「持続可能なカシミヤ・ビジネス 〜モンゴル〜」2024-10-15

2024年10月15日 當山日出夫

Asia Insight 持続可能なカシミヤ・ビジネス 〜モンゴル〜

カシミヤというのが、カシミヤヤギの産毛がら作るものだということを、始めて知ったというのが、本当のところである。

モンゴルというと一面の草原というイメージが強かったのだが、このごろでは砂漠化がすすんでいる。その一因が、カシミヤヤギの放牧である。カシミヤヤギは草の根まで食べてしまうので、草原がたもてない。モンゴルでは、カシミヤヤギの飼育が急増している。

取ったカシミヤの原毛は、そのほとんどを中国に輸出することになるらしい。モンゴル国内で、それを加工して付加価値の高い製品にすることは、ほとんどなかった。それを、環境に配慮して、持続可能なビジネスとして、定着させようというSFAという組織のこころみである。

なるほど、こういう人が、こういう仕事をしているのか、と興味深く思ってみた。特に重要だと思ったのは、環境に配慮するといっても、いきなり今の飼育方法を否定するのではなく、それを尊重しながらも、改善の提案をしていく姿勢である。

モンゴルでは、ウランバートルなどの都市部に定住する人が増えている一方で、まだ草原にゲルを建てて遊牧民としての生活を送っている人たちもいる。その人たちが、カシミヤヤギをそだてている。

ところで、一番気になったこととしては、今ではカシミヤヤギの飼料を購入しなければならなくなっているということなのだが、その飼料は、どこからやってきているのだろうか。飼料用のトウモロコシなどはどこの国からのものなのだろうか。

2024年10月10日記

「壁 世界を分断するもの」2024-10-15

2024年10月15日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 壁 世界を分断するもの

これは面白かった。

壁、という視点から、世界の人びとの歴史のあり方を描き出している。

壁としては、何よりもベルリンの壁のことを思い出す。一九八九年、テレビで映し出される映像のことは、印象深く憶えている。東西ベルリンの壁をめぐって、それを越えようととした、いくつかのエピソード。トンネルを掘った若者。鉄条網を飛び越えた兵士。(それにしても、よくこの瞬間の映像記録が残っていたものである。あるいは、このような記録が残るということが、後になって猜疑の目で見られたことにつながったのかもしれないと思うが。)

北朝鮮と韓国との、特殊部隊の話し。北朝鮮が、朴正熙暗殺のために特殊部隊を送り込み、韓国もまた金日成暗殺のための部隊の訓練をしていた。このことは、これまで、日本では大きく報じられることはことかと思う。このようなことをオープンにすることができるようになったというのも、時代の流れであろうか。

インドとパキスタンの国境。これは、国家というものが国境を必要とする限り、やむをえないものかもしれない。だが、そこに、宗教対立ということがからんでくるので、ややこしくなる。国境ができる前は、それなりに、まざりあって生活できていた人びとが、強制的に分離され、対立するようになる。壁は人びとの意識を変える。

イスラエルとパレスチナの壁についても同様だろう。強いて壁を作らなくても、パレスチナの人びとと、イスラエルの人びとが、適当に交流しながら生活を続けることは不可能ではなかっただろう。だが、ここも、壁を作ることで、強引にイスラエルとパレスチナを分離することになる。これは、対立を生むことになる。それは、憎悪にまでいたる。

アメリカとメキシコとの間の壁は、これからどうなるだろうか。

近代の国家というものが、国境で確定された領土を持つ……これは、自明のことかもしれないが、しかし、人類の歴史の昔からそうであったわけではない。だが、もはや、中世以前のような状態にもどすことは、不可能というべきかもしれない。

分離し、区別するために、壁を作ることになるが、その壁が、人びとの対立と分断を生む。憎しみも生まれる。同時に、その壁を越えようとする人たちも現れる。

たまたま日本の領土は島国ということなので、国境ということを、日常生活で意識することがない。しかし、世界には、壁で隔てられた多くの人びとの暮らしがあることに、思いをいたすべきだろう。

