デジタルアーカイブ論2008-01-01

2008/01/01 當山日出夫

正月そうそう、こんな仕事はしたくはないが……次年度のシラバス入稿画面を確認する。いつのまにか、「デジタルアーカイブ論」が増えている(!?) 映像学部の事務の方からは、何の事前連絡もなし。まあ、文学部の方とうまく調整してくれればいいとしておこう。

昨年末、赤間先生(アートリサーチセンター)から話しがあって、担当してくれないか、ということなので、まあ、いいでしょう、とひきうけておいた。映像学部の学生(2回生)対象の半期の授業。この学部、去年できたばかりだから、ほとんど白紙の状態の学生を教えることになる。

映像学部は、かなり実学的な指向のコンセプトで設立されている。建物や設備もプロ用の最新であるし、当然、プロ用の映像機材もそなえている。さらには、太秦に映画スタジオも建設の予定らしい。

そんななかにあって、どうすべきか……きわめて実務的な仕事について考えていくか、あるいは、いっそのこと、「そもそもアーカイブということは」とおもいっきりメタのレベルの議論を展開してみるか。

しかし、これは、ひとつのことのウラ・オモテである。理念を欠いた実践は無意味であるし、実践の裏付けのない理念は空虚である。

だから、いうわけでもないが、とりあえず、この「やまもも書斎記」のリンクのところに、「ARG」(Academic Resource Guide)のHPへのリンクを追加しておいた。

元旦の最初に着信していたメールが、ARGの303号。読んで、さっそく、いくつかの本をオンラインで注文する。また、次回のCH研究会(情報処理学会、人文科学とコンピュータ研究会)は、アーカイブの小特集。場所は、東洋大学。私は、横山さん(国語研)との共同発表で行くことになるが、プログラムを見ると、かなりレベルの高い発表が期待される。

當山日出夫(とうやまひでお)

私的「じんもんこん2007」覚え書き(余録1)2008-01-01

2008/01/01 當山日出夫

とりあえず、今回の「じんもんこん2007」のクロージングまで記述できたところで、Googleで検索をかけてみる。

発表者で、このシンポジウムについてついての言及が見つかった。

村上猛彦さんたち(和歌山大学)

http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20071214/1197579913

論文集を読み直してみるのだが……個人的感想としては、文系・理系のミスマッチのよくある例のように思える。

情報工学の側からのシステム開発の意図はわかるのだが、では、このシステムで、仏教研究にどのように意味があるのか、正直な感想としては、判然としない。

1.金剛寺一切経を対象として、その研究のためなのか。その本文が、他の一切経とどのように異同があるのかの、テキスト・クリティックのための手法の開発なのか。これに限定したものであるならば、なんとか理解できる。

2.しかし、それだけの技術とエネルギーを、もっと他の文献に応用してくれないものかと思ってしまう。金剛寺一切経の価値は認めるにしても、東洋学全体をみわたせば、他に優先順位の高いものがあるように思えてしかたがない。

3.一般に、画像データの資料と、翻刻された(コード化された)テキスト、この対応関係・検索のためのシステム開発なのか。そうなると、テキストの異同のみならず、異体字処理について、きわめて煩瑣な手続きが必要になる。文献ごと、あるいは、研究者の研究目的によって、個別の、異体字変換テーブルが必要になる。この煩雑な、東洋文献学の実態について、どれほど理解しているのだろうか。(逆にいえば、このことは、文字研究にたずさわる、私のようなものの責任でもあるのだが。)

私の希望としては……このようなシステム開発が、情報工学の内部だけの技術的課題にとどまらずに、テキスト(写本にかぎらず)をコンピュータの文字に翻刻(文字コード化)することの本質にせまるものを目指してほしい。そのためには、常に人文学の側の研究者との密接なコミュニケーションが欠かせない。

「じんもんこん」のシンポジウムや、CH研究会、その他の各種の研究会などが、その場を提供するものとして、育っていってくれることに期待したい。これが、年頭においての、所感である。

當山日出夫(とうやまひでお)

『馬場辰猪』2008-01-02

2008/01/02  當山日出夫

昨年の大晦日から、本年の元旦にかけて読んだのが、

萩原延寿(2007).「馬場辰猪」.『萩原延寿集 1』.朝日新聞社.(原著は1967年に中央公論社.底本は1995年の中公文庫版)

私は、大学は、慶應義塾大学(文学部)……したがって、塾員ということになる。そして、慶應義塾で、ことあるごとに持ち出されるのが、「独立自尊」「知徳の模範」「気品の泉源」、であることは、慶應の関係者ならず、一般によく知られていることであろう。

