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    <title>やまもも書斎記</title>
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    <pubDate>Fri, 10 Jul 2026 04:42:12 +0900</pubDate>
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      <title>NHKスペシャル「私の往生際 養老孟司が見つめた“生と死”」</title>
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      <pubDate>Fri, 10 Jul 2026 04:41:18 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月10日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;NHKスペシャル「私の往生際 養老孟司が見つめた“生と死”」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;これを見て思うことは、人それぞれだろう。年齢とか、境遇によって、共感するところもあるだろうし、分からないという気にもなるかとも思う。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;私が見ていて、いいなあ、と思ったのは、昆虫採集が趣味、といってはいけないかもしれないが、専門の昆虫学者ということではないようだ、これは、とてもうらやましい。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;昆虫の世界、自然の領域を相手にしているということは、言いかえれば、人間のことを相手にしなくていいということになる。こういうことは、私のような、人文学の領域に生きてきた人間からすると、非情にうらやましいことである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;年をとってきたので、読む本は、基本的にKindle版としているのだが（字が大きいのがいい）、昔、若いころに読んだ、古典（日本のものにかぎらず）であっても、どうしても、そこに自分のものの考え方や価値観のなりたちということを、考えてしまう。死生観について、どう思うかということがあるが、これは、かつて自分がどのような本を読んできたか、ということと無縁ではない。それを改めて再確認したりすることになるというのは、なんとなく、つらい、というほどではないが、純然と読書を楽しめない部分もあったりする。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;死は他者との関係のなかにある。これは、そのとおりなのだが、その関係性を、あれこれとひねくりまわして考えることになるのが、人文学というものである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ただ、身の回りの自然環境などがあって、自分が生まれる前からあるものであり、それは、自分が死んだ後もおなじようにあるものである……こういう感覚は、大事にしていきたいと思っている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月8日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>心おどる「英語de茶の湯 裏千家 (1)What is Chanoyu?(茶の湯ってなに?)」</title>
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      <pubDate>Fri, 10 Jul 2026 04:40:18 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月10日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;心おどる「英語de茶の湯 裏千家 (1)What is Chanoyu?(茶の湯ってなに?)」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;裏千家の茶道を英語で説明するという趣向で、茶の湯についての入門番組を作る、アイデアとしては、とても面白い。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;天邪鬼な目で見て思うことを、いくつか書いてみる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;茶室に入って床の間の掛け軸を鑑賞する（分かっても分からなくても、褒める）とうことはそうだと思うのだが、このときに、絶対に言ってはいけないことがある。それは、「いったいこの字はなんて読むのですか？」である。こういう無礼な（？）、あるいは、正直な（？）お客がいたとして、そのときに亭主がどうこたえるかということこそ、まさに京都人のいけずの真骨頂である。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;でも、まあ、この番組で、こういうことは出てこないだろう。「いけずな京都旅」ならどうかな、というぐらいである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;茶席で指輪をはずすのは常識だと思っている。いや、一般に、陶磁器などを手にするときには、指輪をはずす。他の番組で、美術品などの鑑賞として、出てきた陶磁器を指輪をはめたままの手でもっている女優さんとかいたりするのだが、こういうのを見ると、常識が無いというか、ディレクタがきちんと説明できないのか、または、美術館などだったとしても学芸員がこういうことに口出しすることはないのか……どうも気になっている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;抹茶を作っているということで、宇治の上林（たしか、かんばやしと読む）のお店が映っていた。これはいいとしても、お茶の畑は、どこだったのだろうか。昔、私が子どものころ、京阪の宇治線のまわりにはいっぱい茶畑があったりした。もう、今は無いだろう。宇治茶として、宇治のお店で売られているとしても、その栽培は、もう宇治市のエリアでは無理かなと思う。急激に、茶畑が宅地に変わっていった。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;住んでいた住まいの近くにも茶畑があったので、茶摘みをしたことがある。小学生のころのことの話しである。日光をさえぎるためにおおいをかけるが、これも、昔は、よしづだった。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;色を確実に見るために、北向きの自然光を取り入れる。これは常識。お茶のことにかぎらず、美術品などで色を重視する仕事の場合、採光は重要である。（ただ、これも、近年では、照明の色温度を調整できるLEDの照明器具が発達してきているので、どうなることかとは思うが。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月8日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>世界のドキュメンタリー「深海の採掘競争 エネルギー転換のジレンマ」</title>
