『べらぼう』「さらば源内、見立は蓬莱」2025-04-21

2025年4月21日 當山日出夫

『べらぼう』「さらば源内、見立は蓬莱」

あまりドラマを演出が誰かということで見ることはないのだが、しかし、この回、それから前回もそうだったが、演出が大原拓ということは、やはり書いておきたいことである。とにかく、映像が非常にいい。無論、脚本もたくみなのであるが、それを映像として表現するとき、一つ一つのカットが、ものすごく説得力があり、魅力的に作ってある。

平賀源内が、非業の死をとげることになることは、知識としては知っていることなのだが、それを、江戸幕府内の権力闘争……次の将軍をめぐり、また、田沼意次をめぐり……とからめて、なるほど、こういう筋書きであった……と思わせるのは、実に見事というほかはない。

そういえば、以前に、平賀源内が市中で刀を抜いていたが、それが竹光であったことが出てきていて、そのときは、そういうものかと思って見ていたのだが、これが重要な伏線として使われていたことになる。

たとえば、平賀源内が牢屋に入れられて、牢の格子のところに茶碗がおかれる。そこからかすかに湯気が見える。ただ、これだけのカットであるが、実に考えて作ってあると感じるところがある。

また、平賀源内が煙草を吸って、次のシーンで、カメラが傾けてある。なるほど、そういう意味の画面だったのかと、後で気づくことになる。

障子、行灯、蝋燭などのあかりの光線の使い方もたくみである。

(強いて想像すればであるが、私は、見ていて、市川崑のことを思った。)

歴史の真相はどうであったにせよ、時代劇ドラマとしては、『べらぼう』のこの回は、おそらく脚本、演出、映像の非常にすぐれた回として、記憶されるものになるにちがいない。特に、平賀源内の安田顕がとてもいい。

そんなに多くのシーンに登場しているというわけではないのだが、一橋治済の生田斗真が、非常にいい雰囲気である。こういう人物が出てくると、やはりドラマとしてとても面白くなる。さて、薩摩の芋というのは、何のことを言っているのだろうか。ここは、見るものの創造力である。

最後に、ドラマとしては次の幕があくことになる。雪の吉原から、芝居小屋への、画面の転換もうまい。このシーンのために、前もって蔦重とりつとの芝居見物が伏線として描いてあったことになる。そして、次からの展開にお楽しみということになる。

2025年4月20日記

『八重の桜』「蹴散らして前へ」2025-04-21

2025年4月21日 當山日出夫

『八重の桜』「蹴散らして前へ」

八重は本格的に鉄砲を撃つ稽古を始めることになる。この段階で、八重が使っていたのはゲベール銃である。先込め式である。昔ながらの火縄銃に比べればマシなのだろうが、その当時としては最新式の銃ということになるのだろうか。(後に会津の籠城線で使っていたのは、スペンサー銃だったと思う。)

川崎尚之助は、出石藩を抜けて出てきたという。(出石の街には、かつて何度か行ったことがある。今では豊岡市の一部になっている。)この時代、日本という国(まだ近代的な国家という概念は無かったと思うが)を思う気持ちと、生まれ故郷の藩を思う気持ち、これらの間で、揺れうごいているところが、いろんな人物のいろんな言動に表れている。川崎尚之助は、藩よりも、日本を考えている。しかし、会津にやってきたのだが、山本覚馬は、この段階では、会津藩の武士という枠組みで自分のことを考えている。

山本覚馬は、何よりも武士であろうとしている。鉄砲を使うのは足軽だと馬鹿にされて、槍で勝負をつけようとする。(本当かウソか知らないが、こんなとき、坂本竜馬だったら、これからは鉄砲の時代であると、かっこよく言ってのけるところだろう。たしか、このドラマでは、坂本竜馬は登場していなかったと憶えているのだが、どうだったろうか。)ドラマのこの時点では、会津藩の武士である覚馬が、日本という国のことを考えるようになる、これがこれからのドラマの描くところだったと憶えている。

幕末という時代でドラマを作ると、どうしても、考え方の新旧ということに目がいくことになる。結果として明治維新をなしとげ、近代国家を建設した方が正しい考え方であった、ということになる。そのなかで、例外的なのは、西郷隆盛ということかなと思うが。これまでに多くのドラマで描かれてきたところの、イメージとしては、ということであるが。

