『西郷どん』あれこれ「背中の母」2018-02-20

2018-02-20 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年2月18日、第7回「背中の母」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/07/

前回は、
やまもも書斎記 2018年2月13日
『西郷どん』あれこれ「謎の漂流者」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/13/8787097

このドラマ、一回ごとに一つの話題でいくようだ。前回は、ジョン・万次郎。その前は、相撲。そして、今回は、家族。

西郷は、たてつづけに家族を失う(祖父、父、母)。その一方で、結婚もする。まあ、この結婚は末永く続くということはなかったということになるのであろうが。ともかく、家族をめぐっての物語がこの週のメインであった。

この意味では、それまでに慎重に伏線をはりめぐらせておいて、巧みにそれを回収しながら続けていくというドラマとは、違っている。一話ごとに話しがきりかわる。これはこれで一つの作り方だと思ってみている。

そうはいっても、ここで家族をめぐる一連のできごとで、強く描かれていたのは、西郷の家族と故郷に対する思いである。

「敬天愛人」という。その西郷の基礎にあるのが、家族への思いであり、故郷(鹿児島)の桜島の風景なのであろう。パトリオティズム(愛郷心)と言ってもいいだろう。家族(母)のことを思って、斉彬に従って江戸に行くことも志願しなかったようだ。その西郷と母は、桜島を眺めることになる。

そして、次回は、いよいよ黒船の襲来のようだ。ここで、近代国家日本のナショナリズムということになる。(ただ、私は、ナショナリズムを悪いものと考えているのではない。これから、このドラマがナショナリズムをどう描いていくか、見ていきたいと思っている。)

パトリオティズムとナショナリズムを一つの人格の中に融合させた人物として西郷隆盛を描くとなると、黒船の前の週に、家族と故郷への思いを描いておいたのは、周到な脚本といえるのではないか。

今回も、黒船来航を予知していた斉彬の先見性が見られた。かっこよすぎる気がしないでもない。それから、於一。これからどんな篤姫の姿になっていくのであろうか。次回も楽しみに見ることにしよう。

『わろてんか』あれこれ「ボンのご乱心」2018-02-18

2018-02-18 當山日出夫(とうやまひでお)

『わろてんか』第20週「ボンのご乱心」
https://www.nhk.or.jp/warotenka/story/20.html

この週の見どころは、隼也の失敗。マーチン・ショウの話しは詐欺であった。

この詐欺にだまされる話し、これも、先が読める、たぶんそうだろうという展開で、安心して見ていられはしたのだが、今ひとつ面白くなかった。

なぜだろうかと考えるに、アメリカに芸能ビジネスの勉強に行っていたという設定があまり生かされていないせいだと思う。アメリカに行って、マーチン・ショウを見てくるだけのことなら、別に隼也でなくても、誰でもできたはずである。(アメリカに行くこと自体は容易でなかったかもしれないが。)

昭和の始めのころに、アメリカに行って現地の芸能ビジネスとはどんなものであるのかを見てくることにどんな意味があるのか、その時代背景を……当時の日米関係をふくめて……もうちょっと説明的な描写が欲しいところである。

一方で、キース・アサリのコンビを解消させる動きもあった。これからの時代に対応するための北村笑店として、これしか方法がないということだった。

この二つ……マーチン・ショウの詐欺事件と、キース・アサリのコンビ解消の一件と……このふたつが、その当時(昭和のはじめごろ)の世相のもとに、どんな意味があったのか、もっと総合的にからめて見る視点があってもよかったと思われる。ドラマを見ていると、ただ二つのことがバラバラに起こっていただけのようである。

昭和の初め頃の世相を背景に、芸能ビジネスが実際にどのようであったのか、このあたりが、もうちょっと掘り下げて描写してあると、ドラマに奥行きが出るのではないか。

と不満のようなものを感じながらでも見ているのは、やはりヒロイン(葵わかな)の頑張りのせいだろう。おそらくは倍以上の年齢の役を、こなしている。このドラマ、ヒロインの何歳ぐらいまでを描くことになるのだろうか。また、それにともなって、戦争ということも出てくるはずであるが、それは、どのように描かれるのだろうか。

