑な文明に我慢がならず、〈完成された〉江戸末期の生活を真似てみたり、また〈完成された〉西洋風の生活を試みたりして過ごしました。それは日常の必需品の端ばしに至るまでに、徹底したものでした。」(p.143) 〈 〉原文傍点

今の私は、荷風を読むよりも、荷風について書かれたものを読むことの方が多い。このことについては、すでにこのブログでも触れたことである。

ともあれ、荷風が近代の口語文を嫌ったことは確かなことのようである。それは、荷風の「作品」であるところの『断腸亭日乗』を見てもわかる。これを、荷風は、文語文で書いている。

荷風のようになることは、もはやできない。現に、この本、『文章読本』を書いている中村真一郎自身が、この本自体を、近代の口語文で書いているのである。現代においては、近代の口語文以外に、文章の選択肢はないといってよい。

そのなかにあって、その可能性を様々に探る文学的なこころみもあっていいだろう。と同時に、日本語の文章史において、我々の知性、感性が、近代の口語文とともにあるのだということに、自覚的である必要がある。

荷風の時代には、まだ、漢詩文や、江戸の文学などが、同時代のものとしてあった。また、鴎外や鏡花のような日本語文の可能性も残されていた。だが、現代の日本語においては、もはやそのような選択肢はない。

であるならば、このような時代の流れのなかにあることを自覚したうえで、口語文による、知性と感性の表現を追求していかなければならない。

現代の口語文によるすぐれた知性と感性の事例として、私は、例えば井筒俊彦の文章があると思っている。この夏の間にその著作……主に、イランの革命からのがれて日本に帰ってからのもの……のいくつかを読み返してみた。すぐれた知性によるすぐれた日本語の文章であると私は思う。現代日本語の口語文の可能性は充分にのこされていると思う次第である。

『文章読本』中村真一郎(その三)2017-08-31

2017-08-31 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。

やまもも書斎記 2017年8月26日
『文章読本』中村真一郎(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/08/26/8657880

夏目漱石の『硝子戸の中』を引用したあとに、このようにある。

「こうした自由に客観と主観を往来し得る、そして時には平凡に感じられるくらいに平易な、と同時に正確で癖のない、漱石の完成した口語文は、その後、大きな影響を日本の各界の人々に与えました。教養のある現代の日本人は、殆ど誰でもこの文体で、文章を綴っているのではないでしょうか。/これは鴎外の硬質の文体の影響が文学者の一部に限られているのと、極端な対照をなしている現象です。」(p.89)

たぶん、このことに、異論はないだろうと思う。現代日本語の口語文は、夏目漱石に源流を見いだすことができる。あるいは、特に夏目漱石に限ったことではないのかもしれないが、その文学的な影響力ということをも含めて考えてみるならば、夏目漱石の文章に流れの中に、現代の日本語の文章……特に口語文、小説の文章……はあるといってよいのだろう。

近代日本文学のなかで、夏目漱石は、いまだに読み継がれている作家であり、研究もつづいている。その作品の多くは、ほとんど何の注釈もなしで読める。無論、一部、風俗描写など細かな注釈が必要になるところもないではないが、しかし、文章そのものが難しいので注釈をつけないと読めないということはない。

だが、同時に忘れてはならないことは、これはよく知られていることであると思うが……漱石は、晩年になって『明暗』を執筆するのと同時に、漢詩文の世界にあそんでいる。漱石の文章を考えるにあたって、その口語散文以外の領域……俳句であり、また、漢詩文である……を、視野にいれおかなければならない。

そのうえで、現代のわれわれの日本語文が、漱石の残した文章の延長にあることに、あらためて自覚的である必要があろう。

文学とは文体である……と言い切ってしまうことが許されるなら、漱石のつかった口語散文の切り開いていった世界につらなるところに、現代の文学も、またあるということになる。この意味においても、漱石の文学は顧みられるべきである。このことは、逆説的にいえば、森鴎外や、泉鏡花のような文章の延長には、我々はいない。その逆の可能性をふくめて考えなければならないことでもある。

そして、このようなことを考える意味でも、中村真一郎の『文章読本』は、いい本だと思う。

追記 2017-09-02
この続きは、
やまもも書斎記 2017年9月2日
『文章読本』中村真一郎(その四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/09/02/8666586

『文章読本』中村真一郎(その二)2017-08-26

2017-08-26 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。

やまもも書斎記 2017年8月25日
『文章読本』中村真一郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/08/25/8655979

読みながら付箋をつけた箇所を引用しておきたい。

「私たちは現在では文章というものは、口語文しか持っていないので、普通は口語文でものを考えるわけで、だから、現在の口語文が、私たちの考えたいこと、感じたいことのすべてを表現する能力があれば、そうした検討は必要はないわけですが、実際には日本近代の発明にかかる口語文は、まだ私たちの精神生活のすべてを覆うところまで、充分には発展しきっていないのではないでしょうか。」(p.40)

