『おんな城主直虎』あれこれ「第三の女」2017-05-23

2017-05-23 當山日出夫(とうやまひでお)

『おんな城主直虎』2017年5月21日、第20回「第三の女」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story20/

前回は、
やまもも書斎記 2017年5月16日
『おんな城主直虎』あれこれ「罪と罰」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/05/16/8560810

今回もネコがでてきていた。ネコが出てくると安心する。

今回の見どころは、なんといっても、直親の娘の登場だろう。高瀬という名である。この娘の出現をめぐって、直虎と、しののやりとりが興味深い。いつもは、仲の悪い二人が、直親の娘の登場ということで、共通するものを感じて、共感し合う。その心のゆれうごきが、面白かった。直虎は、しのと一緒になって、「スケコマシ」と言っていた。

まあ、直親の娘(らしい)人物の正体は、間者であるのかもしれないのだが、ともあれ、井伊の家の一族としてうけいれることになったようだ。ここのあたりも、井伊の家をどのように維持していくかに苦心することになる、直虎の立場というものがあったように思う。

ところで、興味深いのが、名前だけ出てきて、まだドラマの上では姿を現さない織田の存在。たぶん、これから、織田、それから、徳川家康との関係のなかで、井伊という一族の存亡をかけた駆け引きがはじまるのであろう。

それから、最後のシーン。謎の旅の男(柳楽優弥)が出ていた。まだ、正体があきらかになっていない。しかし、この男の存在が、これからの井伊の生き方に深く関わっていくことになるのだろうと思う。

鉄砲の製造、それから、綿布の製造、このあたりの中世における商工業のあり方をどう描くかも、このドラマの見どころかもしれない。このドラマ、戦国時代を舞台にしているが、合戦、戦闘の場面はほとんどない。そのかわりに出てくるのが、商工業と武士とのかかわり。

前作『真田丸』にはない、新しい戦国時代のドラマを期待したいものである。

さて、次回もまたネコは登場するであろうか。

『ひよっこ』あれこれ「椰子の実たちの夢」2017-05-21

2017-05-21 當山日出夫(とうやまひでお)

ひよっこ
http://www.nhk.or.jp/hiyokko/index.html

ひよっこ 第7週 椰子の実たちの夢
http://www.nhk.or.jp/hiyokko/story/07/

岡田惠和脚本の特色のひとつといえるかもしれないのは、主人公(ヒロイン)以外の登場人物を丁寧に描くことにあるだろう。この週は、そんな特色がいかんなく発揮された展開であった。

「椰子の実」は、島崎藤村作詞の歌『椰子の実』からとったものである。この歌を、職場のコーラスで合唱していた。これについては、別に書いた。

やまもも書斎記 2017年5月19日
『うたごえの戦後史』河西秀哉
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/05/19/8565235

やまもも書斎記 2017年5月20日
『椰子の実』の歌詞を誤解していた
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/05/20/8567357

この週は、みね子よりも、脇役たちのことを描いていたと見るべきかと思う。

第一に、澄子。故郷から出稼ぎに出てきてはいるが、帰るべき故郷というわけではないようだ。故郷から手紙も来ない。もし、故郷に帰っても自分のいる場所があるわけではない。なつかしく思い出すのは、ばあちゃんのこと。

そんな澄子の姿が見えない。仕事がおわってから、どこかに行ったのかもしれない。みね子たちは、その行方をもとめて上野駅にむかう。結局、澄子は、銭湯に行っていただけなのだが、それを心配するみね子や愛子たちの、気持ちが丁寧に描かれていた。

第二に、時子。女優になる夢を持って東京に出てきた。NHKのオーディションをうけるが、落ちてしまう。そんな時子のことをきづかって、みね子は、三男と一緒に銀座にでかける。

同じ故郷から東京に働きに出てきた若者たちの友情というべきものであろう。

第三に、故郷に残っている母たち。ナレーション(増田明美)は、「女子会」と言っていた。それぞれに、家庭の事情がことなり、子どもたちも個性がある。その母たちも、また、それぞれに子どもへの思いは異なっている。しかし、故郷を離れている子どもへの思いには、共通するものがある。

以上の三点にあるような、脇役とでもいうべき人物の気持ちを、細やかに描いていたのがこの週の見どころであろうか。脇役的登場人物の個性をきちんと描き分けているのが、このドラマのいいところだと思ってみている。