これからこのドラマは、隼也の成長の物語になっていくと思われる。そこで、どのような母親役、経営者役を、ヒロインが見せることになるのか、楽しみに見ることにしよう。

『西郷どん』あれこれ「謎の漂流者」2018-02-13

2018-02-13 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年2月11日、第6回「謎の漂流者」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/06/

前回は、
やまもも書斎記 2018年2月6日
『西郷どん』あれこれ「相撲じゃ!相撲じゃ!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/06/8783124

牢にいた謎の男……ジョン・万次郎だった。あるいは、その後の名前でいえば、中浜万次郎というべきか。

調べてみると、ジョン・万次郎はたしかに漂流した後アメリカにわたり、その後、琉球、鹿児島経由で、日本にもどってきている。この意味では、ジョン・万次郎の鹿児島滞在の時期が、西郷吉之助と重なっていてもおかしくはない。

このあたりは、史実をもとにしたフィクションということで、うまく作ってあったと思う。

ここで表したのは次の二点になるだろうか。

第一は、どのような人物ににであれ、胸襟を開かせることのできる、ある意味で特異な人物像としての西郷隆盛。ジョン・万次郎に正体をあかさせたのは、西郷の功績ということになる。

第二は、斉彬との関係。どうやら西郷は、斉彬から直々の命をうけて、牢に潜入して、謎の男(ジョン・万次郎)の正体を探ることになったらしい。西郷と斉彬が、どのような主従関係であったのか、このあたりは、考証の難しいところかもしれない。だが、斉彬は、江戸にいたときから西郷に目をつけ、相撲の場で出会うことになり、その後は、直々に言葉をかけてもらうという関係を得た、という展開である。

以上の二点が、歴史上の出来事、考証から考えて、あり得たかもしれないという設定で作ったドラマかと思える。ここのあたりは、かなり大胆に歴史に切り込んでフィクションで描いているところだろう。

フィクションといえば、岩山糸との関係。このあたりも、実際の歴史的事実からすれば、フィクションということになるのだろうが、西郷のその後の人生を描く上で、後に妻となる糸を、このような形で登場させておくことは、興味深く面白いドラマになっていたと思う。

ところで、ジョン・万次郎の話していたことばは、英語か、でなければ、日本語としては土佐ことばであった。土佐の漁師であった万次郎としては、これは当然のことだろう。だが、その土佐ことばで、鹿児島ことばの西郷とも、江戸ことばの斉彬とも、支障なくコミュニケーションできていたというのは、どうだろうか。これは、歴史ドラマにおける方言として、ヴァーチャルな世界でなりたつ設定として見ておくべきことになる。

追記 2018-02-20
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月20日
『西郷どん』あれこれ「背中の母」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/20/8791072

『わろてんか』あれこれ「最高のコンビ」2018-02-11

2018-02-11 當山日出夫(とうやまひでお)

『わろてんか』第19週「最高のコンビ」
https://www.nhk.or.jp/warotenka/story/19.html

前回は、
やまもも書斎記 2018年2月4日
『わろてんか』あれこれ「女興行師てん」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/04/8781948

この週の中心は、やはり、リリコと四郎。この二人の漫才コンビがどう成功するかのストーリーであった。

が、強いて批判的に見れば、先が読める展開でもあった。しゃべるのが下手な四郎、だが、アコーディオンはうまい、であるならば、あえてしゃべるのを少なくして、アコーディオンを使っての音曲漫才にすればいい。

いや、もともと漫才(万歳)という芸能は、音曲をともなうものではなかったか。それを、キースとアサリが、しゃべくりを中心としたものに変えていった。その同じ路線を、リリコと四郎が踏襲しようと思っても、うまくいくはずもない。ここは、四郎のアコーディオンの腕を生かす道をさぐるべきだった。

このあたり、予想したとおりの展開になって、ある意味で安心して見られる週であった。

だが、北村笑店の売れっ子漫才師になって、リリコは、また再び映画の世界に無事にもどることになるのだろうか。このあたり、伊能栞との駆け引きがまっているのかもしれない。