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      <pubDate>Fri, 10 Jul 2026 04:36:07 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月10日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;世界のドキュメンタリー「深海の採掘競争 エネルギー転換のジレンマ」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2025、オランダ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;中国が日本へのレアメタル輸出規制強化ということがあって、（その発端は高市首相の台湾有事発言なのだが、中国にしてみれば、なにかのきっかけが欲しかっただけで、たまたまチャンスと見ただけのことである）、南鳥島の海底のレアメタル採掘をしようとして、いろいろと議論のあったところである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;鉱物資源とは、ダーティなものである。これを、まず認識しておくべきだろう。NHKが自前で作った番組としても、アフリカの銅鉱山しかり、南米の金鉱山しかりである。（日本の鹿児島の菱刈金山のようなところは、世界の中で見れば、きわめて特殊なところと言っていいだろう。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;電気自動車が、クリーンな未来を象徴しているというのは、明らかに欺瞞である。しかし、欺瞞であることが分かっていても、中国の電気自動車の台頭に対して、対抗せざるをえない、というのも、また、今の世界の大きな流れである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;強いていえば、環境への負荷がない、完全にクリーンなエネルギー、それを使った社会や生活ということは、完全な幻想にすぎないのだが、今の時代としては、こういう方向から転換することは難しい。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;海底の資源の探査・採掘の技術が、ヨーロッパの企業が持っているとして、最終的に製品になるには、精練ということが必要だが、ここのところでは、中国に依存せざるをえないということも、現実問題としてある。それが最終的な消費者の手にとどくときには、中国製の電気自動車になったり、スマートフォンになったり、という理解でいいだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;深海の生物の生態系はよく分かっていないし、その生物の生息環境の保全のためには、深海からの採掘などは、すべきではない。だからといって、地上の鉱山が環境にやさしい（このことばは、私はあまり好きではない、いかにも欺瞞に満ちている）というわけではない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;環境保護活動家の行動が、すべて正しいとも思えない。すでに豊になっている欧米的なライフスタイルを、根底から否定するということではないと思える。根本的には、ここから考えなければならないはずである。しかし、今の世界で、「新しき村」を提唱しても、さほど意味のあることとも思えない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;これからの世界でレアメタルは必須であるとして……世界の海の底には、レアメタルなどさまざまな資源が眠っていること、その利用には環境の問題があること、また、その利用にはいろんな国のいろんな権利や利害がからんでいること……まずは、こういうことを、総合的に考えることが必用である。この程度のことを思うぐらいである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月5日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>サイエンスZERO「ダーウィンもびっくり!“食虫植物”の超進化」</title>
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      <pubDate>Thu, 09 Jul 2026 04:46:51 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月9日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;サイエンスZERO「ダーウィンもびっくり!“食虫植物”の超進化」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;進化というのはどういうことなのか考えることになる。「食虫植物」という種があるわけではない。種としては、いろんな種に分かれるのだが、その生き方（といっていいのだろうか）において、「食虫植物」になる道を選んだものが、たくさんいる。こう思うのだが、いいかな。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;その「食虫植物」になる方法としては、植物が本来持っていた機能というか、能力というか、それを、独自の方向に発達させて、「食虫植物」の能力を獲得していった。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;そもそも、「食虫植物」が生きていくためには、昆虫の存在が不可欠ということになるが、生物の進化の歴史の全体から見れば、これは昆虫にとっては、何か意味のあることなのだろうか。ただ、食べられる（？）敵が増えたというだけのことなのだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;昆虫（アリとか）をとらえるセンサーやつかまえるメカニズムは、とても興味深い。ここで、カルシウムイオンが出てきていたが、これは、生物において情報の伝達において、いろんな場面で出てくるかと思っている。「食虫植物」にかぎらず、植物や生物にとってカルシウムイオンがどういう意味があるのか、生物学の専門家なら当たり前のことなのかと思うが、こういう視点から解説してもらえるとありがたい。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月7日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>クラシックTV「元祖メロディーメーカー ヘンデル」</title>
