「“天国への引っ越し”手伝います〜東京大田 遺品整理会社〜」2024-10-11

2024年10月11日 當山日出夫

時をかけるテレビ “天国への引っ越し”手伝います〜東京大田 遺品整理会社〜

録画してあった番組を見終わって、PCを前にして、Googleで「遺品整理」を検索すると、実にたくさんの業者がある。見ていくと、遺品整理士認定協会というのがある。今では、遺品整理というのが、社会的に必要な業種であり、また、それには専門知識が必要である、というふうに変わってきている。

一つには、孤独死、孤立死の増加ということもある。それだけではなく、一緒に暮らしていたとしても、故人の遺品を、うけついで使うという時代ではもうなくなってきたということになる。生活の意識の大きな変化がそこにはあると考えるべきだろう。

おそらく、現在、このような仕事にたずさわると、家族や地域社会とのなかでの、様々な問題に遭遇することになるにちがいない。それは、たった一人で死ぬ孤独死よりも、さらに悲惨な人間の修羅場と言っていいかもしれない。

また、一種の業界怪談とでもいうべき、奇妙なエピソードもあるかと思う。

この番組の放送は、二〇〇七年であるが、それから、二〇年近くたった現在では、また、この時代とは異なった状況にあることは、確かなことかと思う。新たな視点で、今日の問題点にきりこんだドキュメンタリー番組があってもいいかと思う。その取材は、かなり厳しいものになるかもしれないが。

遺品のすべてが廃棄されるということはないだろう。中古品としてリサイクルされるものもあるだろう。貴金属などは、しかるべきルートで販売されることになるかと思う。このあたりの法的な整備はどうなっているのだろうか。

2024年10月8日記

ザ・バックヤード「JR東日本 豊田車両センター」2024-10-11

2024年10月11日 當山日出夫

ザ・バックヤード JR東日本 豊田車両センター

私は鉄道には興味のない人間なのだが、それなりに面白かった。鉄道好きにはとても面白い内容だったと思うが。

もう東京に行くことが、どれぐらいあるだろうかと思う。中央線に乗るとしても、立川の国立国語研究所に行く用事があるときぐらいである。それも、東京から中央線に乗りかえるよりも、新横浜で降りて横浜線で八王子まで行って中央線に乗ることが多い。帰りは、東京に寄るところがあったりするので、東京まわりで帰ることがある。

しかし、これから国立国語研究所にも行くことは、たぶんないだろうと思う。興味のある研究会とかはあるのだが、もうリタイアと決めているので、行かないと思う。

中央線にグリーン車を導入するというニュースは、以前に見た記憶がある。それが実際にどんなものになるのか、これは興味はある。一〇両編成が、一二両編成になるので、ホームの延伸工事が必要になる。ただ、中央線は、日本の鉄道のなかで、もっともまっすぐな路線であるはずなので、ホームの延伸ということは、比較的簡単だったのかもしれない。が、これも駅によるだろうが。お茶の水とかはどうしたのだろうか。

技術が進んでも点検作業は、人間の目と耳による打音検査が軸になるということは、そうかなと思う。(これも将来的には、AIとオンラインでつないで検査ということになるのかもしれないが。)

ところで、運転席のメーターが映っていたのだが、速度計が、まるくて針がある旧来の表示であるが、ディプレイにそのように表示して見せているものだった。私の乗っている自動車(トヨタであるが)のメーターもそうである。これは、アナログといっていいのか、デジタルといっていいのか、迷うところである。

深夜の東京駅での、グリーン車の乗車、降車と、清掃の訓練。これに動員される社員も真夜中に大変だなあ、と思って見ていた。実際に人が動いてみなければわからないことはたくさんあるはずなので、これは必須だろう。(どうでもいいことだが、集合する社員たちがエスカレーターに乗っているとき、右を空けて左に寄っていた。エスカレーターで、歩かないで二列に並んで立つ、という方向に世の中は動いているかと思うのだが、JR東日本ではどうしているのだろうか。まず隗より始めよ、とはいうけれど。)

2024年10月3日記

『坂の上の雲』「(5)国家鳴動(前編)」2024-10-11

2024年10月11日 當山日出夫

『坂の上の雲』「(5)国家鳴動(前編)」

録画してあったのを見ながら思ったことを書いてみる。

大日本国憲法から始まっていた。今となっては、近代日本の諸悪の根源のようにいわえることの多い、大日本帝国憲法であるが、その当時にあっては、世界の政治史のながれのなかで、どのようなものだったのだろうか。まがりなりにも、近代的な国家の法整備がようやく整ってきた、ということも確かなことだろう。そして、それを祝った国民が多くいたことも事実であった。

