『おんな城主直虎』あれこれ「初恋の分れ道」2017-02-14

2017-02-14 當山日出夫

『おんな城主直虎』2017年2月12日、第6回「初恋の分れ道」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story06/

前回のは、
やまもも書斎記 2017年2月7日
『おんな城主直虎』あれこれ「亀之丞帰る」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/07/8352922

今回の見どころは、おとわ(次郎法師)と、亀(直親)が話しをするシーン、それから、二つの饅頭の謎ということになるのだろう……だが、私の興味のあったのは、やはり、ネコである。今回は、和尚にだかれてはいなかった。おとなしくカゴのなかにはいって、ニャーと鳴いていた。

すなおでおとなしいネコだなあ、と思ってみたいたのだった。二回ぐらい登場していたであろうか。

それから、スズメ。竹千代(後の、徳川家康)が飼ってならしていた。さて、ここで、徳川家康を登場させているということは、この物語の今後の展開に、どういう関係があるのだろうか。このあたりが、これからの興味関心のあるところである。

徳川家康は、去年の大河ドラマ『真田丸』でも登場していた。前作とどのように違う徳川家康を描くことになるのか、これからの展開が楽しみである。

出てきたことばで気になったのは、「国衆」。なんの説明もなしにつかっていた。これはもう歴史学用語として……あるいは、大河ドラマ用語として定着したと考えていいのだろうか。『真田丸』では、このことばの使用が、斬新なイメージがあったと記憶している。

また、そろそろ、おとわ(次郎法師)が、将来、直虎になってどう生きていくのか、そのエトスとでもいうべきものが見えてきたようにも感じる。井伊の家のために生きることになるのだろうか。

そして、やはり気になるのはネコ。次回もネコは登場するのだろうか。

『おんな城主直虎』あれこれ「亀之丞帰る」2017-02-07

2017-02-07 當山日出夫

『おんな城主直虎』2017年2月5日、第5回「亀之丞帰る」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story05/

前回のは、
やまもも書斎記 2017年1月31日
『おんな城主直虎』あれこれ「女子にこそあれ次郎法師」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/01/31/8344340

今回もネコがでてきていた。同じネコだろうか。それにしても10年経過した設定なので、ずいぶんと長生きしているネコになる。あるいは、別のネコに変わっているのか。

ともあれ、今回の見どころは、亀が帰ってきたこと。そして、おとわ(次郎法師)との再会のシーンだろう。

井伊谷に帰ってきた場面は、抱き合ったりして感動的な演出であったが、おとわ(次郎法師)との再会の場面は、あっさりとしたものだった。まあ、十年ぶりの再会としては、あんなものかと思うが。それにしても、帰ってきていきなり、還俗して、おとわを妻にすると……これは、急な展開だなあ。

ところで、亀は煩悩であるのか。その煩悩をふりはらうのに、経典の読誦はあまり役にたっていないようだ。

次郎法師が唱えているお経については、

次郎法師が唱えるお経
http://www.nhk.or.jp/naotora/special/pickup06/

亀は信州に隠れていたということだが、その間、井伊の一族とは連絡をとりあっていた様子。このあたりの事情が、もうすこし詳しく描いてあると面白いと思って見ていた。

次回も、ネコがでてくるだろうか。

『おんな城主直虎』あれこれ「女子にこそあれ次郎法師」2017-01-31

2017-01-31 當山日出夫

『おんな城主直虎』2017年1月29日、第4回「女子にこそあれ次郎法師」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story04/

前回のは、
やまもも書斎記 2017年1月24日
『おんな城主直虎』あれこれ「おとわ危機一髪」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/01/24/8332414

