新しいカメラがほしいが2011-03-09

2011-03-09 當山日出夫

新しいカメラがほしいと思って、しばらくになる。

候補1
富士フイルム FINEPIX X 100

候補2
オリンパス E-5(ボディ)

候補1の方は、いま、話題のカメラ(だと、私は思っている)。ちゃんとファインダーのついたカメラである。これを持って、街を歩きたいなと思う。

候補2は、いま使っているのが、E-1、E-3、なので、その延長で、欲しい。

両方というわけにはいかない。さて、どうしようか、というところである。もうちょっと、待って、考えることにしよう。

當山日出夫(とうやまひでお)

カメラと電池のこと2009-08-05

2009-08-05 當山日出夫

こんなこと書いている暇があったら、すべきことがあるだろうに、と思いながら。

私は、デジタル一眼レフは、オリンパス。(ただし、フィルムカメラであれば、ふるいNikonF2をまだ持っている。作動する。)

その他、コンパクトカメラもあるが、買うときの基準の一つは、乾電池でうごくこと。これが、意外と、探すと無いのである。バッテリーのきれた、デジタルカメラは、ゴミより始末に悪い。いや、このようなデジタル器機は、有害ゴミでしかない。

充電した予備のバッテリーを常に持ち歩く必要がある。

今の時代、単三(あるいは単四)のニッケル水素電池が、簡単につかえる。他の機種にもつかいまわしができる。そして、万が一のときでも、コンビニでもあれば、乾電池ぐらいはどうにかなる。

さて、ここで迷うのが、新しいリコーのGR3。描写力には定評のあるカメラである。仕様を見ると、このカメラ、単四電池で作動する。

でも、買っても、本格的に使っている時間もなさそうだし。それよりも、オリンパスE-3、最近、つかっていない。どのボタンが、どの意味か、忘れてしまう。まったく最近のデジタルカメラは困ったものなのである。

當山日出夫(とうやまひでお)

なかの写真資料館2009-05-16

2009/05/16 當山日出夫

渋沢財団のブログ版で知った。さすが、渋沢財団である。今のところ、私にとって、貴重な情報源としては、
・ARG
・国会図書館カレントアウェアネス
・渋沢財団
となるであろうか。

そのブログの5月7日 なかの写真資料館

http://d.hatena.ne.jp/tobira/20090507

http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/photo_museum/index.html

これは、東京都中野区の、郷土資料としての写真資料を公開したもの。資料もいいが、その利用規程がいい。その箇所から引用する。

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なかの写真資料館のご利用方法について

「なかの写真資料館」に掲載している写真は、中野区広報担当で所蔵している写真をデジタル化したものの一部です。個人で楽しむためにお使いになる場合は、ご自由にご利用ください。 また、画像へは直接リンクを張らず、ダウンロードしてご利用ください。

報道関係の皆様へ

「なかの写真資料館」に掲載された写真で、より高精細画像を希望される場合や、「なかの写真資料館」にない、中野区の他の写真をお探しの場合には、担当までお問い合わせください。

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いわゆる「商業利用」についての規定は書いていない。しかし、その相談窓口の案内は明記してある。私の理解するところ、この記載方法では、商業利用門前払い、ではない。

また、個人利用であれば、ダウンロード可能もいい。ブラウザで見る以外のことは禁止、という例があるなかで、ここは、他のサイトも見習ってほしいものである。

當山日出夫(とうやまひでお)

デジタルカメラが壊れたが2008-09-26

2008/09/26 當山日出夫

常にカバンに入れて携帯していた、デジタルカメラが、壊れてしまった。スイッチをオフにしても、レンズがきちんと収納されず、ふたがしまらない。一眼レフではなく、コンパクト・デジカメ。

2年前のものであるので、保証期限は切れている。

なおして使うか……昨今の、デジタルカメラ事情を考えると、どうしようかと思う。

景観文字を写すことが多いので、接写ができて、手ぶれ防止機能があって、できれば単三電池で動いて、というのがいい。いまでは、GPS機能内蔵の機種もある(ニコン)。

EOS5DMarkII か D700 か α900 か で迷う前に、さしあたってどうしようかというところである。

當山日出夫(とうやまひでお)

