キキョウの花2017-07-19

2017-07-19 當山日出夫(とうやまひでお)

家の池の横でキキョウが咲いている。白い花の種類である。

ジャパンナレッジで、日本国語大辞典をしらべると、初出例は、平安時代の村上御集(967年頃)になる。

また、「ききょう」は、かさねの色目でもある。栄華物語に用例があるよし。表は二藍(ふたあい)、裏は青。きちこう。

薄紫の花が、少し前に一輪だけ咲いていたのを見つけたのだが、それ以上咲かずに、雨にうたれてしおれてしまった。今、咲いているのは、白い花。園芸種なのであろうと思う。

池の端に、池に向かって咲いているので、写真に撮るのは、対岸から望遠レンズをつかってになった。つぼみとか花一輪だけなら、近寄って何とか写すこともできるが、まとまってになると無理である。

NikonのDXで300ミリ。35ミリ換算で450ミリになる。数メートル離れた花の咲いているところを、なんとか写すことができた。


キキョウ


キキョウ



キキョウ


キキョウ

Nikon D7500 AF-S Micro NIKKOR 40 2.8 G AF-P NIKKOR 70-300 G ED

センリョウの花2017-07-12

2017-07-12 當山日出夫(とうやまひでお)

我が家の庭には、かなりのセンリョウの木がある。

冬になると、黄色い実をつける。そのセンリョウを観察していると、今がちょうど花の咲く時期であるようだ。先月から今月にかけて、時々、センリョウの花を写しておいた。白っぽい小さなつぼみが、わずかではあるが徐々に大きくなって、それが花ひらく。これが、冬になると、黄色く色づいて、季節を知らせてくれる。

冬になって、色づいた実を愛でるのもいいが、その前に、どのように花、実をつけるのか、その有様を観察するような時間をすごしたいものだと思っている。

ジャパンナレッジで「センリョウ」を検索してみると、日本国語大辞典には、江戸時代からの用例がのっている。

見出しは「千両」の表記であるが、樹木については、「仙蓼」ともとある。センリョウ、マンリョウと対にして憶えている樹木であるので……ちなみに、我が家の庭には、マンリョウの木もある……「千両」の表記をついつい思い浮かべてしまう。

最古例は、俳諧・増山の井(1663)に「仙蓼(センレウ)」とあるらしい。それから、『和漢三才図会』にあるよし。おそらくは、江戸時代から、観賞用に栽培されていたのであろう。

写した写真を並べてみると、やはり葉っぱの緑の色が安定していない。それぞれに微妙に緑の色がちがっている。まあ、写した時期が違うから、違ってあたりまえではあるのだが。花の写真を写してみると、花の色よりも、葉っぱの緑の色の色彩表現の方が、写真としては難しいことに気付く。RAWでデータを残しておいて、ある程度一定の色合いになるように調整してみるべきかなという気がしている。

センリョウ


センリョウ


センリョウ


センリョウ

Nikon D7500 AF-S NIKKOR 16-80 AF-S Micro NIKKOR 40

ギボウシ2017-07-05

2017-07-05 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので花の写真にする。今日は、ギボウシ。

ジャパンナレッジの「ギボウシ」の項目を見ると、たくさんの記載がある。日本国語大辞典を見てみると、ユリ科ギボウシ属の総称とある。細かには、さらに分類があるようだ。

「ぎぼうし」としての出典の最初は、『堤中納言物語』になる。平安時代から栽培、観賞されてきたことがわかる。

我が家に咲いているのはどれだろうか。

またその表記をみてみると、「擬法師」「擬宝珠」「擬法珠」「蒸露」「秋法師」など、様々な表記がある。

ところで、この花の名前、「ぎぼうしゅ(擬宝珠)」に由来するものかと思うとそうでもないようである。この意味での「ぎぼうし」の用例の古いものは、『太平記』にまで下る。

ともあれ、この花、そんなに目立つというわけではないが、我が家の庭のあちらこちらで、六月に咲いている花になる。もう我が家でのこの花の時期は終わってしまった。その傍らで、紫陽花がいま咲いている。