この憲法に先立って、各所で憲法の私案が作られていたことは、歴史学の方であきらかにされていることかと思うが、これらをふくめて、明治の日本が近代的な国家とは何かを模索していた時期と考えるべきかと思っている。

明治になってからの法律の整備、法律家の教育、ということが実際にどのように行われてきたのか、ということが気になる。といって、今から、法律の歴史を勉強しようという気にはならないでいるのだが。

大津事件のことがあった。このドラマが、日露戦争のことを主に描くことになるドラマであるとすれば、この事件については触れておくべきことになる。だが、事件の描写があっただけで、それに対する日本の国家、国民の反応はどんなだったかは、省略されている。たしか、この事件への反応については、原作の司馬遼太郎の『坂の上の雲』では、かなり詳しく書いてあったかと記憶するのだが、どうだったろうか。

中国……この時代はまだ清であるが……の北洋艦隊と提督の丁汝昌が出てきていた。欧米列強に侵略されたとはいえ、東アジアの大国である。海軍力を見せつける、というよりも日本を威圧するために、やって来たことになる。

丁汝昌と東郷平八郎の対面の場面が印象的である。本当はどうだったか分からないが。あるいは、このあたりのことは、東郷平八郎の史料によるのだろうか。ドラマにおけるフィクションなのだろうか。

東郷平八郎が丁汝昌に「万国公法」の書物を手渡すシーンは、現在の中国のことを思ってみると、なかなか興味深い。

司馬遼太郎は、明治の日本は、国際社会のなかできちんと振る舞おうとしていた、ということを述べていたかと思う。万国公法……今でいう国際法である……を守る優等生であろうとした。(だが、実際には、必ずしもそうではなかったが。)

ところで、以前、このドラマの放送を見たときには気にならなかったが、今になって気になることとして、秋山真之たちのことばがある。故郷の松山に帰れば、当然のごとく松山方言である。だが、東京に出てから、また、兵学校に入ってからは、きれいな標準語(といっておくが)になっている。明治二〇年代のはじめである。最初の言文一致体小説とされる『浮雲』(二葉亭四迷)の初編が出たのが、明治二〇年である。このころ、日本に共通した標準的な日本語が、ドラマのように存在したとはちょっと考えにくいのだが、どうだろうか。たしかに、松山から東京に出てことばで不自由することはなかったかもしれないが、では、どんなことばをつかっていたのか、となるとこれはまだ未解明な部分かと思う。

おそらく、標準的な日本語の成立に深くかかわったのは、軍隊であったろうことは想像できる。かといって、もうリタイアと決めたので、今から近代日本語と軍隊のことを勉強してみようという気もない。これからの研究分野である。若い人たちの研究に期待することとしたい。

だが、その一方で、東郷平八郎は鹿児島方言である。まあ、このあたりは、ドラマのなかでの役として、東郷平八郎は鹿児島方言であった方がふさわしいという判断なのだろう。このような事例としては、西郷隆盛の鹿児島方言、坂本竜馬における高知方言、などがある。ちなみに、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』では、坂本竜馬に高知方言を使わせるということはしていなかったはずである。

2024年10月9日記

「ロフティング“ドリトル先生航海記” (1)ドリトル先生の「フェアネス」」2024-10-10

2024年10月10日 當山日出夫

100分de名著 ロフティング“ドリトル先生航海記” (1)ドリトル先生の「フェアネス」

『ドリトル先生航海記』は、子どものときに読んだ記憶がある。だが、はっきりいってその内容は憶えていない。

見ながら思ったことを書いてみる。

伊集院光が、『人間失格』を読んだときのことを言っていた。この作品は、読む人を選ぶ。まあ、私は、その範疇に入らなかったのだが。ここで、福岡伸一が、「普遍性」と「個別性」ということを言っていた。これはそのとおりである。人文学にかかわる分野でも、一般的に語るべきことと、個別の事例……作品とか事件とか事例とか……について語ることがある。両方にまたがった視点をもつ必要がある。

猫肉屋と出てきたのだが、(本を読んで確認すべきことかと思うが)この時代の英国では、猫の肉を食べたのだろうか。

フェアネスが、この作品を読み解くキーワードであると言っていた。対等の関係で見る、あつかう、ということといえるだろうか。ドリトル先生は、スタビンズ少年を対等にあつかっている。(番組のなかでは言っていなかったが、この時代は、たぶん『マイ・フェア・レディ』の時代になるだろう。階級社会というものが、いやおうなくあった時代ということになる。)