八重は、鉄砲を撃ちたいという気持ちだけは強く持っているのだが、時代の流れが、どういう方向に向かっているのかは、まだ知らないでいる。これが、この時代における、会津という土地での、女性の視点、ということなのだろうと思うが。しかし、時代の先を予見できているのは、佐久間象山ぐらい、ということになるだろうか。

2025年4月20日記

よみがえる新日本紀行「川辺の日だまり〜東京・佃〜」2025-04-21

2025年4月21日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 「川辺の日だまり〜東京・佃〜」

再放送である。最初は、2023年1月7日。オリジナルは、昭和49年(1974)1月21日。

昭和49年というと、私が、高校を出て大学生になるかどうかというころである。そのころの、東京の佃では、このような生活があったのか、という意味でとても興味深い。いわゆる下町の生活が、生き生きと残っている。このような濃厚な近所づきあいのある生活は、現代社会では、あまりもう歓迎されるものではなくなっているだろうが。

佃から築地に通って仕事をする。市場の仕事である。築地も現代では、豊洲に移ってしまっている。築地や豊洲で働いている人たちは、いったいどこに住んで、どんな暮らしをしているのだろうか。この番組のオリジナルを作ったときには、まだ、築地市場の前の、日本橋市場のことを憶えている人がいた。(日本橋市場は、関東大震災でなくなり、その後、築地に集約された。)

佃の地域は、関東大震災も、東京の空襲も、生きのびた地域である。いわゆる下町エリアにおいては、こういうところは珍しいかと思う。東京の街の歴史に詳しい人なら、知っていることだろうが。

かつては渡し船があり、島であったところだから、他とは隔絶して、独自の生活のスタイルが残ってきた、ということはあったのかもしれない。

隅田川に浮かんでいた、多くの船は、いったい今ではどうなってしまっているのだろうか。隅田川が、観光以外で、どのような船が行き来しているのか、興味のあるところである。もう、水運としては利用されていないだろうとは思うが。

興味深かったのは、道路や家の前の草花に水をやるのに、井戸水を使っていたこと。東京の下町のエリア、基本的に埋め立て地であるところが多いはずだから、そんなに地面を掘れば井戸から水が出るということはないだろうと思っているのだが、佃は、島であった場所だから、井戸が使えているのだろうと思うが、どうなのだろうか。

家の中の掃除、廊下や柱などを磨くのに、おからを使うということは知っていることだったが、実際に使っているところの映像を見たのは、始めてだったかもしれない。このような習慣は、今ではすたれてしまったことかもしれない。

築地の仕事の映像を見ていると、トロ箱が木製であった。これが、今の豊洲の映像になると、発泡スチロールに変わっている。こういう変化は、どういうプロセスで起こったことなのだろうか。人びとの生活や仕事のなかでの、道具の歴史ということで、考えるべきことかと思う。民具の研究が、民族学や民俗学の研究領域であるのだから、現代の日常の道具類がどういう変遷を経てきているのか、これは、記録しておくべきことだと思う。

佃は、現代では、タワーマンションの林立する地域になっている。こういうところでは、かつてのような町内会のようなものは、もはや機能しない。だが、ここに住む子どもたちにとって、駄菓子屋という存在は、身近なものとしてあるらしい。

佃煮が、佃が発祥であることは知っていたことだが、実際に、佃で作られた佃煮というのは、食べたことがない。その材料は、もう江戸前というわけではないだろうが、現在でも店は続いている。

オリジナルの放送のときに映っていた家屋が、今でも残って人が住み続けているというのは、やはり佃ならではのことだと感じるところである。

それから、登場していた人の話し方が興味深い。この時代の女性の話し方が、落ち着いていて丁寧である。アクセントとしては、東京下町ことばといっていいのだろうが、決して乱暴な印象はない。一方、男性の話し方は、いわゆる下町ことばで、気っぷの良さというような雰囲気を感じさせる。実際の生活のなかでの日本語の話しことばを記録したものとしても、非常に興味深いものであった。