2024年10月11日記

「“正義”はどこに ~ガザ攻撃1年 先鋭化するイスラエル~」2024-10-14

2024年10月14日 當山日出夫

NHKスペシャル “正義”はどこに ~ガザ攻撃1年 先鋭化するイスラエル~

ではどうすればいいのか、その道筋が見えない。

イスラエルの内部においても、人びとの意見は分断して対立している。パレスチナの地は、すべてユダヤ人のものであると固く信じて疑わない人たちが、よりその考え方を強固なものにしていっている。一方で、(番組のなかでは言っていなかったことではあるが)、ハマスなどいわゆるイスラム過激組織にしてみれば、この世界からユダヤ人がいなくなればいいと思っている。少なくとも、そのような主張は、いろんな報道から聞こえてくる。この対立が、国家のレベルから、個人の考え方のレベルまで、浸透して対立が激化するなかで、容易に解決の糸口は見出しがたいだろう。

現実的な道筋としては、人質の解放と停戦、ということぐらいしかないかもしれない。一方的に、イスラエルの非人道的な戦闘を非難するだけで、ことがおさまるとは思えない。イスラエルの内部において、現在のネタニヤフ政権が崩壊するという事態にならないかぎり、どうにもならないかもしれない。

よく分からないのは、ユダヤ人のナショナリズム(といっていいのだろうか)である。ユダヤ人としてのパレスチナの地に対する思いと、団結の精神、これがどのような歴史的経緯があって、今にいたっているのか、ここのところを理解しない限り、どうにもならないかもしれない。おそらくユダヤ人の歴史は、西欧の歴史と文化のなかに深く刻印されていることにちがいない。ここの部分は、理念的なヒューマニズムを語るだけでは、どうしようもないことかと感じるところがある。イスラエルの人びとの間の意見の対立も、容易には解消できないかと思うことになる。民族と宗教と歴史が複雑に重層的にからんだ問題である。

強いていえばということになるが、イスラエルについて、その自衛の権利があることは認められるべきだろう。もとめるとするならば、その過剰な行使について、ということになる。だが、その制限について、それが具体的にどのようなことについてなのか、イスラエルやパレスチナ、さらには国際社会において、共通する合意点が見いだせないのが、現実的な課題といっていいだろうか。最低限、国際法の遵守、戦争にもルールがある、ということになるだろうか。

2024年10月7日記

『光る君へ』「とだえぬ絆」2024-10-14

2024年10月14日 當山日出夫

『光る君へ』「とだえぬ絆」

生老病死……というが、このドラマでも、いくつかの子どもの誕生のことがあり、また、死の場面がある。ただ、それを、現代的な感覚で描いていると感じるところがある。平安貴族にとって、出産とか死とかは、どう受けとめられていただろうか。ドラマとしてフィクションなのだから、どうでもいいことなのかもしれないが、ある程度は史実にのっとって作ってあるドラマである。この意味では、昔の平安貴族の生活感覚というものを感じさせるところがあってもいいかなとは思う。

出産はうれしいことでもあるのだが、同時にケガレでもあった。死についても、それはケガレであったはずである。『光る君へ』が始まったとき、まひろの母が殺されて、その遺体を屋敷のうちに安置して通夜のように見守っているシーンがあって、とにかく違和感を感じたものである。その後、このドラマでは、死のケガレということを描かない方針なのだな、ということは理解して見てきたつもりなのだが、しかし、いまだに何か変だなあ、という感じはしている。

平安時代のこのころ、王朝貴族たちの間には、浄土思想が広まっていたかと思うのだが、死に際して、極楽浄土ということが出てこない。ちなみに、平安時代の浄土思想を典型的に表しているのは、平等院であるが、それを寺院としてつくったのは道長の子どもの賴通である。

この回の冒頭ちかくで、まひろ/藤式部は、宿世と書いていた。『源氏物語』は宿世の文学である。これに対して『平家物語』は運命の文学といえるだろう。『平家物語』に運命を読みとっていたのは、歴史家の石母田正である。