そのうえで、福沢諭吉(本当は、塾員としては、福沢先生と称さねばならないのだが、ま、いいことにしよう)が、もっとも「気品」あると賞したのが、馬場辰猪である。

土佐の出身。英国留学。慶應義塾に学ぶ。自由民権の志士として、言論活動に奔走。その希望がついえたとき、アメリカに亡命。最期は、フィラデルフィアで病死。享年、39歳。

また、私個人の専門である日本語研究の視点から見れば、近代になって、はじめて日本語を体系的に記述した先駆者のひとり。英国において、『日本語文典』をあらわす。私の国語学における恩師(個人的に師事)は、山田忠雄である。その父親(山田孝雄=やまだよしお)もまた、日本近代を代表する国語学者。その著書(国語学史)のひとつの章を、馬場辰猪のためにつかっている。

ついに、「官」の側にあることなく、在野の言論人であることを選んだ。そして、馬場の理念は、現実の明治政府(藩閥政治)も、また、それへの対抗勢力である自由民権運動をも、超えたものであった。ゆえに、馬場は、孤立せざるをえなかった。

「気品」……福沢のつかった意味でとらえるならば、官(権力)にとらわれることなく、また、世間の風潮に流されることもなく、言論をもって、自らの主張をつらぬいた人物ということになるだろう。『学問のすゝめ』でいう「学者の職分」をまっとうした。(たとえ、その主張するところが、福沢自身の考えと違っていても。福沢のいわく「文明は多事争論の間にあり」。)

そして、読後感をいえば、馬場辰猪の印象と、その著者である萩原延寿の生き方とが、かさなる。馬場辰猪は、常に、野にあることを選んだ。そして、萩原延寿は、インディペンデント・スカラー、つまり、いわゆる大学教員のように研究機関や組織に属さない、独立した研究者。この萩原の生き方が、どのように、その研究活動にかかわっているのか、今後の著作集の解説・月報などで、明らかになっていくことであろう。

當山日出夫(とうやまひでお)

私的「じんもんこん2007」覚え書き(余録2)2008-01-02

2008/01/02 當山日出夫

昨日、書いたものにさっそくコメントをいただいているので、さらに続けることにする。

再確認しておくと 仏典全文検索システムの構築と評価(村上猛彦・丁敏・中川優) についてのこと。

http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20071214/1197579913

私が、この発表について、文系・理系のミスマッチと感じたのは、単に「文・理」だけの問題ではなく、むしろ「文」の側にも、問題があると思ったからでもある。

私は、仏教学が専門ではないが……この意味では、当日、同じ会場にいたはずの永崎研宣さん(山口県立大)が詳しいはず……いったい、どれほどの、仏典のテキスト入力が進行しているのだろうか。国家による違い・宗派による違い、などが複雑に錯綜して、種々の仏典デジタルアーカイブが併存しているのが、現状であろうと思っている。

別に、それを、強いて一本化する必要はない、(あるいは、してはいけないし、また、不可能であるとも思う)。だが、相互の、お互いの関連だけは、常にオープンである必要がある。

しかし、この、相互の密接な連携をたもちながら、かつ、それぞれのプロジェクトが独自性を維持する……ということが、難しい。これは、仏教学に限らず、人文学系の各研究分野についていえることだと、常々感じていることでもある。

これが、活字の本の世界であれば、研究者が、読み比べたらいい、単に根気の問題であったといえる。だが、現在、コンピュータに依拠するようになると、かえって、各テキスト類の相互参照ということが難しくなってしまう。

検索は、それぞれのシステム(それぞれに独自であっても)で、簡単にできるだろう。だが、問題は、そこからどのようなテキストの異同を読み取るか、である。解釈の領域になる。

第一に、どのようなテキストが入力されているか。そのテキストのデータの底本が何であるか。

第二に、どのようにデジタル化したか。もっとも問題になるのが、漢字でれば、異体字の処理。あるいは、本文の異同。

第三に、実際に人文学研究者が利用しようとしたとき、もとめられるのが、本文の異同箇所を、そのテキスト全体のなかでとらえること。そのテキストの、成立・書写・伝来・校訂、これら全体のなかで考えなければならないこと。そして、このレベルになると、各研究者によって、てんでバラバラの「泥沼」の世界に足を踏み込むことになる。

