『馬場辰猪』2008-01-02

2008/01/02  當山日出夫

昨年の大晦日から、本年の元旦にかけて読んだのが、

萩原延寿(2007).「馬場辰猪」.『萩原延寿集 1』.朝日新聞社.(原著は1967年に中央公論社.底本は1995年の中公文庫版)

私は、大学は、慶應義塾大学(文学部)……したがって、塾員ということになる。そして、慶應義塾で、ことあるごとに持ち出されるのが、「独立自尊」「知徳の模範」「気品の泉源」、であることは、慶應の関係者ならず、一般によく知られていることであろう。

そのうえで、福沢諭吉(本当は、塾員としては、福沢先生と称さねばならないのだが、ま、いいことにしよう)が、もっとも「気品」あると賞したのが、馬場辰猪である。

土佐の出身。英国留学。慶應義塾に学ぶ。自由民権の志士として、言論活動に奔走。その希望がついえたとき、アメリカに亡命。最期は、フィラデルフィアで病死。享年、39歳。

また、私個人の専門である日本語研究の視点から見れば、近代になって、はじめて日本語を体系的に記述した先駆者のひとり。英国において、『日本語文典』をあらわす。私の国語学における恩師(個人的に師事)は、山田忠雄である。その父親(山田孝雄=やまだよしお)もまた、日本近代を代表する国語学者。その著書(国語学史)のひとつの章を、馬場辰猪のためにつかっている。

ついに、「官」の側にあることなく、在野の言論人であることを選んだ。そして、馬場の理念は、現実の明治政府(藩閥政治)も、また、それへの対抗勢力である自由民権運動をも、超えたものであった。ゆえに、馬場は、孤立せざるをえなかった。

「気品」……福沢のつかった意味でとらえるならば、官(権力)にとらわれることなく、また、世間の風潮に流されることもなく、言論をもって、自らの主張をつらぬいた人物ということになるだろう。『学問のすゝめ』でいう「学者の職分」をまっとうした。(たとえ、その主張するところが、福沢自身の考えと違っていても。福沢のいわく「文明は多事争論の間にあり」。)

そして、読後感をいえば、馬場辰猪の印象と、その著者である萩原延寿の生き方とが、かさなる。馬場辰猪は、常に、野にあることを選んだ。そして、萩原延寿は、インディペンデント・スカラー、つまり、いわゆる大学教員のように研究機関や組織に属さない、独立した研究者。この萩原の生き方が、どのように、その研究活動にかかわっているのか、今後の著作集の解説・月報などで、明らかになっていくことであろう。

當山日出夫(とうやまひでお)

コメント

_ 轟亭 ― 2008-01-03 18時03分26秒

やまももさんが『馬場辰猪』を読むきっかけになったと思うと、嬉しい。
<小人閑居日記>12月8日から12日です。

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_ 轟亭の小人閑居日記    馬場紘二 - 2008-01-03 20時26分41秒

 1日の土曜日、“ジャックの塔”横浜市開港記念会館へ講演会「開港150周年
のプレリュード 幕末維新の英外交官、アーネスト・サトウと歴史家・萩原延壽」
を聴きに出かけた。 こ