さかなクンの名前が出てきていた。海の生きものについて詳しい、と同時に、お魚を食べることも上手である。ドリトル先生は、博物学者として生きものについて詳しいが、同時に、ソーセージも食べる。決してベジタリアンというわけではない。

スタビンズ君は、読み書きができない。この時代の階級としては、そうなのだろう。まさに『マイ・フェア・レディ』の時代である。

ダーウィンの名前が出てきていたが、ダーウィンはその時代にどのように評価されていたのだろうか。これは、近代における生物学史として多くの研究書や入門書などがある。

注意深い観察者、a good noticer、と言っていた。これは、生物学のみならず、人文学の分野においても重要なことである。ことばの研究においても、まさに、観察力が必要である。現代語についても、古典語についても、ことばについての観察力がまず問われることになる。(無論、その後の調査や考察ということも大切であるが。)

ドリトル先生は、博物学者として登場している。この時代だと、まだ学問の世界が今日のように細分化していない、また、現在の日本のように理系、文系と分けられるような時代ではなかった。まず、幅広く身の周りのもの……自然であれ、社会であれ、芸術であれ……についての、細かな観察力必要であることになる。それを基盤として、ナチュラリストが生まれることになる。(これは私見であるが、おそらく真の意味のナチュラリストには、人文学的基礎教養が必須であると思っている。)

斜めの関係の大人は重要である。福岡伸一が昆虫少年だったとき、虫を持って国立科学博物館に行った話しは、いい話しである。そして、この時の福岡伸一少年はとても幸運であったことになる。

ところで、ドリトル先生は、動物のことばが分かる。動物の言語は、今まさに研究が始まったばかりの分野である。代表的な研究は、シジュウカラのことばについてということになるだろうが、さてこの番組はどう展開していくことになるだろうか。

2024年10月8日記

「映像詩 里山 命めぐる水辺」2024-10-10

2024年10月10日 當山日出夫

時をかけるテレビ 映像詩 里山 命めぐる水辺

素朴な感想として、こういう生活、地域のあり方は、残していきたいものであると強く思う。特に里山の自然環境というのは、人間の生活とともにあるものである。そこに住む人びとの生活のスタイルが変われば、自然もまた変わっていかざるをえないだろう。

いろんなことを思うが、まず、映像としていい。カエルと花火、鯉の産卵、川端のヨシノボリ、など、よくこんな映像がとれたなと感じるものが多い。

制作のスタッフのなかに、今森光彦の名前があった。日本の里山の風景を写し続けている第一人者である。何気ない、日本のなかの普通の人びとの暮らしの中にある、自然とのかかわりは、それと気づかなければ見逃してしまう。そこには、地道な観察力が必要である。

ナレーションは山根基世。山根基世もまた、ドキュメンタリー番組などにおけるナレーションのあり方について、一つのスタイルを作り出した一人といっていいのかと思う。親しみのある落ち着いた言い方なのだが、しかし、毅然としたところがある。

最近のニュースで、スズメが絶滅危惧という。日本の里山の暮らしも、いよいよ転換点にきているというべきだろうか。

2024年10月9日記

「渋谷に、核が落ちたら。」2024-10-10

2024年10月10日 當山日出夫

ドキュメント20min. 渋谷に、核が落ちたら。

渋谷に核がが落ちたらのARは、TVニュースでもとりあげれていたので記憶している。そのニュースを見たときの感想としては、あまり意味がないなあ、と思ったのが正直なところである。

今のコンピュータ技術で作るなら、少なくとも、核が落ちたその後のことのシミュレーションでなければならないだろう。そして、それは、さほど難しいことではないかもしれない。今見えているビルが崩壊し、地面に横たわる無数の死体、をまずイメージすることになる。また、これは、東京の都市の機能の麻痺であり、日本全体の生活が破壊されることになる。無論、時間がたっても、放射能の影響は残る。さらには、東アジアを始めとして国際情勢の不安定化を招き、世界レベルでの危機になる。ちょっと考えてみただけでも、これぐらいは容易に想像できる。

核兵器廃絶をうったえるために、それが使用された場合の悲惨さを強調することは、確かに、そのような方法が有効であるとしても、同時にジレンマも含む。そのように強力な兵器であるならば、自分の国でも所有したい、それを持つことで、自国の権威と影響力をたかめたいと思うことにつながる。だからこそ、今の世界で、核兵器を開発している国があり、その国の独裁者がいることになる。

現実的に可能なのは、今ある核兵器をどうコントロールするか、可能ならどう削減するか、その使用についてのハードルをどう高めるか、というあたりのことである。

渋谷に核が落ちたらのARが全くの無意味だとは思わないが、そこから実際に人びとが何を考えることになるか、また、上述したジレンマをどうすれば乗り越えられるか、というあたり、さらに踏み込んでいく必要がある。それはたやすいことではないだろうが。