「だから、私たちの考え方や感じ方そのものも、明治以来の口語文を読むことを通して、自分たちのなかに育て上げて来た以上、彼等にその道が作られたのだ、と云うこともできます。/〈口語文〉というものの発明は、だから単なる文章の問題ではなく、私たち日本人の現在の生活あらゆる方面に、深い関係を持っているということになります。」(pp.48-49)〈 〉原文傍点

このように、近代の口語文の歴史と、それにあわせた日本人の考え方、感じ方の問題を重ねて論じてある。この視点は、重用であると私は思う。単なる文章史でもないし、文学史でもない。文章の歴史を考えることによって、考え方、感じ方の歴史がそこにあることを見ていこうとしている。

著者(中村真一郎)の言うとおり、現在の日本語は、口語文しかないといってよい。その口語文で、自在に、考えること、感じることができているかどうか、ここは、時としてたちどまって考えてみてもよいように思う。自分が考えよう、感じようとした時、それを表現する日本語の文章がどのようなものであるか、このことに無自覚であってはならない。

今、自分が文章を書いている日本語の文章、その文体もまた歴史的に構成されてきたものであることをわすれてはならない。この観点からの、現代日本語についての論考が必要になってきている。狭義の日本語学の枠から拡大して、文学のみならず、さらに、思想、宗教、芸術といった諸々の領域にまたがって、現代の、近代の日本語とのかかわりが、考察される必要があるだろう。

また、中村真一郎が、現代の、近代の日本語について、上記のような認識をもっていたということは、『頼山陽とその時代』など、近世の漢詩文を論ずるときに、忘れてはならないことでもある。私が『頼山陽とその時代』について書くに先立って、『文章読本』を読んだゆえんでもある。

追記 2017-08-31
この続きは、
やまもも書斎記 2017年8月31日
『文章読本』中村真一郎(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/08/31/8662778

『文章読本』中村真一郎2017-08-25

2017-08-25 當山日出夫(とうやまひでお)

中村真一郎.『文章読本』(新潮文庫).新潮社.1982 (世界文化社.1975 文庫化にあたり加筆あり)

もう今では売っていない。古本で買った。『文章読本』は、他にも多く出ている。もちろん、一番有名なのは、谷崎潤一郎のものである。その他、川端康成、三島由紀夫、井上ひさし、丸谷才一、などのものがある。たいてい読んできたつもりでいたが、中村真一郎のものは未読であった。

中村真一郎の本で、最近出たのが

中村真一郎.『頼山陽とその時代』(上下)(ちくま学芸文庫).筑摩書房.2017

である。(これについては、あらためて書いてみたと思っている。)ともあれ、中村真一郎を久しぶりに読んでみて、昔買って読んだ本など、再度読み直したくなった。そこで、まず、手軽なところからろ思って『文章読本』を選んでみた。

この『文章読本』も、他の「文章読本」と同じように、主に文学の文章を、それも主に小説の文章をあつかっている。文学の、小説の、文章読本である。

だが、中村真一郎『文章読本』は、それにとどまらない。近代文学史になっている。近代の主に小説の文章をとりあつかって、その歴史、発展をたどっている。それが、ちょうど明治以降の近代文学史になるように書かれている。

谷崎潤一郎の『文章読本』については、すでに触れた。

やまもも書斎記 2016年8月23日
谷崎潤一郎『文章読本』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/23/8160014

ここで、私は、谷崎『文章読本』には、あまり高い評価をくだしていない。文学作品の鑑賞という観点からは参考になるところはある。しかし、文章を書く、また、文章の歴史を考えてみる、という観点からは、谷崎のものはほとんど役にたたない。

しかし、中村真一郎の『文章読本』は、文章を歴史的に見る視点をもっている。近代になって、口語文というものが成立してくるプロセス、それから、その可能性について、ひろく考察をめぐらせている。

たとえば、冒頭近くの「文語文と口語文」の箇所から少し引用してみる。

「文章は通常、論理と感情の両面を表現するものである、つまり〈書く〉ということは、人の〈考える〉ことと〈感じる〉こととを同時に言葉にすることである、と私は先に述べました。/そして、明治維新以後、〈話し言葉〉のなかから文章を作ろう、つまり〈口語文〉を作ろうと云う運動が起って来たとき、それに最も熱心だったのは作家でした。/と云うのは、ほとんど純粋に論理だけを操縦してつくる論文、布告文、と云うようなものは、従来の漢文を読み下したような〈文語体〉でも不自由がなかったのです。」(p.23)〈 〉原文傍点

近代の日本語文の成立史の研究の観点からは、いろいろいうべきことはあるであろうが、文学の文章としての口語文という意味では、ここに述べられていることで、大筋としては、ほぼ十分なのではないだろうか。

日本語史の視点からの文章史はもちろんあってよい。だが、それと同時に、文学の観点から、口語文の歴史を振り返ることもあっていいだろう。この意味において、中村真一郎の『文章読本』は、意義ある仕事だと思う。(この本は、是非、復刊してほしいと思う。)
追記 2017-08-26

この続きは、
やまもも書斎記 207年8月26日
『文章読本』中村真一郎(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/08/26/8657880