2025年4月16日記

『あんぱん』「なんのために生まれて」2025-04-20

2025年4月20日 當山日出夫

『あんぱん』「なんのために生まれて」

このドラマは、この三週目までは、かなり丁寧に作ってあると感じる。街中を歩く人の姿などが、効果的に使われている。

だが、ちょっと気になったことがあるので、それから書いておく。

のぶの女学校に海軍の貴島中尉がやってくる。その発案で、パンくい競走が、開かれることになり、のぶの朝田のパン屋で、200個を受注することになる。これは、まあいいとして、問題だと思ったのは、海軍中尉という階級である。

ドラマのなかで、のぶは、貴島中尉について、おさななじみのガキ大将、ということであった。つまり、年齢的には、のぶと同じか少し上ぐらいであることになる。

しかし、この時代の海軍中尉の士官ならば、当然ながら江田島の海軍兵学校を出ていたはずである。トップクラスの難関である。まず、兵学校に入学者が出たということならば、地域の話題にもなったろう。そして、兵学校を受験するためには、中学校を出ている必要がある。四年から受験はできたようだが。兵学校を終えて、任官して、中尉になるのは、かなり年月がたっていなければならない。それが、のぶが女学校の四年のときのこととして、ドラマでは描かれていた。これは、どう考えても年齢が合わない。

ささいなことのようだが、気になる。それは、史実をたどると、崇の弟は海軍にはいって戦死することになり、崇自身は陸軍で中国戦線に行くことになる。どうしても、陸軍、海軍というものにかかわらざるをえない。この時代の陸海軍がどのようなものであったか、この基本の知識にかかわることである。ここは、きちんとした考証にもとづいておくべきところだったと思う。

それから、パンくい競走の景品がラジオであった。あれこれあって、最終的にはのぶがラジオをもらうのだが、そのラジオの設定が問題である。この時代のラジオであれば、アンテナと電源は必要である。しかし、画面に出てきたラジオは、何もケーブルのようなものにつないではなかった。どう考えても、これで、スイッチを入れて放送を受信できるはずがない。

これもささいなことかもしれない。しかし、NHKは、この春、放送100年、ということで、いろいろと特別番組を作って放送したばかりである。100年前、昭和のはじめごろのラジオがどんなものだったのか、放送にかかわる人間が知らなくていいことだとは思えない。

海辺で、のぶの姉妹と、崇の兄弟が、仲よくラムネを飲んでいるのは、たしかにドラマとしては、絵になる場面である。しかし、この時代だったら、女学校の生徒と中学校の生徒が、一緒に海岸に行って並んでいたりしたら、それだけで風紀上の大問題とされたかもしれない。女性がパン食い競争に出られないのと同じく、言うまでもないこととして、否定されることだったろうと思うが、どうだろうか。

のぶのパン屋のなかに、「朝食ニ食パンヲ」と書いた張り紙があったが、ここの「ヲ」の書き方がおかしい。「フ」を先に書くような「ヲ」の書き方は、近年になってから始まったことである。ちょうど私が大学生ぐらいのときに、こういう書き方に変わっていって定着することになった。たぶん、小道具で、この張り紙をデザインして用意したスタッフは、こういうところまで気がつかなかったのだろうし、その他の関係者でも、気がつく人がいなかったとも思う。それだけ、時代が変わってしまったということなのであろう。

以上のようなことが、気になるところではあった。

だが、ドラマとしての全体の流れは、女学校に通うのぶの生活、パンくい競走のこと、久しぶりに崇たちの前に姿を現した母親の登美子、こういうことが、うまくおさまっていたと感じる。

細かなことではあるが、崇の家のセットで、窓ガラスをとおしてみると形がすこしゆがんで見える。これは、昔の窓ガラスは、現在のように平面に作ることがむずかしくて、少しゆがんでいるのが、普通であった、ということになる。このあたりは、かなり考えてセットを作ってあると感じるところである。(私が昔の窓ガラスの実物を見たことがあるのは、明治村においてである。)