写した写真は、先月、おりに触れて撮ってみたもの。別に世話をして育てているいうわけでもないので、形がきれいにそろっていない。写真にしてみると、どうも不揃いである。

ギボウシ


ギボウシ


ギボウシ


ギボウシ


ギボウシ

Nikon D7500 AF-S NIKKOR 16-80

クチナシが咲き始めた2017-06-28

2017-06-28 當山日出夫(とうやまひでお)

我が家の中庭には、クチナシの木がある。生け垣のようにしてある。そのクチナシの花が咲くシーズンをむかえている。つぼみを一斉につけるのであるが、花がひらくのは順番である。まだ、花開いていないかたいのがある一方で、すでに、花が咲いて、終わってしまったものもある。これから、順次、咲いていってしばらくは、白い花があちらこちらに見られるようになる。

写真は、まだ緑色をした段階のつぼみから、徐々に色が白く変わっていって、花がひらくようになるまで追ってみた。いまは、ちょうどそのすべての段階のものが観察できる時期である。

雨のシーズンである。天気のいい日は、その日ごとの花の咲いていく段階の状態を確認しながら、写真を撮っている。ただ、これらの写真は、画像処理はカメラまかせのままである。光線、天候・時刻の加減もあるのだろうが、緑の色が一定していない。それぞれの写真をみるとどうもないのだが、並べると、葉っぱの緑色が一定になっていないのが気になる。RAWデータを自分で処理すればどうにかなるのかと思うが、そのようなことは、これから順次カメラの使い方になじんでいくなかで試みることにしよう。

クチナシは、漢字では、「梔」あるいは「山梔子」「梔子」などと書く。辞書でみると、奈良時代から文献に用例がある。『日本書紀』など。古くから、日本でしたしまれてきた花であることがわかる。

花の色は白いので、「白」のイメージがある。しかし、これを染料としてつかうと「黄色」になる。『源氏物語』などの用例は、これを染料としてつかった黄色の意味であろう。

クチナシ


クチナシ


クチナシ


クチナシ

Nikon D7500 NIKKOR 16-80 Micro NIKKOR 40

紫陽花が咲いている2017-06-21

2017-06-21 當山日出夫(とうやまひでお)

ちょうど紫陽花のシーズンである。我が家にもわずかではあるが紫陽花の花がある。今、咲いているところ。

新しいカメラを買ったので、いろいろと写している。紫陽花の花は、毎日、微妙に表情が変わる。このところ、朝にやることは、起きて、NHKの朝ドラを見て、紫陽花の花を写してである。勉強や仕事にとりかかるのは、それからになる。

カメラが変わると……新しいNikonの色合いは、以前に使っていたOLYMPUSとくらべて、色合いが浅くなるようだ。草花を写して、その葉の緑のいろが、深みがあるというよりも、明るくあざやかな色合いに仕上がる。といって不満があるわけではない。このあたりは、カメラの設定(画像処理)をいろいろ変えて試してみているところである。(それでも気にいらなければ、RAWデータを残して、それを自分で処理するしかない。)

やまもも書斎記 2017年6月15日
新しいカメラを買った
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/06/15/8597217

使っているレンズは、16-80のズームレンズと、40のマイクロ。この二つがあれば、身の周りのだいたいの草花は写せるかなと思っている。強いて欲をいえば、望遠レンズがあった方がいいかというところだが、それは追ってのことにしたい。

紫陽花のつぼみ


紫陽花の花


紫陽花の花

Nikon D7500 Nikkor 16-80 Micro Nikkor 40

新しいカメラを買った2017-06-15

2017-06-15 當山日出夫(とうやまひでお)

新しいカメラを買った。

NikonのD7500である。

今までつかってきているのは、OLYMPUSのE-3。これももう古い機種になってしまった。カメラの進歩からいえば、二世代、三世代ぐらい前の機種になる。いや、もっと前になるかもしれない。

とはいえ、まだまだ十分につかえはする。ただ、バッテリーを充電するために取り替えると、そのたびに、カメラの内蔵の時計がリセットされてしまうようになってしまった。デジタル写真になってから、EXIF情報に、撮影日時が記録されることは、必須になってきている。これは、後から、写真を整理するときにも便利である。それが、具合が悪くなってきた。