『デジタルカメラ「プロ」が教える写真術』2008-09-04

2008/09/04 當山日出夫

いまだにニコンF2を持っている人間(もうあまり使うことはないが)、としては、デジタルになってから写真がつまらなくなったなあ……と常々感じている。つまり、昔の銀塩フィルムで、撮影のみならず、原像・焼き付けの暗室作業まで経験していると、新しく登場したデジタルカメラにある種のとまどいを感じる。

このことは、おそらく、この本の著者も同じであろうと推測する。デジタル写真は、銀塩写真とは別物である……と、明確に言い切っているのであるから。

ま、写真談義はともかくとして、デジタル化することによって、ある分野の仕事のワークフローが全く変わってしまう、ということの典型であるにちがいない。このことは、人文学研究や、その中でも、文字研究の分野でも、起こっている。

原稿用紙に万年筆、黒板にチョーク、図書館で参考文献を調べる、ごく当たり前の勉強の仕方が、デジタルになって変わってしまったことは、認めざるをえない。とにかく、変わってしまったという事実は、確かである。ただ、それがどのように変わっているのか、今後、どうなるのか、人文学研究者にとって、それぞれに考え方が異なるのが、一方での現状であろう。

ところで、この本、むかしの銀塩写真と、今のデジタルカメラと、両方を経験している人間でないと、少し理解がむずかしいかな、と感じるところがある。だからこそ、著者は、この本を書いたのであろうが。

で、私のオリンパスE-3、最近あまり使っていない。新しい、ニコンD70に乗り換えようか、迷うところである。この感覚は、デジタルカメラから写真を撮り始めた人には分からないかもしれない。35ミリフルサイズと、そのレンズ(画角・焦点距離と被写界深度)、これが、写真において、ある意味での文法を作ってしまったことは確か。

単に郷愁というべきなのか、あるいは、写真の文化というべきなのか。

長谷川裕行.『デジタルカメラ「プロ」が教える写真術』.講談社.2008.(講談社ブルーバックス)

當山日出夫(とうやまひでお)

「観光する写真家」を読む2008-03-18

「観光する写真家」を読む 2008/03/18 當山日出夫

蒼猴軒日録で紹介されていた『写真空間』(1)特集:「写真家」とは誰か、を手にする。まず、その中で、「観光する写真家」(佐藤守弘)について、いささか。

http://d.hatena.ne.jp/morohiro_s/20080311

始めに断っておくと、私は、写真については、いわゆる「ハイ・アマチュア」と言っていいかなと思う。マニュアル機(フィルムカメラ)としては、ニコンF2・F3と持っているし、デジタルで使用しているのは、オリンパスE-3。

また、昔、高校生のころであるが、角川文庫で出ていた『都名所図絵』をガイドブックにして、京都の街を写してあるいた。(そのころ、使っていたのは、ミノルタSR-T101。)

従って、京都の街の江戸時代からの連続性、また、それを、視覚的にどうとらえるかということについて……今になってみれば、このような問題設定になるが、その当時はそんなこと考えずに写真を、撮っていた。(まだ、写真雑誌として、『カメラ毎日』があった時代のころである。)

そして、今、京都の文化にかかわることがらを、デジタルでどうとりあつかうか……GIS、デジタルアーカイブ、モーションキャプチャ……など、かかわりを持つようになっている。

このような経験・視点から読むと、「観光する写真家」は、非常に面白い。私のこの視点からは、次の指摘が最も重要であると感じる。近代社会が「観光」というものを視覚的に生み出したということを指摘したうえで、佐藤さんは、以下のように記している。

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では、なぜ京都という都市がノスタルジックな場所として表象されたのだろうか。(p.49)

京都という都市は、近代国家成立時に、日本の独自性という神話を支えるトポグラフィカルな装置として構想されたものといえよう。ただ、構築されたものは構築されたとたん、その起源は忘却されるのがつねである。京都と過去を結びつけた近代国民国家のイデオロギーもまた目に見えないものになってしまう。(p.50)

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京都の文化を、デジタル・ヒューマニティーズ研究の対象として選んだとき、そこに何を表象として見ているのか……いったいどれほどの人が、この点について自覚的であろうだろうか。都市としての連続性があり、また、資料が豊富に存在する、ただ、これだけで「京都」である、ということではないはずである。