余計なことかもしれないが、もし渋谷に核が落とされることがあるとしたら、それはどこの仕業だろうか。北朝鮮か、中国か、ロシアか、あるいは、アメリカか、こういうことは考えなくてもいいことなのだろうか。

2024年10月8日記

「ネタニヤフと極右 〜戦闘拡大のジレンマ〜」2024-10-09

2024年10月9日 當山日出夫

BSスペシャル ネタニヤフと極右 〜戦闘拡大のジレンマ〜

戦争をやめたくない、やめられないのは、イスラエルの側にも事情があり、そして、(これは番組では言っていなかったことだが)パレスチナの側にも、理由がある、と私は思うのだが。

この番組では、イスラエルのネタニヤフ政権が、なぜ強引な極右政策をとるしかないのか、その理由を主に、ネタニヤフの経歴と、イスラエルの政治のシステム(比例代表のみによる選挙)にもとめていた。そこで、入閣することになった、二人の人物。これはこれとして、なるほどそういう事情なのかと納得できることである。

軍事作戦で、ハマスを壊滅することは不可能である。これは、去年、イスラエルがガザへの攻撃を始めた直後に、日本の報道でもよく言われていたことである。国家と国家の正規軍による戦争ではない。ハマスというような組織は、たとえ指導者を殺すことはできても、組織として崩壊することはない。また、軍事力だけにたよって、人質解放は無理である。

ここから、思うことを書いてみるならば……人質を解放しないのは、ハマスの側にとっての事情ということもあるのだろう。パレスチナやアラブとイスラエルの間の戦争を、継続させたいと考えているとしか思えない。去年、事件の起こった直後、テレビのある番組で誰かが言っていたが、ハマスは国際社会に対して自分たちのこと(パレスチナのこと)を忘れないでいてほしい……というメッセージとして、事件をおこした。そのときは、なるほどそういう見方もあるのかと思って見ていた。

人質を解放してしまえば、イスラエルには、戦闘を継続する大義名分は無くなる。すくなくとも、その大きな理由の中心ではなくなる。なぜ人質をとったのか、人質を確保している限り、戦闘状態を継続させることが可能だから、ということになるからだろうと、考えることになる。もし人質をとっていなければ、限定的な報復攻撃だけに終わった可能性があるだろう。

つまりは、オスロ合意の段階にもどすことは、イスラエルの右派もパレスチナの過激派も、ともに望んでいないという不幸な状態にあるということなのかと、思うのだが、どうなのだろうか。パレスチナの地は全部がイスラエルのものだという考え方と、この世の中からユダヤ人はいなくなればいい、イスラエルは消えてなくなればいいという考え方との間に、妥協は難しいにちがいない。

ただ、実際のイスラエルの人びとも立場や考え方は様々である。その様々に分断された状態のバランスのうえに、今のネタニヤフ政権がある。将来、このバランスが崩れたとき、どうなるのか難しい問題になるはずである。

ガザでの戦闘の悲惨さを伝えるだけでは、問題の解決につながらない、という冷めた認識も必要であると思う。

2024年10月6日記

「老人と海獣 〜北海道 積丹 トドと泳ぐ海〜」2024-10-09

2024年10月9日 當山日出夫

ETV特集 老人と海獣 〜北海道 積丹 トドと泳ぐ海〜

いろいろと考えるところがあった。

自然の生態系を守る、という観点で見るならば、漁業を止める、ということになるのかもしれない。

しかし、北海道の漁業もまた守らなければならないものである。

短期的に考えるならば、現状維持ということになるだろうか。トドが絶滅しない程度に駆除しながら、漁業を続ける、という選択肢にならざるをえない。

長期的に見れば、はたして北海道の沿岸漁業は、これから先、どうなるだろうかということがある。人口減少社会にあって、現在のままでの沿岸漁業が続けていけるとは思えない。数十年後には、漁業が衰退し、トドの駆除も意味のないものになってしまう可能性が大きい。このまま日本で人口減少が続けば、北海道の沿岸漁業などは、一番先に消えてなくなる業種のなかに入ると思われる。

この番組のいいところは、積丹でダイビングインストラクターをしている藤田さんの視点と、地元の漁業者の視点、この両方を描いていることだろう。また、自然環境保護についてのアメリカの取り組みも紹介している。

かつてはニシン漁で栄えた歴史がある。栄枯盛衰は世の習いとして、なりゆきにまかせる、無責任かもしれないが、これが一番いいのかもしれない。少なくとも、トドが絶滅しないように配慮する必要はあるだろうが。