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      <pubDate>Thu, 09 Jul 2026 04:46:03 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月9日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;「元祖メロディーメーカー ヘンデル」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;再放送である。最初は、2025年5月。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ヘンデルの回なのだが、登場していたのが、鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパン。これは、豪華というか、ゴージャスというか、贅沢というか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ヘンデルの曲として紹介されていたものは、耳になじんでいるものが多い。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;「私を泣かせてください」は、自動車の運転のときにきく音楽にはいっている。CDをMP3にリッピングして、USBメモリに記録して使っている。かなり昔に買った鈴木慶江の歌である。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;「メサイア」の「ハレルヤ」の部分は、あまりに有名である。たしか、日本で、年末になるとベートーベンの第九を演奏するようになる前（こういうのは、日本独自の習慣らしいが）、ヘンデルの「メサイア」が演奏されていたはずだと思っている。このあたりの経緯は、日本でのクラシック音楽の受容の歴史として、面白いところになるだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ところで、古楽器を見ていつも思うことだが、（こういう見方をするのは天邪鬼かとも思うが）その時代の金属の加工技術はどんなものだったか、気になる。特に金管楽器の類が、どういう技術で、どういう素材で、作っていたのだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月7日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>日曜美術館「YBA 世界を変えた90年代英国アート」</title>
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      <pubDate>Thu, 09 Jul 2026 04:44:54 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月9日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;日曜美術館「YBA 世界を変えた90年代英国アート」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;再放送を録画しておいて、ようやく見た。最初は、2026年4月19日である。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;美術、というよりも、この回としては、アート、といった方がいいだろう。これは、必ずしもそれを見るものを心地よくさせるものということではなく、常識的に感じていること、既成概念を、打ち砕き、不安にさせる……ということもある。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ウォルフガング・ティルマンスのゲイがキスをしているところの写真について、感じたところを書くと、だいたい以下のようになるだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;まず、決して美しいというものではない。むしろ、醜悪と感じる。そして、その醜悪さには、なにかしら性的なものを感じるからである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;これぐらいのことは、だいたい共通して感じるところかと思う。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;あえていうならば、この写真は、男性同士のキスを写しているとしても、見るとなんとなく、女性の性器を想像させる。（これは、私が、こう感じるだけなのかとも思うが。）それを、美しいものと見ることも可能なのだが、そうは感じない。性的であると感じるように撮ってあることが、同時に、何かしら醜悪なものであるかのごとき印象になる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ただ、これから先、どう思うかとなると、見るものの文化的歴史的環境によってちがうだろう。日本的な感覚で見るならば、ゲイといわれても、ふ～ん、そういう趣味の人もいるでしょうが、どうぞご自由に、勝手にやっててください、ということになる（私の価値観としては、であるが。）決して、それを、罪であるとか（社会的な罪というよりも、宗教的文化的な価値観からしてであるが）、犯罪であるとか（現代でも、国によっては、同性愛は犯罪として処罰される国がある）……このように判断することはない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;この意味では、いわゆる社会の中の少数者の異議申し立て、という視点からは、ある程度、一般的に、そういうこともあるだろうと思うが、ただ、それだけである。というよりも、ゲイについての認識が、ユニバーサルなもの、普遍的なもの、として語られると、それには違和感を感じるところもある。そこには、文化的歴史的な多様性があっていいだろうと思っている。（とはいえ、犯罪として処罰されるようなことは、いいとは思わないけれど。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;人によっては、このように思うことについては、生ぬるいとか、文化相対主義だとか、批判するむきもあるかと思うが、まずは、その作品を見て、自分がどのように感じるかということを、確認することが必要だろう。そして、そのことによってしか、異なる他者との会話、コミュニケーションの回路を作ることはできないだろうと思っている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月6日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>3か月でマスターする世界史「(1)古代文明のはじまり カギは“遊牧”」</title>