京町家の移り変わりをGISやCD・VRで、示すことはできる。時代的には、江戸時代のおわりごろぐらいまでは、さかのぼれるだろう(建築史には詳しくないので、細かいことは分からないのだが)。では、京町家に何を表象として見てとるのか。

おそらくリアルなものとしては、江戸時代(近世・封建社会)における、庶民の暮らし、ということになるのかもしれない。この意味では、『逝きし世の面影』(渡辺京二)に、どこかでつながるかもしれない。いや、これらを、総合的に見る視座の確保こそが課題であろう。

佐藤さんが指摘している、京都を研究対象とすること自体がはらんでいる暗黙の(あるいは、封印された)イデオロギー……これについて、考えていかなければならないと思う次第である。

『写真空間 1』.青弓社編集部(編).青弓社.2008

『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー).渡辺京二.平凡社.2005.(この本のオリジナルは、1998年.葦書房)

當山日出夫(とうやまひでお)

CFが512のわけ2008-03-02

2008/03/02 當山日出夫

今日は、時間の都合がつかないので、立命館の研究会は休んで家にいる。次週、岡崎(愛知県)に行かなければならないので、その準備。カメラのバッテリーの充電など、しておかないといけない。

記録メディアは、512のコンパクトフラッシュ(CF)にしている。2ギガぐらいのを用意した方がいいのかどうか。512を使っているには、わけがある。512であれば、まるごと、CD-Rにコピーできる。これをこえて、1ギガ以上に大きくなると、DVDになる。あるいは、CD-Rで、分割することになる。

DVDが、はたして、どこまで、モノとして保存できるのか、やや不安がある。今のところ、CD-Rが、最も安定しているかなと思うので、こうしているが、今後のなりゆきではどうなるか。

DVDをとおりこして、いきなり、ブルーレイに記録・保存することになるかもしれない。(もちろん、その場合でも、ハードディスクのデータと、複数枚のディスクに予備を保存ということにはするが。)

デジタルのデータを安定して長期間保存できるメディアは、いったい何が適当か……このところが、今の一番の課題かもしれない、と思っている。

ハードディスクからハードディスクへのデータのコピーとバックアップ、その作業の積み重ねが必須になる。個人レベルでは、2年ぐらいすれば、倍の容量のディスクが、同じ値段になる……それにしたがって、順次、コピーしていけば、大丈夫(だろう)。と言っても、死ぬまでがんばっても、テラ単位のデータには、達しないと思うが。

デジタルで残すといっても、テキストであれば文字コードの問題がある。画像データであれば、色空間の問題がある。それほど、ことは単純ではない。

東洋古典学で、紙の本の世界では、100年、200年など、ほんのわずかな時間でしかない。しかし、20年前の、PC9801で使った5インチFDは、絶望的。

なんという時代になってしまったのだろう……と慨嘆する。

當山日出夫(とうやまひでお)

オリンパスE-3のレンズ修理2008-02-15

2008/02/15 當山日出夫

愛用の、オリンパスE-3、フォーカシングスクリーンを、方眼に交換した。帰ってきたのが先日。で、なんとなくオリンパスのHPを見ると、緊急の告知。ZUIKOの12-60ミリで、オートフォーカスの不良があるので、無償修理、とのこと。さっそく、ピックアップサービスに電話をかける。

というような状態で、あと1週間~10日ぐらいは、またまた、カメラが使えなくなってしまった。(古い、E-1があるし、14-54ミリもあるから、まあ、なんとかなるが。)

そういえば、新しく買ったばかりのE-3を持って、去年、岡崎(愛知県)の調査に行ったとき(これは国立国語研究所に協力)、時々、AFが作動しなくなって、困ったことがあった。京都の祇園を、写しに行ったときも、そう。

電源を入れ直したら、動いたが、やはり、これは、さっそく修理に出すしかない。

當山日出夫(とうやまひでお)

デジタル化データの寿命2008-02-09

2008/02/09 當山日出夫

新聞のHPを見ていたら、朝日新聞の、Asahi.comで、DVDの寿命についての記事が出ていた。

DVDディスク、寿命に格差 数年から「永遠」まで http://www.asahi.com/business/update/0209/TKY200802090125.html