ところで、アメリカに芸能の勉強に行っていたはずの子ども、隼也。新しいアメリカ流の芸能ビジネスを提案することになるのかと思っていたが、そうはならなかった。売店の担当。まあ、これはこれで、成功したというべきであろうが。それでも、似顔絵饅頭にブロマイドぐらいのアイデアは、あまりに月並みだと思う。ここは、斬新なアメリカ流の芸能ビジネスの発想を見せてほしかった。

いや、その隼也の活躍は次週のことになるのかもしれない。たのしみにして見ることにしよう。

追記 2018-02-18
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月18日
『わろてんか』あれこれ「ボンのご乱心」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/18/8789842

『西郷どん』における方言(二)2018-02-08

2018-02-08 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2018年1月26日
『西郷どん』における方言
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/26/8776739

前回、とりあげなかった人物で、そのことばが気になる人びとについて。

まず、由羅。江戸ことばであった。薩摩の地で斉興とともにいるのだが、そのことばは江戸ことばである。

NHKのHPを見ると、由羅は江戸出身とある。薩摩にきて、斉興のもとにいることになっても、そのことばは江戸ことばのままである。

それから、新しく登場した於一(篤姫)。これは、鹿児島ことばであった。島津の姫のひとりということだから、鹿児島ことばでも自然といえば、そうなのだが。しかし、この姫は、いずれ江戸の将軍のもとに嫁ぐことになる。江戸に行ってからも、鹿児島ことばのままなのであろうか。

さて、以前のNHKの大河ドラマ『篤姫』では、どうだったろうか。(これは、あまりはっきり覚えていない。)

また、斉彬は薩摩藩主になっても、江戸ことばのままである。この斉彬の江戸ことばと、斉興の鹿児島ことばの違いが、親子の対立を一層鮮明にしている。

この『西郷どん』の脚本は中園ミホである。今、BSで再放送している『花子とアン』の脚本も書いている。『花子とアン』をみていると、村岡花子は、もともと山梨ことば。それが、東京の女学校に入って、東京ことばになっていく。働いて、結婚して、という展開だが、東京の仕事の場面や家族との会話のシーンでは、東京ことば。しかし、故郷の家族(父や母)と話すときには、山梨ことばになっている。

また、妹のかよも、東京のカフェで働いているという設定であるが、山梨ことばが抜けていない。

中園ミホ脚本においては、登場人物が、どの方言を話すかは、状況によっていくぶん左右されるところがあるようだ。キャラクターの設定と場面によって、どの方言を、どのような場面で使うか選択的である、ともいえようか。

では、『西郷どん』ではどうなるだろうか。今のところ、登場人物の状況の変化によって、そのことばが変わるということはない。だとすると、このまま明治維新になって、明治政府ができるとすると……そこは、まさに『国語元年』(井上ひさし)のような状況になるだろう。薩摩や長州、京都などのことばが入り乱れる。

たぶん、なにがしかの共通のことばがあったはずである。方言のまま同士でことばが通じるとは思えない。だが、江戸ことばの斉彬と、鹿児島ことばの薩摩の人びとと支障なくコミュニケーションできているという設定からするならば、このまま方言をかえずにいくということもあり得るだろう。(あくまでもドラマの演出としてであるが。)

これから、幕末の動乱期、明治維新をむかえるとき、西郷隆盛や、篤姫のことばは、どのように変化するだろうか/あるいはしないのだろうか、このあたり、注目して見ていこうと思っている。

そして、牢にいた謎の男は、どんなことばをはなすのだろうか。

『西郷どん』あれこれ「相撲じゃ!相撲じゃ!」2018-02-06

2018-02-06 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年2月4日、第5回「相撲じゃ!相撲じゃ!」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/05/

前回は、
やまもも書斎記 2018年1月30日
『西郷どん』あれこれ「新しき藩主」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/30/8778969

今回は相撲。新しい藩主がお国入りして、御前相撲というのがあっても、これはおかしくないだろうと思う。で、ドラマとしては、お約束のとおり西郷は順当に勝ち上がっていく。最後の勝負でも、正々堂々と戦って勝ったということになっていた。