のぶは、女学校に行って、その後は、女子師範学校に行こうとしている。この時代、女学校の進学率は、そもそもそんなに高くはなかったはずで、妹の蘭子のように、高等小学校を出たら、どこか勤め先を探すというのが、むしろ普通だっただろうと思う。特に、地方の街の石材店(兼パン屋)の家庭ではそうだっただろう。だが、ドラマの都合上、のぶは女学校に進学したということでないと、崇とバランスがとれないということもあったのかもしれない。おそらく、この時代のこの地域で、女学校を出て女子師範学校に進学しようとするのは、トップクラスの知的エリート女性といってもいいだろう。

特にこのドラマに対する批判ではないのだが、同時に放送の『チョッちゃん』と比べると、戦前の女性の生き方の描き方として非常に対照的である。その時代の女性は普通はこのようであったと肯定的に描くか、その時代にあって男性と同じように活躍したいと願う先進的な価値観の女性であることを強調するか、(どちらが正しいということはないと思うのだが)、それぞれのドラマの作られた時代の違いを感じる。このことは、『チョッちゃん』について書いたところに記した。いずれにせよ、思想には歴史がある、ということが重要であると、私は思う。

2025年4月18日記

『カムカムエヴリバディ』「1994ー2001」「2001ー2003」2025-04-20

2025年4月20日 當山日出夫

『カムカムエヴリバディ』「1994ー2001」「2001ー2003」

ハリウッドから、日本の時代劇映画を作るためのスタッフなどがやってくる。そのなかに、アニーという女性がいる。(まだ、この週の段階では、この女性の正体はあきらかになっていない。)

この週でよかったと思うのは、虚無蔵である。大部屋俳優のままで今にいたっているが、しかし、日本の時代劇映画への思いは、人並み以上のものがある。このドラマのなかの登場人物では、もっとも時代劇を愛している人間、ということになる。

週の最後の回で、オーディションということになり、虚無蔵と文四郎が殺陣をすることになる。見ていると、あきらかに虚無蔵の方がうまい。逆にいえば、このシーンの撮影では、わざと文四郎を下手に演じさせてある。(そのように私には見える。)

そして、この場面で、かつての「棗黍之丞」の映画のオーディションの時のことが、挿入されている。時代劇をめぐって、モモケン、文四郎、そして、虚無蔵と、いろんな人間の思いが、この殺陣のシーンで交錯することになる。

ひなたとアニーが、映画村の茶屋で英語で話をするシーンがよい。(前に見て、結果を知っているのだが)話題になっていた、ラジオの英語講座のこと、ラジオ体操のこと、棗黍之丞の映画のことなど、どれもこれまでのドラマの展開のなかで重要な役割を果たしてきたことで、これが、最後へとつながる伏線になっていることが確認される。

それから、少しだけ出ていただけだったが、一恵と榊原、それから、美咲すみれ、この関係も面白い。一恵の三浦透子は、すこし地味な感じはあるが、とてもいい女優さんであると、私は思って見ている。

週のおわりで、文四郎とひさびさに一緒にお酒を飲んで、文四郎はアメリカ人の女性と結婚するという。その別れの翌朝、いつものように仕事に行くひなたを、るいが回転焼きを焼きながら見送っている。商店街の大月の家では、いつもと変わらない日常生活が続いていることを、回転焼きが表している。

2025年4月18日記

『チョッちゃん』(2025年4月14日の週)2025-04-20

2025年4月20日 當山日出夫

『チョッちゃん』の2025年4月14日からの週の放送(再放送)を見て、思うことなどである。

このドラマを見ていて思うことの一つとして、昭和のはじめの女学校の生徒を描いているのだが、男性と同じように社会で頑張ろう、という気持ちの表現が出てきていない。この時代だから、女学校を出れば、普通は結婚である。そもそも、女学校に進学すること自体が、この時代の女性としては高学歴で、少数派である。そのなかで育っている蝶子をはじめとする生徒たち、それから、女学校の先生たち、これらの言動には、これからの時代は女性も男性と同じように社会で活躍する時代である、といういきごみのようなものが、まったく出てきていない。(少なくとも、この週までに描かれた範囲では。)

『チョッちゃん』の最初の放送は、1987年(昭和62年)である。男女雇用機会均等法が成立したのは、1985年(昭和60年)、施行はその翌年になる。ちょうど世の中の趨勢としては、社会での女性の活躍が求められる時代になりつつあるころ、ということになる。