ところで、最後、土曜日の放送で、みね子の心の声が言っていた……だんだん父親のことを思うことが少なくなってきている……それだけ、東京での生活に慣れ親しんできているということなのだろうが、東京に出てきたばかりころとは、気持ちの持ち方も変わってきているようだ。

この週は、失踪した父親を探すというシーンはなかった。そのかわりに、最後のみね子の心の声で、父親への思いを語っていた。このドラマ、失踪した父親の存在が常にどこかにひそんでいる。最終的に、どのような決着になるか。たぶん、みんな笑顔で終わることになるのだろうと予測するが、その結末のつけかたが、今から期待される。

なお、この週のタイトルが「椰子の実たち」と複数になっているのは、孤独な思いでただよっているのはみね子だけではなく、職場の仲間たち、それから、故郷にいる家族をふくめてのことだと理解しておきたい。

『おんな城主直虎』あれこれ「罪と罰」2017-05-16

2017-05-16 當山日出夫(とうやまひでお)

『おんな城主直虎』2017年5月14日、第19回「罪と罰」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story19/

前回のは、
やまもも書斎記 2017年5月9日
『おんな城主直虎』あれこれ「あるいは裏切りという名の鶴」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/05/09/8550386

今回もまたネコがでてきていた。和尚様に抱かれておとなしくしていた。いいネコである。

今回については、主に次の二点か。

第一は、井伊というものの生き方である。これまで、今川の支配下にあるということでなんとかその存在を認められてきた。それが、今川が武田と縁を切ることになるらしい。すると、他の北条や上杉との関係がどうなるのか、また、松平との関係も気になる、といったところ。

大河ドラマの前作『真田丸』では、このあたりは、戦国乱世の世の中で、知謀と武略で生き延びる、「真田」の一族、というものが描かれていたように思う。そこには、当初は、信州、真田の郷へのパトリオティズムのようなものがあった。しかし、最終的には、真田という一族がどのように生き延びるかというところで、知謀の限りをつくすということであったように見た。

それに対して、今回の『おんな城主直虎』では、あくまでも、井伊谷を領地として支配する井伊の一族が、どのようにして生きていくか。そこには、武力という選択肢は、始めからないようだ。今川の支配下にあって、どのように生き延びていくか、このあたりが今のポイント。そこでのキーパーソンが、政次の存在ということなるのであろう。

政次の存在は、井伊の一族にとって決して望ましいものではない。しかし、政次に頼らねば、井伊は生きていくことができない。このあたりのもどかしさが、直虎と政次との関係において、描き出されていた。

第二は、中世、戦国時代の領主は、武力だけで領民を治めるものではない。領地の経営にも苦心しなければならない。その一つが、綿の栽培である。はたして、中世において綿の栽培と、その加工、さらには商品としての流通はどのようなものであったか、ちょっと気になるところである。

領地の経営ということでは、山林もある。山の木が何者かに切られた。その犯人をめぐって、今川方との対立になりかける。

このあたり、中世の法制史の方からの議論は、どうなんだろうかと思って見ていた。犯人を捕まえたとして、その処罰は、誰がどのような法のもとで裁くことになるのか。領主の遵法意識というのは、どのようなものであったのか。

以上の二点ぐらいが、今回で気になったところである。

また、旅の男(柳楽優弥)の正体は明らかになっていない。たぶん、この人物の存在が、井伊の運命を左右することになるのかもしれないと思って見ていた。

戦国時代のドラマではあっても、この作品には、戦闘・合戦の場面が出てこない。そのような戦国ドラマもあっていいと思う。そうではなく、乱世の時代にあって、どうやって領地領民を守っていくのかに苦心する領主の生き方を描こうとしているのだろう。これが、どう面白い展開になるのかは、たぶん、この謎の旅の男にかかっていると感じている。

さて、次回もまだネコが出てくるだろうか。

『ひよっこ』あれこれ「響け若人の歌」2017-05-14

2017-05-14 當山日出夫(とうやまひでお)