これはいいとして、終わってからのこと。斉彬との相撲になって西郷は勝ってしまった。だが、なぜ、西郷は、牢に入れられることになるのか。勝負を望んできたのは、斉彬の方である。それに、実力勝負で勝って何がわるいのか。ここは、尚武の地、薩摩としてはふさわしくない対応であると感じられてならない。

ともあれ、この一件で、斉彬に西郷が認められることになる、そのエピソードとして描いてある。江戸の世子であった斉彬のもとに書状を送っていたのが西郷。その西郷と、ここでまみえることになった。(ただ、身分の上下関係の厳しい薩摩藩にあって、国元(薩摩)の下級武士が、直接、江戸の斉彬に手紙をとどけることができたかどうかは、問題だとは思うのだが。)

それから、牢に入れられたところにいた、謎の男。この男の正体も気になる。あるいは、西郷とこの謎の男をめぐりあわせるために、西郷は牢に入れられたという展開になったのだろうか。

ところで、この回には、於一(後の篤姫)が登場していた。見ていると、薩摩ことばであった。このあたりのことについては、また改めて考えてみたい。

次回は、謎の男をめぐる展開のようである。楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-02-13
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月13日
『西郷どん』あれこれ「謎の漂流者」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/13/8787097

『わろてんか』あれこれ「女興行師てん」2018-02-04

2018-02-04 當山日出夫(とうやまひでお)

『わろてんか』第18週「女興行師てん」
https://www.nhk.or.jp/warotenka/story/18.html

前回は、
やまもも書斎記 2018年1月28日
『わろてんか』あれこれ「ずっと、わろてんか」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/28/8777877

この週の見どころは、リリコと四郎の漫才だろう。この週で、表記が「漫才」になっていた。

気になったので、ジャパンナレッジを見てみた。

「漫才」の項目には、次のようにある。日本国語大辞典。

もとは「万歳」であったものが、「寄席演芸の一つ。二人の芸人がしぐさや言葉で観客を笑わせる演芸。エンタツ・アチャコの人気を受けて、昭和七年(一九三二)一月の吉本興業の宣伝雑誌「ヨシモト」に、宣伝部長橋本鉄彦が漫談にヒントを得て命名し載せたのが初めという。」と書いてある。

「漫才」の表記が使用されるようになったのは、昭和のはじめ、ヨシモトからのことらしい。このドラマは、吉本興業がモデルのはずだから、リリコと四郎の二人から、「漫才」がはじまったという設定は、史実をなぞっていることになる。

で、そのリリコと四郎であるが……どうも、舞台の芸が面白くない。リリコのしゃべりは巧い。歌も上手である。一方、四郎の方は、話しが下手である。だが、アコーディオンのうではある。この二人、漫才のコンビを組むまでのやりとりの方が見ていて面白いと感じさせた。だが、舞台での二人は、あまり面白くなかった(と、私は思えた。)

次週、この二人の漫才をめぐってドラマは展開するようだ。

それから、アメリカに行っていた子ども(隼也)が帰ってきた。アメリカには、祖母(啄子)がいる。いろいろアメリカの芸能事情を案内してもらってきたらしい。

ただ、時代的背景としては、満州事変があり、五・一五事件がおこって、日中戦争が本格化するまでの時期になる。アメリカでも、日系移民への対応が厳しくなっていたころだろう。

このドラマは、基本的に、時代的背景、世相というものを描かない方針のようだ。だが、「漫才」という新しい芸能の誕生した時代が、まさに、日本が泥沼の戦争に入り込んでいった時期であるということは、これはこれとして興味深いことでもある。一見すると暗い世相のように見えるが、庶民の生活はまだまだ明るさがあったのだろう。そのあたりの世相を描いてくれると、このドラマももっと面白くなると思うのだが。

追記 2018-02-11
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月11日
『わろてんか』あれこれ「最高のコンビ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/11/8785984

NHK『平成細雪』最終話2018-01-31

2018-01-31 當山日出夫(とうやまひでお)