今回も猫がでていた。でも、おとわ(次郎法師)が最後のシーンで大きくなってしまっていたら、もう次回からは登場しないのかもしれない。ちょっと残念な気がする。

今回の見どころは、次の二つだろう。

第一に、おとわ(次郎法師)の出家、寺での修行のあたりの描写。実際の中世の禅寺がどんなであったかはともかく、それなりに納得できる描き方であった。

とはいえ、さすがに、小さい女の子に坐禅をさせるのは無理だったのか、坐禅のシーンはなかった。そのかわりにあったのは、作務、托鉢。

第二は、その托鉢のシーンで出てきた、井伊谷の村落の描写。これも、それなりに時代考証したうえで作ってあるのだろうが、なかなかよかった。

このセットについては、HPにのっている。
http://www.nhk.or.jp/naotora/special/openset01/

以上の二点が、今回のみどころかと思った。

このドラマ、やはり脚本のわかりやすい。冒頭近くに出てきた「本領安堵」の用語。前回の『真田丸』でも何度も出てきているので、もう説明するまでもないと思われる用語だが、これも、台詞できちんと説明していた。

それから、必要に応じて挿入され回想シーン。これで、物語の筋書きがわかりやすくなる。

そして、敵と味方がはっきりしている。小野政直(鶴の父親)、これは、はっきりと今川方の人物、つまり、井伊にしてみれば敵ということになる、このように描かれている。

次回からは、次郎法師が大きくなって、柴咲コウに変わるようだ。そして、亀が帰ってくる。(しかし、もう猫は出てこないだろう。)

『おんな城主直虎』あれこれ「おとわ危機一髪」2017-01-24

2017-01-24 當山日出夫

『おんな城主直虎』2017年1月22日、第3回「おとわ危機一髪」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story03/

前回のは、
やまもも書斎記 2017年1月17日
『おんな城主直虎』あれこれ「崖っぷちの姫」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/01/17/8325690

今回も猫がでてきていた。

見どころは、二つほどか。

第一は、二人の女性。寿桂尼、それから、左名。

寿桂尼は、さすがに貫禄があったが、ちょっと化粧がつよいような気がしないでもない。だが、浅丘ルリ子だと、あんなメイクになるのかなと思ってみていた。

左名(花總まり)、これはよかった。どことなく影がありながら、それでいて芯の強さがあるような、薄幸の身の上の女性の雰囲気をうまく出していた。

佐奈は、和尚を「兄上」と言っていたので……ちょっと気になって番組HPの系図を確認。なるほど、兄と妹とある。で、人質に出されると言うことは身内になるはずなので、さらに見ると、和尚は、直平の子。つまり、おとわからすれば、父親の親の兄弟。なぜ、和尚が、仏門に入ったのか、それで、なお、井伊家のために働くことになるのか、そのあたりの説明が欲しい。

第二は、駿府でのいくつかのシーン。駿府の城下の街のにぎわい(お店とか芸能とか)、これは、かなり考証した上で作ってあるのだろう。戦国時代における今川家とはこんなものだったかと感じさせる場面であった。

それから、今川の館での、芸能とか、蹴鞠のシーン。武士とはいいながら、京都風の雅な文化をとりいれている今川のあり方が、うまく表現されていたと思う。その衣装とか屋敷のつくりとかをふくめて、武士というよりも、公家のようである。

以上の二点が主に、気になったところ。

今回の見せ場は、やはり、蹴鞠の勝負のシーンだろう。どのような逆境にあっても、自分の才覚で道をきりひらいていくというのは、これからのおとわの生き方を、表現していることになるのだろう。武家として、武術での勝負にならなかったところが、まだ子供(しかも女の子)であるおとわと、京風の今川、この条件がうまくととのって、自然な感じで描かれていた。これが、剣術などの武芸での勝負となったら、また別の展開になるだろう。蹴鞠での勝負というのは、うまいアイデアだと思う。

さて、この次も猫はでてくるだろうか。でも、もうおとわは大きくなってしまうようだから、どうなるだろうか。ちょっと気になっている。

『べっぴんさん』テニスラケットは自由の象徴か2017-01-19

2017-01-19 當山日出夫

NHKの朝ドラ、「べっぴんさん」は、一応毎日見ている。主にBSで朝早い放送を見る。「ごちそうそうん」の再放送につづけて、見ている。

べっぴんさん
http://www.nhk.or.jp/beppinsan/

最近、気になったことのひとつ。ドラマのなかでは、時間がすすみ、子供たちが大きくなって、その子供たちの成長をめぐって、今後の話しは展開するようである。その子供たちのなかのひとり、龍一(良子の子供)が、登場するときに、手にもっているテニスのラケットである。これは、いったい何なんだろうと思って見ている。