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      <pubDate>Wed, 08 Jul 2026 04:58:45 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月8日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;3か月でマスターする世界史「(1)古代文明のはじまり カギは“遊牧”」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;再放送である。最初は、2024年。このときの放送は見ていなかった。その後、刊行になった、&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;『NHK３か月でマスターするMOOK　もっと深く知る　アジアから見る世界史』&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;は読んだ。Kindle版であるが。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;第一回を見て思うこととしては、なるほどこれをうけて、後の、「3か月でマスターする古代文明」という企画になったのか、ということを思う。要するに、歴史学者と考古学者の考え方の違い、ということになるのだが、考古学の立場から、それは違うだろう、ということで作ったのが、「古代文明」と思っていいだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;文明のはじまりを、特に、世界の古代の四大文明に限らないとしても、定住農耕からスタートするのは、ちょっと違うかもしれない、そう考える余地はあるだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;「世界史」では、その始まりを、遊牧民の視点から見る。それは、ユーラシア大陸を移動し、各地の人びとの仲立ちとなり（つまりは、交易にかかわり）、定住農耕文明も、遊牧民の存在がなければ、その都市文明を発達させることはなかった……このような理解でいいだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ユーラシア大陸を、遊牧民の視点から見るというのは、特に目新しいことではないかとも思う。私などだと、どうしても、『文明の生態史観』（梅棹忠夫）を思い出すことになる。あるいは、新しいところでは、『中国化する日本』（與那覇潤）も、思いうかぶ本である。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ユーラシア大陸という全体から見れば、西欧の文明というのは、つい最近になってから出来た新参者、ということになる。（だが、その西欧の文明が、近代的な啓蒙思想を生み、産業革命を起こし、アメリカと一緒になってグローバルスタンダードの価値観になっていることは、また、一つの事実である。このような番組をつくる基本にある、歴史学研究の基礎にあるのも、近代西欧のものの考え方である。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;余計なことかとも思うが、交易ということを考えるには、『贈与論』ということも考えなければならないとは思うが、今の歴史学研究では、もう古いということなのだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;現代のでは、人類の歴史を考えるとき、古気候学やDNA解析の知見は必要である。気候の変化と、狩猟採取、牧畜、農耕とはきりはなせない。また、現在の世界の各地に住む人間のDNAについても分かってきている。ただ、DNA解析の結果と、人間の文化や社会や民族の、連続性／非連続性、ということについては、慎重であるべきとは思う。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月6日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>芸能きわみ堂「群舞で魅せる戦国絵巻！舞踊「桶狭間」」</title>
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      <pubDate>Wed, 08 Jul 2026 04:57:40 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月8日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;芸能きわみ堂「群舞で魅せる戦国絵巻！舞踊「桶狭間」」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;弧の会による素踊りの「桶狭間」である。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;この番組でやるぐらいだから、舞踊はとてもすばらしい。これよりも面白かったのは、今川義元のイメージが、時代によってどう変わってきたかということ。これは、とても興味深い。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;NHKの大河ドラマで、織田信長が出てくれば、桶狭間の合戦はある。そうすると、今川義元は登場することになる。この歴代のイメージが、どう変わってきたというのは、これはこれで、芸能史、文化史、歴史認識の歴史、ということから、あらためて考えるべきことになる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;やはり決定的な影響をあたえたのは、司馬遼太郎の作品だろう。『国盗り物語』は読んだし、大河ドラマも見ている。平幹二朗の斉藤道三が良かった。濃姫は、たしか、松坂慶子だったと思うが、どうだっただろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;司馬遼太郎が、今川義元を、京都の公家風の武将ということで描いた、そのイメージを、いまだにひきずっているところがある。蹴鞠を連想するあたりは、史実がどうであれ、京の都の公家風というべきことになる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;豊臣秀吉のイメージ、織田信長のイメージ、徳川家康のイメージ、これらをふくめて、戦国武将が、どのようなイメージで、特にサブカルチャーの領域で描かれてきたか……とても興味がある。一般の歴史学の戦国時代研究よりも、むしろ、面白いかもしれない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;見ながら思ったこととしては、これは実際のどこかの舞台を使ったのだろうか。スタジオのセットなのだろうか。どっちでもいいことかもしれないが、足拍子の音のことを考えると、どう番組として作るかは考えたことかもしれない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月6日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>ネコメンタリー 猫も、杓子も。「広瀬裕子とあめ」</title>