平成細雪
http://www4.nhk.or.jp/P4696/

前回(第三話)は、
やまもも書斎記 NHK『平成細雪』第三話
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/24/8775555

最後まで見て……結局、このドラマは、基本的に原作『細雪』(谷崎潤一郎)に忠実であると思う。基本の路線、雪子の結婚がきまり、妙子もようやく身をおちつける、この路線からはずれていない。また、長女の鶴子も大阪を離れて東京にいくことになった。

では、四姉妹の身の振り方が決まって、ハッピーエンドで終わったのだろうか。そうとはいえないように思える。平成6年の暮れで、このドラマは終わる。そして、その一月後におこったのが地震である。ナレーション(幸子の声)は、失われた時代のはじまりであったと語って、終わりになっていた。原作では、太平洋戦争の始まる昭和16年、その直前で終わっている。

このドラマは、結局、平成のバブル崩壊後の「失われた時代」の直前を描くことによって、その後の時代の流れのなかで決定的に失ってしまうことになるものの最後の輝きを描いたということになるのだろう。これは、まさに、原作『細雪』(谷崎潤一郎)が、太平洋戦争から戦後のかけて、それにいたるまでの、まだ日中戦争の時代の最後の輝きを描き出したのを、うけてのことであろう。

失ってしまったものは、まさに失ってしまうことによって、その喪失感を普遍化できる。喪失の物語である。

原作通り雪子は、旧・華族の次男と結ばれる。この結婚が、はたして幸福な結果をもたらすことになったのだろうか。バブル崩壊後の時代、広告代理店につとめるという男のその後の人生はどんなものになるのだろうか。まあ、少なくとも過労死するような人物ではない、というあたりが、せめてもの救いといっていいかもしれない。

4回の放送を見て、やはり残念なのは、京都での花見のシーンが無かったことである。『細雪』を映像化するかぎりは、是非とも花見のシーンはほしい。

だが、一方で、花見のシーンの無い『細雪』は、バブル崩壊後の喪失の時代の物語としては、これはこれでふさわしいのかもしれないとも思う。これから冬の季節をむかえて、その華麗な姿を見せる紅葉の方が、このドラマには、より似合っているというべきかもしれない。

この『平成細雪』というドラマを作れるということは、今になって、ようやく失われた時代を過去の歴史として、距離をおいて見ることができるようになったということでもある。バブル崩壊の直後のころには、このような、かつての栄華をしのぶような、喪失と哀惜の物語をドラマで描くことはできなかったろう。

『西郷どん』あれこれ「新しき藩主」2018-01-30

2018-01-30 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年1月28日、第4回「新しき藩主」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/04/

前回は、
やまもも書斎記 2018年1月23日
『西郷どん』あれこれ「子どもは国の宝」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/23/8774998

この回は、島津斉彬と父・斉興との「ロシアンルーレット」できまりである。

中園ミホの脚本なのだが、見てみると、NHKでは、『花子とアン』(今、BSで再放送している)の他にも、『トットてれび』の脚本を書いている。この週の展開は、もし幕末にテレビがあったなら……どういう経緯で、新藩主・斉彬が決まったのか、『トットてれび』風に描いてみた、という印象である。

史実がどうであったは、この際、もうどうでもいい。父と子の対立があって、それを乗り越えて、斉彬が新藩主になるプロセスを、ダイナミックに大胆に描き出すことに意味がある。

気になることとしては、この父と子の対立は、何に起因しているのか。ただ、由羅という女性をめぐるお家騒動ということだけではないだろう。幕末の薩摩藩の運営にかんする方針の対立ということがあってのことにちがいない。このあたり、ドラマの「本編」の方で描かずに、終わってからの「紀行」の方で説明してあった。

これはこれで、ひとつの方針だろうとは思うのだが、どうだろうか。かつてこのような方式でドラマをすすめた事例としては、『花燃ゆ』があった。はっきりいってこのドラマは、あまり出来がよくなかった。