ひよっこ
http://www.nhk.or.jp/hiyokko/index.html

ひよっこ 第6週 響け若人のうた
http://www.nhk.or.jp/hiyokko/story/06/

今週は、みね子が東京の向島電機ではたらきはじめて、しばらくたったところ。見どころは毎日それぞれにあるが、気になっていることをいくつか。

第一は、やはりコーラスだろう。乙女寮に合唱部がある。そこに、自主的に、というか、半強制的に、入らされる。このあたりは、さらりと描いてあった。ともあれ、みね子にとって、みんなと歌うことは楽しいらしい。

ただ、実際にうたっているのは、登場人物たちではない。影武者(あまちゃん)である。とはいえ、登場した歌は、私も耳におぼえている。

印象的だったのは、「トロイカ」。ロシア民謡である。ナレーションで、ロシア民謡が日本ではやったのは、シベリア抑留の影響と説明があったのが、やはり時代を感じさせる。そのロシア民謡「トロイカ」は、子どものころによく耳にしたものである。ああ、子どものころによくこの曲を耳にしたなあ、と思いながら見ていた。

第二は、みね子たちの会社での生活。みんなで一緒に近所の銭湯に行って、1本15円のラムネを、三人でわけて飲む。そして、歌をうたいながら帰る。帰り道で歌っていた歌は、「見上げてごらん夜の星を」(坂本九)であった。

また、はじめての給料日。みね子は、もらった給料のほとんどを、故郷に送金してしまう。手元にはほとんど残らない。欲しいと思った服もかえない。そこに、故郷の母が手作りのブラウスをおくってくれる。

いかにも、という展開ではあるが、しかし、しんみりと心に染み入る描写であったと思う。

第三に、すずふり亭。母が送ってくれたブラウスを着て、みね子は赤坂のすずふり亭をたずねる。手には、父ののこしていったマッチ箱。

月1000円で生活しなければならないみね子にとって、すずふり亭はちょっと高い。手頃なところで、ビーフコロッケを注文していた。その味はどんなだったろうか。茨城の田舎から東京に出てきて、初めての給料をもらって、赤坂の街にでかけて食べた洋食の味である。

よかったのは、そのようなみね子をあたたかく見守っている、すずふり亭のひとたち。鈴子(宮本信子)をはじめ、すずふり亭のひとたちは、みね子を大事に思っていてくれるようだ。

これから、このすずふり亭は、ふかくドラマに関わっていくことになるのだろう。今のところ、いい人たちばかりという感じなので、安心して見ていられる。

以上の三点ぐらいが、印象にのこっているところか。

それから、最初の方でできた、故郷のおじさん。犬をつれていた。この空は、ビートルズのいるリバプールにつながっていると叫んでいた。自由をもとめている。東京で暮らし始めたみね子は、楽しく寮生活をおくっているとはいえ、自由からは、まだとおいように感じる。これから、みね子が、どのような自由な世界で生きていくのか気になるところ。

また、今週も、通奏低音のように、父の失踪が描かれていた。父の消息がわかりかけて安堵するみね子。だが、その心中は複雑なようだ。このまま父がみつからないでいてくれればとも、思ったりする。このような屈折した父への思いと、東京での寮生活、これらが、うまく描かれていたように感じたのであった。

『おんな城主直虎』あれこれ「あるいは裏切りという名の鶴」2017-05-09

2017-05-09 當山日出夫(とうやまひでお)

『おんな城主直虎』2017年5月7日、第18回「あるいは裏切りという名の鶴」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story18/

前回のは、
やまもも書斎記 2017年5月2日
『おんな城主直虎』あれこれ「消された種子島」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/05/02/8510238

今回は、ネコが再び登場していた。なんとなくうれしい。

で、この回の感想としては、ちょっと説明しすぎの脚本かなという気がしなくはない。このドラマの脚本は、わかりやすい、というのが特色だろうと思っている。しかし、あからさまに説明してしまうのは、どうかというところもある。

政次(鶴)は、なぜ後見になりたがるのか……それは、井伊をまもるためである、そして、その底には、かつてのおとわへの気持ちがまだ残っている、というあたりのことであろうか……これは、説明してしまっては、みもふたもない話しになってしまう。ここは、直虎にあまり説明的な台詞をいわせずに、それとなく描く方がよかったのではないだろうか。

それから気になったのは、戦国時代、鉄砲は、どのように生産され、流通したのであろうか、ということ。今川でも、鉄砲の生産を始めることになったようだが、原材料、それから、技術の面で、どうなのであろうか。それに、火薬も必要になるし。