こういうことは、今放送している『あんぱん』と比較して見ると顕著である。ドラマの始まりは、両方とも昭和2年である。昭和の戦前の時代が舞台である。同じころの時代でドラマを作ってあるのだが、『あんぱん』では、主人公ののぶは、これからの時代は女性も男性と同じように活躍するべきだ、と自分の主張を述べる。これは、その父親(すでに亡くなっているのだが)が、そう幼いのぶに教えていたことでもあり、母親もそれに賛同している。否定的なのは、祖父だけである。無論、祖父は、昔ながらの封建的家父長制的な価値観を体現する存在として役割を与えられている。(女性が、パンくい競走にでることはできないのは、いうまでもなく当たり前のことだと言っている。)

前々作の『虎に翼』は、最初の設定から、日本で最初の裁判官になった女性の物語として、設定されていた。

蝶子は、ロシア人のパン屋のおじいさんと仲よくなり、学校にパンを売りに来るようにいう。それが問題になって、蝶子はおじいさんのところに謝りに行く。そして、さらにそのことが問題になる。最終的には、許されるということにはなっていたが。この一連の流れを見ていると、登場する、校長先生や他の教員の考え方は、旧弊であり古めかしい。しかし、それを、間違っていることとして糾弾することは、ドラマのなかには出てこない。校長先生のような、あるいは、蝶子の父親のような考え方があったということ、そういう時代であったということを、そのまま素直に描いている。

現代に通じるかたちで、女性の生き方についての価値観をドラマで描くことが、ごく普通のことになってきている。これは、現代の社会における価値観の変化を反映したものであることになる。

かつて、蝶子のような女性を描く時代から、現代ののぶのような女性を描く時代へと、変化してきている。この変化自体については、これは、歴史の流れのなかで起こってきていることであり、そういうものだと思うのだが、人びとの気持ち、価値観には、その背景に歴史がある、ということは確かなことである。歴史を無視して思想を語ってはいけない。

それから、蝶子がパン屋のおじいさんの家を訪問したシーン。おじいさんは、ロシア人で祖国の事件で、帰れなくなったと言っていた。チャイコフスキーのレコードをかけながら、自分の半生を語っていた。しかし、それを聞いている蝶子は、ロシア革命について、何も知らなかっただろう。無邪気に紅茶を飲んで、おしゃべりしていた。これは、見方によっては、非常に残酷なシーンでもある。(今の時代に同じような場面を描くとすると、もっと説明的に作ることになるかと思う。)

どうでもいいようなことかもしれないが、ドラマの中では、蝶子が手紙を書くような場合、ペンにインクをつけて書いている。これが、この時代から、昭和四〇年代ぐらいまで普通にあったことである。それが、現代で作るドラマになる、こういうペンの使い方が出てこない。鉛筆を使うことが多い。『虎に翼』は基本的に鉛筆だった。これは、小道具を用意する手間暇ということもあるだろうし、かつての普通の人びが、どのように文字を書いていたかということの記憶が失われてきているということであるともいえよう。あるいは、蝶子の時代だったら、まだ毛筆が日常的に使われていたかとも思う。

2025年4月19日記

時をかけるテレビ「桜紀行〜名金線・もう一つの旅〜」2025-04-19

2025年4月19日 當山日出夫

時をかけるテレビ 桜紀行〜名金線・もう一つの旅〜

見ていていろいろと思うことはある。

まず、国鉄バスの車掌さん、というものが、今の若い人には分からないことだろう。(私の年代なら分かることではあるけれど。)

若いときの佐藤さんが、自分の人生に疑問を感じて、東京に行き、武者小路実篤のもとをたずねた。実篤は、「自分の道を探すことだけです」と答えた。それで、桜の木を植えることにした。番組が放送されたのは、1984年(昭和59年)であるが、この時代までは、武者小路実篤という作家のことが、人びとに読まれた時代であったというべきだろう。(今では、どうだろうか。今でも、その作品は刊行されている。私としては、あまり読みたくなる作家ではないのだが。)

桜というものが、文学などの主要なテーマになってきたのは、一般的にいえば、平安時代の古今集ぐらいから、ということになる。その前の万葉集の時代、花として出てくるのは、萩であり、梅である。これは、日本文学の常識といってよい。(ただ、万葉集の歌が、その時代の日本の人びとの何をどのように表しているのか、検討しなければならない。また、平安貴族の美意識が、今日まで伝わっていることの経緯についても、慎重に考える必要がある。)