人間は宿世のなかに生きるものである、これがおそらくは、まひろの考える人間の生き方ということになるだろうか。

この回でも、まひろは物語を自分の局で書いていた。姿は女房装束(十二単)の正装である。立ち上がると、裳を身につけていたのも分かる。こんな恰好では、筆をとって物語を書くのはかなりしんどいことだろうと思うのだが、実際はどうだっただろうか。もっとリラックスして書いていたのではないかと想像してみる。

また、その書いている物語には、推敲のあとがまったくない。まあ、これは、そのような原稿(といっていいだろうか)を用意するのが、実はとても面倒ということがあるから、そうなるのかと思う。書き直してあとのある原稿を準備するのは、もとの文章となおした文章の二つが必要になる。そして、その両方ともが、ありえたかもしれない『源氏物語』のテキストでなければならないので、作るのは非常にハードルが高い。

これが原稿用紙に万年筆で書いたような時代だったら、執筆に悩んだ作家が、原稿用紙をくしゃくしゃにして丸めて投げ捨てる、というシーンになるところであるが、紙が貴重品であった時代、そうはいかない。

平安時代の仮名文であったとしても、どうも漢字が多く使ってあるように思うのだが、どうだろうか。仮名文だからといって仮名(平仮名)ばかりではない、漢字も遣うが、その量はきわめて少ない。

何度も書いていることだが、女房装束(十二単)では、そう軽々と立ち上がってすたすたと歩く、というようなことは難しい。実際には、軽装の下働きの女性たちがそばにいて、あれこれと仕事をしただろうと思う。そもそも、女房装束(十二単)一人では着られない。最低でも二人以上の手助けが必要である。

牛車が都大路をすすむシーンがあった。このドラマでは、あまり牛車が出てくることがない。牛車のなかでの女房たちの会話とか、公卿たちの密談とか、かなり面白い場面が設定できそうなのだが、この脚本ではそのような設定は作らない。

まひろの娘の賢子は、これからどうなるのだろうか。お母さんのような女房づとめは嫌だと言っていたのだが、史実としては大弐三位という名前が残っていることになる。説としては、『源氏物語』の成立論にもかかわることになるが、紫式部のこれからと、大弐三位との関係は、気になるところである。

実の父親が誰であるか、形式的には誰の子どもなのか……ということは、『源氏物語』における、大きなテーマである。藤壺との密通であり、女三宮のこともある。これは、宇治十帖にまで影響する。

まひろ/藤式部が、彰子と漢籍を読む場面があった。「新楽府」であった。このとき、ふたりは、巻子本を両手で持って目の前にもちあげて読んでいた。巻子本を順番に開いて読んでいくには、机の上において広げて読むのが読みやすいと思うのだが、はたしてどうだったろうか。少なくとも、読み終わったあとで元のように巻き直すのには、机の上においた状態でないと、きれいにできない。

また、そのテキストは、ヲコト点や仮名などのない、訓点のない本であった。これで、まひろはともかく、彰子が読めたのだろうか。

ドラマのなかに出てくる音楽関係ことは、たぶんあんなふうだったのかな、と思って見ている。『源氏物語』には、実に多くの音楽や舞についての記述がある。このことについては、これまでに多くの研究があることでもある。

弟の惟規が死んだが、その時に歌を読んでいた。辞世ということになる。それを、紙に書いていた。今では、歌は文字に書くもの、というのが普通の感覚である。しかし、日本における歌の歴史を考えてみるならば、歌を文字で書くようになるのが一般化するのは、平安時代になってからといってよい。それまでは、歌は声に出して詠むものであった。歌木簡の発見もあり、奈良時代にはすでに一部の歌は書かれていたとは思われるが、『万葉集』に所収の歌の多くは、それが詠まれた時、書かれたものではなかったはずである。

2024年10月13日記

『おむすび』「ギャルって何なん?」2024-10-13

2024年10月13日 當山日出夫

『おむすび』「ギャルって何なん?」

世評としてはいろいろあるようだが、私としては、このドラマは好みである。ただ、ギャルというのが、今ひとつ、というか、ぜんぜん分からないので、ちょっと理解に苦しむところもあるのは事実である。だが、このあたりのことも、これからの展開で解消されていくのだろうと思う。