考えられることは、おそらく、自由の象徴である。

時代設定は、昭和30年代になっている。皇太子(現在の今上天皇)と皇太子妃(美智子さま)の子供(今の皇太子)の服を、会社(キアリス)であつかうことになったとあった。皇太子の結婚で思い出すのは、軽井沢でのテニス。そこでの出会いである。もちろん、これは、演出されたものであろう。だが、その当時の認識としては、テニスコートでの恋愛、ということで話題になったはずのことがらである。

あまりこの用語はつかいたくないが、強いて使えば、テニスのラケットは、自由、恋愛、を表象する「記号」であったのである。つまり、龍一がテニスラケットをもっているのは、当時の感覚としては、自由な恋愛を表象するものとして、ということになる。

この解釈であっているだろうか。しかし、こうとでも解釈しないと、何故、龍一がテニスラケットを持っているのか、理解できない。ドラマの中では、特にテニスに熱中するスポーツ少年ということでもなさそうである。いや、逆に、ジャズ喫茶(ヨーソロー)に出入りするようは、不良っぽい人物造形になっている。

このドラマ、あまり、その当時の世相とか、時代背景とかを描かない。ナレーションで語ることもない。もし、当時の、皇太子ご成婚、テニスコートでの出会いについて、言及することでもあれば、そうだろうと納得できるのであるけれど。

あまり自信はないが、ともかく一人の視聴者の解釈として書いておきたい。

『おんな城主直虎』あれこれ「崖っぷちの姫」2017-01-17

2017-01-17 當山日出夫

前回のは、
やまもも書斎記 2017年1月10日
『おんな城主直虎』あれこれ「井伊谷の少女」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/01/10/8313307

今回は、

『おんな城主直虎』2017年1月15日、第2回「崖っぷちの姫」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story02/

猫は今回も登場していた。

第二回を見て思ったことなどいささか。

井伊家のある井伊谷の描写が、いかにも牧歌的でのどかである。山の景色が美しい。この郷へのパトリオティズム(愛郷心)というものが、今後、このドラマの根底を流れることになるのであろうか。

そういえば、前作『真田丸』でも、最初の方の回では、信州・真田の郷ののどかな田園風景がよく出ていた。しかし、大阪に舞台が移ってからは、見えなくなった。今回はどうなるのだろう。直虎という人物は、基本的に、自分の領地から動くことはなかったろうと思っているのだが、この井伊谷の山里の風景は、今後も登場することになるのだろうか。

それから、第二回までを見た限りだが、今回のドラマの特色は、何よりも、脚本のわかりやすさだろう。井伊家という一般にはあまりなじみのない一族が中心になる。そのなかの人物関係、それから、今川との関係、これが非常にわかりやすく描いてある。

また、この意味では、ドラマが始まる冒頭で、前回のおさらいとでもいうべき内容をナレーションで語っていてくれる。それに、随所に、回想シーンがはいっている。これらの要素で、物語の筋道がとてもわかりやすい。こういう工夫は、よくできていると思って見た。

さて、次回も、猫はでてくるであろうか。

NHK『花嵐の剣士』2017-01-16

2017-01-16 當山日出夫

NHK『花嵐の剣士-幕末を生きた女剣士・中澤琴-』、2017年1月14日
https://www.nhk.or.jp/bs-blog/600/260370.html
https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/7000/250010.html

やや古風なことばをつかえば、撃剣ドラマ、ということになるか。

私の見たところでの印象を書いておくと、次の二点。

第一には、まず述べたとおりの撃剣ドラマとして作ってあるということ。それを描くのに、中澤琴という実在の人物をかりてきている。もちろん、ドラマとしてフィクションであるにはちがいない。しかし、実在した女性剣士を主人公とすることで、なにがしかのリアリティが生まれていることも確かなことだろう。

ともあれ、このドラマ、全編にわたって撃剣の連続である。特に、裾の長い着物を着ての(女性としての恰好での)立ち回りの場面、これなど、女性を主人公にするからこそ描けた。このドラマの見せ場の一つ。はじめて人を斬ったのも、この時。