どうでもいいことなのだが、かつての六〇年安保闘争のときの全学連委員長だった唐牛健太郎は、一時期、北海道でトド撃ちの仕事に従事していたことがあるはずである。登場していた西岡さんは、このことを知っている世代になるかもしれない。できれば、北海道におけるトドの猟の歴史ということについても、触れてあるとよかったと思う。

2024年10月3日記

「お盆の鳥取 海辺の墓地で」2024-10-09

2024年10月9日 當山日出夫

ドキュメント72時間 お盆の鳥取 海辺の墓地で

毎年、八月の盆のころ、関西のローカルニュースでは、京都の大谷祖廟の墓参り風景が流れる。京都における、巨大な墓地である。鳥取ではどうなのだろうか。この墓地の墓参りの様子が、テレビのニュースになることがあるのだろうか。

それにしても何故海辺にこんな巨大な墓地ができたのだろうか。成り立ちが気になるところである。

この地域も昭和の戦後まで土葬であったという。今でも、ごく限られた地域ではあるが、土葬を残している地域がある。人が死んで、その遺体が自然と土に還っていくということを実感することができる。今では、日本では火葬が一般化しているが、かつて土葬が行われていた痕跡は、見つけることができる。

また、古くは、今のような立派な石碑の墓ではなかった。ただの自然石をぽつんと地面においただけ、というものがあった。普通の庶民までが、立派な石碑の墓を持つようになったのは、おそらくは明治以降、さらに普及するのは、昭和の戦後になってからかなと思っている。

墓地は死者のためだけにあるのではない。そこを訪れる生きている人間のためにある。いや、生きている人間が、死者の存在を確認するための場所としての墓地と言ってもいいかもしれない。死者をふくめて「われわれ」である、という感覚は、希薄になっていくことかとも思う。

戦後、朝鮮半島から引き揚げてきて、養父母に育てられたという女性。このような境遇の人は、それと明らかになっていないだけで、数多くいたのだろう。このような人たちがいたということは、記録し、記憶にとどめていかなければならないことにちがいない。

先祖供養、祖霊信仰ということを、近代になって明文化したのは柳田国男の仕事であったというべきかもしれないが、各地に残る先祖供養、祖霊信仰について、今ではどんなふうに考えられているだろうか。生活のスタイルの変化にともなって、これもまた変わっていくものかもしれないが。

2024年10月7日記

「中国 認められない母たち」2024-10-08

2024年10月8日 當山日出夫

AsiaInsight 中国 認められない母たち

二〇二三年の放送の再放送。

中国の都市部を中心に、近代的な個人の権利意識が強くなってきている、という流れのなかにある現象なのだろう。未婚の女性が、子どもを産む、産まないという自由。卵子を凍結保存する自由。番組のなかで、自分の体を自分の自由に使う権利……ということを言っていたが、このような意識が中国の人びとのなかに産まれてきていることは、確かなことである。これは、特に女性に限ったことではないはずである。

自分の体を自分の自由意志で自由にする権利……これが、はたして本当に幸福な未来になっていくのかどうかは、私としては、いくぶん懐疑的なところを感じないではない。しかし、世の中の趨勢として、こういう考え方が浸透してきていることになる。(私は、そもそも、人間の自由意志とは何であるのか、ということから根本的に考える必要があると思っている。しかし、それを強権的に抑圧してよいということではない。)

中国で一人っ子政策が終わってから、かなりになる。だが、社会の考え方はそう簡単には変わらない。あるいは、もし、一人っ子政策を行っていなかったとしても、中国の人口減少ということは、避けられないことだったともいえる。これは、近代社会において、女性の教育水準があがり、社会に出て活躍するようになると、必然的に起こることである。『人口で語る世界史』(ポール・モーランド、度会圭子訳)は面白い本である。

中国でも上海などの都市部では、シングルマザーが増えてきていることになる。だが、社会的、法的な制度は、また未整備という状態ということになるだろうか。また、人びとの意識としても、容認しないという考え方もある。

番組では言っていなかったが、地方の農村部に行けば、事情はどうなのだろうか、ということも気になる。

中国の多くの人びとの生活の意識の変化ということが、これからの中国社会、それから、周辺の国々にどう影響していくことになるのか、大きな転換点にさしかかりつつあることはたしかだろう。軍拡と経済のことがニュースになるが、こういう人びとの生活意識の変化を地道に追いかけていくことは意味のあることだと思う。

また、生命倫理や未来世代に対する責任ということは、現在の個人の自由意志の尊重という考え方だけでは律しきれないところがあると私は思う。

2024年10月6日記