何よりいいのが、その当時の(ほとんど現代であるが)普通の地方都市の高校生の生活感覚を描いていることである。結は、特に変わったところのある女子高校生ではない。家は農家である。ただ、姉が昔ギャルをやっていたこと、それから、幼いときの思いでが必ずしも良いものではないこと、など少し気になるところはある。

家族の関係、学校の友達との関係、書道部、野球など、普通の高校生としての生活をゆっくりと描いている。徐々にであるが、すこしずつ話しが進んでいく。

田舎の農村風景のなかを自転車で走る結の姿は、なるほど朝ドラのシーンだなと感じるところがある。

それから、ギャルといっても、いわゆる不良ではない。家庭環境には恵まれていないかもしれないが、しかし、それなりの生きる目標を持ってギャルをやっている。この時代に福岡の街でギャルをやっているというのは、時代錯誤的なところもあるのかとも思うが、これも、そのようなところにしか居場所を見つけられない少女たちと思って見ればいいのだろうと思う。

補導されて交番にいたところに、結が駆けつける。そのときの表情がとてもいい。

ところで、結のお母さんは、ギャル文字が読めたから天神の交番までやってきてくれたということなのだが、ドラマのなかで、結の携帯電話の画面を見るシーンはなかった。

このドラマは、栄養士になるストーリーということなのだろうが、食事の場面がいい。結の家の食卓もそうだが、ギャルが母親にかまってもらえなくて一人でインスタント食品で食事をしているシーンも、よく作ってあると感じる。

書道部と、野球と、ギャルと、これからどう展開していくことになるだろうか。

2024年10月12日記

『カーネーション』「熱い思い」2024-10-13

2024年10月13日 當山日出夫

『カーネーション』「熱い思い」

このドラマを見るのは、三回目ぐらいになるかと思う。たしかに傑作といっていい。全体としてよく作ってあるということもあるが、一つ一つの回の出来がいい。何よりも、画面の映像の説得力がある。端的に言ってしまえばということになるが、画面のなかに映り込んでいるモノの数が多い。岸和田の小原呉服店の家の中にはいっぱいモノがある。どれもその当時の人びとの普通の暮らしを感じさせるものばかりである。

糸子の働いているパッチ店の仕事場も、雰囲気がよく出ている。壁にかかった道具類も、さもありなんという感じがする。

単純なことかもしれないが、小道具類をきちんと準備するということは、それにかける考証の手続きがあって、制作があって、演出がある。それだけの手間暇をかけて考えて作っているということになる。

糸子が神戸のおじいちゃんと喫茶店に行くシーンもいい。短い時間の描写のなかに、当時の大阪の心斎橋のモダンな雰囲気がよく出ていた。昭和の初めのころ、都市部でモダンな文化が花開いていたが、岸和田の街ではほとんどが着物のままである。やっと奈津が洋服姿で登場してきていた。このドラマが進んでいって、糸子が洋服を作るようになっても、糸子自身は着物姿のままであったかと憶えているが、はたしてどうだったろうか。

このドラマの良さは、その当時のことを、その時代の人びとの視点、価値観で描いているということにある。それを踏み外すことがない。だからこそ、人間とはそういうふうにして生きているものなのだと、普遍的な説得力が生まれる。

母親の千代が言っていた。好きなことをして生きていくのは楽なことではない、と。また、八重子も言っていた、新しいことを女がはじめるのは大変である、と。さりげない台詞のなかに、その時代のなかに生まれて、いつのまにか新しい時代をきりひらいていくことになる、糸子の人生を予見させる。

2024年10月12日記

「受け入れ急増 外国人労働者 〜韓国〜」2024-10-12

2024年10月12日 當山日出夫

AsiaInsight 受け入れ急増 外国人労働者 〜韓国〜

韓国も日本も似たり寄ったり、というのがまず思ったことである。だが、このような韓国の実情が、日本の普通のテレビのニュースなどで、報道されることはない。日本のジャーナリズムは、韓国の社会の暗部や底辺というあたりのことについては、まったく報道しようとしない、といっていいだろうか。