「本編」のドラマとしての面白さの中に、歴史的背景、経緯をたくみに織り込んでいく……たとえば、近年の例では『真田丸』がそうだったと思うが……このようにドラマが進んでいってほしいものである。西郷隆盛というのは、それで十分に魅力的な人物であると思うので、その劇的な人生の中に、歴史を描くことも可能だろう。いや、そうでなければ、西郷隆盛の偉大さというのは、伝わらないのではないか。

ところで、気になったこと。西郷隆盛(吉之助)の上申書を、島津斉彬は克明に読んでいたという設定であった。はたして、このあたりの史実はどうなのだろう。ロシアンルーレットはドラマとして見ておけばいいのであるが、西郷隆盛の書簡については、かなり史料が残っているはずだから、歴史考証としてどうなのだろうかと思って見ていた。どのようなことをきっかけにして、西郷隆盛と島津斉彬が出会うことになるのか、このところの経緯は、ドラマとして重要な意味をもってくるところである。

次回は相撲らしい。楽しみに見ることにしよう。次回、於一(篤姫)が登場するらしいのだが、はたして、この島津の姫も、薩摩ことばなのであろうか。ちょっとこのあたり期待して見ることにする。

追記 2018-02-06
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月6日
『西郷どん』あれこれ「相撲じゃ!相撲じゃ!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/06/8783124

『わろてんか』あれこれ「ずっと、わろてんか」2018-01-28

2018-01-28 當山日出夫(とうやまひでお)

『わろてんか』第17週「ずっと、わろてんか」
https://www.nhk.or.jp/warotenka/story/17.html

前回は、
やまもも書斎記 2018年1月21日
『わろてんか』あれこれ「笑いの新時代」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/21/8773529

藤吉が死んでしまった。これは、実話をなぞっているのだから、やむを得ないことなのだろう。藤吉のなきあと、女性実業家として、笑いの世界で生きていくてんのすがたを、次週から描くことになると思って見ていた。

ところで、この週で、漫才が新しくなった。キースとアサリのコンビで、新時代の「しゃべくり漫才」を始めることになった。

ここで思うことをいささか。ちょっと辛口に書いてみる。

第一に、そのしゃべくり漫才が、見ていて、全然面白くない。このドラマのこれまでの芸能のシーンでは、落語は面白かった。「時うどん」「崇徳院」など、見ていて思わずその芸の世界に引き込まれていくような印象があった。

これは、落語という芸がすでにあって、それをなぞって役者が演じているから、自ずからそうなっていることになる。

しかし、しゃべくり漫才にには手本がない。いや、あるのかもしれないが、落語の芸のような確固たる形で残っていない。今の時代に、また、かつて活躍していた芸人の漫才を参考にしてということになるのだろうが、これが、どう見てもうまくいっていない。

第二に、藤吉の母(啄子)が、アメリカに行っていたのが帰ってきた。ここで、アメリカの新しい世界、外国での芸能のことが、藤吉たちのビジネスに影響を与えることになるかと思っていたが、そういうことはなかった。ただ、サプライズで帰ってきて、また、すぐにアメリカに戻ってしまった。

また、映画が、トーキー……つまり音の出る映画……になって、それが、大衆芸能の世界にどのような影響を与えることになったのか、このあたりも、ほとんど描くことがなかった。せっかく伊能栞という映画ビジネスの世界にいる人間を登場させているのだから、映画をふくめて大衆芸能の世界を俯瞰するようなことがあってもいいのではないか。

以上の二点が、この週を見て思ったことなどである。

さらに書けば、時代は、昭和の初めごろである。つまり、不況のどん底の時代であったはず。歴史的には、満州事変、五・一五事件などの直前の時代である。この時代の世相というものを、このドラマは描いていない。また、アメリカに行った啄子も、いずれは強制収容所に入れられることになるのかと思う。これはどうなるだろうか。

社会的背景、世相と、大衆芸能とは、密接にかかわっているとおもうのだが、このところが、描き方が浅いという印象をうける。

ともあれ、次週からは、てんが北村笑店を担っていく展開になるようだ。時代も、戦争の時代になっていくことになる。どのようになるか、楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-02-04
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月4日
『わろてんか』あれこれ「女興行師てん」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/04/8781948