少なくとも、桜=花、という図式で季節を感じるようになり、表現するようになったことの歴史ということについては、手放しでそれを礼讃するということは、疑問がある(学問的には、ということになるが。)

そうはいうものの、国鉄バスの車掌をしながら、そして、家庭のことはかえりみずに、ひたすら桜の木を植え続けていった……こういう人がいたということは、忘れてはならないことである。あるいは、今でも、世の中のどこかには、このような人がいるのかもしれない。

それから、桜の苗木を育てるのに、実生で育てたということも、おどろきである。普通は、こんなことはしないだろうと思うが。どうしても、莊川の桜の子孫として、桜の木を植えたかったのだろう。

気になったは、やはり、能登半島の輪島に植えられた桜。今年も無事に花を咲かせたらしい。できれば、この桜の花を愛でる人びとの生活が続いてほしいと思う。

2025年4月16日記

ダークサイドミステリー「あなたの隣の連続殺人鬼〜ジェフリー・ダーマー 孤独の幻想〜」2025-04-19

2025年4月19日 當山日出夫

ダークサイドミステリー あなたの隣の連続殺人鬼〜ジェフリー・ダーマー 孤独の幻想〜

再放送である。最初は、2023年4月20日。

アメリカでこういう事件があっても、あまり日本で大きく報道されることはない。銃の乱射事件というような場合は、別であるが。

日本でも、何年かおきぐらいに、どうにもわけのわからない異常としか思えない犯罪が起こることがある。ジェフリー・ダーマー事件のように、一〇人以上も殺したというようなことは、あまりないが(まったく無いわけではないけれど)。しかし、猟奇的というか、異常というべき事件は、決してなくならない。

考えようによっては、社会においては、なにがしかいびつな面があるものであり、それが、このような異常な事件になって出てくる……これは、むしろ社会が正常であるということかとも思う。具体的に、どのような事件となるかは、それぞれの時代や社会で、あるいは、事件が実際に起こった状況で、異なることになるだろうが。

番組を見ていて、冷静に分析しているなと感じるのは、心理学の先生。学問としての心理学が、本当にどこまで人間の心理の奥底まで開明できるのか、(それは、サイエンスなのか)、という問題はあるとしても、可能な限り客観的に、犯人の心のうちを分析しようとしている。

こういう番組を見ていつも思うことの一つに、現代の人間の感覚として、犯罪者の心の闇、ということを、安直に使いすぎるのではないかということがある。分からないものは、分からない、それでいいのではないか……まあ、被害者の立場になったら、そうもいってはいられないとは思うが、一般的、人間のこころが、すべて開明できて、場合によってはコントロールできる、と考えることの方が、場合によっては、とても恐ろしいことであると、私には思える。

それにしても、たてつづけに、被害者となった男性が行方不明になっていたはずなのだが、このことで、警察は動かなかった、ということなのだろう。日本ならば、ある地域で、似たような行方不明者……この場合は、若い男性で、おそらくは同性愛者であった……が、連続するならば、警察の出る場面だと思うのだが。

2025年4月16日記

NHKスペシャル「未完のバトン 第1回 密着 “国債発行チーム”」2025-04-19

2025年4月19日 當山日出夫

NHKスペシャル 未完のバトン 第1回 密着 “国債発行チーム”

経済や財政のことについては、まったく知識がない。だが、国債が要は借金であること、いずれ利息をつけて返さなければならなこと……これぐらいは、分かっているつもりである。

ニュースなど見ていると、何かにつけて、財源をどうするかとなると、特別にその目的のために国債を発行して、という議論が必ず出てくる。だが、ここは、冷静になって、それは借金をしてまで実現すべき政策なのかどうか、考えることが必要ということになる。

見ていて思ったことであるが、財務省の課長補佐クラスの官僚が、地方銀行まで出向いていって国債のセールスをしている。あるいは、中東まで行って投資家に日本の国債について説明している。こういう光景は、一昔前では、考えられなかったことかもしれない。(ひょっとすると、行われていたことなのかもしれないが、財務省の役人の仕事としてイメージしづらい。)