このあたりのことは、戦国時代の歴史に不慣れなので、よくわからないことなのだが、気になっている。

また、綿が収穫されていた。たぶん、当時の史料にもとづいて、糸繰りの場面など作っているのだろう。だが、綿は、生産されて、その場で糸に加工されたのだろうか。加工業者は別にいたのかもしれない。このあたりも、ちょっと気になるところ。

綿(綿花)の生産と、製糸と、織物と、それぞれ、どのように分担されていたのか。一つの村で、全部をやっていたのだろうか。中世の綿産業史というようなことは、どの程度研究されているのだろうか。

このあたり、「銭の犬」=方久の役割と関連して、綿が産業としてこれからの井伊の一族にどのようにかかわっていくのか、興味深いところである。

それから、最後に出てきた、旅の男(柳楽優弥)、なにかいわくありげな様子である。この人物が、たぶん、これからの井伊のあり方に深く関わっていくのだろうと思う。

なお、どうでもいいことのようだが、出てきた『孫子』の本。題簽が明朝体のワープロ作成とおぼしきものであった。これは、この時代には、ちょっとおかしいだろう。

次週も、またネコが出てくるだろうか。

追記 2017-05-16
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年5月16日
『おんな城主直虎』あれこれ「罪と罰」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/05/16/8560810

『ひよっこ』あれこれ「乙女たち、ご安全に!」2017-05-07

2017-05-07 當山日出夫(とうやまひでお)

ひよっこ
http://www.nhk.or.jp/hiyokko/index.html

ひよっこ 第5週 乙女たち、ご安全に!
http://www.nhk.or.jp/hiyokko/story/05/

今週は、みね子たちが東京に出てきて就職して、仕事をはじめる。この週で興味深かったのは、みね子たちの同じ部屋の女性たち、それから愛子さんの存在。

みね子は、どうしても仕事がうまくいかない。ミスをしてばかりである。そんなみね子をめぐって、夜の寮の部屋で、女性たちの口論がはじまる。はじめは、ささいなきっかけからはじまった口げんかだったが、次第に、本気になる。みね子は、途中まで寝たふりをしていたが、起きてしまい、それに加わる……この一連のけんか騒ぎ。それから、最初の休日で、今日はどこにでかけようか、何をしようかとそれぞれに計画のある女性たち。

これらの一連の寮の部屋でのシーンは、なにかしら群像劇を見るような気がする。故郷から集団就職で東京に働きに出てきた女性たちは、みんな事情がある。澄子は、農業をやっていて日曜日などなかった生活。日曜日に寝るだけが楽しみであるという。しかも、母が死んで、父が再婚したのでもう自分の居場所がない。豊子は、女には学問はいらないと、中学での勉強もおおっぴらにできなくて、通信制とはいえ、堂々と勉強ができることを幸せに感じる。また、女優になりたくて、映画会社などを回るという時子。そして、父がいなくなったので、その手がかりをもとめに赤坂に行くというみね子。

集団就職で、同じ工場に働き、同じ部屋に寝起きすることになった女性たちであるが、それぞれに、かかえている故郷の事情はちがっている。そして、その背景の違いが、工場での言動に反映する。それが、原因で、夜の寮での口論になったりもしたのだが。

工場の寮の一部屋を舞台にして、昭和40年頃の、日本の地方と都市の縮図を、群像劇で描いてみせたような感じの週であった。

また、舎監の愛子さんの存在も大きい。頑張れ。大丈夫、そのうちできるようになるから。愛子さんは、女性たちに呼びかける。その愛子さんも、同じ工場で働いてきた過去がある。そして、戦争で亡くなってしまった婚約者。どこか暗い過去があるからこそ、これからの未来のある女性たちを、励ます存在でありうるのだろう。

このドラマの良さは、同じ工場の寮で一緒になった女性たちの、それぞれに故郷に対して背負っているもの、その生活の背景にあるものを、愛情をこめて、しかも、個性的に描き出しているところにあるのだろう。