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      <pubDate>Wed, 08 Jul 2026 04:56:10 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月8日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ネコメンタリー 猫も、杓子も。「広瀬裕子とあめ」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;正直言って、広瀬裕子という人については、知らなかった。Amazonで検索してみて、こういう本を書いている人なのかと分かったような次第である。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;番組に映っている限りで判断すると、ミニマリスト、といっていいのだろう。必要最小限のものしか所有しない。また、それも、見えるところには置かない。余分な椅子があると、クローゼットの中にしまっておく。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;部屋の内装もシンプルである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;お茶を飲むときに、まずカップをあたためておく。この一手間をかけるかどうか。これは、どんな生活をおくりたいかをしめすことだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;これで、生活がなりたつならそれはそれでいいと思うのだが、そのたつきはどうなっているのかは、ちょっと気になる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;だが、こういうシンプルな住まいには、黒猫、名前はあめ、がよく似合う。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;あめは黒猫である。見ると、ヒゲは白いようだ。昔、我が家で飼っていた黒猫は、ヒゲも黒っぽかった。爪も黒っぽかった。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;早稲田大学での講義の様子がちょっと映っていた。江戸時代の学問というのは、強いていえば、一種の芸事のようなところがある。一般庶民としては俳諧だったろうが、儒学など学ぶ人もいた。あるいは、園芸にのめりこむような人もいた。江戸の学芸というのは、とても面白いことである。現代でいう、知の探求、というような側面もないではないのだが、伝統芸能に近いところもある。（これは、私の考えるところであるが。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;深緑野分のネコは、しおり、こぐち。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;深緑野分の本はいくつか読んでいる。『戦場のコックたち』『ベルリンは晴れているか』は読んだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;猫が寝ている体の上に乗ってきて、前足でもみもみしてくれることがあるが、重たい。はらいのけたくなることがあるが、ちょっと我慢している。どうしても重くなってきたら、猫と相談して体の上から降りてもらうことにしている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;作家だから家の中に本がたくさんあるのは、そうだろうと思う。感心するのは、本棚に、本の背表紙が見える状態で収納してあること。床に積んである場合でも、背表紙は見えるようにしてある。これは、すごいと思ってしまう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;今日の回で、PCの画面が映っていたが、横書きで書く場合もあれば、縦書きで書く人もいる。作家ということになると、仕上がりの本のページの体裁を考えて縦書きで、ワープロやエディタを使うということが多くなるかと思う。（私は、昔、昔の、PC-9801の時代から使っていることもあって、ディスプレイ表示は、横書きがデフォルトになっている。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月6日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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    <item>
      <title>ドキュメント72時間「南国タイ ニッポンの中古品 海を渡る」</title>
      <link>http://yamamomo.asablo.jp/blog/2026/07/07/9864044</link>
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      <pubDate>Tue, 07 Jul 2026 05:01:35 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月7日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ドキュメント72時間「南国タイ ニッポンの中古品 海を渡る」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;日本から、かなりの中古品が海外に輸出されていることは知っていたことだが、具体的にどんな商売になっているのか、これはこれで面白い。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;USED IN JAPAN が価値のあることは分かるが、中には、MADE IN THALAND というものもあるかと思う。（ちなみに、私が使っているデジタルカメラには、そう刻印してある。）その他、MADE IN CHINA という品物も多くあるだろう。日本のブランドであっても、日本で作っているとは限らない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;なんでこんなものをタイの人は買っていくのだろうと思うようなものがある。お人形とか、仏壇とか、いったいどうする気なのだろうか。ラジカセとか、もう日本では普通には使わなくなっている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;一方で、それを捨てることにした日本の事情ということも気になる。