試験によると、数年で、ダメになるものもあるらしい。

DVDまたはCDの寿命=デジタル・データの寿命、とは必ずしもいえない。定期的に、コピー・バックアップをおこなえば、その寿命はのびる。しかし、その作業量は、データの増大とともに、どんどんふくらむ一方である。

あるものを残すためにデジタル化するのであるならば、データの長期保存(そのための、メディアの寿命、コピーやバックアップのシステム)、これも総合的に考えないといけないだろう。

おりしも、我が国においても、ようやくのところで、公文書の保存について行政が動き始めたところである。

なんのためのデジタル化保存であるのか、保存のための保存にとどまるのか、利用のための保存となるのか……長期的視野にたった展望が必要なときにきているように思う。

なお、私個人は、残すべきと思ったものは、CD-R、または、MO、で残すようにしている。どちらもそれほど残るものではないかもしれないが、まあ、個人のレベルでは、十分であろう。(私が生きてパソコンを操作できる間は、ぐらいの意味で。)

そういえば、今は無くなってしまった(撤退してしまった)コニカが、フィルムメーカであったころ。「100年プリント」で、経年劣化につよい写真をアピールしたことがあった。そのコニカは、ミノルタと一緒になって、今は、カメラ部門は、ソニーが引き継いでいる。そのデジカメ「α」で写した画像データの長期保存は、どうすればいいのか。(ちなみに、我が家の子供たちの小さいときの写真の多くは、コニカかコダックのフィルムで写してある。カメラは、もちろん、ニコン。)

デジタル・ヒューマニティーズ(人文情報学)が、資料のデジタル保存を前提になりたっているとするならば、見逃すことのできない課題である。

あるいは、いっそのこと発想をきりかえるか。有限の資源……保存できるデータ量には限界がある、この立場から、何を残すか、その選択の価値観を根本的に考え直してみるべきだろう。

當山日出夫(とうやまひでお)

壬申調査から写真史へと2008-02-09

2008/02/09 當山日出夫

昨日、東京国立博物館での、明治初期の壬申調査について、触れた。その時、見た展示の解説は、手帳に書き写しておいたのだが、もしかして、と思って、インターネットで検索してみると、引用のHPがヒットした。

で、さらに、このURLからたどっていくと、

think-photo.net

というHPがあることがわかった。写真についての、かなり専門的なサイトである。その専門性の方向は、視覚芸術。写真論・写真史である。

ところで、先に言及した、佐藤守弘さんの文章は、

写真誌関連年表

http://www.think-photo.net/archive.html

というところにおさめられている。タイトルをながめると、以下のとおりである。

報告:東京国立博物館所蔵幕末明治写 真コレクションについて

『旧江戸城寫眞帖』(東京国立博物館所蔵、一八七一年)について

観光・写 真・ピクチャレスク 横浜写真における自然景観表象をめぐって

「武江年表」

「ピクトリアリズム考 カリフォルニアと日本」(付録:ピクトリアリズム関連年表)

「眞ヲ寫ス ─フォトグラフィと写 真のあいだに」

とあり、明治初期における、写真についての貴重な研究であることがわかる。

佐藤守弘さんは、自身でもブログを開設している。(中に、論文の書き方のコーナーもある、これは、今後の参考にしよう)。

洛中蒼猴軒日録 本日の記載は、京都精華大学

http://d.hatena.ne.jp/morohiro_s/20080208

ところで、写真については、写真史・写真論の専門の方向からのアプローチもある。その一方で、「視覚」という点から見れば、浮世絵や、名所図絵、洛中洛外図、などもふくめて考えてみたい。

「写真」というものを視野に入れて考えることで、「絵画」によって何を表現しようとしていたのか、よりはっきりとすることだろうと思う。この意味では、来月の、

京都 vs. 江戸 描かれた京都と江戸を読み解く

オーガナイザー  松本郁代(立命館大学)・出光佐千子(出光美術館)

主催 立命館大学グローバルCOE日本文化デジタル・ヒューマニティー拠点 「洛中洛外図屏風の総合的アーカイブと都市風俗の変遷」プロジェクト

2008年3月1日(土)~2日(日)

立命館大学アート・リサーチセンター 多目的ルーム

http://www.arc.ritsumei.ac.jp/

に期待してみたい。

當山日出夫(とうやまひでお)