第二には、新徴組という組織は出てくるのだが、特に、佐幕というスタンスでは描いていない。あくまでも剣士として、己の生きる道をさぐるために生きている、それがたまたま新徴組であった、というような設定になっている。

そして、新徴組、つまり、戊辰戦争における朝敵になるということで、最後は負けることもはっきりしている。(この負け戦において、中澤琴は、生き延びて昭和の時代まで長生きしたらしい。)

負けることになるからこそ、最後のに生き抜くための剣という方向性が見えてくる。

まあ、だいたい以上の二点が、感想として思い浮かぶことである。

なお、ついでにさらに書いておけば、幕末・明治維新という時代をどう描くか、という観点から見て、エンターテインメントとしては、特に、どの立場を主張するということもない。むしろ、時代の波に翻弄されるなかで、剣をたよりに生きていく姿を描くということになるのか、そのように思う。

蛇足……ところで、NHKの来年の大河ドラマは、西郷隆盛ということらしい。幕末・明治維新を描くことになる。これは、さすがに、単純にエンターテインメントとして作るというわけにはいかないだろう。なにがしかの歴史観というものを、描かざるをえなくなる。ここで、戊辰戦争の発端として、新徴組の江戸薩摩藩邸襲撃ということは、出てくるのだろうか。そして、中澤琴は登場するのであろうか。

『おんな城主直虎』あれこれ「井伊谷の少女」2017-01-10

2017-01-10 當山日出夫

『おんな城主直虎』2017年1月8日、第1回「井伊谷の少女」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story01/

今年も続けて、大河ドラマを見ることにした(とりあえずである。いつまで続くことになるかわからないが。)

第一回を見た限り、かなり面白そうである。気付いた点をいくつか。

第一に、脚本がわかりやすい。井伊家については、人物関係が、かなりややこしい。番組HPの系図を見てもすぐには分からない。それをとりあえず、世代の違い(子供たち三人とその親)、敵(今のところは今川になるか)と味方(井伊の家の方)、ということで、かなり整理して描いてある。単純にしすぎるのもどうかと思うが、わかりやすいことはいいことである。

わかりやすいといえば、第一回では、随所に回想シーンが挿入されていた。過去の場面をふりかえるところが、何カ所かにあって、そこで、その時のことを確認しながら、先に話しがすすむというふうになっていた。このちょっとした工夫で、随分とこの物語は、わかりやすいものになっていた。

第二に、これをもう第一回で描いてしまっては、と思ったところ。ヒロインが、水に飛び込む。それから、高いところにのぼる。洞窟を探検する。これら、ドラマにおいては、イニシエーションとして表象される要素を、ふんだんに盛り込んであった。

まあ、このドラマは、イニシエーションの連続ということになるらしい。一度出家して、それから、さらに還俗して、城主になる……という流れのようだから、その時々のイニシエーションを、どのように表象するかというのは、興味深いところではある。

以上の二点が、第一回を見ての主な感想である。

ただ、すこし付け加えるなら、今川の館での場面。謀反のうたがいということで、殺されたようだ(亀の父親)。見ていると、どうも屋敷の中で殺してしまったような描写であったが、どうなんだろう、その当時においても、「血のけがれ」という意識はあっただろうから、謀反人をその屋敷の中で処刑するようなことはなかったのではなかろうか。このあたりのことが、ちょっと気になった。

さらに書けば、第一回として、その終わり方、次回への続け方は、これはうまいと思った。亀が生きていることは、だいたい承知しているのだが、最後のシーンで、子供のときにうまく逃げおおせたかどうか、やはり気になる。ここを、うまくつかって次回につなげていた。

そして、さらにさらに蛇足を書けば、あの猫。次回も出てくるのだろうか。

ともかく、次週の第二回も見ることにしよう。

NHK「ブラタモリ」浦安と『新・青べか物語』島戸一臣2017-01-09

2017-01-09 當山日出夫

NHKの「ブラタモリ」、2017年1月8日の放送は、浦安が舞台であった。浦安には、何度か行ったことがある。ディズニーランドに行くためである。(この私でも、ここに行ったことはある。とはいえ、かなり昔のことになる。まだ東京に住んでいたころのはなし。)