韓国も日本同様に少子化である。労働力が不足するから、外国から労働者を受け入れる。基本的には単純労働……制度としては農業や工場といった限定的なものようだが……に、大量の外国人労働者を受け入れている。その多くは、東南アジアなどからである。

韓国の方が日本よりも賃金が高い、ということは、日本経済の低迷の例としてよく言われることであるが、そうなると、外国から働きに来る人も、より高い賃金の国に集まることになる。将来、日本で働きたいという労働者がどれぐらいいるだろうか。

農業や造船などでの、底辺の仕事をすることになる。造船の設備と工場を持っている大手企業から、何段階かの下請けに、ただの労働者として使われることになる。その労働環境は劣悪である。健康を害しても労災として認めてもらえない。悪徳業者もいる。

職種とか転職の制限があるが、滞在期限をすぎても残る、つまり不法滞在も多くいる。このような人びとは、いったいどんな仕事をして、どんな暮らしをしているのだろうか。

町の風景のなかに、ハラルの店があるということは、イスラムの人たちも多く来ていることなのだろう。このような人たちが、これから、多く韓国社会の中に住むことになるとして、どのようになるだろうか。これは、日本においても大きな課題となっていることである。

外国人労働者の支援をしているのが、牧師というのも、韓国社会らしいことではある。はたして、政府や行政サービスの実態は、どうなのだろうかと思う。このようなことは、まさにこれからの日本の課題でもあり、ただ隣国のこととして見ていればいいというものではない。

2024年10月10日記

「金嬉老事件 “ライフル魔”と呼ばれた男」2024-10-12

2024年10月12日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 金嬉老事件 “ライフル魔”と呼ばれた男

金嬉老事件……ATOKは「きんきろう」では変換してくれなかった……のことは憶えている。この事件のことをリアルタイムの事件として記憶している世代となると、私ぐらいが限界かもしれない。昭和三〇(一九五五)の生まれである。テレビのニュースで見たことは、憶えている。

この番組で語った範囲内のことでも、いろいろと思うことはある。

印象に残るのは、金嬉老事件のおこった時代、多くの日本の人びとのなかに、朝鮮人差別の記憶があった、ということである。現在では、それは過去のことであり、また、現在でも一部であることとして認識されているが、一方で、昭和戦前から戦後にかけて、日本の社会のなかにあった朝鮮人差別の日常的な感覚は、失われてきているというべきかもしれない。

こういう言い方はあまり適切ではないかもしれないのだが、差別のあり方や、その感覚については、歴史的な変化がある。無論、差別一般として批判することも必要なことにはちがいないが、その時代による人びとの具体的な感覚がどのようなものであったかという観点も、また考えてみるべきことかとも思う。それが、現在でも続く差別感情、嫌韓感情と、どのように関連するのかということは、かなり微妙な問題があるかとも思う。かつての差別の感覚と連続するところもありながら、しかし、その時代ごとの様相の違いもあるだろう。

金嬉老は、「日本人」にも「朝鮮人」にもなれなかった、ということができようか。現在なら、アイデンティティーの喪失、というような概念でとらえることになるだろうが、この事件のおこった時代には、まだアイデンティティーという用語は、一般化してはいなかった。(このことばが、広く使われるようになるのは、一九七〇年代以降、私が大学生になってしばらくしてからだったと憶えている。)

ことばの面で興味深いのは、金嬉老は、日本語が母語であり、朝鮮語(私は、言語の名称としては朝鮮語ということにしている)は知らなかった。一方、その母親は、朝鮮出身で日本に渡ってきた労働者であったが、日本語は書けなかった。朝鮮語を母語としている場合、漢字が書ければ、平仮名をおぼえて、漢字仮名交じりの日本語文を書くことは、そう困難なことではないと思われるのだが、おそらくは、母親は漢字を書くことができなかったののだろう。

金嬉老が、釈放されて韓国に帰ったときのことは、ニュースになったこととして記憶している。だが、韓国社会は、彼をあたたかく迎えて、継続的にその生活を支援するということはなかったことになる。これは、金嬉老自身の問題もあるだろうし、また、そもそもの原因としての日本と朝鮮との歴史の問題もあるし、また韓国社会の問題でもある。