このような背景のもと、デジタルアーカイブの相互参照・横断検索ということが課題になってきている。(そのための手法のひとつが、GIS=時空間情報によるメタデータ、であると私は認識している。)

そして、このような、強いていえば「泥沼」のような世界があることを理解したうえで、情報工学の方々に、システムの構築を考えてもらいたい。私が、文と理のミスマッチと感じたのは、この「泥沼」あるいは「タコツボ」の領域にどのように対処するのか……その方向性が、もうひとつ明確ではなかったと感じたからである。

これが、ある特殊な領域のデータに特化したシステムならいいのだが、「仏典」となると、その影響の範囲は、とめどもなくひろい。

しかしながら、金剛寺一切経の研究の研究について、評価したいと思っているのは……もとのデータ=金剛寺一切経の画像データ、にたちかえって考える回路を確保している点である。ここがしっかりと確保されていれば、「どうにかなる」。逆に、ここが断ち切られてしまったら、もう、どうしようもない。

この「もとのデータに立ち返る回路を確保してある」という点では、金剛寺一切経の発表は、いい内容だったと思う。

當山日出夫(とうやまひでお)

『日本の「わざ」をデジタルで伝える』2008-01-03

2008/01/03 當山日出夫

最近のARGで掲載されていた本。さっそく買って読んでみる。

渡部信一(2007).『日本の「わざ」をデジタルで伝える』.大修館書店

総合的な印象を述べれば、きわめて共感するところが多い。デジタル・アーカイブ、ということのもつ、いろんな問題点を指摘している。

一般論としてであるが、

●何がデジタル化可能であるのか(逆に、何が不可能であるのか)

●何をデジタル化するのか、その選択の問題

●デジタル化して、ある事象を固定的にとらえてしまうことの問題点。特に流動的可変的な文化事象と、伝統・正統の問題。

●デジタル化によって、分節化された事象を、再度、総合して構築可能かどうか。

など、きわめて、挑発的な問いかけが随所に見られる。

ただ、細部にわたって見れば、いささか異論がないではない。民俗芸能のモーションキャプチャについての章では、このような記述がある。

長瀬一男……「有名な能とか日本舞踊とか「伝統芸能」のアーカイブでは資金を獲得しやすい。しかし、地域に伝わる民俗芸能にはなかなか資金がつきません。」(p.47)

渡部信一……「例えば、能とか歌舞伎などは家の世襲制で、その家の中だけで伝承されるわけです。それでも何の不都合もなく伝承されてきているわけです。それを、DVDを作って、何百枚、何千枚とスタンプしてばらまいて伝承しようとする意味とは何でしょうか。」(p.47)

これらの発言の前には、「アーカイブのためのデジタル化と伝承のためのデジタル化とは、どのように違うのですか。」(渡部信一 p.46) がある。

このあたりの発言は、立命館ARCなど中心とする、京都の伝統芸能のモーションキャプチャ研究を念頭においてのことと推察される(はっきりと、そう名指ししてあるわけではないのだが。)

このところ、立場や考え方のすれ違いがあるかな、と感じる。私の知見のおよぶ範囲であるが、ARCでのモーションキャプチャによる能のデジタルアーカイブは、「何のために」ということを、常に、研究者の側のみではなく、演者の側との、交流のなかで、問い続けてきている。そうでなければ、21世紀COEの最終シンポジウムを、京都の観世会館で開催する、などということはできない。

ここは、やはり、能楽師・片山家にとっても意味のあるものであることを、確認しておく必要があるのではないか。

ところで、この本、モーションキャプチャの事例紹介の本として読むのはもったいない。デジタル・ヒューマニティーズの視点から、是非、参考にすべきは、第4章、「漢方医の「わざ」からデジタル化を考える」。

明治期の漢方医・浅田宗伯が、どのようにして、その「知」を伝承しようとしたか、そのシステムを、分析している。ここで示される「漢方医道」の語を、「人文学における学知」に、そのままおきかえて読んでみることができよう。

たとえば次のような記述。

川口陽徳……「「知識」というものは個人が所有するものではなく、ある関係の中で相互的に所有されるものであるという考え方です。」(p.124)

渡部信一……「常識的な疑問として「一度分節化したものを後で統合して、本当にもとの本質を伝えることができるのか」ということがありますね。」(p.125)

これまで、人文学における学知は、短いかもしれないが、あるいは、単なる擬制であるといえるのだが、ともかく、明治期以来の100年以上の歴史のなかで形成され・伝承されてきた。これはこれとして、この事実の重みがある。