ここで、書いておきたいのは、ディズニーランドのことではない。この番組を見ていて、私の脳裏に去来したある本についてである。

島戸一臣.『新・青べか物語』.朝日新聞社.1990
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002072631-00

※この本、もう朝日新聞社のHPには掲載されていないようなので、国立国会図書館「サーチ」の結果をしめしておくことにする。

このブログ「やまもも書斎記」をつくっているのは、ASAHIネットにおいてであるが、これは、昔、パソコン通信の会社であった。朝日新聞社系列。そのアサヒネットをたちあげた、最初の社長が、島戸一臣であった。(たしか社長であっていると思うが。)

ここで、気になって見てみると、ASAHIネットに今でも残っている。ただ、会員でないと見られないようであるが。

まだ、パソコン通信のアサヒネットの時代、その島戸一臣が、自ら、ネットに書き込んだ文章をもとにして本にしたのが、『新・青べか物語』。この本、まだ、私は、どこかに持っているはずである。

NHKの「ブラタモリ」でも紹介していたように、浦安の街は、戦後の高度経済成長期に埋めたてられるまでは、東京湾に面した、浅瀬のひろがる漁師町であった。その漁師町ですごした、少年時代のことを回想した作品。たしか、葦の原で遊んだことも書いてあったかと思う。

番組の中、言及はなかったが、画面のなかには「青べか物語」「山本周五郎」の文字が、店の看板として映っていた。『新・青べか物語』は、山本周五郎の作品『青べか物語』をふまえて書いている。

山本周五郎.『青べか物語』(新潮文庫).新潮社.1964 (作品の成立は、1960)
http://www.shinchosha.co.jp/book/113403/

ともあれ、テレビを見ながら、『青ベか物語』(山本周五郎)を思い出した人もいたにちがいない。しかし、その一方で『新・青べか物語』(島戸一臣)のことを思った人も少しぐらいはいたかと思う。私は、その一人である。

浦安という街は、私にとって『新・青べか物語』の思い出とともにある土地である。

『真田丸』あれこれ「最終回」(その2)2016-12-21

2016-12-21 當山日出夫

昨日につづき、『真田丸』のはなし。

NHK『真田丸』
http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/

蛇足をちょっとだけ。三点ほど書いておきたい。

第一に、今回の『真田丸』が、戦国時代ドラマとして面白かったのは、大蔵卿局という希代の悪役を設定できたことにあるだろう。ドラマの最後の最後まで、秀頼が出陣していれば、勝てたかもしれないというところになって、邪魔立てしたのは、この女性であった。

大蔵卿局の存在が、このドラマを面白くした最大の要因のひとつであると思っている。

第二に、歴史の「もしも」がいくつかの場面で設定されていたこと。特に、終盤の大阪の陣のとき、ひょっとすると、豊臣は徳川に勝っていたかもしれない、あるいは、少なくとも有利な条件での和議にもちこめたかもしれない、という局面がいくつかあった。

このような場面を設定できたということは、歴史考証がしっかりしていたからこそである。このドラマを支えていたのは、着実な学問的な歴史考証である。そのうえに虚構(フィクション)としての、『真田丸』があった。歴史ドラマにおける歴史考証の意義というものを、つよく認識したことになる。

第三に、最終回の最後。真田家は、松代藩となる。その松代藩から、幕末の異才・佐久間象山がうまれている旨、ナレーションであった。これは、ものすごく痛烈な皮肉に思えた。昨年の大河ドラマ『花燃ゆ』である。

昨年の『花燃ゆ』に、佐久間象山がどのように描かれていたか、さっぱり記憶がない。幕末史を考えるうえで、最重要な人物のひとりである。

うがった見方をすればであるが、『花燃ゆ』が佐久間象山をきちんと描くような歴史考証をふまえているならば、もうちょっと違った展開のドラマにできたであろう……あのような最低視聴率ということにはならなかったであろう……ということ、NHK関係者の恨み節のように聞こえた。これは、考えすぎであろうか。

以上の三つぐらいが、最終回を見終わっての蛇足としての感想である。

さて、来年、『おんな城主 直虎』、これはどうしようか……たぶん、見ることになると思ってはいるのだが。