なお、この週にでてきた、寮の部屋での一件は、やはり一種の「通過儀礼」のようなものなのだろう。みね子は、澄子と汽車で一緒になる。また、豊子と上野駅で一緒になる。「駅」というのは「境界」の空間である。その「境界」をともにくぐりぬけて、同じ工場の寮に入り同じ部屋になる。そして、食事も一緒にする。そして、おこる喧嘩騒ぎ……この一連の出来事が「通過儀礼」として、みね子は仕事を失敗しなくなる。また、みね子とそれをとりまく女性たちが同じ仲間として意識されるようになる。

この週ででてきた歌……『ぼくらはみんな生きている』『恋のバカンス』これらは、私は憶えている。映画『マイ・フェア・レディ』は、見てはいるが、後年になってリバイバル上映されたときのことである。見たのは高校生になってからだったろうか。

次週は、いよいよ赤坂のすずふり亭がでてくるようだ。楽しみに見ることにしよう。

『おんな城主直虎』あれこれ「消された種子島」2017-05-02

2017-05-02 當山日出夫

『おんな城主直虎』2017年4月30日、第17回「消された種子島」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story17/

前回は、
やまもも書斎記 2017年4月25日
『おんな城主直虎』あれこれ「綿毛の案」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/04/25/8498866

私の視点で見て、今回の見どころは、次の二点。

第一点は、種子島(=鉄砲)が登場してきたシーン。これを、武士ではない、百姓(足軽、雑兵というべきか)の武器として認識していたこと。武術のたしなみ(馬、弓、槍、刀などだろうか)のないものにも使える武器という見方である。

私は、特段、戦国時代とか、合戦史に詳しいというのではないのだが、このドラマのこの視点は、斬新な気がした。鉄砲の伝来には、現在では諸説あるらしい。また、鉄砲というものが、それまでの合戦の有様を変えたということもいえそうである。

では、その鉄砲と武士、武家とは、どのような関係にあったのだろうか。侍の武器として認識されていたのであろうか。

この観点では、前作『真田丸』の最後の信繁(幸村)と家康の対決シーン。ここで、信繁がとりだしていたのは、鉄砲であった。はたして、鉄砲というのは、武士の本来の面目とどうかかわるのであろうか。

このドラマ、戦国の合戦シーンは出てこないようであるが、それに変わって、戦国時代、中世における、武士、領主とはいかなる存在であったか、いろいろ興味深い視点を提示している。

第二点は、五目並べのシーン。幼い虎松は、五目並べに勝てない。

五目並べといえば、私が主出すのは、『涙香迷宮』である。今年の、「このミス」第一位になったミステリ。

やまもも書斎記 2017年1月3日
『涙香迷宮』竹本健治
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/01/03/8301083

この作品のなかでさんざん書かれていたこと、それは、五目並べ(連珠)においては、先手の方が圧倒的に有利である、ということ。この目で見てみると、ドラマでは、虎松は、後手で打っていた。これなら、負けてもしかたない。

で、直虎は、虎松に勝つ秘策をさずけるようなのだが、どうも、先手をとれとは言っていなかったようである。相変わらず後手になっていた。直虎はいったい何を言ったのだろうか。勝てるまであきらめるな、とでも言ったのかもしれない。

以上の二点が、今回の「消された種子島」を見て思ったことである。

なお、今回も出てきた、旅の男(柳楽優弥)の存在が気になる。一箇所に定住しない人物。このような漂白の人物が、中世には(あるいは、近世になってからも)いたのであろう。この人物が、これからの展開にどうかかわってくるか、気になるところである。

追記 2017-05-09
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年5月9日
『おんな城主直虎』あれこれ「あるいは裏切りという名の鶴」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/05/09/8550386

『ひよっこ』あれこれ「旅立ちのとき」2017-04-30

2017-04-30 當山日出夫

ひよっこ
http://www.nhk.or.jp/hiyokko/index.html

ひよっこ 第4週 旅立ちのとき
http://www.nhk.or.jp/hiyokko/story/04/

今週もいろいろ見どころはあったと思うが、私の感想としては、次の三点ぐらいに集約できるだろう。

第一に、週の初めに出てきた、おじさんとビートルズ。時代の背景としては、ちょうどビートルズがこの世界に登場してきた時期になる。ビートルズは、いってみれば、若者の自由の象徴であったといえるかもしれない。まだ、みね子は、ビートルズの音楽には興味はないようだ。これから、東京に出て、はたしてビートルズを聴くようになるのだろうか。