それに、OLYMPUSは、フォーサーズのシステムを止めてしまった。もうこれの後継機は、出ない。E-5は買わずにある。その後の新機種が出るということはない。

デジタルカメラの進歩は早い。三年もたてば、かなり新しいのが出る。もうここいらで、乗り換えておくかという気になった。

Nikonにしたのは、昔、フィルムカメラの時代に使っていたのが、Nikonであったので、なじみがあるということからである。といって、昔のフィルムカメラのときに機材(レンズなど)が、使えるというわけではない。DXフォーマットのデジタル専用機になる。これは、割り切って考えるしかない。

先日、出たばかりの時点で注文して、とどいた。手にした感触としては、軽いなあ、ということ。OLYMPUSよりも、軽量につくってある。といっても、デジタル一眼レフとしては、それなりの重さがあり、かさばる。

レンズは、レンズキットになる18-120ではなく、16-80をつけることにした。これから先、広角レンズを買い足すことは無いだろうと思っているので、ワイド側があった方がいい。それに、明るいのがいい。

花の写真など撮ることが多い。身の周りの季節の移り変わり、ふと目にとまった花の風情など、写し取ることができたらと思っている。

ここしばらくは、古いOLYMPUSと、新しいNikonと、両方つかいながら、徐々に、Nikonの機材を増やしていきたいと思っている。接写用のマイクロレンズなどが、さしあたって欲しいところである。

まあ、はっきりいってしまえば、老眼になってきたので、小型のミラーレス機などは、使いづらい。背面モニターを見ながら写すことができない。近眼で、老眼である。視度調節機能つきの光学ファインダー、それから、オートフォーカス機能をつかっての、フォーカスエイド撮影、ということになる。

機材をかついで遠出することもない。せいぜい家の近隣を散歩するときに、もちあるく程度である。今のところ、そう負担に感じる重さ、大きさ、ということではない。

それにしても、デジタルカメラの時代になって、とにかくマニュアルを読まないと使えないようになるのは困る。マニュアルを読むために、いちいち眼鏡をはずさないと字が読めない。しかも、いろんな機能がついている。とりあえずは、マニュアル撮影(ピント、露出)をどうするか、というあたりを理解するようにして、読んでいる。

RAWでも画像データが残せるので、自分で現像処理してもいいのだが、それに凝り出すときりがないので、どうしようかと考えているところでもある。

今は、新しいカメラの機能をためしながら、身の周りの花や樹木の写真など、撮っていきたいと思っている。

栗の花2017-06-14

2017-06-14 當山日出夫(とうやまひでお)

「栗花落」と書いて、「ついり」と読ませる。これは、先日、NHKの「日本人のおなまえっ!」を、たまたま見ていて知った。この回の放送は、いわゆる珍名というべきめずらしい名前の特集であった。

NHK 日本人のおなまえっ!
http://www4.nhk.or.jp/onamae/

栗の花が落ちるころに梅雨(つゆ)になる、ということなのであろう。熟字訓として、きれいな印象をあたえる名前である。(しかし、これは、そうと知らないと絶対に読めない名前である。なお、私のつかっているATOK2017は、「ついり」から「栗花落」に変換してくれた。)

その栗の花が、我が家でも咲いている。まだ、咲き始めの頃、花が開花したころ、などいくつか写真に撮ってみた。これは、ちょうど私が本をおいている小屋の裏手になる。秋になると実をつける。

本の整理とかとで、足繁く行くところであるが、裏手に回ってしげしげとその木を眺めるということは、これまであまりなかった。これからは、本を整理に持って行くときにでも、時々のぞいてみようかと思っている。自分の家にある樹木、花など、季節によって、その姿を変える。そのような季節のうつろいにふと目をとめるような生活がしたくなっている。

いま読んでいる小説は『ナナ』(ゾラ、新潮文庫版)である。ほかに『西行花伝』(辻邦生、新潮文庫版)も手をつけている。これは、再読。

栗の花


栗の花

栗の木

OLYMPUS E-3 ZUIKO DIGITAL 12-60

卯の花2017-06-07

2017-06-07 當山日出夫(とうやまひでお)