2024年10月8日記

「“天国への引っ越し”手伝います〜東京大田 遺品整理会社〜」2024-10-11

2024年10月11日 當山日出夫

時をかけるテレビ “天国への引っ越し”手伝います〜東京大田 遺品整理会社〜

録画してあった番組を見終わって、PCを前にして、Googleで「遺品整理」を検索すると、実にたくさんの業者がある。見ていくと、遺品整理士認定協会というのがある。今では、遺品整理というのが、社会的に必要な業種であり、また、それには専門知識が必要である、というふうに変わってきている。

一つには、孤独死、孤立死の増加ということもある。それだけではなく、一緒に暮らしていたとしても、故人の遺品を、うけついで使うという時代ではもうなくなってきたということになる。生活の意識の大きな変化がそこにはあると考えるべきだろう。

おそらく、現在、このような仕事にたずさわると、家族や地域社会とのなかでの、様々な問題に遭遇することになるにちがいない。それは、たった一人で死ぬ孤独死よりも、さらに悲惨な人間の修羅場と言っていいかもしれない。

また、一種の業界怪談とでもいうべき、奇妙なエピソードもあるかと思う。

この番組の放送は、二〇〇七年であるが、それから、二〇年近くたった現在では、また、この時代とは異なった状況にあることは、確かなことかと思う。新たな視点で、今日の問題点にきりこんだドキュメンタリー番組があってもいいかと思う。その取材は、かなり厳しいものになるかもしれないが。

遺品のすべてが廃棄されるということはないだろう。中古品としてリサイクルされるものもあるだろう。貴金属などは、しかるべきルートで販売されることになるかと思う。このあたりの法的な整備はどうなっているのだろうか。

2024年10月8日記

ザ・バックヤード「JR東日本 豊田車両センター」2024-10-11

2024年10月11日 當山日出夫

ザ・バックヤード JR東日本 豊田車両センター

私は鉄道には興味のない人間なのだが、それなりに面白かった。鉄道好きにはとても面白い内容だったと思うが。

もう東京に行くことが、どれぐらいあるだろうかと思う。中央線に乗るとしても、立川の国立国語研究所に行く用事があるときぐらいである。それも、東京から中央線に乗りかえるよりも、新横浜で降りて横浜線で八王子まで行って中央線に乗ることが多い。帰りは、東京に寄るところがあったりするので、東京まわりで帰ることがある。

しかし、これから国立国語研究所にも行くことは、たぶんないだろうと思う。興味のある研究会とかはあるのだが、もうリタイアと決めているので、行かないと思う。

中央線にグリーン車を導入するというニュースは、以前に見た記憶がある。それが実際にどんなものになるのか、これは興味はある。一〇両編成が、一二両編成になるので、ホームの延伸工事が必要になる。ただ、中央線は、日本の鉄道のなかで、もっともまっすぐな路線であるはずなので、ホームの延伸ということは、比較的簡単だったのかもしれない。が、これも駅によるだろうが。お茶の水とかはどうしたのだろうか。

技術が進んでも点検作業は、人間の目と耳による打音検査が軸になるということは、そうかなと思う。(これも将来的には、AIとオンラインでつないで検査ということになるのかもしれないが。)

ところで、運転席のメーターが映っていたのだが、速度計が、まるくて針がある旧来の表示であるが、ディプレイにそのように表示して見せているものだった。私の乗っている自動車(トヨタであるが)のメーターもそうである。これは、アナログといっていいのか、デジタルといっていいのか、迷うところである。

深夜の東京駅での、グリーン車の乗車、降車と、清掃の訓練。これに動員される社員も真夜中に大変だなあ、と思って見ていた。実際に人が動いてみなければわからないことはたくさんあるはずなので、これは必須だろう。(どうでもいいことだが、集合する社員たちがエスカレーターに乗っているとき、右を空けて左に寄っていた。エスカレーターで、歩かないで二列に並んで立つ、という方向に世の中は動いているかと思うのだが、JR東日本ではどうしているのだろうか。まず隗より始めよ、とはいうけれど。)

2024年10月3日記