それを分節化し再構築していこうとするのが、デジタル・ヒューマニティーズの意図するところであるとするならば、明治の浅田宗伯にとっての「医道」について考えなければならない。「医道」は、そのなかに、狭義の医学的技術の他に、医師・患者、それに、それを学ぶ弟子、の関係を総合している。現在の人文学における、研究資料・方法論・研究者・学生・教育システム・業績の発表システム……これら全体の関係性を、デジタルの視点からどう考えるのか。この意味において、きわめて示唆にとむ問いかけを得ることができる。

當山日出夫(とうやまひでお)

『されど われらが日々―』2008-01-04

2008/01/04 當山日出夫

Googleで、この本について検索してみると、けっこういろんなブログで言及している。書いているのは、若い人ではなく、この本を、昔、愛読した、かなり年配の世代、とおぼしい。

いま、私の手元にあるのは、昨年(2007)の11月に、文春文庫で再刊されたあたらしい版のもの。もちろん(というと、歳がばれるが)、むかし、学生のころ、古い文庫本で読んでいる。

『されど われらが日々―』について語り出すと、なんとなく感傷的になってしまうので、やめておく……で、このブログとしては、デジタル・ヒューマニティーズの視点から。

この本、1964年の芥川賞受賞。作者は、柴田翔。当然ながら、パーソナルコンピュータもなければ、インターネットの影も形もない時代。主人公は、東大の学生(大学院生)。舞台となる人物設定は、本郷を中心とした学生たち。

冒頭の一節、(主人公が古本屋で本を見る場面)


そういう時、私は題名を読むよりは、むしろ、変色した紙や色あせた文字、手ずれやしみ、あるいはその本の持つ陰影といったもの、を見ていたのだった。(p.11)


そして、主人公は、H全集を手にとることになり、その蔵書印から、もとの所有者へと話題がつづいていくのだが、最後にも、また、H全集への言及がある


あの時、H全集のたたずまいから発して、私にからみついてきたその奇妙な雰囲気、私をして自分の意志にさえ反してH全集を買わせたあの悪寒は、果たして私一人のものであったのだろうか。(中略)それは、私たちと同じ時代を生きた人たち全てのものであったのではないだろうか。(p.222)


ここでは、『H全集』という個人の著作の編纂物、それが書物として存在すること、その「奇妙な雰囲気」について語られている。『全集』というものが、ある人物の著作のアーカイブであるとするならば、それを、デジタル化したとき、はたして、「その奇妙な雰囲気」を、感じ取るということがあり得るだろうか。

ところで、私は、人文学にかかわる人間として当然のことであるが、本は、かなり持っている。(ごく稀にであるが、自分の蔵書は一切持たないという主義の研究者もいる、しかし、これはあくまでも例外中の例外。)そして、本は、なかなか棄てられない。

棄てることができないものは、研究書ではなく、むしろ、文学書、特に、詩集である。いまだに、北原白秋は、むかしの岩波文庫の古い活字本(本当の活版)でないと、読んだ気がしない。夏目漱石ぐらいになると、昔の文庫本でも全集(岩波版)でも、さほど違和感なく読める。

もし、北原白秋の詩集がテキストデータとしてあったとき、パソコンで文章を書くときに、引用するのに便利だから使うということはあっても、その詩を読むために、ディスプレイで見るということは、たぶんありえない。

このような感覚を書物に対して持っているのは、『されど……』を、昔、学生のとき読んだような、私ぐらいの世代までのことなのかもしれない。文学をデジタルアーカイブするとき、何が抜け落ちてしまうのか、このことをどうしても考えてしまう。

それを逆にさかのぼれば……『源氏物語』を、古写本の変体仮名のテキストで読めといわれれば、私は読める(大学は、文学部国文科の出身であるから)。しかし、普通には、活字本で読んでしまう。このとき、手書きの写本から、何かが脱落していることは確かであろう。料紙・墨跡から感じ取るものが、無い。

にもかかわらず、『源氏物語』は、やはり『源氏物語』である。活字になっても、残る本質的な部分がある。それならば、それを、さらにデジタル化しても、本質の部分は、継承されるのだろう……と、思わなければならない。

もう10年以上も前のことになる。情報処理学会CH(人文科学とコンピュータ研究会)で、「読書とコンピュータ -テキストデータで本が読めるのか-」という発表を、私はしている。第11回、大日本印刷、1991年。

このときに考えたことから、あまり、状況は変わっていないのではないか。『されど……』を、読み返して感傷的になってしまうような人間の、そこはかとない思いである。

當山日出夫(とうやまひでお)