ちょうどいまごろ、初夏を感じさせるようなシーズンに咲く花である。ウツギ、卯の花ともいう。

唱歌「夏は来ぬ」に歌われているので、名前はよく知られていると思う。

http://j-lyric.net/artist/a00126c/l006325.html

そのウツギが、いま家のまわりのところどころで咲いているのが見られる。写真は、2017年5月28日に撮影したもの。家のすぐそばである。今朝も、外に出ると、ホトトギスの鳴いているのが聞こえてきていた。

これまで、この歌は知っていて、「卯の花」ということばも知っていたのだが、具体的に、これがウツギであると見定めて写真を撮るのは、はじめてになる。その目で見ていくと、そんなに珍しい花があるというわけではないが、普通に見られるような花、樹木なら、我が家の周囲にある。このような身近な草花、樹木の季節の変化にきづくような生活をおくりたいと思っている。

本を読む時間を大切にしたい。そして、それと同時に、季節の移り変わりを自分の目、耳で、確認しながら時間をすごしたいと思うようになってきた。

ウツギ

ウツギ

OLYMPUS E-3 ZUIKO DIGITAL 50

ササユリ2017-06-02

2017-06-02 當山日出夫(とうやまひでお)

我が家で、ササユリが咲いている。たぶん、ササユリであっていると思うのだが、いまひとつ自信がない。

ササユリで思い出すのは、『奔馬』(三島由紀夫)の冒頭の大神神社での神事のシーンである。『奔馬』については、すでに書いたが、ササユリのことについては、言及することがなかった。

やまもも書斎記 2017年3月24日
『豊饒の海』第二巻『奔馬』三島由紀夫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/24/8418304

大神神社のHPを見ると、ささゆり園で花が開花したとある。ここに掲載の写真をみると、どうやら、我が家で咲いているのもササユリと判断していいかなと思ったりする。

大神神社HP
http://oomiwa.or.jp/

6月には、三枝祭り(ゆりまつり)があるとのこと。これは、『奔馬』でも描かれていたと記憶する。

三枝祭り
http://oomiwa.or.jp/saiten/06-saikusanomatsuri/

我が家で咲いているといっても、ほんのわずかである。それでも、見頃になるのは、もうすこし先のことになるだろうか。今は、開花しているのが二つほど、他はまだつぼみである。

季節のながれのなかで、咲いている花、あるいは、散ってしまった花などに、ふと気持ちをとどめるような生活をおくりたいと思っている。

これを書いていると、外でホトトギスの鳴いているのが聞こえてきている。ホトトギスの鳥の姿を写真にとるのは、かなり難しい。しかし、ササユリの花なら、私のカメラでもなんとかなる。

ササユリ
OLYMPUS E-3 ZUIKO DIGITAL 12-60

ハコネウツギ2017-05-31

2017-05-31 當山日出夫(とうやまひでお)

庭に咲いている花の写真を撮っている。手元の図鑑、といっても入門向けのやさしいものなのであるが、を見て探してみると、どうやらハコネウツギらしい。

白い花が咲いて、次第に赤い色にかわっていく。蕾の色を見ると白い。木を見てみると、白い花と、赤い花とが、まじって咲いている。

ハコネウツギという名前であるが、箱根に自生することは少ないらしい。

このところ、庭の花とか木の写真を撮っている。自然の移り変わりのなかで、ふと目にとまったものを写真に撮ってみようかという気になった。本を読む生活の息抜きのようなものでもある。

カメラは、かなり以前に買った、オリンパス(E-3)。これで、いわゆる景観文字の写真をかなり撮ったものである。景観文字についての研究はこのところ、いくつか見かけるようになってきた。私のやった、京都の「祇園」の表記の調査・研究など、その一つになるのかもしれない。

しかし、もう京都の街をカメラを持ってあるく元気がない。自分の部屋で本を読む、そして、気晴らしに外に散歩に出て、花や木の写真を撮る、ここしばらくは、このような生活をつづけてみようかと思っている。

ハコネウツギ

ハコネウツギ
OLYMPUS E-3 ZUIKO DIGITAL 18-180