集団就職で出た東京における、みね子の若者の自由とはどのように描かれることになるのであろうか。

第二に、この週は、集団就職で東京に出て行く子どもたちを、送り出す立場……親であり、教師であり……を、実に細やかに描いていたと思う。みね子の母、祖父のみならず、時子の家、三男の家、それぞれの家庭において、それぞれの思いがあることが、丁寧に描写されていた。また、教え子を送り出す教師としての立場というものも、描かれていた。

就職率が何パーセントというような数字に還元されてしまうことのない、個々の生徒ひとりひとりの行く末を案じる教師の立場というものが、印象的であった。

第三に、週の半ばでの卒業式。卒業すれば、東京に出て行って、みんな離ればなれになる、そのような仲間との最後のシーンがよかった。『あおげばとおとし』の歌が、実に効果的につかわれていた。それから、ちょっとだけれど、みね子たちが、肩を組んでうたっていた歌がある。

「思い出すだろ なつかしく」のフレーズ。これは、『高校三年生』舟木一夫の二番の歌詞にある。

http://www.uta-net.com/song/13873/

https://www.youtube.com/watch?v=jnNvTTDZJvc

ただ、これは、ナレーションで説明があった方がよかったかもしれない。

だいたい以上の三点が、この週の主な感想といったところである。

ところで、最後の土曜日の放送のとき、みね子たちと同じ職場ではたらく、中卒の女の子とが出てきた。青天目(なばため)という。眼鏡をかけている。私は、テレビの登場人物が眼鏡をかけていると、本当の眼鏡(レンズがはいっているかどうか)確認することにしているのだが、この女の子の眼鏡は、レンズになっていた。近眼である。

ちなみに、朝ドラの前作『べっぴんさん』でも、登場人物で眼鏡をかけている人がいたが、それは、素通しで、レンズになっていなかった。

そして、最後で着目しておきたいのが、みね子たちが汽車の中で食べていたお弁当。あのおかずなどは、その当時としては、精一杯の御馳走である。これから、東京に出て行く子どもたちのために、それぞれの親が精一杯の気持ちをこめて作ったことが伝わってくる。

そのお弁当を、一緒になった女の子(青天目)に分けてあげていた。故郷から東京へ向かう、まさに「境界」の場所でのできごととして象徴的である。お弁当をわけてあげるという行為も、その当時としては自然なことであるし、また、同じお弁当を一緒に食べたということで、仲間にもなる。民俗学的にいえば、境界の領域における一種の通過儀礼とでもいってもよかもしれない。

また、上野駅は、まさに「境界」の場所として描かれていた。故郷から引率してきた先生は、上野駅で別れる。そこに、東京で働くところの人(和久井映見)が迎えに来る。まさに、故郷と東京都との結節点に位置する「境界」としての場所である。

次週は、いよいよ、みね子たちの東京での生活がはじまるらしい。これも楽しみに見ることにしよう。

『おんな城主直虎』あれこれ「綿毛の案」2017-04-25

2017-04-25 當山日出夫

『おんな城主直虎』2017年4月23日、第16回「綿毛の案」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story16/

前回は、
やまもも書斎記 2017年4月18日
『おんな城主直虎』あれこれ「おんな城主対おんな大名」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/04/18/8491452

今回の見どころは、次の二点かなと思う。

第一は、方久の茶屋の場面。そこで人びとが茶をもとめてつどい、いろんな情報交換をしている場でもある。そこで、瀬戸村でのことを噂にながす。まあ、あっけないといえばそれまでだが、これまでの戦国時代ドラマにはなかった、場面設定であると思う。

茶屋というものの存在が、歴史学的にどのように考証されているのかはしらないが、これはこれとして、非常に興味深いものであった。移動し、交流する人びとという歴史の視点を導入したことになる。

第二は、これまでの時代劇の常識であった、百姓=農民=米作=定住民=被支配者、という図式を変えてみせたことであろう。綿作という稲作以外の農業をもちこんできた。無論、綿は収穫したのち加工して商品として流通しなければ価値がない。また、百姓は、移動するものであるという観点。場合によっては、貸し借りができたり、あるいは、売買ができたりもする。