遺品整理などで、ごっそりと業者が持っていって、整理して輸出できる中古品を選ぶということは知っていることなのだが、いったいどういう素性のものなのか、タイの人は、そんなに気にしないのだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;古着は、これはこれで、世界にマーケットが広がっている。日本から輸出される古着もあれば、逆に、日本に輸入してくる古着もあるだろう（これは、廉価というよりも、高付加価値の商品としてであろうが。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;このお店で売れ残ったものは、ゴミになるということだったが、どういう処理をされるのだろうか。ここの最終の行き先まで見とどけることも可能なのだろうが、しかし、それはこの番組の趣旨ではないかとも思う。本当は、資源ゴミとしてリサイクルされるのかどうかということは、気になる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ノンバイナリーの人が出てきていたが、三日間の取材で、たまたま出会ったということでいいだろうか、という気はどうしてもする。また、いわゆる性的な少数者については、その地域の文化や歴史と大きく関係することなので、一律にあつかえることではないことも重要だろう。おそらくは、タイという国が、こういうことについては、おおらかということになるのかもしれない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月3日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>BSスペシャル「市民が見たイラン」</title>
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      <pubDate>Tue, 07 Jul 2026 05:00:08 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-07-07T05:01:28+09:00</dcterms:modified>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月7日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;BSスペシャル「市民が見たイラン」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;イランでの戦闘は、なんとか終息のめどがついた、ということなのだろう。こういう番組で、イランの普通の人びとの、（一部であるとはいえ）その日常的な気持ちを表現した番組というのは、めずらしい。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ただ、出てきていた人には、かなりかたよりがあるとは感じる。テヘランに住む、どちらかといえば、中産階級の人で、教育があって、仕事がある、ということになる。また、女性が多く登場しているように構成したということも感じる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;番組で出てきたことが、現代のイランの普通の人びとの意見をそのまま代表するものだとは、私は思わない。むしろ、こういう立場の人が、こういう意見を述べても、それを日本のテレビで放送できる、という状況になっている……ということを感じる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;イランという国は、イスラムの国というイメージが強いのだが、多言語、多民族、多宗教の国という面もあると思っている。歴史的経緯をふくめて、こういうことの詳細は、イランの専門家の解説がほしい。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;イラン国内での反政府の意見を取材できるようになった、ということはたしかなことだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;イランにやってきているアフガニスタンからの移民（といっていいのだろうか）は、かわいそうという気持ちににはなるのだが、これは、現代のイランという国のなりたちや産業ともかかわることだろうし、そう簡単には解決できることではないかと思える。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;イランに仕事をもとめてやってくる人がいる一方で、イランから外国に仕事などのために出て行く人もいる。オーストラリアには、かなりの数の人が行っているらしいが、これは、出稼ぎ労働ということでいいのだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;そういえば、今からかなり昔のことになるが、イランから、かなりの人が日本にやってきていて、これが社会問題であったこともあったと思い出す。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;オーストラリアからイランに帰ってくる航空券を得るのに、イラン国内で借金をするということだったが、物価とか、賃金を考えると、オーストラリアで働いて稼いだ方が合理的と思えるのだが、どうなのだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;借金をするのに、昔かしたお金があるから返してください、というのは、ちょっと日本の金銭感覚と違うのかと感じたところである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;それにしても、出てくるお金の数え方を見ると、とんでもないインフレである。（第一次大戦後のドイツほどではないかとも思えるが。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;どうでもいいことかもしれないが、番組で使ってあった映像資料の出典として、新華社のものがあった。現在、新華社は、世界にどれぐらいの取材網を持っていて、どういう取材をしているのだろうか。これはこれで、非常に気になるところでもあった。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月3日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>体感!世界の“恐竜博物館”「恐竜が眠る大地 ロイヤルティレル古生物学博物館」</title>