『論文の教室』を読む(3)2008-01-05

2008/01/05 當山日出夫

ここ2~3日で、次年度のシラバスのオンライン入力を、だいたい終えた。一部のこっているのが、「デジタルアーカイブ論」……これは、担当者変更という事態のせいで、まだ、方針がよくわからないでいるため。それにしても、半期をさらに半分にして、クォータ制というのは、どうも納得できない。全部で7回、そのうち「はじめに」と「おわりに」で、残りは、実質5回。5回で、なんかまとまった話しをしろというのでは、内容(コンテンツ)が小さくなってしまう。

石原千秋(早稲田大学)が、どこかの本で書いていたが……セメスタ制になって、一番こまるのが、夏休みがなくなること。夏休みが、ほんとの「休み」になってしまうこと。夏休みの間に宿題を課しておいて、その間に学生が成長するということがなくなってしまう。

セメスタ制でも、15回もあれば、毎年、同じようなネタで、同じような授業をやっているように見えるかもしれないが、授業をする側(教師)としても、その間に、なにがしか、考えるところがある。この歳になってしまえば、成長とはいわないまでも、変化、はある。それが、7回では、すでに用意した話題をつかいきって、終わりである。

ところで、『論文の教室』(戸田山和久)、アカデミック・ライティングの授業では、次年度も、この本をテキストに指定することにした。というよりも、これに代わる本がない。

「教科書」としてであるならば、ひつじ書房とか、くろしお出版、などから出ているのを知っている。しかし、正直にいって、使う気になれない。

はっきり言ってしまえば……文章を書く基本のところは解説した本があってよい。しかし、練習問題や課題は、自分が相手にしている学生に応じて、その勉強の領域や学習のレベルに対応して、教師自身が、作れなければならない。(とはいえ、それだけの、時間の余裕が無いのが、今の教師の実態であるのかもしれないのだが。)

『論文の教室』は、著者(戸田山)自身が、これは「教養小説」であると、書いている(「はじめに」、p.14)。教養小説としてみるならば、成長するのは、学生ばかりではない。教える側も、成長(すくなくとも、変化する)ものであろう。

少なくとも、私の場合であれば、学生に課す最終的な課題として、科学的な思考法の入門書・啓蒙書の類を、一つは選ぶようにしている。そのためには、自分でまず読まないといけない。(この意味では、なにがしか、自分の勉強にもなっていると感じる。)

當山日出夫(とうやまひでお)

人文情報学シンポジウムのこと2008-01-06

2008/01/06 當山日出夫

もろさんのブログで、昨年の人文情報学シンポジウムについて言及してあった。

もろ式:読書日記 の1月3日

http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20080103/1199409015

http://coe21.zinbun.kyoto-u.ac.jp/ws-hi-2007.html.ja

参加者は、あまり多いとはいえないものであったが、中身は、非常に濃い研究会であった。

特に、個人的に印象に残っているのが、

野村英登さんの「チープな人文情報学の可能性について」

である。確認のため、野村さんの発表概要の紹介を引用しておくと、


古典中国学の領域におけるコンピュータ利用として大多数を占めるであろう、コンピュータやデータベースを工具書のような便利な道具としてのみ研究に利用する立場は、時に方法論的な省察を欠いた安易な取り組みとして、人文情報学に深くコミットする立場から批判される場合もないではない。しかしここでは、むしろ現状を道具としての利用がいまだ不徹底な状態として肯定的に考え、安易さをより徹底することで実現されるであろう、「チープな人文情報学」の可能性を検討してみたい。


このシンポジウムのときに野村さんが述べたことを私なりに理解した範囲で整理すると……インターネットにおける「読書人」ということになるだろうか。「読書人」という言い方、東洋学関係では時々つかうことばである。単に読書をする人という意味よりも、むしろ、「知識人」という現代の言い方に近いかもしれない。その活動の場を提供してくれるものが、インターネットの世界。様々な工具書(ツール)もあるが、その一方で、HPやWiki、ブログ、という、情報発信、相互のコミュニケーションの道も拓けつつある。

野村さん自身「チープ」な、という言い方をしている。パソコンで、個人的に、という意味において、だと思う。しかし、その内実、研究者の生き方という意味では、むしろ「ディープ」な、と言ったほうがいいかもしれない。