といって、このドラマは、いわゆる人身売買を肯定しているのではない。そのような人間の流動的な生き方があったということを、提示しているのである。

それから、ちょっとだけ出てきたが、旅の男(柳楽遊弥)の存在も、これからどうかかわってくるのか興味深い。一カ所に定住するのではない、旅に生きる人物のようだ。

そういえば、ここのところの重要人物になってきている方久も、もとは漂泊の人物であった。それが、幼いときのおとわ(次郎、直虎)を助けたことから、商人として頭角をあらわしたという設定になっている。

以上の二点が、今回の見どころかと思う。歴史学の観点から、いろいろ言うべきことはあるのかもしれないが、以上のような、これまでの歴史ドラマにはない視点を設定してきていることは、十分に面白い効果をあげていると思う。たぶん、このドラマは、領主が、商品、貨幣という経済のシステムのなかで、どのように領民を治めていくかが、見どころということになるのだろう。戦国の合戦、武闘がメインになるのではない。これはこれとして、新機軸であると思っている。

次回は、種子島(鉄砲)の話しになるらしい。楽しみに見ることとしよう。

追記 2017-05-02
このつづきは
やまもも書斎記 2017年5月2日
『おんな城主直虎』あれこれ「消された種子島」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/05/02/8510238

『ひよっこ』あれこれ「明日に向かって走れ!」2017-04-23

2017-04-23 當山日出夫

ひょっこ
http://www.nhk.or.jp/hiyokko/

ひよっこ、第3週、「明日に向かって走れ!」
http://www.nhk.or.jp/hiyokko/story/03/

私の見た印象としてあげておきたいのは、次の三点。

第一は、東京オリンピックのときの日本である。そのころまだ私は小学生であった。1955年、昭和30年の生まれである。だから、その時のことは、かなり鮮明に記憶にのこっている。

まさに国民的行事だった。あえていえば……「日本人」の、その「国民」の「記憶」に残る出来事であったといってよい。

その年の、秋の運動会の時は、通例ならば、紅白に分かれて競技するところを、五輪の五つのチームに分かれての競技だった。また、近くの道を、聖火(これは本物)が通るというので、学校からそろって見物に行ったことも記憶している。

このドラマでは、このような、日本人の記憶にある東京オリンピックというものを、実にたくみに描いていたと思う。それによせる期待、それを、自分たちの村でも聖火リレーをやりたいと発案して実行する。

国立競技場のシーンで、この競技場は、出稼ぎに行っている父ちゃんがつくったんだよね、という子どもの台詞が、いかにも切なく感じられる。あるいは、国立競技場の建設に従事したということだけで、誇りに思える時代でもあった。

第二に、この聖火リレーをどうするかという青年会の場面。そのとき、村の若者たちのそれぞれに微妙な立場の違いが描かれていた。農家の三男だからどうしても村を出て行かざるをえないもの(三男)、東京に夢をいだいて出て行こうとしているもの(時子)、それから、逆に、長男だから村に残らざるをえないもの、出て行きたくても出られないもの(三男の兄、時子の兄)。

これらのそれぞれに異なる立場をふまえたうえで、最終的に、みね子は、東京に出る決心をすることになる。ただ、東京に出稼ぎに行く、行方不明になった父のかわりに働く、父を探す、というだけではない、村への複雑に屈折した思いへと、最終的にうまくつながっていると感じる。

第三に、土曜日の回。ちよ子がバスにのって東京に行こうとして、車掌(次郎)につれられて帰ってくるところ。ここで、次郎が言っている、バスにいろんな人をのせた、と。

さりげない台詞だが、ここで、バスというものが、村と東京をつなぐ「境界」の意味を与えられていることに気付く。民俗学的な解釈をすれば、ということになるが。こちらの世界、奥茨城村と、東京をつなぐものが、バスなのである。また、それは「境界」の空間でもある。

この意味で思い起こしてみるならば、以前の朝ドラ『あまちゃん』で、北三陸駅が、ドラマの主な舞台になっていたことの意味が理解される。駅は、こちら(北三陸の海女の世界)と、あちら(東京のアイドルの世界)をつなぐものである。その列車のなかで、地元のアイドルとして、潮騒のメモリーが歌われる。列車、そして、駅は、こちらとあちらをつなぐ「境界」の空間だったのである。

以上の三点が、今週、このドラマを見て感じたことである。次週は、いよいよみね子が上京することになるようだ。これも、楽しみに見ることにしよう。