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      <pubDate>Tue, 07 Jul 2026 04:58:39 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月7日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;体感!世界の“恐竜博物館”「恐竜が眠る大地 ロイヤルティレル古生物学博物館」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;たまたまテレビの番組表で見つけたので録画しておいて見た。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;恐竜は人気である。特に、子どもは好きである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;この手の番組を見るとき、つねづね思うことは、そもそも化石とはどういうものなのか、説明されることがほとんど無いことである。恐竜の化石は、その骨そのものが残っているのではない。その生きものが死んで、骨の部分が、まわりの環境によって成分が置き換わって、石になったもの……私は、おおむねこのように理解している。死んでから、分解されやすい部分は残らない。骨は、比較的後まで残ることが多く、分解されてしまわないで、石に変化したということでいいだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;カナダのこの博物館のことは知らなかったが、見ていて面白い。特に、バックヤードで、どのように化石が保存されているかは、とても興味深い。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;やっぱり気になるのは、復原CG。しばらく前まで恐竜には羽根がなかったが、最近の復原CGでは、カラフルな羽根がついていることがある。この番組では、そのようには作っていなかったが。もし、羽根があったとしても、それがどんな色だったかまで、分かるのだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;古生物学にはまったくの門外漢なので、ただ想像するだけなのだが、古代の恐竜などの復原イメージは、おそらくは、現在の地球に棲息しているいろんな生きものたちの行動や生態の観察から生まれているのだろうと、思っている。だから、ウソであるとは思わないが、どれぐらいの想像をしたら、あんなふうにイメージすることになるのか、その思考の筋道が知りたいと思う。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;強いていえば、古生物学研究の分野であっても、研究者は、まずナチュラリストでなければならない、ということだと思うのだが、このような方向で、博物館の展示などが作られているといい。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;この前、福井県までちょっと旅行で行ってきた。目的は、三方五湖の水月湖のほとりにある年縞博物館である。ここの7万年の年縞は、一度、自分の目で見てみたいと思っていた。7万年というと、今のホモ・サピエンスが、アフリカを出て世界にひろまっていた時期に重なる。それが年単位で、しかも、誤差（200年に満たない）まで含めて分かっている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;恐竜博物館には行かなかった。そのうち孫が行きたいと言いだすかもしれない。そのときには、年縞博物館にも連れて行ってやりたいと思っている。そういうときがくるまで、長生きしたいものである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月3日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>『豊臣兄弟！』「信長を笑わせろ!」</title>
      <link>http://yamamomo.asablo.jp/blog/2026/07/06/9863876</link>
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      <pubDate>Mon, 06 Jul 2026 04:56:00 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月6日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;『豊臣兄弟！』「信長を笑わせろ!」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;本能寺の変は、足利義昭黒幕説と見せかけて、実は、織田信澄、ということになる（らしい）。これも、来週になると、さらにひっくりかえるかもしれないが。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;この回は、どういう意味があったのだろうか。まあ、秀吉が、ひとたらし、であることを描こうとしたのだろうということは分かるが、しかし、信長が信澄をゆるすかゆるさないかということは、信長にとっては、天下一統のための戦略にかかわることで、情実でどうこうなることではないだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;うがった見方をするならば、ここで、信長が非情冷酷になれなかったことが、本能寺の変につながった。つまりは、ミスをした、ということになり、その原因にかかわったのが、秀吉と小一郎であった……ということになる。となると、この回でのことは、後になって、秀吉にとって大きな禍根となるはずだが、さてどうなるだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;長浜城の宴会は、演出に工夫を凝らして作ってあるし、役者さんも頑張っている、という印象になるのだが、私の見た感じとしては、制作の予算をケチったあげくの沙汰となるのだが、このあたりは、見る人によって印象は変わるだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;興味深かったのは、最後の紀行。信澄の事跡として、大溝城のことが出てきていた。安土城、坂本城、長浜城、そして、大溝城、これで、琵琶湖のまわりを固めていたとなると、琵琶湖の水運を利用しての信長の領地経営、ロジスティックス、ということを考えることになる。琵琶湖は、北は敦賀から日本海に通じる。かつて、敦賀の街はロシアへのルートであった。（ちなみに、近代になって、杉原千畝によって日本に来ることのできたユダヤ人は、シベリア鉄道から、敦賀の地に上陸した。）一方、琵琶湖の南は、宇治川から淀川に通じ大阪湾から瀬戸内海にいたる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;琵琶湖の水運を信長がどう使っていたのか、とても興味のあることなのだが、このドラマでは、まったく出てこない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;このドラマの最初の回で、秀吉は、銭に関心があること、それから、武芸のたしなみがすでにあること、という人物造形だった。ただ、銭は、地中に埋めてあったので、今でいえばタンス預金である。これを投資に回してこそ、経済にかかわるというべきだが、そうなってはいない。