知識の蓄積、伝達、教育、それらを担う人々の相互のコミュニケーション、これらが総合して、伝統的な東洋古典学の世界があった。そして、それを、継承することを可能にするものとして、今後の、インターネットの世界に期待を表明している。私には、そのように理解できた。

また、私がこのブログで考えていきたいと思っているのは、学知の総合的な関係性とデジタルについて、である。単に、巨大なデジタルアーカイブができて、検索が便利にった……というだけのレベルにはとどまりたくない。

當山日出夫(とうやまひでお)

『ウェブ時代をゆく』2008-01-06

2008/01/06 當山日出夫

梅田望夫(2007).『ウェブ時代をゆく-いかに働き、いかに学ぶか-』(ちくま新書).筑摩書房

いま、話題の本である。いまさらコメントというほどのこともないが、デジタル・ヒューマニティーズの視点から、興味深い箇所をひろってみる。

この意味では、やはり、「文系のオープンソースの道具」が欲しい、の章になる。

たとえば、次のような記述。

英語圏のネット空間が「パブリックな意識」にドライブされて進化していることである。大学や図書館や博物館や学者コミュニティなど、知の最高峰に位置する人々や組織が「人類の公共財たる知を広く誰にも利用可能にすることは善なのだ」という「パブリックな意識」を色濃く持ち、そこにネットの真の意義を見出して、真剣に動き出している。このことから日本人も大いに刺激をうけるべきである。(p.172)

「知的生産」とはそももも「書いたことを人に伝える」のがゴールで、個人的な「知的生活」と違って、他者の存在を意識した行為である。知的生産の本質には「利他性」や「パブリックな意識」が含まれ、社会貢献という意義も自然にそこに含まれてくるのだ。より多くの日本の知性がそのことに思いを馳せることで、近未来に日本語圏ネット空間がより知的なものへと発展していくことを祈念してやまない。(p.173)

もう、これ以上、私が何もくわえる必要はないだろう。「パブリックな意識」を支えるために、現在の、日本語ネット空間でのブログが万全であるとはいえないかもしれない。

この項目の前に書いた、人文情報学シンポジウム、その中で使った言葉でいえば、「インターネットにおける読書人」(これを、エリート意識と批判する人もいるであろうが)……私は、これを目指したい。むろん、これは、私だけでできることではない。少しでも多くの人が、この方向にむけて、自分の時間の一部をつかおうと、おもうようになる必要がある。

業績にはならない。しかし、自分自身の、そして他者の人生をも、豊かにしてくれる可能性を信じたいものである。

當山日出夫(とうやまひでお)

開国なのだと思う2008-01-08

2008/01/08 當山日出夫

山道を登りながら考えた……ではなく、京都からの帰りの自動車の運転の途中で考えた。インターネットに向けて、開国しなければならないのだ、と。

立命館のGCOE、別に関係しているから自画自賛するわけではないが、(また、いろいろと経緯のあってのことであるが)、火曜セミナーをブログで公開していることは、すばらしいことだと思う。単に研究会のプログラムを案内しているだけではない。そこでの発表をめぐって、会場にいた人、いなかった人をふくめて、コメントを相互に交換している。そして、それが、オープンになっている。

このような研究プロジェクトは珍しいのではないか。

まだ、はじまったばかりであるし、個人的に不満に感じる点がないではない。特に、コメントが乏しかったりすると、残念に思う。だが、これも、試行錯誤の一つの過程であろう。

デジタル・ヒューマニティーズという、新しい「知」の形成のプロセスが、インターネット空間にオープンになっている。結果として、どのような研究成果を出すかも重要だが、それよりも、そのプロセスをオープンにしているということが、きわめて重要である。あるいは、こちらの方が、より本質的な部分かもしれない。

私自身、このブログで、批判的なことも書いている。しかし、それは、インターネットの世界で、つながっている。つながっているからこそ、苦言も書く。関係者の多くが、ブログやHPを作って、相互に、網の目がひろがっていくことに期待したい。

今は、まだ、たまたま、私が作ってしまった……という状態かもしれない。だが、これ(このブログ)も、今後、関係する多くの人たちのネットワークのなかに埋もれていってしまうだろう、私自身、そうなることを切に望んでいる。

GCOEの火曜セミナーも、来週から、新しい年がスタートする。そのセミナーで発表することだけではなく、そこに話しを聞きにいくことだけでも、また、後で、ブログの書き込みに参加することだけでも、それは、オープンな知の形成の世界に関与することにつながる。その、当事者として、そこに参画する。

今日は、こんなふうに考えてみた。

當山日出夫(とうやまひでお)