今の日本の国家財政の状況が、異常である……とまでは言いきっていなかったが、しかし、内容としては、かなりアベノミクス批判というべきものになっていた。常識的に考えて、国債をたくさん発行して、それを日銀が買い入れる、これを一〇年以上もつづけてきたことは、どうかしている。当初の目論み……一般に言われていることだと、二年で二パーセントの物価上昇……が、達成できなかった時点で、ひきかえすべきだった、ということになるだろう。これで国家の財政が健全でどうにでもなるということなら、同じようなことを他の国でもしているはずだが。

財政にはその専門家の知見が必要であるが、しかし、最終的な政策決定のプロセスは、民主的なシステムによって公開されるべきもの、そして、広く批判をうけるべきもの、ということはいっていいだろう。(どうでもいいことかもしれないが、国会の予算委員会で、予算について議論が交わされているという場面が、あまりにも少ないと感じるのだが、どうだろうか。予算以外の話題についての、与野党の議員のパフォーマンスの場になってしまっている。)

2025年4月15日記

BS世界のドキュメンタリー「トルクメニスタン 未知の独裁国家を行く」2025-04-18

2025年4月18日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「トルクメニスタン 未知の独裁国家を行く」

2024年、フランス。

トルクメニスタン……といわれて、かろうじて名前を知っているぐらいである。旧ソ連を形成していた、中央アジアの国であるということぐらい、かすかに知っている。

この国の内情をレポートしたものであるが、独裁国家であり、国民は貧しい。

地下資源(天然ガス)が豊富にあるので、ロシアとウクライナの戦争以来、EU諸国との経済的な関係は、強まっている。だが、こういうことは、反体制活動をしている人たちからすると、問題視することになる。

天然資源はあるが、独裁の貧しい国である。この国が、だからといって、国家が崩壊の危機にあるとか、(北朝鮮のように)核武装をして、その地位を国際的に認めてもらいたいと思っているとか、そういうことはないようである。だが、国の指導者をたたえるモニュメントが、首都のいたるところにあるというのは、どうしても北朝鮮をイメージさせる。まあ、このあたりは、日本にいての感想ということになるが。

首都のアシガバートでは、自動車は白と決められている。なんとも奇妙なルールだが、現地の人びとは実際どう思っているのだろうか。この番組では、やはり、現地の普通の人びとのことが出てこない。一般旅行客のふりをしてのツアー旅行ということなのだから(偽装であるが)、その側には当局の職員がずっとついている、という状況では、いたしかたないことなのだろう。

核兵器を持ったりして、あまり国際情勢には影響のないような国、と言ってしまうといけないのかもしれない。だが、独裁国家で人権弾圧があるということで、その政権を倒してしまえ、ということにはならないのも、いたしかたないことではあるだろう。

メタンガスを大量に空気中に放出している現状は、なんとかしてほしいとは思う。

この国では、インターネットは無論遮断されているいるし、おそらく、密告や検閲ということも、日常的に行われているのだろう。

このような国家が、国際社会において、少なからず存在することだろうと思う。いや、トルクメニスタンの場合、まだ、国家が国家として機能して、統治に破綻がない(ように見える)だけでも、ましな方である。これが、内戦というようなことになったら、どうなるだろう。おそらく、天然ガスの安定供給が重要課題である、EU諸国などは、そうならないように、いろんな裏工作をするだろうと思うが。

興味深かったのは、トルコに移り住んだ反体制活動家の女性。その話しぶりからは、母国が、いかに貧しい国であるか感じとることができる。日本から見ると、トルコは、そう豊かな国という印象はないかもしれないが、それでも、トルクメニスタンから比べると、段違いの豊かさに感じられるのだろう。

フランスで、合気道を稽古しているシーンがあったが、合気道は世界でどれぐらいおこなわれているのだろうか。合気道は、こちらから相手に攻撃をしかけるということのない武道であると認識している。ここからは、反体制の武力闘争ということには、つながらないと考えていいだろうか。

WEBで検索してみると、日本からトルクメニスタンへの旅行ツアーがある。かなりの金額であるが、いったいどんな人がいくのだろうか。

2025年4月13日記