武芸のこころえがあり残酷な面もあるとはいっても、それが、これまでのストーリーの中で、生きているということも感じられない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;「太閤記」はこれまでに、たくさん作られてきているし、戦国時代ドラマも山のようにある。その中で、新機軸の「太閤記」を作ろうという意欲は、とっくの昔に消えてしまったということになるだろう。ただ、戦国時代の有名なエピソードを、実はこうでした、という暴露話で、面白おかしくつないで見せているというだけになってしまっているように思えてならない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;本能寺の変を描くとして、重要なのは、それを知った秀吉の動きであり、その後の、旧信長家臣団の中での生き残り合戦であるはずだが、これをどう描くことになるのか。おそらくは、柴田勝家との戦いに、お市がからんできて、ということで終わりそうであるのだが。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;やっぱり本能寺の変は、炎の中で最期をとげる信長、というイメージをくつがえすのは無理なのか、いや、これこそ戦国時代劇の定番であるというべきか（雪の中の赤穂浪士の討ち入りのようなものとして）。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月5日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>『太平記』「笠置落城」</title>
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      <pubDate>Mon, 06 Jul 2026 04:54:34 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月6日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;最後に登場したのが、北畠顕家だが、後藤久美子である。そういえば、そうだったなあ、と思い出す。かわいいというべきか、きれいというべきか。美形であることはたしかである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;はじまりのところで、「おうとうのみや／だいとうのみや」、「もりなが／もりよし」で説明のナレーションがあったが、これは異例である。おそらく、先の放送について、たくさんクレームがきたのだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;漢字で書かれる日本人の人名が、どのように読まれるべきか、ということについては、かなりややこしい。近代以降のことについては、音読しても、訓読しても、別にかまわないということだと思っている。そういえば、『光る君へ』で、「～子」という女性の名前を、「さだこ」とか「あきこ」と読ませていたのは、男性を「みちなが」ということとのバランスを考えればそうなるかと思って見ていたが、なんとなく落ち着かない感じだった。習慣としては（いつごろからなのかは分からないけれど）、「定子、ていし」であり、「彰子、しょうし」の方がいい。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ビルドゥングスロマンとして作ってある。だから、高氏は悩む。そして、悩むのは高氏だけということになっている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;楠木正成も、以前は、帝のために戦うべきかどうか悩んでいたこともあったが、この回になると、もう悩まない。ひたすら後醍醐天皇のために戦う決意をかためている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;登場人物の人物造形がわかりやすい。だが、決して粗雑という印象にはなっていない。そして、それぞれに個性が感じられる。こういうことがあって、高氏を主人公とした、ビルドゥングスロマンとしてなりたっている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;日曜日の昼に『豊臣兄弟！』を続けて見ていると、『太平記』は科白が少ないし、しゃべり方もおだやかである。私としては、こちらの方を気に入っている。過剰な感情表現とか、ながったらしい説明の科白は不要である。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月5日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>3か月でマスターする数学「(10)描け!栄光の架け橋 関数」</title>
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      <pubDate>Mon, 06 Jul 2026 04:53:44 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月6日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;3か月でマスターする数学「(10)描け!栄光の架け橋 関数」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;再放送を録画してあって、ようやく見た。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;この回を見て思うことは、グラフを書くということの意味（特に、数学教育において）かと思える。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;まずは、手を動かして、紙の上に点をうつ、それを、つないでいくと線になる。手を動かして、図を描いてみて、それで考える……ということは、これはこれで、重要な意味が、少なくとも教育としてはあるはずである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ただ、点をたくさんうってつないでいくと線になる、ということを、きちっと論理的に話すのは、飛躍を必要とすることかとも思う。直感的には、点をつないで線になるのだが、逆に考えて、線が点の（有限の）あつまりであるとは言えないだろう。無限ということにふれずに、このことを説明するとしたら、どうなるのだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;最初に出てきた、電話料金のプランの問題は、方程式で考えるか、あるいは、グラフを描くか、この両方を組み合わせて説明するのが、妥当かなと感じるところである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年7月5日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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